空色なキモチ

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ここなつ

Author:ここなつ
正式名『こなつ』時々『あげは』でR18サイトに投稿しています。
『ここなつ』は、日常ブログ
当(小説用)ブログの区別をつけるための苦肉の策なのです。
正確には『小こなつ』
(小を『こ』と読ませただけです)

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思い出のヘニョロロ 9

第九話

過去編・思い出の試合




 
 とうとう合同練習最終日。
 なぜか両顧問はまたも体育館にはいなかった。
 反省会だと言っていたものの、監督する大人がいない体育館はそれはもう開放的だった。
 だけど数日前に一年女子が軽い脱水を起こしたこともあって、無理はしないことと水分の補給をまめにするようにのお達しがあった。
 どうも六中の女性顧問が美人だからうちの顧問が密かに狙っているのではないかという噂がまことしやかに囁かれた。いや、実際はわからないけど。

 バドミントンのシャトルはとても軽いので風通しをよくしてしまうとそれだけであらぬ方向へ飛んでいってしまうからどうしても無風の暑い中でのプレイになるし、わずかな換気口が救いの神になっている。清涼飲料水の数も増やし、凍らせたものも用意することになっていた。

 今日が終わってしまったら、君との接点がなくなってしまう。
 意を決して俺は君の元へ向かった。
 尾田に注意されてから、シャトルをギャラリーに打ち込むこともなくなっていた君と会話もろくにできずにいてフラストレーションがたまっていたし。

「部長サン、俺と試合しない?」

 体育館に戻ってきたばかりの君に声をかける。
 首もとにかけたタオルで顔を拭きながら戻ってきたところを見ると洗顔帰りだったのだと思う。
 少し前に試合を終えたばかりだからか頬が紅潮しており、それをタオルで隠すようにしている。俺が声をかけたから頬を染めてくれたんだと少しでも自惚れることができたらどんなにうれしかったか。

「は? なんで?」

 眉をしかめて俺を見据える君は腑に落ちないといった様子で首を傾げた。

「いやあ、君とはいつか勝負してみたいって思ってたんだよねー。今ちょうど顧問もいないし」
「……別にいいけど」
「おっ、マジで? じゃあさ、賭けしない?」
「賭け?」
「うん、その方が気合い入るしおもしろいっしょ? 負けたほうが勝ったほうの言うことを聞くの。ベタだけど」
「ふーん?」

 さらに深く首を傾げる君は納得していないように見えたけど、こっちのペースにのせてしまえばいい。
 顔には出さずに俺がほくそ笑んでいたコトなんて全く気づいていなかっただろうね。

「で、そっちはなにを賭けるの?」

 ポニーテールがふわりと揺れるくらい首を大きく傾げて尋ねてきたから最高の笑みを貼り付けて言ってやったんだ。

「俺が勝ったらつきあって」
「……は?」
「彼氏いるの?」

 大きな目を見開いて驚く君は何度も長いまつげをこれでもかと上下させる。
 ラケットの柄で自分の肩をとんとんと軽く叩くようにしながら余裕をかまして問いかけたけど内心ヒヤヒヤだった。 
 彼氏がいたらそこで終わりだし、なんとなく君は岩本くんが好きなんじゃないかって思っていたから。

「……いないけど」 
 
 頬を真っ赤に染めながら俺から目を逸らす。
 本気で俺を拒絶するならそこで彼氏がいると嘘をつけばこの賭けは立ち消えになったのに。

「じゃ、決定」
「まっ、待ってよ。こっちが勝ったら?」

 勝手にコートを決めて向かおうとした俺を引き留める君。
 ちょっとどもっているのを聞いて、動揺してくれているのかなと気をよくする俺。
 わざとらしく一瞬ためてから余裕たっぷりの笑顔を向けてみせた。

「んー、それは君が決めていいことなんだけど」
「あっ、そっか!」
「まあ、ご褒美にキスでもしてあげよっか?」
「なっ!」
「なに、律試合すんの?」

 わあっとうちのメンバーが駆け寄ってくる。
 好奇心旺盛でニマニマしている男子部員と、表情を曇らせる女子部員。だけど賭けの対象は聞かれていないはずだ。

「それこっちに全くメリットないっ!」

 真っ赤な顔をして怒鳴る君の意見など聞かず、俺はさっさとコート内に入って素振りを開始していた。顧問が戻ってくる前に早く終わらせたほうがいいと急かすうちの部員の声には助けられた部分が大きかったけど。
 君はしぶしぶコートに入って同じように素振りを始めた。
 六中の部員がそばによって君にどういうことか理由を聞いているようだけど俺のペースで審判を勝手に決めてさっさと試合開始のコールをかけさせる。

「ファーストゲーム、ラブオールプレー!」

 お願いしますと審判に頭を下げる君は、相手である俺にもちゃんと頭を下げた。
 礼儀ではあるけど怒っているだろうから正直スルーされると思ってただけにむず痒いようなうれしさがこみ上げてきていたのをよく覚えている。
 君からのサーブ。少し緊張した面もちでシャトルを左手に持ち、大きくラケットを下から振り上げた。

「――あ」

 君が空振りしてシャトルを落とす姿を初めて見た。
 大きく振り上げられたラケットは空を切り、同時に大爆笑の渦をわかせる。

「へなちょこサーブ!」

 緊張を解きほぐしてやりたくてかけた言葉に君はムッとした表情を向けた。
 君がこっちに向かって「ばーか」と口パクしたのはたぶん俺しかわかってなかったはず。
 この試合、簡単に勝たせてもらえないことはわかっていた。
 もちろん女子だから岩本くんのようなパワーを感じることはないけど打ち込まれるスマッシュのスピードは速いと感じたし。
 簡単に負けてやるつもりもない。だけど君が勝ったとしたことも想定していた。
 勝者として君は俺に何を求めるのかも興味があったから。
 君にとっては冗談みたいな賭けだったかもしれない。俺がふざけてそんな提案をしたと思っていたかもしれない。

 だけど俺は本気だった。

 二セットなんとか俺が先取し、そして三セット目。
 ようやく波に乗ってきた君が必死に追い上げる。額から流れ落ちる汗をぬぐいながらも必死に食らいついてきた。
 このセットまずいかも、と思った時。

「集合ーッ!」

 いいところで顧問が戻ってきて、俺たちの合同練習は終了になってしまった。

「俺の勝ち、だよな?」
「……まだ勝負ついてない」
「二セット先取してるし」
「このセット取れそうだもん」
「じゃ、日を改めて再試合する? 一セットだけ」

 望むところだと君は間違いなく言った。
 勝ち気なその表情から本気具合が受けて取れる。
 そんなに俺に負けてつきあいたくないのかとちょっとへこみそうになったけど、きっと純粋に負けず嫌いなんだろうという判断で自身を落ち着けたりして。

 その時、ふと君のポニーテールにしたサイドの後れ毛に白いものがついているのを見つけてしまった。
 それを取ってやろうとした俺の手が君の耳に軽く触れると、びくんと身体をふるわせて一歩下がる。そのオーバーリアクションに俺も一瞬たじろいでしまった。

「なっ、なにっ?」

 うわ、耳まで真っ赤。
 もしかして耳弱いのかな。もっと触りたい。

「なんかついてるから」
「えっ」
「虫かも」
「うそっ、とってとって!」

 慌てて振り払おうとする君は本当にかわいかったんだ。
 だから残りの一セット、必ず取って君とつきあう権利を絶対にものにしたかった。

 それなのに、君はその約束を破ったんだ。

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思い出のヘニョロロ 8

第八話

過去編・切ない




「スイマセーン、部長サン、まーたシャトルが上にあがっちゃったんですけどぉー?」
「……チッ」

 他校の体育館のギャラリー部分にシャトルが乗ってしまった場合、自分では取りに行かずに責任をもってその学校の生徒が取りに行くという決まり事があった。
 頼むのは誰にでもいいんだけど、俺はわざと君にばかり頼んだ。
 六中の女子部員は俺に友好的でスマッシュやサーブの打ち方のコツを聞きに来たりしていたのに君だけは俺に目もくれない。
 そんな態度がまたきゅんと来ていじめたくなってしまったりして。嗜虐心とでもいうのだろうか。
 なんて意地悪なんだろうと思っていたけどそうやって少しでも接点を持てるのが本当はうれしかったんだ。もちろん悪いとは思っていたよ。ああ、だけどもう時効だよね。

「りるは、私行くよ」
「いいっ」

 舌打ちしながらも君はダッシュトレーニングのように階段をのぼって何度もシャトルを取りに行ってくれた。そして敵意むき出しに俺に向かって思い切りそれを投げる。
 だけどそんなの想定内で、ラケットで掬うようにそれを受け取ると「きゃーっ」と黄色い声があがる。そんなのも俺を有頂天にさせた。
 君は俺にシャトルを当てられなかったのが悔しかったようで大きな舌打ちをしながらその場で地団駄を踏んでいたよね。いらいらしながら降りてくるのもかわいかったな。

 君がうちの部員だったらどんなにいいか、何度もそう思っていたんだ。


***


 一週間がたち、今度はうちの中学での合同練習になった。
 仲間と一緒に自転車で来る君のセーラー服姿は誰よりもかわいかったんだ。少しだけ短い紺のプリーツスカートから伸びるすらっとした足は本当に綺麗だったし、白いハイソックスなぜか白い足に映えて見えるくらいまぶしかった。
 俺、間違いなく神戸りるはに恋をしている。
 そう自覚するしかなくて、君の姿を見るたびにどきどき加速してゆく鼓動を感じていた。


「部長サーン、シャトルがギャラリーにあがっちゃったんですけどー」

 今度は君がやり返す。
 ちゃんと見てたよ。わざとギャラリーに向かって勢いよくシャトルを打ち込んでいたのを。

「くっそー」

 だけどそんなの見なかった振りしてダッシュでシャトルを拾いに行く。
 勝ち誇った笑みを浮かべた君がふんっと鼻を鳴らしながら時々俺を見ていたのも気づいていたよ。
 上からシャトルを落としてやると、こんっと君の頭に命中したりしておかしかった。避けないのかよって心の中で激しいツッコミプラス大笑いをしてしまうほど。

「りるは鈍ーい」
「うるさいっ」

 仲間に冷やかされながらも照れ笑いする君がかわいくて。
 ギャラリーの上から腹を抱えて笑っていると、下で君は歯をむき出しにして「イーッ」としてきた。
 駆け寄って、茶化しながらポニーテールの髪をグシャグシャってしたくなった。
 なんだか異様に胸がドキドキしておさまらない。もちろんダッシュで階段駆け上がったからなんかじゃない。練習で疲れていたわけでもない。
 
「ちょっと、律……じゃなくて、うちの部長に余計なことさせないでくれない?」

 小走りで君に近づいた女子部部長の尾田が、喧嘩腰でそう詰め寄ったのは予想外の展開だった。
 慌てて梯子形の階段を下り、そっちに向かうと君と尾田の一騎打ちのような状況になっていた。
 たぶん一番焦っていたのは俺。

「あなたがわざと上にシャトルを打ち込んだの見てたんだから。律の気を引きたいからってやることが子どもっぽくない?」
「……違います」
「部長自らそれじゃ下級生に示しがつかないわよ」

 やばい状況になってきたってのは見てすぐわかった。
 体育館にいる生徒全員が君と尾田の様子を遠巻きに窺っていたから。どっちについても話はこじれそうな気がして俺は頭を抱えた。

「お言葉ですけど、うちで練習してた時にそちらの部長さんに同じコトをされたので仕返……じゃなかった、お返ししたまでです」

 にっこりと満面の笑みを浮かべた君。
 敵ながらあっぱれだと思った。
 尾田はあんぐりと口を開けて君を見ながら何度も瞬きを繰り返している。
 しかも俺がわざとギャラリーにシャトルを打ち込んでたのはばれていたのか。
 背後に俺の気配を感じた尾田が驚きの表情で振り返り、言葉にはしないが彼女が言ったことは本当なのかと鋭い視線を向けてくる。
 認めてうなずくと、これでもかってくらいの大きなため息を吐かれてしまった。
 あーあ、部長としての威厳が、ってもう少しで引退だからいいんだけどね。実際に最初仕掛けたのは俺のほうだし。

「まあ、そちらの部長サンはわたしのフットワークを鍛えようとしてくださっていたのだと思いますが。もちろん自分もその意図があってやったことですし」

 まさかの助け船?
 俺の方を向いている尾田には見えないとふんだ君が、べーっと赤い舌を出していたのに笑いそうになってしまった。

「も、もちろんそうだよ」
「まあ、わたしのほうが若いですし体力もあるので鍛えていただくまでもないんですけどねぇ」

 あっ、と君が小さく声をあげたのと尾田がむっとした顔でそっちを見たのはほぼ同時だった。
 失言失言、と笑いながら去っていこうとする君。その君を追おうとしている尾田。その尾田の肩を押さえる俺。
 まるでコントだと思いながら笑いを必死で堪えていたコトなんて君は気づいてなかっただろうね。
 だけどこうやってからかい、からかわれるのが本当に楽しかったんだ。


 そんな時、事件が起きた。
 たまたまと言っていいくらいのタイミングだった。
 
 両顧問が体育館にいない時、うちの学校の一年女子が頭痛を訴えた。
 顔は真っ赤で汗を大量にかき、身体はふらついていて手がしびれると言う。
 尾田に一年女子を抱き上げる力はない。
 俺が抱き上げて、体育館の中でも一番風通しのよい入口付近に運び込んだ。本当なら保健室なんだろうけど。

「おい、ポカリ持ってこい」
「今、一年が作りに行ってます」
「えっ、男子のでもいいから」
「男子のも今ないですよー」

 どういうことだ?
 指示を出してもそれじゃ全く意味がない。どう考えても脱水としか思えなくて、もしかしたら熱中症かもしれない。

「六中から分けてもらうっ」

 尾田が青い顔をして走り出す。
 ウォータージャグの中身はカラにするなと何度も言ってるはずなのに。
 だけど今日はここ数日で一番暑い。みんな喉が渇いて一気になくなってしまったのもしょうがない。
 入口で人だかりができていたからか六中の女子もちらほらと集まってきて心配そうな顔でのぞき込んでいる。
 女子部の一年生がタオルを濡らして持ってきたので首元を冷やそうとした時。

「ちょっとどいて! 誰か水持ってきて!」

 心配そうにこっちを見ているだけの生徒をかき分けて俺の目の前に姿を現したのは君だった。
 俺の顔なんか視界に入ってないようで、真っ先に体調の悪い一年女子に駆け寄る。
 水じゃだめだ、余計脱水を助長させてしまう。
 そう言おうとしたけど、君の力のこもった強い視線が俺の言葉を遮ったように思えたんだ。

「意識あるよね」
「ああ」
「ねえ、これちょっと舐めようか?」

 君が横たわった一年女子の上半身を少しだけ持ち上げるのを見て、俺も手を貸した。
 俺の腕にその子の背中をもたれかけさせると、君は持っていた白い粉の入った小瓶におもむろに指をつっこんで荒い息づかいの一年女子の舌にそれを舐めさせたんだ。

「しょ、ぱ……ぃ」
「これ飲めるよね?」

 ――塩だ。
 顔をゆがめた一年女子に君がペットボトルの水を近づけて含ませる。

「もう少し飲める?」

 君の声に力なくうなずいた一年女子が、その水を求めて唇を寄せた。
 水を飲ませ、再びほんの少しだけ塩を舐めさせる。
 その度一年女子は顔をわずかにゆがめたけど、少しずつその険しい表情がなくなった。そして歩けるようになってから尾田につれられて保健室に移動して行ったんだ。


「りるは、よく塩なんか持ってたね」
「へへっ。おばあちゃんに持たされてるんだ。夏に具合悪くなった時は少しだけ舐めて水を飲みなさいって。魔除けにもなるらしいよ」

 自慢げに笑う君はさっと立ち上がって戻っていってしまう。
 お礼を言いたかったのに、声をかけるきっかけを失った俺はその背中をただ見つめていたんだ。

 君はそんな俺の視線になんかまったく気づいていなかった。
 この時、生まれて初めて切ないという気持ちを理解したような気がしたんだ。 



 【注】熱中症の時に塩と水を含ませることに関して。
    この方法を推奨するものではありません。あくまでも物語上の設定です。ご了承ください。
    OS1や清涼飲料水のほうが推奨されていると思われます。

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思い出のヘニョロロ 7

第七話

過去編・出会い




「いちにっさんしっ!」
「ごーろくしちはちっ!」

 重いだけの仰々しい扉を引くと、女の子の高い声が耳に入ってきた。

「にーにっさんしっ!」
「ごーろくしちはちっ!」

 最初のかけ声はひとりのもので、そのあとの掛け合いみたいに続く声はその他大勢のもの。
 そのかけ声にあわせて体育館に張られたバドミントンのネットの前で女子生徒達が華麗に素振りをしている。
 窓から差し込む日の光が彼女達の汗をきらきらと光らせていた。
 暑い熱気が入口まで伝わってきて、自然と喉元の唾をごくりと飲み干す俺。

「おい、律早く入れよ」
「お、おう」

 後ろに待機していた男子バトミントン部員が俺の背中を押した。
 なぜだか入っていい雰囲気に思えなくて、俺の足は床に根が張ったように一歩も動かなかったのだ。
 俺らの後ろには女子バドミントン部員も続いている。ここで止まっていたら彼女たちも先には進めないのをすっかり忘れていた。
 きゅっ、と体育館の床が音を立てる。滑らない靴の音が俺は大好きだった。その音をかみしめるようにして大きく息を吸い込んだ後。

「こんにちはー」

 なるべく響かないよう、低めの声で挨拶をした。
 素振りに夢中で俺の声で気づいたのかもしれない、女子生徒が一斉にこっちを向く。

「集合っ!」

 そう声を上げたのは、黒くて長い髪をポニーテールにした小柄な女子生徒だった。
 体操服の首の部分だけ臙脂色のシャツに、同色の膝上のジャージを履いている。首筋には汗が流れ落ちていてどきっとした。
 うちの学校のどの女子生徒よりも色っぽく感じたその白い首筋は真っ白でスポーツなんか縁がなさそうに見えた。いわゆるギャップってやつ。
 黒目がちの瞳はまっすぐに俺たちをとらえ、にこっと細められる。
 俺の後ろからは小さな声で「おおっ」だの「かわいい」だの聞こえてきたから視線でそれを制圧した。
 色違いのシャツを着た女子生徒達もずらっと俺たちの前に集まってくると一気に熱の塊が押し寄せてくるように感じた。学年ごとにジャージの色が違うのはうちの学校も同じだ。

「こんにちは。暑い中遠征いただきありがとうございました。第六中学校二年、女子バトミントン部、部長の神戸りるはと申します」

 ――え、二年?

 その言葉をすぐに飲み込んだけど俺の表情の変化で君は悟ったらしく、すぐその理由を教えてくれた。

「うちの学校のしきたりとして三年生は夏休み前に引退してしまいます。今日の練習試合には参加しますのでご心配なさらないでください。今、三年は男女とも着替えに行っております」

 はきはきとした口調で発せられるその声も暑い体育館にすうっと浸透するように一瞬響いて消えてゆく。耳に心地よい声だと思った。
 りるはという珍しい名前も目の前の君に似合っていてかわいい。

「だ、第七中学校三年、男子バドミントン部、部長の藤原律です。よろしくお願いします」

 うわ、俺声うわずってて格好悪いと思った時にはすでに遅く、後ろのメンバーが小さな声でくすくすと笑っているのが聞こえてきた。
 右手を伸ばすと彼女は持っていたラケットを後ろの女子生徒に渡して俺の手を両手で握る。
 まさか両手で包み込まれると思わなかった俺は一気に全身から汗がふきだしたんじゃないかと思うほど身体の熱があがってしまっていた。
 君の手は温かくてさらっとしていたのがとても印象的だった。

「よろしくお願いします!」

 真剣な顔の神戸りるはが俺の目をじっと見つめて軽く頭を下げた。
 その目からは「絶対に負けない」という強い意志のようなものが感じられた。

 これが俺と君の出会いだった。
 

**


 区大会でよく当たることのあった俺ら第七中学と君の第六中学。
 レベル的にはややうちの学校が上回っていたはずだ。
 区大会で優勝、準優勝した学校はその後市大会にすすみ、その後は県大会。うちの学校はよくて市大会止まりだった。
 まだ一度も市大会まで進んだことのない君の中学は夏休みを利用してうちの学校に合同練習と練習試合を持ちかけてきた。
 最初うちの顧問に相談と称してその話を持ちかけられた時は格下の学校相手に合同練習なんてと鼻にもかけなかった。俺も、もちろん女子バドミントン部部長の尾田も。
 だけどうちの顧問は君の中学の顧問と懇意にしていたし、格下といっても最近は力を伸ばしてきているんだから得るものも多いんじゃないかと前向きに検討していた。
 相談もなにもほぼ決定してるんじゃないか。
 俺と尾田は目を合わせてうなずくしかなかった。

 そういった話の流れで夏休みに入ってすぐの二週間、一週間ずつお互いの中学に出向いて合同練習をすることになった。

 合同練習は体操着で、練習試合はちゃんとユニホームを着て本格的にやることになっていた。
 両校の男子のユニホームは似たようなもので、襟つきの半袖のシャツと短パンにハイソックス。だけど女子は違っていた。うちの学校は少し遅れているのか女子はスコートなのだ。
 テニス部さながらピロッとめくれるスコートに男子は言うまでもなく目が釘付けになる。そんなに興味のない女子生徒のでもあれは間違いなく眼福だ。
 だけど君の中学は女子も短パンだった。それは心から残念だと思ってしまっていた。
 え、いやらしい? ほっとけ。男子中学生の性欲なめんなよ。
 いや、短パンには短パンの良さもあるんだけどね。むちっとせり出す太股が綺麗だとテンションあがるし、足が長く締まって見えるしね。

 そして、合同練習が始まった。

 最初は男子女子ときっちり線を引いて練習も試合もやっていた。
 第六中学は体育館に四つのバドミントンコートができる広さだったので男子二面、女子二面で綺麗に分けられたし。
 うちの学校はもう少し広くて五面コートが張れたからどっちが三面使うかでよく女子と喧嘩になったものだ。部員数もそう変わりなかったし、主将の尾田とは取っ組み合いしたこともあったな。
 尾田とはちょっとだけいい雰囲気になったこともあったけど、やっぱり同志の結束の方が強くてそれ以上に進展はしなかった。どのくらい進展したのかに関してはご想像にお任せしたい(俺は誰に向かって弁解しているのか)

 第六中学校にて合同練習三日目辺りから男子と女子の間の隔たりが取れた。
 それまでは三年は三年、二年は二年と練習試合をしていたけどうちの顧問がそれをすべてなくした。つまり学年ごとの隔たりもなくなったことになる。
 その日、俺は君の中学の男子部現部長の岩本くんとの試合だった。
 二年生にしては背が高く、甘いマスクのイケメンで女子生徒には人気があるようだった。長い髪もさらさらしていて日に透けると茶色に見える。
 その試合はなぜかほかのコートは使われず、生徒達がコートをぐるっと体育座りで囲って息を詰めて観戦していた。それに対して先生も何も言わず試合を見つめていた。
 ラリーの続くいい試合だったと思う。
 ラインぎりぎりのいいところへ打ち込んでも岩本くんはよく拾うし、俺も負けずにコート内を縦横無尽に動いていた。

「負けるな、ガンちゃん!」

 ふと、耳に心地いい声が聞こえ、それに調子づいた岩本くんは思い切り俺のコートにスマッシュを打ち込んできた。

「ナイスイン! ガンちゃん!」
「頑張って! 藤原せんぱーい!」
「律先輩ーファイトー!」
「もう一本! もう一本! もーう一本っ!」

 きゃーっという手拍子混じりの黄色い声援と、俺への応援が体育館全体に反響する。
 うちの女子部も負けじと高い声で呼びかけてくれていた。
 スマッシュを決めた岩本くんに満面の笑みで声援を送る君を見て、正直イラッときた。
 
 ――負けたくない

 額から流れる汗を手の甲でぐっと拭って彼を見据える。
 岩本くんは目を一瞬大きく見開き、鋭い目つきで俺を睨み返してきて彼の真剣さがうかがえた。 

 結果、試合は三対二でかろうじて俺の勝利。
 今までだったら二セットも取られることはなかったと思うのに……勝ったのにあまりうれしくなかった。
 君が岩本くんにタオルを渡して駆け寄ったのを見たせいもあるのかもしれない。
 同じ中学だから応援しても当たり前だし、タオルを渡すのも大したことじゃないのかもしれないけど、これ見よがしにされてるみたいでむかっ腹しか立たなかった。

「ガンちゃん惜しかった。次は勝てるよ」
「そっかな?」
「うん、絶対いけるって。スマッシュはガンちゃんの方が決まってたもん。動きだってガンちゃんの方がよかったし」

 ――かっちーん!

「ちょっとそれ、聞き捨てならないな」

 つい君と岩本くんに突っかかって行ってしまっていた。
 えっ、と驚いた表情の岩本くん。だけど君はキッと俺を下から斜め四十五度の角度で睨みあげる。その勝ち気な瞳にドキッとした。

「何か文句でも?」
「いや、文句というか、ね。なんだか妙に敵対心持たれているみたいだけど俺の方が経験値は上だし、次も俺が勝つけどね」

 大人げないコト言ってしまった自覚はある。
 だけど君は鼻でふふんと笑うと胸を張って自信満々に言葉を続けた。

「ガンちゃんを舐めないでください。小学校から大門ジュニアクラブに入ってるんですから」

 そうやって岩本くんの肩を持つのにさらにイラっとした。
 大門ジュニアクラブは小学生から中学生までのバドミントン養成スクールのようなもので結構うちの区では有名だった。
 だからなんだよ?
 暑い体育館の中、俺の頭も沸騰してゆく。

「ふうんそうなんだ。でも次も負けないけど」
 
 次も、と強調して言ってやると君は眉をこれでもかってくらいつり上げた。

「いーえっ! 次は絶対ガンちゃんが勝つんだから!」
「いーやっ! 次も俺だね」
「お、おい、りぃ、もういいって」
「何言ってんの! こんな言われ方して悔しくないのっ?」

 なぜか岩本くんより君の方がエキサイトして彼が止めるのも聞かずに刃向かってくるその姿が獰猛な犬みたいに見えてかわいかった。
 言い争いでも接点がもてたことがなんだかうれしくて、俺のテンションは鰻のぼりだった。
 だけど岩本くんが君を『りぃ』と呼んでいることにちょっとイラッとしたのも事実だったし、後ろから両肩を押さえて必死に止めている姿も腹が立った。本人蔑ろにして、思わず「おまえどっかいけ」と言いたくなる。
 
「いーっだ!」

 歯をむき出しにする君がかわいくて、笑いを堪えるのに必死だった。
 意外と負けず嫌いなのもおかしかったし。でもその理由が岩本くんのことだったのがちょっと納得いかなかったけど。

 その後、岩本くんが君を連れ去って行ってしまったけど、その日から俺らの関係性は完全に変化していたんだ。


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思い出のヘニョロロ 6

第六話

理性と戦う





 タクシーを駆使してなんとか俺の家まで彼女をおぶった。
 タイトなスカートじゃなくてふわっと広がるタイプのワンピースを着ていてくれて本当に助かった。いや大げさでなく。
 ワンピースと同色のウエスト辺りに結ばれた大きなリボンがとてもかわいらしかったけど俺がおぶったせいでつぶれてしまっているかも。そしてそれが背中に圧迫されて少し痛い。
 
 ベッドの端に座らせるよう彼女を下ろす。
 枕の方へ身体が倒れるようなんとか調整しながら腕の力を緩めると、思い通りに上半身だけがパタンと横に倒れてくれた。
 まるでぐにゃぐにゃの人形じゃねーか。
 すうすうと寝息が聞こえ、心地良さそうな寝顔を見たらこのままにしておいてやろうと思った。俺は基本優しい男なんだ。
 着ていた半袖のボレロを脱がし、ハンガーに掛ける。ワンピースが皺になるのはあきらめてもらおう。勝手に脱がせるのは紳士ではない。

「おやすみ」

 せめて夢の中では幸せであってほしくて頬に軽くキスを落とすと、彼女はぎゅっと顔の中心にしわを寄せる。
 寝起きでぐずった赤ん坊のように見えて、声をかみ殺して笑った……が。

「よ、したか……」

 ぼろぼろと泣き出す彼女。
 寝ているはずなのに切なげな声で上野の名前を呼ぶ。
 堪えようのない苛立ちがこみ上げ、無意識に強く手を握りしめていた。
 そんなにあの男が好きかよ。
 寝言で泣きながら求めるくらい未練があるのかよ。
 今はこのまま寝かせ、起きたら昔のことを含めて話をしようと思っていた。俺の中にそのくらいの余裕があったはずだったのに。

 晴らしようのないどす黒い嫉妬心。
 それに囚われた俺は彼女の細くて頼りない肩をぐわしっと掴んで揺り起こしはじめていた。
 
「おーい、起きろよ。服が皺になるぞ」
「ん……」

 本当はそんなことどうだってよかった。
 皺になったらなったらなったで適当に服を貸してやればいいし、その間にクリーニングに出せばいい。それがいやならどこかで服を買ってやってもいい。
 だけど俺にだってプライドがあった。
 こんなふうに怒りを隠していることをあからさまにしたくない。
 そんな態度を取ったら彼女に気づかれるかもしれない、その結果どん引かれるかも。そんな結果だけにはしたくない。

 ようやく彼女を見つけることができたんだから。

「もぅ……飲めないよぅ……」

 飲ますか!
 心の中で盛大なツッコミをしながら横向きで小さく丸まる彼女のワンピースの背中のジッパーをゆっくりと下ろした。 
 意識を取り戻すか違和感で抵抗してくれればこれ以上はなにもするつもりはない。
 きっちりと身体にフィットしたワンピースを緩めてやるだけだと言い聞かせるように自分に弁解し続ける。

 ……がっ!
 そんな俺の願いもむなしく、すーすーと小さな寝息が聞こえてくるではないか。
 この状況で……おい、心臓に毛が生えてるとしか思えない。
 相手が相手ならすぐに食われていてもおかしくないし文句を言える立場じゃねーぞ。忍耐強い俺だからこそこうして理性を保っているんだ。こんちくしょう! 

「おい」
「……むにゃ」

 寝言の反応だけどもういい。
 俺は我が道を行く。後悔しても知らないからな。

 神戸りるは、二度とおまえを逃がしてなんかやらないから。
 
 彼女のむき出しになったノースリーブの肩に指を這わせ、そっと撫でながら耳元にふっと息をかけてやるとびくっとおもしろいくらい身体を縮こまらせた。
 自分ができる精一杯の甘い声で吐息を吹きかけながら耳元で囁いた。

「俺と賭けをしないか?」
「――ふへ?」
「俺が勝ったらつきあってほしい」
「……」

 お、ノーリアクション。
 だけど目はかろうじて開いているし、トロンとしてはいるけどちゃんと聞いていたと思って間違いないだろう。
 ちらっと俺の方に視線を向け、薄く開いた瞼を数回瞬かせた彼女は「ふっ」と鼻で笑う。
 ちょっとムカッときたけど、まあこの後の反応次第で許してやろうと思いきや。

「すーすー」

 寝てんのかいっ!
 半目で寝るのはやめろ、怖いだろうが!
 思い切りずっこけてみせても誰も見られていないし、正直自分自身が寒い。
 ああ、もうこの女には駆け引きとか無理なんだ。
 わかった、もう直球勝負で行くぜ。

「りるは、おい。起きろよ」

 肩をゆさゆさ揺する。
 うーんとうなり声をあげながらも目を開けようとしない。
 
「りるは」
「っさいなあ……」
「なあ、思い出してくれよ」

 うっすらと瞼を開いてくれた。
 よし、ここから一気に――

「あの時も約束破りやがってどういうつもりだよ、なあ」
「……あの、時ぃ?」

 上半身を起こし上げて両肩を優しく振り続けると、まるで船に揺られているかのごとく身を任せる彼女がトロ目で首を傾げる。
 すると彼女は思いも寄らない行動に出た。
 いきなり自分の背中に手を回し、ワンピースのチャックを全開にして前をがばっと引っ張ったのだ。
 
「わわっ、なにしてっ……」

 肩紐のない黒のレースのセクシーブラがいきなり俺の目の前にさらけ出され、思ったよりも谷間の深い白い二つの柔らかそうな膨らみに鼻血がでそうになった。
 無意識に手で鼻を覆いながらも視線はロックオン。
 着やせするタイプとかマジ勘弁! 想像以上の美乳にどうしたらいいか完全にパニくっていた。
 据わった目で俺を見据えている彼女。
 ごくんっと俺が唾を飲み込む音が脳内に響く。

「好きにすりゃーいいじゃん」
「ちょっ、まっ」

 彼女は一度決めたら突っ走るタイプなのか、がばーっとワンピースを脱ぎ捨ててブラのホックに手をかけた。
 ちょーっ、待って待って待って!
  
「俺が勝ったらつきあってくれるって言ったろ!」

 ああ、かっこわりぃ。
 わたわたしながらこんなこと叫ぶなんて、俺ってば超情けない。
 だけどなんとかして彼女の暴走を止めたかった。
 こんな酔った勢いでモノにしたって全くうれしくないから。
 抵抗むなしくブラのホックははずしてしまったものの、かろうじて彼女の腕の中でそれは保たれたまま動きを止めていた。あれ、俺が抵抗してどうするんだっての。

「……いつ?」

 眉間にくっきりと深い皺を寄せて、彼女が思いきり首を傾げる。
 覚えて、ないとか?

「バドミントンの試合しただろ!」

 俺の声に、彼女のふっくらしたつやつやの唇が動く。

 ――バ・ド・ミ・ン・ト・ン

 その単語が彼女の過去を呼び起こしたのかもしれない。
 大きく見開かれた瞳が潤んでいるように見えた。これはもう思い出しているだろう。
 彼女の反応を待ちたい、だけど待ち遠しすぎてその様子を窺うように顔を覗き込んでみる、と。

 半目で落ちてる――

 するりと胸を覆っていた手の力が抜け、肩紐のないブラはただの布切れと化して彼女の胸から離れ落ちていった。

「ちょ――おい、りるは! 思い出せ!」

 あわててその肩を前から支えると、俺の胸めがけて倒れ込んできた。

「ヘニョロロ……」
「おい! 起きろ! りるは! りるはっ!」

 すでに力も意識も手放した彼女は俺の胸の中でぐーぐー眠っていた。
 それも幸せそうな寝顔で、しかも上半身素っ裸で。
 
「おまえヘニョロロじゃねーだろうよ……」

 俺のムスコが完全に元気になっちまってるってーの。
 なにこの据え膳プレイ(実は寝顔を見ている時から完全オッキ状態だったことは内緒だけど)
 しかも、すげえいい匂いがする。
 なんだろう、香水ではなくてどちらかというと石鹸の香りのような。おぶっている時は一生懸命すぎて匂いまで楽しむ余裕すらなかったのかも。

「……」

 彼女の裸の背中にそっと手を回して、支えながらその首筋に顔を埋めるとふんわりと優しいシャンプーの香りが俺の鼻孔をくすぐった。
 ……このくらい、罰当たらないよな。
 顎のラインに唇をそっと這わせ、ちゅっと小さなリップ音を立ててキスを落とした。

「……ん」
「!」

 やべえ、すごい反応いい。
 寝てるのにちょっと触れただけでそんな甘い吐息漏らすんじゃねえ、俺の理性がぶっ飛ぶだろうが。
 ……もう一回だけ。
 今度は大胆にも耳朶に舌を這わせ、唇で食むようにしてみた。

「んんっ……はぁ」

 どきーん!(俺の胸の音)
 なんだその鼻に抜けるような艶っぽい喘ぎ声は!
 善良の俺が「これ以上はだめだ」とブレーキをかけたものの邪悪な俺が「大丈夫大丈夫、ここでやめたら男じゃねえ」と煽りだす。

「……くっそ」

 たまらなくなって彼女の耳の中ににゅるりと舌を伸ばしてしまっていた。

「あ……あぁっ! ん……っ」
「りるは……」

 やべえ、すごいかわいい。
 耳弱いのは変わらないなと思いながらその様子を窺うと、今にも泣き出しそうなのに目はしっかりと閉じて快感を逃そうとしている。
 あの時、耳に少し触れただけだったのに真っ赤になってかわいかったんだよなー。

「あ」

 ノスタルジックな気持ちになった途端、急に罪悪感がずぅぅんと音がしそうなくらい押し寄せてきた。
 やっぱだめだよな。こんなことしちゃ。
 ようやく善良の俺が完全勝利してくれたようだ。
 彼女の背に回していた腕を抜くようにして横たえると、少しだけ彼女の息が上がっている。
 ごめん、と心の中で一度だけ謝って、なるべく見ないように裸の上半身にタオルケットをかけた。
 正直言えばもう少しだけ見たかったけど、また次の機会まで我慢することにしよう。

 とりあえずこの元気な息子さんを宥める作業に取りかかるべく、のろのろと浴室へ向かったのだった。


**


 そして――
 今にも逃げ出しそうな上半身裸の彼女が必死にタオルケットを引っ張って俺を睨みつけている。
 まるで怪我を負った捨て猫みたいに今にもふーふーと威嚇のうなり声が聞こえてきそうで笑いが堪えられない。
 肩を上下する荒い息遣いもぐちゃぐちゃになった黒い髪も泣きすぎて落ちてしまった黒いマスカラも。それによってパンダのようになってしまっている目許もすべて愛おしいとしか思えなかった。

 ――さて、種明かしといきましょうかね。 
 
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思い出のヘニョロロ 5

第五話

彼女の気持ち





 披露宴中、新郎新婦はおろか俺はずっと彼女だけを見つめていた。
 並びの円卓で、俺の席からは彼女の顔が真正面から見えるいいポジションだった。この座席にしてくれた義隆に感謝する。
 彼女は常に隣に座っていたサーモンピンクのワンピースの女性と楽しげに話している。年の頃は彼女と同じくらいだろう。左手の薬指に光る指輪が見える。既婚者だろうな。
 新婦の招待客で地に足が着いているように見えるのは彼女とその友達だけのようだ。ほかの女性は新婦の同期や同い年の友人のようで高い声を上げながら新婦席に近づいていったりせわしなく写真を撮ったりしている。
 ああ、彼女はこれで何杯シャンパンを頼んでいるのだろうか。そのペースもかなり速まっているように見える。心配で心配でたまらない。

「律、おまえなにさっきからにやにやしてんの?」
「え、俺にやついてる?」
「ああ、気持ち悪いくらい」

 拓海に指摘され慌てて顔を引き締めてみる。
 だけど顔の筋肉が緩んでしまっているのか彼女を見るだけでつい笑みを浮かべてしまう。

「さっきのブーケの子か。思い切りよけてたよな」
「あ、やっぱり拓海も気づいてた?」
「あからさまだったじゃん。受け取りたくないの見え見えで笑いこらえるのに必死だったわ。新婦の目に触れてなかったのが不幸中の幸いかもな。義隆にはばっちり見てただろうけど……えっと、かんべりるは? 変わった名前だなあ」

 座席表を見て拓海が彼女の名前をチェックする。
 あえて名字の読み間違いは指摘しなかった。
 結局あのブーケは俺に声をかけてきた新婦の友人に渡してしまった。俺が持っていてもしょうがないから。
 その子はわざわざこの席にまでお酌をしに来てくれて、何かをいろいろ話していたけど上の空で適当に相づちを打っていたらこの後の二次会に誘われた。

「君の会社の社員はみんな参加するの?」
「はい、義隆さんと美奈の先輩達にも声をかけてみるつもりです」
「それなら喜んで参加させてもらうよ」
 
 満面の笑みを向けるとその子は頬を赤らめてうれしそうにうなずいた。 
 彼女が行かないのなら行ってもしょうがないけど行くのならまたとないチャンスだからな。


**


 そして二次会。
 やっぱり彼女とその友達は輪の中に加わろうとはせず、会場の店の一番出口側のソファに陣取っていた。
 俺もそうしたかったんだけど、さっきのブーケの子に手を引かれて新婦の友人席に座らされてしまっていた。
 似たような女の子(そう表現した方がいいであろう)達に囲まれ質問責めにあう。
 彼女はいるんですかとか好きな女性のタイプはとか結婚に興味ありますかとかまるで見合いパーティーのようだ。
 正直女性に困ったことはない。自覚はないけど俺は女性には好かれるタイプのようで学生時代からよくお声はかかる方だ。
 だけど自分が気になる子じゃないとつきあうことはできないので、二十九歳にしては女性経験は少ないほうだと思っている。 
 
 彼女の方をちらちらと確認しつつ、ビンゴ大会が始まってみんなが新郎新婦のそばに近寄ってゆく。
 しかも彼女の隣は空席。これは絶好のチャンスだ。
 ブーケの子に「ビンゴの機械の近くに行きましょう」と誘われたけど、トイレへ行くとその場を離れた。
 そんな俺を見て、呆れたと言わんばかりに拓海が盛大な溜息をつく。

「なあ、あんな潰れそうな子のとこ本当に行くわけ?」
「もちろん」
「なんだかおまえが理不尽なことで絡まれそうでめっちゃ不安なんだけど」
「望むところだ」

 心配のあまり情けない顔になっている拓海がしきりに俺を止めようとするけど、ほかの友人達は俺が彼女を落とせるかどうかの賭けをし始めている。好きにしろ。

 俺はまっすぐ彼女の元へ。


**


 まずはじめに。
 彼女の友人、千鶴子さんはいい人だった。
 離席して戻って来た先に俺が座っていてもにこやかにしてくれたし、彼女に身体を近づけても怪訝な目ひとつしないでくれた。
 彼女が飲み続けている間、俺は千鶴子さんと込み入った会話を繰り広げていた。
 俺が彼女のことを知っていること、披露宴前にトイレで聞いたことは真実なのかの確認をする。
 義隆と彼女がつきあっていたのは本当だけど、その先の真実は彼女からもほかの人間からも聞かされていないと心底不快そうに眉をしかめる。

「連れて帰っていいですか?」
「泣かすようなことをしなければ、ね」
「御意」

 俺と千鶴子さんは結託した。
 

 彼女は酔っていて足下がおぼつかなくても肩を抱けば歩けるくらいで正直助かった。
 二次会の会場から近くに俺がよく行くバーがあったから連れて来た。
 もう飲まさないつもりでいたので、顔見知りのバーテンダーに彼女が酒を注文してもすべて炭酸水でいいからと伝えておく。根回しはバッチりだ。
 最初は首を傾げて「薄い、水みたい」と言っていたけどすでに酒と水の味の違いもわからないくらいべろべろに酔っぱらっていることは一目瞭然だった。さすがにふたりとも水ではまずいので俺は飲んだけど。
 今日は珍しくソルティードッグにしてみた。
 塩がピリッと効いてグレープフルーツの甘さが引き立つのを楽しみながら彼女の様子を窺いつつ、なるべく不自然にならないよう義隆の話を振ってみる。
 
「トイレで社員同士が話してるのをちょーっとだけ聞いちゃったんだけど、新郎とつきあってたの?」

 みたいな軽いノリで。
 すると彼女は目を皿にして水のコップをぐわしとつかみ、一気に飲み干した。
 バーテンダーに「おがわり!」とグラスをつきだし、ひきつった顔でグラスを受け取られると破壊音を立てそうなくらい勢いよくカウンターに突っ伏した。

「そりゃさあ……誰だって若くてかわいい子のほうがいいでしょうよ……でも三年もつきあってたんだよ。ひどくない?」

 ギッと鋭い目線が向けられ、オリーブを曲芸かって思うほどにぽいぽいと口に放り込んでゆく。
 彼女が相当傷ついていることを知った。
 そりゃ適齢期の女性が三年もつきあった相手にいきなり振られりゃ傷つくのは当たり前だよな。
 だけどその事実に俺は結構こたえていた。
 彼女の気持ちはまだ義隆にあるのかもしれないってことに。

「ひどいな」
「なんでよりによって私の後輩なわけぇ? 確かにさ、美奈……あ、新婦ね、男関係賑やかな子なんだけどさぁ……」
「うん」
「もちろんね、義隆とつきあってるって美奈に言ってなかった私も悪かったのかもしれないよ? だけど義隆は美奈が私の後輩だって知っててそれだもんなぁ……」

 ぐぬぬ、と言葉にならない声を上げてカウンターに伏せる彼女のそばに水のグラスが置かれた。
 バーテンダーに軽く会釈すると、首を横に振って笑顔を見せてくれる。

 人がいることも気づかずに繰り広げられていた義隆の同僚達の言葉を思い出しながら今の彼女の言葉を要約する。

『どうやらあいつヨメにハメられたらしいんすよねぇ。口でつけてあげるって迫られてシたら穴あいてたらしくって。それにあの子、あいつが神戸さんとつきあってたことも知ってたって』
『うへー、そうなんだ。したたかな女だな』

 彼女は真実を知らない。
 これは知らない方がいいことなんだろう。知らなくていいことだって世の中に吐いて捨てるほどあるし、少なくとも俺の口から伝えるようなことではない。まあ千鶴子さんには確認がてら伝えてしまったんだけど。
 
「なあ、りるは」
「……ん?」
「俺のこと、見てくれないか?」

 突っ伏していた彼女の目がそのままの体勢でちろりとなめるように俺を見た。

「見た」
「どう思う?」
「かっこいいんじゃない?」

 吐き捨てるように告げた言葉に全く気持ちは込められていない。
 だから少しだけ腹が立った。もちろん気持ちがこもっていたとしても「かっこいい」は俺がほしい言葉じゃない。

「なあ、もっとよく見て。何か思い出さないか?」

 突っ伏したままの彼女の肩をゆさゆさ揺らすけど「うーん」とほぼ眠ったような声しか返ってこない。

 ――もっと真剣に俺を見ろ。なんでおまえは俺の前から姿を消した

 すぅ、と小さな寝息が聞こえてきて、喉の奥からせり上がってきそうなその言葉をぐっと飲み込むしかなかった。

 
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