空色なキモチ

□ 満月の夜に見る夢は □

満月の夜に見る夢は 第6章 第76夜 事件 雪乃side

 
 会社まで約一時間。
 だけど急行の止まる駅で、そこから徒歩五分のアパート。築四十年。
 前に住んでいたところより、さらに遠くなってしまった。

 だけど、家賃は格安。二部屋ついているし、大家さんが信頼できる。


「雪乃ちゃん、これが鍵。オンボロだし、通勤は不便だけど大丈夫?」

「はい、大丈夫です。急行が止まるから助かります。ありがとうございます。クマさん」


 そう、このアパートはクマさんのおじい様の持ち物。
 ちょうど二階のひと部屋が空いたとのことで、そこに入居させてもらえることになった。

 すでに丸二年正社員として働いているから保証人はいらないと言われた。
 契約も全てクマさんがしてくれた。直接おじい様にお会いしていないけど、きっとクマさんによく似た優しい方なんだろうな。近いうちにご挨拶に伺わないと……。


「なにか足りないものとか必要なものがあったら言って。家にあるものだったらすぐ持ってくるから。夜ご飯作るのめんどくさかったらウチの店寄るといいよ」


 クマさんは優しい。
 いつもわたしのことを心配してくれて、本当に心強い味方。
 とりあえず生活に必要な布団一式や調理用具、お皿など全て用意してくれた。

 
 ここに引っ越してこれて本当によかったと思う。



**



 クマさんのお店で三浦さんに会った時『自分の家に住めばいい』と話を持ちかけられていた。
 部屋は余っているし、とりあえずの住処としてと言われた。
 ありがたい話だと思う。だけど常識的に考えて三浦さんの気持ちを思ったらそれは絶対にしてはいけないことだ。
 さすがにクマさんも三浦さんを止めた。当たり前だよね。
 わたしだってさすがにそこまで甘えるわけにはいけないってことは百も承知。

 そうしたら、クマさんがこのアパートの部屋の空きをおじい様に聞いてくれて……。


「本当にこれでよかったの? 後悔しない? 引っ越してきたことも、雨ちゃんのことも」


 心配そうな表情でクマさんがわたしの顔を覗き込む。
 大きくうなずいてクマさんに笑顔を向けた。


「後悔しません。これでいいんです」


 またここからスタートするんだ。


**


 翔吾さんの家に置いて来た本棚は適当に処分してもらうことにした。
 処分代など少し置いてきて、中の本とかは少しずつ手で運ばせてもらうことで了承を得た。

 引っ越しを手伝おうか? と言われたけど丁重にお断りした。
 友達と暮らすと言ったのにその友達の形跡が何もないのは怪しまれると思ったから。

 それよりなにより、自分の新しい場所を伝えたくなかったのだ。教えたら、可能性がないのに迎えに来てくれるのを待ってしまう。そんな自分が嫌だったし怖かった。



 引っ越した数日後、社内の食堂で翔吾さんを見かけた。
 その隣にはふわふわの茶色の髪の毛の女性社員。ドール風メイクが今時っぽくてかわいらしい子。
 あの子が湯田専務の娘さんなんだ。わたしと同い年とはとても思えない。キラキラしていてまぶしかった。

 あの子と結婚した方が、翔吾さんだって幸せになれるはず。
 わたしみたいな親もいない女と結婚したってあの人が幸せになれるはずがないもの。


 

 食堂の隣の売店でパンを買ってオフィスに戻ると、わたしの席のまわりがザワザワしていた。
 何事かと近づくと、デスクの上に置いてまとめておいた出荷データのファイルが見事なまでにバラバラに広げられていた。さっき間違いなくファイリングしたのに……。


「風間さん、データをこんなにオープンにして席を外さないで! 社内データなんだからこんな風にされてると来客の時困るのよ!」

「すみません……」


 わたしの向かいの席の入社五年目の高木たかぎ先輩に怒鳴られた。
 わたしの指導者でいろいろ教えてくれるのだけど、少し怖い印象なんだ。

 慌てて広げられたファイルの中身を集めて閉じる。
 あとで順番揃え直さなきゃ……さっきやったばかりなのに、今日の午前中の二時間分が巻き戻った。


「入力も時間かかり過ぎ! こんなの三十分で終わらせてもらわないと困るの」

「はい、すみません。今すぐ……」

「私が昼食べ終わるまでに終わらせておいて! 次が進まなくなるから!」


 今日も昼休みなくなっちゃった。
 パン買ってきたけど、食べる暇……ない。


「風間さんってトロいよね。高木さんのかっこうの餌食」
「ああいう子って狙われやすいんだよね。こっちにとばっちり来ないといいけど」
「避雷針みたいなものだよね」


 まわりの女性社員がわたしを見てひそひそ陰口を漏らしている。いつものことだ。
 このファイルをバラバラにしたのだって……きっとこの大勢の女性社員の誰かなんだ。
 だけどそれを見ていても誰も何も言わない。暗黙の了解。

 ここはターゲットを絞ったら徹底的にそこだけを突く……そういう場所なのだ。


 わかっていて、この部署に来た。

 ポストイットを出そうとしてデスクの引き出しを開けた。


  “早く辞めろ! 足手まといなんだよ! ブス!”


 そう書かれた小さめのプリンター用紙が入っていた。
 それを取り出して、ゴミ箱に捨てる。
 ここに入っているってことは……。


  “出社すんな! 陰気臭いんだよ! 早く出て行け!”


 二番目の引き出しにもやっぱり入っていた。

 このくらいならかわいいもんだ。
 配属されて三日目の朝にはわたしのデスクマットにカッターが三本突き立ててあった。
 それに比べたら……まだマシだよね。

 そんなのを見てもここの上司は何も口出しはしない。
 女同士の醜い争いに巻き込まれたくないと見て見ぬフリ、そんな上司ばかりだった。


 早く入力してファイリングをしないと、高木さんが帰ってきたら怒られてしまう。



 終業時間に仕事が終わってなくてもIDを退出処理させられる。ただのサービス残業。
 いくら残ってやっても一銭にもならない。自分の仕事が遅いんだからしょうがないでしょ? と言われてしまう。


 まわりの席の社員がどんどん減ってゆく。
 十八時になった頃にはほぼ誰も残っていなかった。

 またわたしが最後か……。

 
 最近毎日家に着くのが二十一時過ぎ。
 その後夕食を食べる気にならなくて、お風呂に入って布団に寝そべり、ネット小説を携帯で読みながら寝てしまう。それが最近の日課。

 営業部にいた時は、こんな毎日でも全然苦にならなかったのにな。


 元々ひとりでこんな風に家で過ごしていたし、仕事のことさえなければ今まで通りのはずなのに……。


 人って一度高みを見てしまうと、とんでもなく贅沢になるんだな。
 こんなにも貪欲な自分……今まで気がつかなかった。
 上を見たらキリがないって思っていたのに……幸せだった日々を思い出したら切なくなる。


 もう戻ることのない過去なのに。



**



 翌日の土曜。

 仕事が休みで、ベランダにお布団を干していたら下の階のおじいさんが小さなお庭の盆栽に水をあげているのが見えた。

 このアパートは不思議な造りで、廊下を挟んで左右に部屋がある。
 アパートの入口を入ると、下宿みたいになっててそこから靴を脱いで上がる。スリッパは各自用意。
 目の前の折り返し階段を上がっていくと二階の廊下があって、左側がわたしの部屋。

 一階も二階も二部屋ずつしかなくて、わたしの部屋は南向き。
 一階の部屋には縁側と庭がついていて、下の階に住んでいるおじいちゃんの小さな花壇を見るのが今のわたしのささやかな楽しみ。

 今はチューリップが綺麗に咲いている。赤に白に黄色にピンクに紫。
 その横には水色の花。あれは忘れな草だろう。
 腰に拳を置いて、片手で如雨露を持ち少しゆっくり目の足取りで花壇に向かってゆく。
 
 薄手のクリーム色のシャツに黒いスラックス姿。いつも少し薄着だなって思う。

 布団をベランダの手すりに干してから布団はさみで押さえて、部屋に戻ろうとした時――


「……ぁぃたたたたた」


 一階の庭から苦しげな呻き声が聞こえてきた。
 ベランダから覗き見ると、如雨露を落とした状態でおじいさんがうずくまっていた。





「ただのぎっくり腰だ。心配かけたなあ」


 慌てて下の階のおじいさんの許へ駆け寄ったらしゃがれた声でそう言われた。
 肩を貸して、縁側からおじいさんのお部屋に入る。
 頼まれたまま、隣の寝室から布団を持ってきて縁側のガラス窓の横に敷き、おじいさんを寝かせるとすぐに庭のほうを向いてしまった。

 ちゃぶ台と壁際に小さな茶箪笥しかない寂しい雰囲気のお部屋。
 その茶箪笥の上に、おじいさんよりもかなり若い女性の小さなモノクロ写真の遺影、なにも挿さっていない一輪挿しとお香立て、そして鈴が置いてある。

 きれいにはしているけど、物がほとんどなにもなくて、空気もひんやりしているように思えた。


「あんた、その写真の女によく似とる。妻だ」

「え?」


 おじいさんはこっちに背を向けているのに、わたしが茶箪笥の遺影を見ているのがわかっていたようだ。くくっと小さく笑うと、腰に響いたようで少し唸っている。


「顔がまん丸で、さして美人でもない。だが色が白くてモチモチしとる」

「……はあ」

「あんたはきっとしあわせになれるよ」


 ……? よくわからないけどそう言われて悪い気はしなかった。
 そして今度は満足そうにほっほっほと笑う。
 『しあわせになる』じゃなくて『しあわせになれる』と言われたことが、なんとなく不思議な感じがした。

 何の根拠もないおじいさんの戯言だろうけど、誰かにそう言ってほしかったのかもしれないなって思ってしまう。だからかなんとなくうれしかった。


「今日もチューリップが綺麗に咲いた。あの赤いのを一本、供えてくれないか?」


 おじいさんに頼まれ、奥様の遺影にチューリップを飾ると満足そうに笑った。
 そして、奥さんの話を少しだけ聞いた。

 お花が好きで、ここの花壇でいつも楽しそうに水遣りをしていたと過去を思い出しながらしあわせそうな表情を浮かべている。
 本当に大好きだったんだなって伝わってくる話し方だった。


 病院へ行かなくて大丈夫か訊くと、大丈夫と言われた。よくあることだ、と。
 夕飯作って持ってくると申し出たけど、それも拒絶されてしまった。
 そのくらいひとりでできる! と一喝され……。


「少し休めば大丈夫だ。そんなに耄碌してない!」

 
 耄碌とかの問題じゃないのにー。
 だけど皺皺の顔で笑いかけられたから、ついこっちも笑ってしまった。
 ほっほっほ、という笑い方もおかしくて、ひさびさに和んだ。


 
 その日の夕方、心配でおにぎりと肉じゃがをタッパに詰めて、玄関の方からからおじいさんの部屋の扉をノックしたけど返事はなかった。

 余計に気になって、縁側の方からも覗いてみたけど真っ暗で人の気配を感じない。
 歩けるようになって出かけているのならいいんだけど……。


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Date:2013/04/04
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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