空色なキモチ

□ 満月の夜に見る夢は □

満月の夜に見る夢は 第6章 第75夜 事件

 
 身辺調査をされていた……と、いうわけか。
 腹が立つ、というよりは諦めの気持ちのほうが大きかった。

 だけど、ようやく説明をさせてもらえる機会ができた。
 
 湯田専務は俺が弁解すると思っていたようだ。話を進めると、表情に怒りの色が見えてきた。
 テーブルの上に置かれたごつい拳がきつく握りしめられ、小さく震えている。
 だけどそれで構わない。
 もし、この縁談話が勧められてしまうようならば……覚悟を決めて俺は今日、この席に来たのだから。


「……なので、このお話はなかったことにしてください」

「君は自分が何を言っているのかわかってるのか?」

「重々承知でございます」


 スーツの内ポケットから、封筒を取り出してテーブルに置いた。


「会社を辞めます」


 退職願、昨日自室で書いたものだ。
 もし、このまま雪乃と別れることになったとしても湯田晴花と結婚する気にはなれない。
 こんな簡単に決めていいものか悩んだが、自分の人生を犠牲にしてまで今の会社にしがみつくつもりもなかった。

 目の前で厳つい表情の湯田専務が大きくため息をつく。
 そして、テーブルの上のお茶をひと口飲んだ。

 気まずい重い空気が流れる。
 早く決着をつける言葉を吐いてほしい、そう祈りながら居心地の悪さを堪えていたんだ。

 しばらくしてから湯田専務が口を開く。
 ようやく開放される、そんな思いでその瞬間を待っていた。


「君がそんなことする必要はない。もし、そんなことをするのなら――」


 湯田専務の眼光が鋭くなる。
 俺の背筋につうっと汗が流れるのがわかった。


「風間雪乃を解雇する」

「――――!?」


 雪乃を解雇?
 あまりに衝撃的な内容で、喉元でくぐもるような小さな声を吐息と共に漏らすことしかできなかった。

 なんで雪乃が俺の犠牲になるんだ?
 あまりにも酷すぎる提示に身を乗り出すと、湯田専務のお茶が音を立てて置かれた。


「君への選択肢はふたつだ。風間雪乃と別れて彼女を会社へ残し、晴花と結婚する。もしくは晴花との縁談を断り、風間雪乃をクビにする」

「彼女は関係ないはずです!」

「そう思っていたんだけどね……君の営業成績とか過去とかいろいろ調べさせてもらって私は君が気に入ったんだよ。婿として湯田家に迎え入れたいと思っている。愛する娘が見初めた男だ。間違いはないだろう。それに愛娘がほしがっているのなら是非手に入れたいと思うのが親ってものだろう?」


 ニンマリと微笑む湯田専務の頬と目尻にに笑い皺がくっきり浮かんだ。
 それを俺はまるで他人事のような気持ちで見つめることしかできなかった。

 雪乃があの会社を解雇されたらどうなってしまうんだ。
 きっと湯田専務のことだからありとあらゆる手を使って雪乃の再就職を潰しにかかるだろう。
 真奈美が言っていたじゃないか。湯田専務は影の首領だって。


「そうやって……部長も買収したんですか?」


 顔を上げて湯田専務を睨むように見据えると、口角をクッと上げて微笑んだ。
 その笑みが更なる恐怖を煽る。


「部長? ああ、営業部の武田部長のことか? ああ、本部長のポストを約束したかな?」


 見合いだけして断ってくれてもいい、そう言っていたのに話が全く違う。
 
 やり方が汚すぎる……完全なる職権乱用じゃないか。
 それにつられた部長も部長だ。
 ああ、そうか。そう仕組まれていたのか。部長はこうなることを知っていたのかもしれない。
 
 これじゃ俺はただの生贄――


「もうすぐ妻と娘が着く。こんなものは早くしまうんだ、さあ」


 ずいっと俺が置いた退職願が戻される。
 俺が決めた捨て身の覚悟を“こんなもの”で片付けられた。

 すでに俺の精神はズタズタだった。

 雪乃に逢いたい……それしか思い浮かばなかった。



 赤の派手な振袖姿に身を包んだ晴花と地味目な山吹色の留袖の湯田専務の奥方が現れたのはその約二十分後だった。

 湯田専務の妻で晴花の母は、一見ふんわりとした優しい雰囲気の持ち主だったが口を開くと空気がピンと張り詰めたようになる。
 もしかしてこの家の柱は湯田専務じゃなく、この妻であるような気がしてきた。

 散々品定めするような視線を浴びせられ、俺は心底ヘトヘトになっていた。
 出された高級割烹料理など味も憶えていない。
 
 促されるまま少しだけ酒を飲み、あとは辞退した。


「お噂どおり素敵な方ね。晴花が気に入るのも無理ないわ。お話速めに勧めましょう。今度はご両親とご一緒に……挙式の日取りも決めたいわね」


 湯田夫人はにこりと微笑んで俺を見た。
 俺は何も答えずに目線を落とす。
 俺の意思なんてまるっきり無視されて、この話はどんどん決まっていきそうだった。


 
 湯田晴花がニコニコ微笑んでいる。
 俺はこの人のことを何も知らない。もちろん向こうだってそうだろう。
 
 それなのに結婚なんておかしいじゃないか。一生添い遂げるんだぞ。
 
 なんで何も知らない相手と……そんなことができるというのだ。



**



 食事会が終わり、帰りのタクシーを手配すると言われたが断った。
 タクシーを待つ時間すら苦痛だった。早くひとりになりたかったんだ。

 打ちのめされたまま料亭を出ると、雨が降っていた。
 傘……持ってこようと思っていたのに、すっかり忘れていたんだ。

 雨にけぶる街並みは靄がかかったように見え、視界はかなり悪い。
 大粒の雨に叩かれながら、走る気力もなく駅まで歩き、びしょ濡れのまま電車に乗った。
 
 日曜の十六時、思ったほど乗客のいない車内。
 たぶん乗っていた人は俺を怪訝な目で見ていただろう。
 だけど俺は扉の前に立ちはだかり、車窓からずっと風景ではなく雨を見つめていた。


 少し寒気がする。
 だけど特別急ぐことなく、自宅の最寄り駅に着いてゆっくり改札を出ると……。


「――翔吾さん!?」


 傘を持って券売機の前に立っていた雪乃が驚きの声をあげた。
 小走りで近づいてきて、持っていたハンカチで俺の顔を優しく拭いてくれる。

 その姿を見ただけでホッとしてしまい、身体から力が抜けるようだった。
 胸の辺りだけがじんわりと暖かくなり、自然に笑いかけていたと思う。


「びしょ濡れ……風邪引いちゃう」


 心配そうな表情で俺の傘を片手に握って、タオルハンカチで頭を拭ってくれた。
 だけどすっかりずぶ濡れになった俺の髪からは止め処なく雨の雫が滴り落ち、意味を成さない。
 

「傘、持ってきてくれたの?」

「玄関に置きっぱなしになってたから……こんなに濡れちゃって」

「いいんだ。帰ろう。傘、ありがとう」


 すれ違いざまに人が俺を見ていくのがわかる。
 すると、雪乃が自分のコートを脱いで俺の肩にかけた。


「あんまり意味ないけど……」

「……あり……がとう」


 涙が出そうだった。
 少し出ていたかもしれない。でも濡れた髪から滴り落ちる雫にうまい具合に隠されてたと思うんだ。




 すでに沸かしてあった風呂に入ると、冷え切った身体が温まる。
 あがると暖かい紅茶が入れられていて、室内は暖かくなっていた。

 リビングのソファに座りその紅茶を飲むと、ほっと心が安らいだ。

 キッチンで洗い物をしている雪乃を見て、俺はひと言尋ねた。


「新しい部署はどう? うまくいってるの?」


 雪乃は満面の笑みを浮かべてうなずいた。


「仲のいい友達ができたの。同期の子なんだけど、今までは部署が違ったもんだから接点なくて……その子が実家を出たいから一緒に暮らさない? って言ってくれて。ほら、ひとりだと物騒だし家賃も高いでしょ? だからひとり暮らしの先輩としてって声かけられたの」


 あまりにもいきなりすぎることで俺は手からマグカップを落としそうになった。
 雪乃の部屋で見た賃貸住宅情報誌、そして友人の申し出。そんなにうまいタイミングで話が纏まるとは思えない。


「そうなんだ。その子とはうまくやっていけそうなの?」

「え? うん。気が合うの。趣味も似てて……インドア派なの。お昼も毎日一緒に食べてる」


 ニコニコ微笑みながら雄弁に語る雪乃。
 たとえ同居の話は嘘だとしても、お昼を一緒に食べてくれる友人がいる。
 それは今まで営業部では味わえなかったものだろう。雪乃はいつもひとりで昼食を食べていたんだから。

 
「仕事は、楽しい?」

「もちろん。新しい仕事覚えるの大変だけど、もしかしたら営業部よりやりがいあるかも?」


 反対できるわけ、なかった。
 雪乃から職場を奪うわけにいかないと思った。

 俺が引き止める資格は、ない。


 これ以上、雪乃の人生を狂わせるわけにいかないと思った。



**



 そのあと、慌てた声の母から電話が来た。

 日中、両親の方に湯田専務から電話があったらしい。
 正式な縁談の話と、日程を訊かされて母は卒倒しそうになったと言う。
 夕方帰ってきた父にその旨を伝えると、やっぱり同じように卒倒しそうになったと。

 しかも今日の湯田一家と食事会のことも、それに俺だけ出席していたことまでご丁寧に説明されていたようだ。
 

『そういう話は自分からするものでしょ? なんで相手のご両親から訊かされることに――』

「ごめん」

 
 何も言わせずただひと言謝った。
 すると母は口ごもってしまう。


『近いうちに顔を出しなさい。ちゃんと説明してもらわないと。いきなり婿にって言われても――』

「わかった、ごめん。今週末帰る」


 ふたたび口ごもる母。
 
 親不孝な息子だよな……。重い気持ちで電話を切った。



 ねえ、雪乃。
 君はなぜ、今朝俺を見送る時に泣いていたの?
 あれからその理由を聞くことはできなかったけど、本当はすごく気になっていたんだ。

 だけどもう、君は俺から離れる決意を固めてしまった。

 もう何を言っても無駄なんだってわかっている。
 引き止める権利なんてないことも。

 俺のこと、嫌いになったわけじゃないって思っていてもいいのかな?
 雨の中迎えに来てくれたのも、俺のことを心配してくれたからって思っていても……。

 そのくらいの自惚れは、許してもらえるのかな。

 
 
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Date:2013/03/31
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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