空色なキモチ

□ 満月の夜に見る夢は □

満月の夜に見る夢は 第6章 第72夜 事件

 
 雪乃は今日も早めに出社した。

 俺も一緒に行くと言ったのに、朝ご飯作ってあるから食べてから出てと拒絶された。
 ベーコンエッグとトーストとスープにサラダ。雪乃が食べた形跡はない。

 
 俺と一緒に出社するのが嫌なのかもしれない。
 一緒に住んでいるのを他の人にバラしたくないから? それとも――

 もう、俺と一緒にいたくないからなのか?

 目玉焼きにフォークを突き刺すと、トロリと半熟の黄身が流れ出してくる。俺の好みの硬さ。
 雪乃の記憶が戻っていること、こんなにも明確に物語られているじゃないか。きっと無意識なんだろう。

 まるで膿のようにどんどん皿に広がりゆく。
 
 俺の中に蠢くようにたまったこの寂寥感もこんなふうに排出できたらいいのに。


 仕事に行きたくない……もう、なにもかもどうでもいい。



 結局雪乃が作ってくれたのに、何も食べられず出社した。
 着いたのは八時四十分で、席に着こうとしたら妙に左隣の雪乃の席が閑散としているのに気がついた。

 いつもおいてあるペンたてとか、卓上カレンダーがなくなっている。
 椅子の背もたれにかかっていたひざ掛けも、クッションもない。

 オフィスを見渡すと、雪乃の姿がない。
 動悸みたいな激しい鼓動が不安を煽り立てる。


「雨宮くん、おはよう」

 
 ぽん、と左肩を叩かれて振り返ると雪乃の左隣の南雲係長だった。
 その表情はもの悲しげで、眉根を寄せて無理に笑おうとしているみたいに見えた。


「あの、風間さん……は?」


 恐る恐る訊ねると、南雲係長はさらに悲しそうに微笑んだ。
 小さな声でまわりに聞こえないようそっと言われた。


「やっぱり君は知らなかったんだね。風間くんには今朝、新人配属と一緒に辞令が出る」

「そんな!」


 押さえきれずに声を荒らげてしまい、南雲係長が自分の口元に人差し指を当ててみせた。
 俺の声は思ったより大きかったようで、オフィスの奥のほうの席の社員までこっちを見ている。


「まだ正式発表されていないんだ。堪えてくれ」

「でもっ」

「確かに彼女は異動願いを出していた……だけど……」

 
 いきなり口をつぐんではあっと大きいため息をつきながら南雲係長が自分の席に座ってコーヒーを口にした。
 この憤りを抑えきれずに俺はただその場に立ち尽くすことしかできなかった。

 南雲係長は自身のデスクの上の書類をパラパラとめくり、意気消沈気味に再びため息を洩らす。
 雪乃の異動が影響しているのだろう。南雲係長の普段こんな姿を見ることは滅多にない。
 忙しくてもそういう姿を見せないようにしている気遣いの人なのに。

 だけど、の続きが気にはなったが南雲係長も辛そうな表情をしていてそれ以上は問えなかった。


「それじゃ、彼女はどこに異動に……?」

「ん、システム管理部らしい。ここには彼女の代わりに今日、新人が配属される」


 システム管理部は、八階にある男ばかりの情報システム課と女ばかりの事務管理課のふたつに分かれている。
 女の園の事務管理課はかなり陰湿ないじめがあるらしいと噂で聞いたことがある。

 雪乃は文学部卒で情報処理技能検定などの資格はない。
 だったら必然的に情報システム課ではなく女の園の事務管理課へ配属される可能性は高いだろう。

 なんでこんな時に雪乃が異動になるんだ……俺の傍から離されてしまうんだよ!






 そして、九時半には配属された新人が営業部のオフィスへ来た。
 そこで俺は卒倒しそうになる。


「初めまして! 営業管理課に配属されました湯田晴花と申します! よろしくお願いします」


 部長に紹介されたのは、ニコニコと笑みを浮かべたピーチ姫だった。
 この子が雪乃の代わり? 信じられない。冗談じゃない。

 ゆうべ、真奈美が言っていたのはこのことだったのか、と気づかされた。
 確かにこれは言えないことだろう。ようやく納得した。
 
 なぜよりにもよってこの子なのだろうか。納得がいかずに行き場のない憤りだけがが募ってゆく。頭の中は真っ白だった。



 南雲係長に連れられて湯田晴花が俺の隣の席にちょこんと座った。
 そしてこっちを向いてニコッと笑いかけてくる。


「こんにちは! 雨宮翔吾さん。湯田晴花です」


 モデルみたいに整った化粧を施された顔を見て、俺はげんなりした。
 一般的に見たら美人の類でちやほやされるタイプだと思う。斉木さんあたりが好きそうな感じだ。
 甘い砂糖菓子みたいなメイクに胸焼けしそうだった。


「外回り行って来ます」


 逃げるように席を立とうとすると、左腕を掴まれた。
 その爪はぴかぴかに磨かれていて、マニキュアなどは施されていない。


「日曜日、楽しみにしてます」


 ニコッと満面の笑みを俺に向けて満足そうに小首を傾げた。
 俺にとっては元凶でしかないこの湯田晴花にどうして優しくなんかできようか。
 なるべくそっとその手を離させ、無言で席を離れた。

 廊下で三浦さんと合流した後、少しだけ時間をもらい、正門前で待ち合わせをお願いした。



**



 雪乃が心配なあまり、八階のシステム管理部をこっそり覗きに来てしまった。
 この部署は特殊な造りになっており、オフィス自体がガラス張りで覆われているのだ。
 だから中は丸見えになっている。


 何気なく通り過ぎる振りをして廊下から中を覗くと、窓際の真ん中辺りの席の前に雪乃が立っていた。
 たぶんあれがシステム管理部の部長なんだろう。
 
 雪乃は大丈夫だろうか?
 いくら記憶が戻っていても、知らない場所に配属されるのは誰だって不安だ。
 今すぐ営業部に連れ去りたい。いくら異動願いを出していたからってこんなにも急に決まるものなのか。

 まさか、湯田晴花が営業部に配属になるから雪乃が――

 それなら、俺のせいじゃないか。
 俺のせいで雪乃は慣れ親しんだ営業部から離れる羽目になった。
 しかも俺と姉の関係がバレていなければ雪乃は異動願いなんか出していなかったはず。


 俺は雪乃の人生の邪魔をしているような気がする。
 そう思ったら、胃の辺りがキリリとした。申し訳なさとふがいなさで押しつぶされそうになる。

 俺より雪乃のほうが辛いはずなのに。



**


 
 外回りの時、三浦さんに何があったのか問われた。
 いきなり配属されたピーチ姫が俺にくっついていたからおかしいと思った、と。
 専務の娘が営業部に配属されたのも不思議に思っていたらしい。俺は最近部長にやたら呼ばれていたし、専務に呼ばれたのも知られていた。

 だから下手に隠さず、ピーチ姫との見合いの話を三浦さんに打ち明けた。


「おまえ、見合いするの?」


 冷ややかに尋ねられる。それは当たり前の反応だろう。
 見合いはするけど、断るのを前提で受けることを話した。 
 そのことを雪乃が知っているのか訊かれ、言ってないと正直に伝える。


「バレたらいくらおまえの記憶なくても傷つくだろう。どうする気なんだよ……だから風間ちゃん異動になったのかよ。いくら希望出してたからって……」


 悔しそうに三浦さんがぼやいた。
 そんなことで雪乃が追い出されたようになってしまったから怒っているのだろう。


「三浦さん、俺どうしたらいいかわからないんですよ。俺は雪乃が好きなのに……あいつ俺から逃げようとしてるんです」

「……風間ちゃんが記憶を失う前にもめてたことと関係あるのか?」

「たぶん、あいつ記憶戻ってるんです。だから俺から離れようとしてるとしか……」

「――――は?」


 訳わからないといった表情の三浦さんが俺を鋭い目で見た。
 つい最近記憶がなくなったと聞かされて、そして今、急に記憶が戻ってると聞かされたら混乱するだろう。


「風間ちゃんとなんでもめてるんだ? あんなにふたりとも……ちゃんとした理由訊かないと納得できないぞ。それにオレは訊く権利あると思う。風間ちゃんを諦めたんだから」

「……ですよね」

「もし大した理由じゃなかったら今度こそ掻っ攫うぞ」


 敵意むき出しの視線を俺に向けて三浦さんが前を歩き、シズールに入って行った。
 大した理由じゃないなんてことはない。大きすぎる理由だからこそこんなにも悩むんじゃないか。
 それにこのことを話すとしたら雪乃の過去までも知られることになる。だから何を訊かれても、話すわけにはいかない。

 

 三浦さんはやっぱりまだ雪乃のことを……。



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Date:2013/03/23
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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