空色なキモチ

□ 満月の夜に見る夢は □

満月の夜に見る夢は 第6章 第71夜 事件

 
 仕事で少しトラブルがあって、帰りが遅くなってしまった。
 家に着いたのは二十時半をまわっていた。


「ただいま、雪乃」


 リビングは真っ暗で、雪乃の部屋の扉をノックすると返事はなかった。
 眠ってるのか? 体調があまりよくないのかもしれない。

 静かに扉を開けてみると、部屋の中は真っ暗だった。
 電気をつけると、もぬけの殻で布団の上にクマのぬいぐるみと雑誌が……。


 賃貸住宅情報誌。


 嫌な予感に胸が疼くのを押さえ、それを手にとってみると何箇所かに折り目が付いていた。
 大きく赤丸印の付けられたアパートの外見はお世辞にも綺麗ともオシャレとも言えないような外装。


 印のついている部屋は前の雪乃のアパートのひとつ手前の物件。
 急行が止まる駅で徒歩十分。二部屋でバストイレ別。
 
 まさか、ここに引っ越そうと考えているのか……?

 なんで、どうしてなんだ。
 ここに引っ越してきたばかり、しかも記憶があやふやなままどこに行こうと言うのだ。


 ドクドク高鳴る鼓動と無意識に荒くなった呼吸。
 勝手に見たことを知られたら雪乃は怒るに違いない。そっとその雑誌を布団の上に戻して部屋を出た。
 リビングに向かう途中の浴室の扉が閉められているのに今気づいた。




 冷蔵庫から水のペットボトルを取り出し、リビングのソファに座るとどっと疲れがわいた。
 いやに口渇を覚え、持っていた水を一気に飲み干す。全身が重くてだるい。
 
 記憶がなくても雪乃は俺から逃げてゆくのか?
 日曜の朝まではそんなことなかったのに……急によそよそしくなって、俺を避け始めた。
 腕枕で寝かされたのがそんなに嫌だったのか?

 ……もしかして。

 雪乃の記憶が、戻っている?



 ありえないことはない。
 急に戻ることだってあるだろう。先生だってそう言っていた。
 ふとしたきっかけで戻ることもあるし、なかなか戻らないこともある。だけど根気よく待ってあげてください、と。



 リビングの電気がついたのに気づいて顔を上げると扉口に雪乃が立っていた。
 お風呂上りの頬はほんのり赤い。
 不安そうな表情で俺を見ているのがわかる。

 本当は訊きたいことが山ほどあった。

 今朝、部長と何を話していたの? 
 部長に尋ねても『困ったことはないか聞いただけ』と曖昧な回答しか返って来なかった。
 そんなことを訊くのにわざわざ会議室にまで呼びつけるのか? いくら公になっていない雪乃の記憶のこととはいえ。

 そして部屋に置かれた賃貸住宅情報誌の存在。
 どうしてそんなものが部屋にあるの? 印がつけてあるの?

 なんとなく訊ける雰囲気でもなかった。
 雪乃の目が赤くて少しだけ腫れぼったかったから。
 泣いたの? それすら訊くのが怖かった。探りを入れたら今すぐにでも逃げてしまいそうで。

 すでに俺の元から去ろうとしている。そんな日が刻一刻と近づいている。
 考えたくないけど、どうしてもその思いが渦巻いて頭から離れてくれなかった。




 風呂を済ませ、雪乃が作ってくれていたカレーを食べる。
 普通のカレーだけど雪乃が作ってくれただけでおいしく感じたし、俺は満足だった。

 考えてみたら、雪乃が風邪をひいた時に作ったお粥も野菜スープも和風ハンバーグも全て義兄のレシピどおりに作ったものだ。

 雪乃はもしかしたら義兄の味に似ていると思って食べていたのかもしれない。
 今さらだけど……酷なことしてたんだなって後悔した。


 悪いとは思いつつ、雪乃の記憶を探るために肉じゃがの話をした。
 あの日、ここで真奈美に追い出された雪乃が作っておいてくれた肉じゃが。
 俺が帰ってきた時には三角コーナーに全て捨てられていた。その理由を憶えていたら記憶が戻っているということだ。
 
 そう踏んで尋ねてみた。

 でも、彼女は微妙な反応を示した。
 憶えているともいないとも言いがたい……。
 
 『だって』と何かを言いかけた時、もしかしてその時のことを言ってくれるんじゃないかと思って少し期待していたけど言わなかった。
 
 なにが『だって』なのかよくわからない。
 その後に続いたのは『肉じゃが食べられるの?』だった。
 『だって』という接続詞を使うのは明らかにおかしい気がする。

 何かを隠している気がしてならないのは俺の気のせいなのか?

 今度肉じゃがを作ってよ、とお願いしたら『いつか』と返された。
 その雪乃の表情からは、そんな日は来ないと物語っているようにしか見えなくて、胸が押しつぶされそうなくらい苦しかったんだ。


「おいしかった、ありがとう」


 雪乃にお礼を言うとうれしそうな顔をしてはにかむように微笑んだ。
 こんな表情を見せてくれるのに……俺の元を去ろうとしているなんて思いたくもなかった。

 キッチンで洗い物をする雪乃を見て涙が出そうになる。
 いつか……こうして毎日雪乃が俺のために食事の支度をしてくれる日を夢見ていた。
 あそこから雪乃がこっちを見て俺に笑いかけてくれる日が……。


「ごめん、ちょっと部屋にいる」


 まともに雪乃を見れなくて、俺は逃げ込むように寝室に入った。





 電気もつけずベッドに座って携帯を見ると、真奈美からの着信があった。
 何か用があったのだろうか?

 とりあえずかけ直してみると、すぐに通話になった。


『ああ、翔吾? 今、気づいたの?』

「あ、うん。ごめん。急用?」

『そういうわけじゃないけど……ねえ、本当に湯田専務の娘とお見合いするの?』


 真奈美の質問、悪気はないんだろうけど今の俺にとっては右ストレートで殴られたような痛みを感じてしまう。
 雪乃のことで胸が張り裂けそうになって泣きたい気持ちなのに……追い討ちをかけるなと言いたいくらいだった。湯田晴花のことなんて考えたくもなかった。正直どうでもいい。


「なに? 話ってそれ?」

『……うーん、とりあえず明日会社に行ったら翔吾が倒れるんじゃないかと心配でさ』

「え? どういうこと?」

『あーこれ以上は言えないんだわ。口止めされてるから。それより風間さんとはどうするの? 本気だったんじゃないの?』
 

 意味深な言い方の真奈美に不安を覚える。
 俺が倒れる? その理由を訊けば、口止めされている? 全く要領を得ないじゃないか。
 話を逸らすように雪乃とのことを訊かれ、少し腹が立った。

 ――――そうだ。

 腹立ち紛れに真奈美に訊いてやろう。


「真奈美さ、前に雪乃を家から追い出したことあったろ? 合鍵使って」

『ああ、まだ怒ってるの? もう時効でしょ?』


 かったるそうな反応が返って来た。そうじゃない。


「いや、怒ってはない。あの時の状況を少し詳しく教えてもらえないか?」

『なに蒸し返してるのよ? 風間さんに訊けばいいじゃない?』

「そうじゃないんだ。頼むよ。雪乃はあまりはっきり言わなくて、詳しく知りたいんだ」


 真奈美の苛立ちが口調から伝わってくる。雪乃が記憶を失っていることを知らないから当たり前の反応だろう。
 俺も苛立っているんだ。お互い様だろと思いながら話してくれるのを待った。
 小さなため息が聞こえ、急にまくし立てるように真奈美が喋り始めた。


『あーもう! わかったわよ! あの日、あんた達ふたりが休憩室でいちゃついてる会話を聞いてあの子がひとりで翔吾の家にいるのは知ってたの。だから突撃した』


 あ。その辺はわかってるんだけど……まあいいか。
 ここで茶々入れたら話してくれるものも話さなくなってしまいそうだ。


『で、ちょっと翔吾の過去のことを話して……』

「過去?」

『ああ、あの大学の時。翔吾に惚れて精神的に参っちゃった子のこと。あの子があなたに似てるって』

「おまっ……何をっ」

『怒るならこれ以上話さないわよ!?』


 脅し文句を言われ、ぐっと言葉を飲み込む。

 そのことは雪乃に言わないでほしかったのに……彼女の気持ちを煽るためとはいえ酷いな。
 あの時のことは俺にとっても古傷なのに。女って怖い……。


『で、コンロに肉じゃががあったのを見てあんまりにもおいしそうだから“翔吾は肉じゃがは食べない”って嘘教えた』

「――――え?」


 つい、声が出てしまった。
 
 真奈美が雪乃にそんなことを言っていた?
 俺が肉じゃがを食べない……正真正銘の嘘だ。


「真奈美、俺が肉じゃが好きなの知ってるよな?」

『もちろん知ってるわよ? だから言ってやったんじゃない。あの子を傷つけてやりたかったの。別れててもあんな子に翔吾を取られたくなかったから!』


 単なる嫉妬。でも今思えばかわいい嫉妬なのかもしれない。
 だって雪乃は、真奈美のその嘘で俺が肉じゃがを嫌いだって思い込んでいたはずだから。 

 さっきの『だって』とその後の『肉じゃが食べられるの?』は雪乃がそう思い込んでいたから出た言葉。

 つまり、真奈美に言われたその言葉を憶えていたってことだろう?

 雪乃の記憶は戻っている。間違いない。
 部分的に欠けているかもしれないけど、少なくとも真奈美の言ったことは憶えている。


『それであの子が帰った後、その肉じゃがを捨ててから――』

「真奈美が捨てたのか?」


 驚いてつい聞き返してしまった。
 あの肉じゃが、雪乃が捨てたんじゃなくて真奈美が捨てていたのか……。


『そうよ、少し味見したけどね。悔しいけどおいしかったわ。あとは扉口の新聞受けを開けて、外に出てからあの子が置いて行ったそのマンションの合鍵をそこに落としたってワケ! これで満足?』

「ああ……満足だ。ありがとう、真奈美。言いにくいこと言わせて悪かったよ」


 俺は無感情のまま真奈美に謝っていた。

 全然思いをこめていない謝罪なんかで申し訳ないと思ったけど、今はどうにもならなかった。
 感情のコントロールがうまくできなかった。







 雪乃が俺の家から消えて、風邪で寝込んだあの時。
 俺と真奈美との間を勘違いして離れていこうとした理由を尋ねた。

 雪乃は大事なところ全て端折って伝えていたことを、今知った。

 真奈美だけを悪者にしないようにして……重要な部分を全部隠していたんだ。


 あの日、真奈美が合鍵で俺の家に入ってきたこと、それが全てだと思った。
 俺と真奈美がつき合っているとしか思えなかった。
 そしてそれは、自分の心の弱さが招いたこと。
 俺に愛されていることを勘違いだったと思い込んでしまった自分が悪い、と。

 俺の本気の思いを疑っていた。からかわれているだけと思い込んでしまった。
 だから真奈美が悪いんじゃない、自分が悪いんだって……何度訊いてもそれしか言わなかった。


 なんでそんなにひとりで辛い思いを抱え込むんだ。


 そして記憶が戻っているからこそ、出て行こうとしている。
 

 俺のことをどう思っただろう。
 自分の記憶がないことにつけ込んでこんなことをしたと軽蔑しているのだろうか?
 だからよそよそしいのか? 俺のこと憎んでいるのか?

 でもさっきのはにかむような笑顔は……? なんであんな顔見せてくれる?


 どうしたらいいのかわからない。
 ただ、雪乃を失いたくない……それだけなのに……。
 


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Date:2013/03/22
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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