空色なキモチ

□ 満月の夜に見る夢は □

満月の夜に見る夢は 第6章 第70夜 事件 雪乃side

 
 翌日の朝。
 翔吾さんは社につくなり、オフィスを出て行った。
 その時、わたしは部長に第一会議室へ呼び出されていた。

 話は簡単なことだった。

 今、翔吾さんは湯田専務の部屋にいること。
 翔吾さんには湯田専務の娘さんとの見合い話が持ち上がっていること。
 それは今週の日曜日に決まっていること。
 今はその打ち合わせをしていること。
 
 彼のためを思うなら、身を引くように――


 遠まわしにだけど、そう言われた。



 わたしは少しだけでいいから時間がほしいと伝えた。
 部長はあまりいい顔をしなかった。すぐにお見合いの日が来てしまうからだろう。
 湯田専務にわたしと翔吾さんの関係がバレるのを恐れているんだろうなってすぐにわかった。


「君だって、この会社にいたいだろう? だったら――」


 わかってる。わかっているの。
 だけどそんなにすぐには出られない。わたしだって行くところを決めないと。



 部長と共に第一会議室を出ると、湯田専務の部屋から戻って来た翔吾さんがエレベーターから下りて来た。
 少し驚いたような表情の翔吾さんから目を逸らして、わたしはオフィスに戻る。

 少し振り返ると、第一会議室の扉の前で部長と翔吾さんが立ち話をしていた。
 だけど、翔吾さんはわたしのほうを心配そうな目で見ている。

 それに気づかないフリをしてわたしは前を向き直った。



 十七時になっても翔吾さんは外回りから戻って来れなかった。
 もし戻れなかったら先に帰っていていいという話になっていたので、その通りにした。

 翔吾さんの家の最寄り駅で降りて、駅の地下のスーパーで買い物をする。
 そのまま本屋に寄って賃貸住宅情報誌を購入した。


 家に帰ってすぐにカレーを作っておいた。
 翔吾さんが帰って来たら食べられるようにしておけばいい。
 簡単にサラダも作って、自室に戻ると時間は十九時になろうとしていた。

 お風呂を沸かして、入るのは待っていたけどなかなか戻ってきそうにない。
 自室で賃貸住宅情報誌をめくって目ぼしいところを探す。
 あまり家賃が高くなくて、二部屋あるといいな。あとお風呂とトイレは別で……。

 そう考えたら今まで住めていた場所は本当によかった。
 駅から徒歩十五分だけど、条件はピッタリだし家賃も希望通りだった。

 あのアパートに戻りたい……ふとそう思ってしまう。

 新たにアパートを借りるとなると保証人が必要になるはず。
 そうするとまた叔母夫妻に頼まないといけなくなる。
 それが申し訳ないのと、なぜ前のところを引っ越すことにしたのかなどの説明もめんどくさい。
 
 今までいたアパートの不動産屋さんに話をして、もう一度あのアパートを借りれないか交渉してみるのもありかもしれない。

 一応候補として目ぼしをつけたところは、今までのアパートよりはひと駅会社寄りの物件。
 ただ家賃は少し割高になる。急行が止まる駅だからだろう。
 
 とりあえず、その物件に赤丸印をつけて他も探してみる。






 二十時になっても翔吾さんが帰ってこないから先にお風呂に入ることにした。

 
 記憶が戻ったこと、いつ翔吾さんに言えばいいんだろう。
 やっぱり新しく住むところを見つけてからのほうがいいんだろうな。
 そのほうが翔吾さんも気兼ねなくわたしを送り出せるだろう。

 元を正せば、わたしが事故に遭わなければ一緒に住むことなんてなかったんだし。

 きっとみゅうちゃんを庇ってわたしが事故に遭ったと思っているから、責任を持って面倒見ようと思ってくれているだけだろう。
 わたしがあの信号を無理に渡らなければ、みゅうちゃんが道路に飛び出すこともなかった。
 だからわたしの責任なのに……翔吾さんが責任を感じる必要なんて何ひとつないのに。

 お見合いの話、翔吾さんはわたしに言いづらいんだと思う。
 優しい人だから、引っ越してきたばかりなのに『出て行って』とも言えないんだよね。

 あんな別れ方をした女にこんなによくする必要ないのに……。


 シャワーのお湯を頭の上から流しながら、ごまかすように涙を零した。

 
 早く別れれば傷は浅いはずだからって思ってた。
 でも違う。早いとか遅いとか関係ない。

 早く別れても傷は浅くなんてない。そんなことで傷が浅くすむほど思いが浅くなかった。
 すでに深く好きになってしまっていたのに、いくら急いで別れても傷が浅くなんてすむわけがない。

 だったらどうしたらよかったの?

 何が正しいのかなんてわからない。
 わたしは間違っていたの? 

 間違ってなんかいない。そう誰かに言ってほしい。
 
 そうじゃなきゃ、この胸の苦しいのとかモヤモヤした黒い闇みたいなものが永遠に付き纏うような気がして怖かったから。






 浴室を出ると、閉めてあったはずのリビングの扉が空いていた。
 翔吾さんが帰って来ている? なんで室内は真っ暗なままなの?

 リビングに入って電気をつけると、スーツ姿のままの翔吾さんが膝に肘をつき、頭を抱えるような体勢でソファに座っていた。体調悪いのかな……どうしたんだろう?


「ただいま。雪乃」


 部屋の明かりがついたことに気がついたようで、翔吾さんがふと顔を上げてこっちを見た。
 その目には疲労の色が現れている。なんだか酷くもの悲しげなのは……気のせい?




 翔吾さんがお風呂を済ませている間に、カレーを温めてサラダとスープを用意した。
 カウンター式のキッチンテーブルに並べて座ると、翔吾さんは疲れた表情を少しだけほころばせる。
 

「おいしそうだね」

「ただのカレーですよ」

「十分だよ。カレー好きだし。あーそう言えば……」


 カレーを食べながら翔吾さんが思い出し笑いをした。
 だけどやっぱり悲しそうな表情。
 お見合いのことで悩んでいる? それとも仕事で何かあったの?


「雪乃は憶えてないかもしれないけど、前に君が俺に肉じゃがを作ってくれたことがあるんだよ」

「……へえ」

 
 もちろん憶えている。
 海原さんがここに来た日のこと。今でもはっきりあの時のことは憶えているの。
 翔吾さんは肉じゃがを食べないって訊いて……。


「あの時、なんで君は肉じゃがを捨ててしまったの?」

「え?」

「おいしそうにできてたのに、すごくいい匂いもしていた。それなのに……」

「だって……!」


 そこまで言って口をつぐむ。
 あの時のことを思い返していた。

 捨ててなんかない。捨てる余裕なんかなかった。
 きっと海原さんが、わたしが出て行ったあとに捨てたんだろう。


「だって?」

「え……ううん。翔吾さんは、肉じゃが食べられるの?」

「肉じゃが嫌いな人なんているの?」

 
 わたしに苦笑いを向ける翔吾さんは、決して冗談を言っているようには見えなかった。
 
 もしかして、あれは海原さんの嘘だった?
 肉じゃが嫌いじゃなかったんだ。だったら一度でいいからわたしが作った肉じゃが食べてほしかったな。
 あれだけは自信作で……父から教わったものでもない、自分だけの味。


 ふと思ったこと。
 翔吾さんの作るものの味が母のものに似ていたり父の味だったりするのはそのせいなんだ。
 父が、翔吾さんに料理を教えていた。だから懐かしい味がする。

 料理の味にまで翔吾さんと父の繋がりが……。


「今度肉じゃが作ってよ。食べたい」

「……じゃ、いつか」


 笑ってそう言うと、翔吾さんも笑いかけてくれた。
 だけどどこか悲しそうで。わたしもきっとそんな笑い方していると思う。


 そういう日が、来ることがあれば。
 来るわけないのに。

 そんな夢を見ることしかできないなんて。


 その日の夜。

 ベランダの窓から見上げた空は、どんよりと曇っていた。
 
 月が、見たかったのにな。

 
 翔吾さんとのしあわせな時間ときを、昨日のことのように思い出せるから。



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Date:2013/03/20
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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