空色なキモチ

□ 満月の夜に見る夢は □

満月の夜に見る夢は 第6章 第69夜 事件

 
 部長からの電話は湯田専務の娘、晴花との見合いの日取りが決まったという連絡だった。

 勝手に決められても困ると口論をして結構時間が経ってしまった。
 部長としては見合いを成功させてもらった方が助かる、でも俺の気持ちを汲んでとりあえず見合いだけして断ってくれてもいいからとしつこく頼まれてしまったのだ。

 やっぱり部長は湯田専務に何か提示されている、そう確信した。
 でもそれが何かは言わない。

 とりあえず明日の朝、湯田専務の部屋へ行くようにと言われた。そこで詳しい話を直接訊けと。
 こっちからアポを取らなくても向こうから呼ばれていた。

 
 部長が俺の気持ちを尊重してくれたのはありがたかった。
 しかし見合い自体は断れず、それに関しての俺の都合は全く考えてもらえていないのが辛い。
 見合いするにしても俺の両親にどうやって話せというのか。期間が一週間もないのに。


 それに……。
 雪乃に話したほうがいいのだろうか……悩む。

 記憶のない雪乃に話しても意味がない気がする。
 むしろ記憶がないから、重役の娘との見合いだなんて知ったら『頑張ってください』と応援されそうなが気がするんだ。その言葉が俺の胸をどれだけ抉るか知らずに……。
 
 まだ話してもいないことで考えてもしょうがないことだけど。




 すでに身体は冷え切ってしまっていた。
 重い気持ちのまま雪乃と顔を合わせれば心配をかけるような気がして、店の前で軽く頬を二度ほど叩き、扉に手をかける。

 店の暖簾をくぐると、カウンターには角刈りの店員以外誰もいなかった。
 席に雪乃の姿もない。


「あ、雨宮さん。店長から伝言でお連れの女性の気分がすぐれないようだから店員用の休憩室で休ませるって連れて行かれましたよ」

「えっ? 休憩室ってどこっ? 教えて!」

「いや、お客さんに教えていいのかちょっとわからないんで……戻ってくるのお待ちいただけないでしょうか?」


 それはそうなんだろうけど、雪乃のことが心配で居ても立ってもいられなくなった。
 気分がすぐれない……ひとりきりにしすぎたのだろうか?


「じゃ、クマさん呼んできて! 状況を教えてほしいって。頼むよ!」

「わかりました、ちょっとお待ちください」


 角刈りの店員がカウンターの正面奥の厨房にひと言告げて、右奥のほうへ消えていった。
 
 雪乃の席には食べかけの揚げ出し豆腐とギンダラの煮物、烏龍茶の飲みかけが置いてある。
 食べている途中で気分が悪くなったのか?
 やっぱりひとりにしてたのがいけなかったのだろうか?


 呼びに行った店員が消えたほうの奥からクマさんがゆっくりカウンターに戻って来た。
 表情は柔らかくて、緊迫した面持ちではない。


「クマさん! 雪乃は?」

「大分落ち着いたみたい。貧血みたいだからさ、足上げて寝かせてるよ。帰るまでそっとしておいてやって」

「でも――」

「ちょっとうとうとしてるから起こしたらかわいそうだよ。大丈夫、ちゃんと布団もかけてるし問題ないよ」


 ……そう言われて、これ以上強い態度に出られなかった。待たせた俺が悪いんだから。
 仕方なく自分の元いた席に座り、気の抜けたビールに口をつける。
 雪乃の食べかけの揚げ出し豆腐をつまむとすっかり冷め切っていた。よっぽど長い間待たせていたんだと後悔した。


「大丈夫だよ、雨ちゃん」

「……うん、雪乃何か言ってた? その……」

「何かって? 特に何も……」


 今までと同じように柔和な笑顔を見せたクマさんの言うことを信じるしかなかった。



 

 三十分くらいクマさんと話しながら食べていたけど、雪乃が心配で味もろくにわからず帰ると告げた。
 それ以上クマさんは何も言わずに店員さん用の休憩室に誘導してくれた。

 六畳くらいの畳張りの和室。
 木のテーブルを壁際にずらして、部屋の真ん中で雪乃が布団に包まって横になっていた。
 目許は赤くなっていて、まるで泣いた後のように見える。


 そっと雪乃の前髪に触れると、ゆっくりと瞼が開いた。


「翔吾さん……」

「ごめんね、雪乃。いっぱい待たせちゃったね。身体大丈夫?」


 こくりとうなずいて目を赤く腫らした雪乃が起き上がる。
 その表情は強張っていてゆっくり休んだ人のものではなかった。たぶん眠ってはいなかったのだろう。

 その頬に手を伸ばすと、雪乃はすぐに身体を引いた。
 少し怒ったような目で俺を見つめてからそっと視線を逸らす。
 昨日の朝よりも強く拒絶されていることがすぐにわかった。

 深い寂寥感を覚え、触れようとしたその手をゆっくり戻すことしかできなかった。




 タクシーで家まで帰ると、雪乃はすぐに自室にこもってしまった。
 風呂に入るように伝え、部屋の扉をノックすると「はい」と小さな返事が戻って来る。
 俺がリビングに入ったのを見計らって、静かに部屋から出て廊下の右側にある浴室に滑り込むように消えた。

 何かあったのだろうか?
 クマさんの店に行って、食べているうちはこんな違和感を覚えなかった。
 
 俺が部長からの電話に離席した後、何かがあったとしか思えない。
 だけどクマさんは何もかわったことはなかったと言っていた。
 
 扉を隔てた向こうにいるのに、とんでもなく遠いところに行ってしまったようで……怖いよ。雪乃。



**



 翌日。
 
 俺は朝一番で湯田専務の部屋へ呼び出された。


「雨宮翔吾くんだね、急な話で悪かったね」


 恰幅のいい湯田専務が異様に黒い髪を撫で上げ、自分の席から立ち上がって目の前のソファを勧めてきた。促されるまま扉側のソファにゆっくりと座る。
 専務ひとりひとりにこんないい部屋が与えられていると思うとなんとなく納得がいかない。
 
 湯田専務も俺の右斜め前のソファに座って、背もたれに寄りかかった。
 俺はさすがに背もたれに凭れるわけにもいかず、なるべく浅く座っておく。
 すぐに真奈美がお茶を淹れて運んできた。


「海原くんと雨宮くんは同じK大卒だったな。うちの娘と雨宮くんが見合いをすることになったんだ。海原くん、君は彼をどう思うかね?」


 ――うっ!!

 まさかこの場でそんな話を真奈美に振らないでほしかった。
 俺の右隣に立っている真奈美に視線を移すと、向こうもこっちを冷ややかな目で見ている。


「お見合い、ですか? お嬢様が雨宮さんをお気に召したとか?」

「ああ、どうもひと目惚れらしいんだ。入社式の時に親切にしてもらったと言ってな」


 待て待て! 親切にした覚えはない!
 ただ与えられた仕事をそのままこなしただけでみんなに同じ対応をしたつもりだ。


「雨宮さんは誰にでも優しくできる人ですから……それがよくないのかもしれませんね」


 再び真奈美の冷ややかな視線が俺を刺すように向けられた。
 俺だって好きでこんなところにいるわけじゃないんだ。わかってくれ、と視線で訴えたけど気づいてもらえなかったようだった。

 さっさと話をうまく打ち切り、真奈美は専務室を後にした。



「君の周りには海原くんのような美しい女性もいるし、無理じゃないのかと娘には言ったのだが、どうしても君がいいと言い出してな」

「……はあ」

「急な話で申し訳ないが、今週の日曜に娘との見合いの席を設けさせてもらった」


 ……俺に無断で勝手にな!

 そう言いたかったけどとりあえずは堪えておく。
 湯田専務はうれしそうに笑って真奈美の淹れたお茶を飲んだ。


「あの、その話なんですが……」

「まあ、見合いと言っても急な話で雨宮くんのご両親に話す時間もないだろう。だから今回は堅苦しいこと抜きにして、私の妻と娘の三人との顔合わせ程度に考えてもらえればと思っている」

「――は?」

「つまり、ただの食事会みたいなもんだ。近いうちに君のご両親にも挨拶をさせてもらうために新たに席を設けるつもりだ」

「え? あ、の?」


 意味がわからなくて戸惑っていると、湯田専務が大きな身を重そうに乗り出して俺に近寄って来た。
 断りを入れに来たのに、すっかり話をそらされている。


「とりあえず、今回はうちの家内に会ってくれ。それだけでいい」

「はあっ?」

「たぶんすぐに君を気に入るだろう。そうすれば話は早い。家内が娘のことを心配していてな、どうしても娘が見初めた男に会いたいと言ってきかないんだよ」


 それって見合いって言うんじゃないし! 品定めって言うんだろうが。
 ありえない! そんなことにつき合わされるのはごめんだ。


「あの、申し訳ないんですが」

「もし、君のご両親が日曜都合がいいようだったら、それでもいいのだが?」


 湯田専務の鋭い視線が俺に向けられ、背筋がゾクッとした。
 眇められた目の奥の眼光が痛いくらいだった。思わず唾を飲みこんだ時、専務室の扉がノックされる音がした。


「失礼します! 専務、社長がお呼びでございます」

 
 すぐに真奈美が入って来てそう告げると、湯田専務の背筋がピッと伸びて機敏にソファから立ち上がった。


「おっ! そうか。じゃ、雨宮くん。日曜日の予定は追って連絡させてもらうよ」

「えっ! あのっ! まだ話はっ……」


 俺が引き止めるのなんて耳に入っておらず、湯田専務はさっさと部屋を出て行ってしまった。
 専務室に取り残された俺と真奈美は自然に目を合わせる形になる。
 

「どうなってるの? 翔吾」

「俺が訊きたい……」

「気をつけたほうがいいわよ。湯田専務は重役の中で一番社長に近しくて、外部にも複数のパイプラインを張り巡らせてる影の首領だから」


 真奈美の脅しが俺の頭をさらに悩ませた。


「真奈美、専務付き秘書になってたんだな……」

「まあ……一年ついてた湯田専務が常務から昇格したからって理由でね」


 入社二年目で専務付き秘書なんて異例のことだろう。
 
 それより俺はどうしたらいいのか頭が回らなくて、その場で大きなため息を漏らしてしまっていた。


 
 目を閉じて、頭に思い浮かぶのは、雪乃のことばかり。
 ただ、雪乃と二人で幸せに暮らしたいだけなのに、その願いすら叶えられないなんて。

 よっぽど前世で悪いことでもしたのだろうか? 
 
 そんな現実逃避した考えが浮かんでしまうほど、この時の俺は参っていたんだ。



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Date:2013/03/19
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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