空色なキモチ

□ 満月の夜に見る夢は □

満月の夜に見る夢は 第6章 第68夜 事件 雪乃side

 
 翔吾さんがいなくなって店長のクマさんとふたりきりにされてしまった。
 うう……どうしよう。

 クマさんはカウンターに肘をついてわたしをじっと見つめている。
 そして目が合うとニッコリ微笑む。


「雪乃ちゃん、ちょっと待っててね」


 そう言い残して、クマさんはカウンターの奥の厨房に入っていく。
 ほっとしたのもつかの間、すぐに誰かと話しながら戻って来る。中で働いている若い男の店員さんだ。
 このお店の店員さんはみんな同じ黒のTシャツを着て、一般的にはサロンエプロンと呼ばれる腰の位置から膝の辺りまでを覆う前掛け。それが制服のようだ。

 店長のクマさんだけが藍色の作務衣みたいな服を着て頭に捻りハチマキのようにタオルを巻いている。


「お待たせ。ごめんね、ひとりにさせて」


 笑顔のクマさんが戻ってくる。大して待たされていないので首を横に振る。
 翔吾さんの隣にいたふたり組のサラリーマンが立ち上がり、入口付近のレジで会計を済ませはじめた。
 あ、この人達がいなくなったらカウンターに残されたのわたしだけになる……余計気まずいかも。

 レジは少し前に店長さんと話しながら厨房から出てきた若い店員さんが対応している。

 
「ごちそうさまー」


 出て行くサラリーマンの二人組と入れ違いに新たなお客さんが入ってきた。


「ハイ、また来てねー! らっしゃい!」


 クマさんの太くて大きい声が入口に向かって発せられた。
 それにビックリして思わず身をすくめてしまうと、ニッコリ笑ってカウンターに肘をついたクマさんがわたしを見つめている。そんな優しい目で見られるとどういう顔をしていいかわからなくなる。

 カウンターの奥の厨房からまた新しい男の店員さんがひょっこり顔を覗かせた。
 レジの店員さんよりは少し年上っぽい角刈りの男の人。

 あんまり見られるのが息苦しくて、少し目を逸らす。


「雪乃ちゃん、飲み物は?」

「予約いただいていたご新規二名様でーす! 笹本さーん!」


 レジから若い店員さんが大きい声をあげた。
 クマさんはニコニコしながらわたしを見つめてグラスを指差す。

 まだ少し残っている、と……言うか……そんなにじっくり見られると緊張してしまう。


「あの、呼ばれていますよ?」


 わたしがそう伝えると、クマさんはニコニコしたままうんとうなずいた。
 角刈りの男の人が急に近づいてきて小声でクマさんに何かを伝えているのに、わたしから目を逸らそうとしない。


「あの……」

「うん、そうだね。ボク呼ばれてる」

「じゃあ」

「ボクさ、雪乃ちゃんがここ一年くらいの記憶を失っているらしいって訊いてたんだけど」

「――――!!」


 両手で口を塞ぐ。
 声なんか出ないのに、なぜかその行動を取ってしまった。

 どきん、どきんって胸の鼓動が早まる。
 その奥がじくじくしたようになって、急に気だるさを覚えた。


「ちなみに三ちゃんから昨日ちょっとだけ訊いただけだからそんなに詳しい理由は知らない。でもボクの名前は憶えていてくれたの?」

「え……いえ……あの……カウンターに向かって……声かけられてたから……てっきり店長さんのことかと」


 クマさんの目に光が宿る。
 今まで目を細めて微笑んでいたのに、急に大きなふたつの目がわたしを捉えるように見据えた。
 今でも口元だけは三日月形になっている。だけど――


「でも、この男もカウンター内にいたよね? どうしてこっちの男だとは思わなかったの?」


 角刈りの店員さんを親指で示してクマさんの尋問のような質問は続く。
 わたしは背中に伝う汗を感じながら答えを探した。


「あ……の、実は翔吾さんに店長さんの名前を訊いていて……」

「ごめんね。それはありえないんだ。ボク、雨ちゃんにも三ちゃんにも名乗ってないの。基本女の子にしか名乗らない主義で」


 ――――そんな!!

 驚きのあまり大きな息を吸い込むと、喉元でひゅっと小さな音を立てたのがわかった。
 
 困惑顔でクマさんが微笑む。
 さっきまで宿っていた光は消えている。瞼を細め、わたしを慰めるような目で見つめた。
 おずおずと上目遣いで見返すと、ふっと小さく笑い声が聞こえた。


「記憶、失ってないんでしょ? なんで、本当のこと隠してるの?」


 急にクマさんの目つきが真剣なものに変わる。もう笑ってごまかすなんてことはできそうになかった。
 しばらく沈黙した後、ようやく自分の口が開く。もう観念するしかない。
  

「……違うんです。本当に記憶なかったんです……事故に遭ってから一週間くらいの記憶も今は曖昧で……記憶がはっきり戻ったのは昨日の朝……」

「ふーん」

「本当なんです! 信じて……」


 訴えるように身を乗り出して伝えると、クマさんが角刈りの店員さんを厨房へ戻した。
 新規のお客様を個室の方へ誘導していた若い店員さんも続いて厨房に戻っていく。

 ここに取り残されたのは、わたしとクマさんだけ。
 静かな空気に包まれて、逃れようのない状況にただ身をすくめて俯くことしかできなかった。


「疑ってないよ。今の雪乃ちゃんは嘘をついた目をしてない」

「あ……」

「弁解している時の雪乃ちゃんは嘘をついてる目だった」


 少し顔をあげてクマさんを見ると、目を細めて優しい表情をわたしに向けてくれた。
 それは信じていると言ってくれているように見えてホッとしたんだ。
 だけど、同時に嘘をついた恥ずかしさと申し訳なさでいたたまれなくて、ここから逃げてしまいたかった。


「ごめんね、試すようなことをして。でもこうしてここに来た雪乃ちゃんを見て、どうしても記憶がないなんて思えなかったんだ」

「……」


 なぜか涙が溢れてきた。
 わたしが悪いのに……泣いてすむことじゃないのに……。


「しばらく記憶がなかったのは信じる。きっと何かのきっかけで思い出せたんだと思う……事故後の記憶障害ではよくあることみたいだよ」

「クマさん……」

「だから泣かないで。雨ちゃんが君のことをあんなふうに子ども扱いしてるとこみると、記憶が戻ってること知らないよね?」


 何もかもお見通しのクマさんに隠し事はできないと悟り、わたしは小さくうなずいた。 



***




 日曜日の朝、翔吾さんの腕の中で目覚めて、懐かしい感覚にわたしは記憶を取り戻したことに気づいた。

 心地よくて、ずっとこうしててほしかった。
 でも、そんなことしちゃいけないんだって思った。
 記憶が戻ったことに気づかれたら、離れないといけない。
 

 悲しいことだけどしょうがない。記憶が戻ったことを翔吾さんに伝えよう、そう思った。


 だけど一昨日前にわたしのアパートは引き払われ、引っ越しが終わってしまった状態で。
 今さら記憶が戻っただなんて言ったら……翔吾さんは困るに違いない。

 別れる間際だった、いえ、すでに別れた状態だった元彼女を放り出すなんてこと彼にはできない。

 そう思ったら……言えなくなってしまった。


 だから、もうしばらく記憶のないフリをして……新しいアパートを探すつもりでいた。




***




「……そう、だったんだ」


 クマさんはわたしの話を何も言わずに訊いていてくれた。
 

「なんで雨ちゃんと別れたのかわからないけど、雪乃ちゃんは雨ちゃんのこと、もう好きじゃないの?」

「いえっ! そんな……そんなこと……」


 思わず大声で否定をしてしまう。でも恥ずかしいのと否定できる立場じゃないってことに気づいた。
 言葉を濁して俯くと、小さなため息が聞こえる。


「好き、なんでしょう?」


 柔らかな口調で優しく訊かれ、素直にうなずいてしまう。
 好き、大好き……でも……。


「ダメなんです。わたしと翔吾さんは……」

「どうして?」

「だって――」


 父のこと、翔吾さんのお姉さんのこと。
 言ってしまったら楽になるのかもしれない。でも……。

 口をつぐむと、クマさんがカウンターの中から小さな名刺を差し出した。


「これ、ボクのメアド。いつか話してもいいと思った時、連絡して。急がなくていい。雪乃ちゃんがひとりで抱えるのがもう無理だと思った時、相談してくれれば」


 人懐っこい笑顔を向けられて、ほっとしてしまった。
 なんとなく重かった気持ちが少し楽になったような……そんな心境。
 やっぱりお兄さんみたいで、クマさんといると安心する。気づかれたのがクマさんでよかった。
 記憶が戻っていないって嘘をひとりで抱えるのが本当は辛かったから。


「しかし、雨ちゃん遅いね。外、寒いんじゃないかな?」

「あ、わたしコート渡してきます」


 翔吾さんの席の背もたれにかけていた薄手のトレンチコートを手にして、引き戸を開けた。
 暖簾をくぐり、辺りを見渡すけど近くに翔吾さんの姿はない。
 扉を閉めて辺りを見回すと、お店を出てすぐの道の街路樹の陰に翔吾さんの後姿を発見した。

 電話、まだ終わらないんだ。

 声をかけず、そっとコートを手渡すだけなら邪魔にならないだろう。
 そう思って静かに、ゆっくりその背中に近づく、と――


「わかりました。湯田専務の娘と見合いすればいいんですよね? お受けしますよ!」

「――!?」


 翔吾さんのその言葉にわたしの喉元が小さくひきつった音を奏でた。

 怒ったような口調の翔吾さんが携帯越しにそう言い放つのを間違いなく聞いた。
 見合いって……お受けしますって、それってお見合いをするってこと?

 しかも相手は専務の娘?
 そんな話が出ているの? もしかして今朝、部長たちに呼ばれていたのってそのこと?

 
「いつですか? 今週の日曜? また随分急で……ったく……」


 苛立ちを隠せない感じで小さく舌打ちする翔吾さん。
 その背中を少し見つめてから、気づかれないようお店に戻った。


 今週の日曜、翔吾さんがお見合いをする。湯田専務の娘さんと。
 頭の中が真っ白になってそれ以外のことは何も考えられなかった。

 ユズリハに入った途端、ふわりと優しい煮物の香りと暖かい空気が漂ってきて気が抜けた。


「あれ? 雨ちゃんいなかったの? って、どうしたの?」


 きょとんとしたクマさんの顔を見て、涙が止まらなくなってしまう。
 カウンターから勢いよくクマさんの大きな身体が飛び出してきて、わたしの目の前に立った。
 大きな手がわたしの頭を優しく撫でてくれる。


「どうした? 何かあった?」

「クマさん……わたしの記憶のこと……もう少し内緒にしててください」

「え? ああ……うん。わかった。で、どうしたの?」


 ぽんぽん、と頭を撫でられその温もりにわたしの喉元はぎゅっと圧迫されたように苦しくなる。
 こみ上げてくる感情をかみ殺して、息を飲み込む。


「翔吾さん……お見合いするって……専務の娘と……」


 堪えきれなくて、クマさんの胸に凭れかかってしまった。
 硬くて厚みのあるそこは暖かくて、このお店のような優しい煮物の香りがした。

 クマさんの手がわたしの後頭部にそっと添えられて、何度も宥めるように撫でてくれる。

 泣く権利なんかないのに。
 自分から手離したのに、今更悲しんだってしょうがないのに……。


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Date:2013/03/16
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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