翌朝。
わたしの机の上に今日の会議の資料が載せられていた。
『十五時までに五百部お願いします。雨宮』
来たよ。早速嫌がらせ。
うちの会社は百枚以上のコピーに関して総務部からお達しが出ている。
コスト減のため、印刷室で手動でセットするタイプの複写機を使用しないといけないのだ。
普通のコピー機で五百枚も刷ったらコストどころか他の人がしばらく使えなくなるという仕事効率ダウンにも繋がるから。
前もって印刷室に電話連絡をして複写機をキープしておいた。
自分の朝の仕事を早めに終わらせ、小さい台車を押して印刷室に向かう。
五百部刷るとなると時間もかなりかかる。しかも三枚綴り。
印刷をセットしてずっと目を離しておくわけにもいかない。
紙が詰まったりしたら自分で取り除かないといけないから、時々様子を見に来ないと……。
普通のコピー機ならホチキス止めもやってくれるけど、この手動複写機はそうもいかない。
そういう機能がついていないから、全て手作業になる。
これは昼休みナシだな……。
誰かと一緒に食べるわけでもないし、ここでひとりでパンでも買ってきて食べよう。
十二時、昼休み。
ガチャン、ガチャンと大きい音を立ててコピーされていく資料を見ながらわたしはパンをかじった。
ようやく刷り上った資料を順番に並べ、指サックをつけて一枚ずつとっていく。
片手でパチン、とホチキスで左斜め上を留めて一部完了。
これをあと四百九十九部。
ため息なんかついている暇ない。急がないと。
一枚目、二枚目、三枚目……トントンと揃えて、ホチキス。
脳内でそれを繰り返しながら一定のリズムで同じ動作を繰り返す。
耳にかけていたサイドの髪が視界に入って来てうざったい。
資料を留めてあったクリップでサイドを後ろにまとめて留めるとだいぶスッキリした。
紙の擦れる音と、揃える音。そしてホチキス音が耳に慣れてくる。
その時、印刷室の扉が開く音がした。明らかに違う音。
振り返ると雨宮翔吾が立っていた。
「風間さん、お疲れ様です」
ニコッと満面の笑みで微笑む目の前の整った顔つきの男。
わたしは軽く頭を下げて資料に向かい直した。
何しに来たんだ?
コツコツと近づいてくる足音。
「はー、今外回りから戻ってきたんですよ。ここで昼していいですか?」
わたしが資料を並べている机の前のパイプ椅子を引いてそこにドスッとすごい音を立てて座る雨宮翔吾。
向かい合わせになるような位置にわざと座って、立ち作業しているわたしを見上げた。
「埃っぽいから食堂へ行かれたらいかがです?」
「いや、別に気にしないし。これよかったらどうぞ」
資料の端に職場の一階にあるコーヒースタンドの入れ物が置かれた。
そこから甘い香りが漂う……カフェラテのようだ。わたしが好んでいつも飲んでいるもの。
「いえ、結構です」
いつもは食後に飲んでいるけど、今日は忙しくて買いに行けなかった。
だから飲みたいのは山々だったけど、この人からもらうわけにはいかない。
「……かわいくねぇ」
小さくそうつぶやいたのが聞こえた。
だけどわたしは無視をして資料を作り続ける。この人にかわいいなんて思われなくたっていい。
だけど胸の奥がジクジクするような変な感じがするのはなんでだろう。
なんでわざわざここで昼食を食べるのかわかんないし、邪魔だし。
じっと見られているのに耐えられなくなったわたしは、ホチキスを机の上に置いた。
資料はまだ百部もセットできていない。
印刷の束を一つずつ台車に落ちないよう載せる。
「え? どこか行くの?」
あんたに関係ない。
喉元まで出たその言葉を飲み下す。
資料の一番上にホチキスを載せて完了。
台車をゆっくり押しながら印刷室の出口へ足を向けた。
「風間さん!」
雨宮翔吾がわたしの名を呼ぶ。
振り返るのも嫌で、わたしは印刷室の扉を手早く開けてその隙間からうまく台車を出して廊下へ出た。
「ねえ! ちょっと待ってよ!」
また追いかけてくる。しつこい。
なんなの? イケメンは誰にでもキャイキャイ言われてないと気がすまないの?
「風間さん!」
「――きゃ」
いきなり後ろから肩を掴まれ台車が傾く。
目の前で資料が見事なまでにキレイに廊下へばら撒かれてしまった。
もう嫌だ。
なんでこの人はわたしの邪魔ばかりするんだろう。
「ごめん……」
しゃがんで資料を拾うわたしの前に雨宮翔吾がしゃがみ込んで拾い始めた。
「自分でやりますから」
「いや、俺が驚かせたからこうなったし」
「結構です。わたしの仕事ですから」
俯いて顔を見ないよう資料を拾い集める。
もうやる気が半減、いや半分以下になっていた。
十五時までになんとか終わらせようと思ったけど、その気持ちさえ萎えていく。
「風間さん、あのさ……」
「……」
「いつもありがとう。俺、風間さんにお礼したくて」
嘘ばっかり。
利用しやすいから利用しているだけのくせに、どこからそんな言葉が出てくるの?
そんな言葉でよろこぶほど単純じゃない。
わたしの心はすでに歪みきっている。あなたのせいで――
「だから飲みが嫌なら、食事は? おいしい店知ってるんだけど」
唇がわなわな震える。
もうこれ以上我慢できそうにない。
喉の奥が震える。もうすぐ大声を出してしまいそうな感じ。
「今日の仕事終わったら行かない?」
――――っ。
胸の辺りを鷲掴みされたような鈍い痛みを感じた。
「飲めなくても大丈夫だからさ」
「いえ、結構です」
「そう言わないでさ。仲直りの印に」
仲直り? 直るもなにも何の関係もないのに。
わたしの中で何かがぷちんと音を立ててはじけた。
わたしの手のひらは自然に握りしめて拳状態になっている。
ぐっと息を飲んでわたしは腹を括った。
すうっと一回深呼吸をして、雨宮翔吾を見据える。
「雨宮さん、質問に答えます。わたしはあなたが大嫌いです。これ以上構わないでください」
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