言うなれば『光』と『影』
俺が『影』で双子の兄、飛鳥が『光』
俺は飛鳥の影となり、一生涯生きていく。それでいいと思っていた。
***
俺達の後をちょこちょこついてくるチビ。
集団登下校を守って必死になって追いかけてくるその姿はまるで刷り込みのようだった。
いつも転びそうになりながらようやくついてくる。
つまらなそうなその目は何も映し出していないようにすら見えた。
ただ、俺らの後を必死で追うだけ。
ある日、俺が歩く速度を緩めると自然に飛鳥の速度も緩まる。
飛鳥は俺と並ぶように歩いていた。
そうすると、その後ろにくっついている友達も必然的にゆっくりになってゆく。
そのチビは少し驚いた表情をしたあと、うれしそうに微笑んでいた。
***
そのチビにはじめて接したのは、俺らが小学校一年生になったばかりの頃だった。
まだ幼稚園の年長だったチビは、園の車で送られてきたのに消えたという。
顔面蒼白で探し続けるチビの母親が哀れになって、俺は遊びに行くのをやめて探してやることにした。
チビの顔は覚えている。ほっぺたが真っ赤でりんごのようなモチのようなやつだったから。
飛鳥と手分けして探した。
当時俺たちもチビだったから、チビならではの隠れ場所とか行きそうな辺りを探すことにした。
空き地の壁の壊れた部分から入り込めそうな誰かの家の縁側とか、近道の抜け穴なども探した。
だけど、チビは見つからなかった。
十七時くらいになって夕方になり、チビの母親は捜索願を出した。
俺たちもそろそろ帰らないと母親に叱られるだろうなって思ってた頃、急にどしゃ降りの雨。
すでに家から結構離れた公園にまで探しに来ていた俺は、しょうがなくコンクリートマウンテンと呼ばれる遊具の中で雨宿りすることにした。
ここなら雨は入ってこない……ホッとして、そこから雨の様子を伺っていると中からすすり泣く声が聞こえてきた。他の子どもも雨宿りで反対側の入口から逃げ込んできたようだった。
その姿を見て、息を飲む。
びしょ濡れの園服、黄色の帽子にツインテールの女の子が泣きながら近づいてきたから。
それは見覚えのある園服だった。少し前まで俺らも着ていたもの。
加えて真っ赤なほっぺた。間違えようがない。
「おまえ……ももかだろ?」
ひゅっと顔を上げて眉を下げたその子が俺を見た。
目を真ん丸くして、何度も大きくうなずく。
「うん……ももか……」
「捜してたんだぞ」
手を差し伸べると、チビは俺に抱きついてきて大声で泣いた。
“おにいちゃん”と泣きながらしがみつくチビが暖かくて、俺はほっとしたのを覚えている。
次男だし、妹なんていない俺は“おにいちゃん”と呼ばれてひとり悦に入っていた。
甘い香りのするチビがかわいいってこの時改めて思った。俺に助けを求めてくれてうれしかったんだ。
その後すぐに、俺らはパトカーに乗せられて家まで帰宅した。
その頃、俺は何かと飛鳥と比べられることがあって鬱憤がたまっていた。
親戚も飛鳥ばかりかわいがる。俺がいうことをきかないせいだろうけど、そんな状況を受け入れがたく俺はさらに反発していた。
だけど、チビは俺を求めてくれた。
それがうれしくて、何かあった時は絶対に守ってやろうと思った。
チビは同じ小学校に入ってきたけど、近所の子ども達と関わりを持とうとせずいつもひとりぼっちだった。
俺はチビを構ってやりたかったけど、同い年の友達にからかわれるのがいやでなかなか手を差し伸べてやれなかった。
だから、せめて集団登下校の時くっついてきやすいように歩行速度を緩めたのだ。
俺が守ってやる。そう思っていたのに、逆に助けられたのは小学校四年生の時だった。
ジャングルジムでひとりで遊んでいた時、強風が吹いて落ちた。
誰に何を言って家を出てきたわけでもない、人のいない公園で俺は動けなくなった。
このまま誰にも見つけてもらえないかもしれない、そう思った時に公園に来たのがチビだった。
泣きべそをかきながら助けを呼びに走ってすぐに転んだチビ。
駆けつけてやりたかったけど起き上がれなかった。右腕の痛みが強くてどうにもならなかった。
チビのことだからそのまま泣き続けるかと思ったのに、すぐに立ち上がって走り出した。
チビは俺のために必死で走り、親を呼んでくれた。
俺はその時誓った。
もっと強い男になろう。チビを守ってやれるくらいに。
怪我が治ってからはチビを構ってやろうと遊びにも誘った。
でも、そんな時間はすぐに終わってしまった。チビが引っ越したのだ。
隣町だけど、悲しくてしょうがなかった。
飛鳥と共にチビの家の車を見送った。
いつか再会できる、そう願って。
だけど俺の生活はさらに荒んだ。
大切なものを失った。そんな喪失感を埋めるかのように俺は好き勝手に行動するようになった。
親も先生も俺を見なくなった。それでいいと思った。
寄って来ていた女の子達も俺を怖いものを見るような目つきに変化していった。
自然に飛鳥へ群がっていくようになる。飛鳥がいればそれでいいんだろう。
女なんてめんどくさい。媚びる必要もない。
決して飛鳥が女に媚を得ってるわけではないのは重々承知だ。飛鳥は誰にでも優しくできる男だから。
『光』は求められ、自然に人が集まるものだ。それでいい。
だけど、あのチビは……あいつだけは飛鳥じゃなくて俺を頼ってくれる。そう思ったから。
俺という存在を認めてくれた唯一の……。
それなのに、その期待は見事に裏切られたのだ。
高校で再会したチビに俺は完全に舞い上がっていた。
いつ声をかけようか、どう声をかけたらいいか迷っていたんだ。
そのきっかけをなかなか見つけられなくて、正直やきもきしていた。
**
あれは学校行事の球技大会の時、チビが校舎に入っていくのを見てついて行ったのだ。
校舎には幸い生徒はいないはず。だからその時が狙いと思った。
――――だけど。
その時に見たのは、飛鳥のワイシャツに幸せそうに頬をすり寄せるチビの姿。
「飛鳥くん……すき……」
あいつは飛鳥に惚れていた。
信じられなかった。あいつだけは飛鳥より俺をって思っていたのに……。
激情した俺はそれを携帯におさめた。
そして、脅した。
許さない……飛鳥を選ぶなんて。
おまえだけは違うと思っていた。ずっとそれを支えにして生きていたのに。
泣き出したチビの涙を舐め取ると怯えたような目で俺を見た。
飛鳥に渡してたまるか……あいつはすでに女がいるじゃないか。
早く飛鳥にフラれて俺の許に来い。そう祈るしかできなかった。
俺はチビに意地悪ばかりした。
あいつはどんどん俺から離れていく。わかっているのに優しくできない。
怯えまくるあいつに苛立ちを感じていた。だけど飛鳥に向けるし視線はすごく優しくて。
飛鳥のフリしてキスしたらブチ切れられた。
飛鳥の絵が描かれたスケッチブックで何度も殴られた。
よっぽど腹が立ったんだろう。そのまま殴らせた。こんなに感情をむき出しにするチビを初めて見たから。
そのスケッチブックを投げつけて、俺の顔に当てて逃げていった。
大切なものじゃないのかよ……。
その絵をもう一度見て、チビの気持ちを痛いほど実感した。
何枚も何枚も、全て飛鳥の絵が出てくる。どの絵も飛鳥だとわかる、右の目許のほくろがそれを物語っていた。
俺じゃない、他ならぬ飛鳥の顔。どれもこれも飛鳥でいっぱい。
あいつは本気で飛鳥に惚れている……でも納得できなかった。
飛鳥はチビをなんとも思っていないのに、望みもないのに。
そんなチビににも飛鳥にも腹が立ってしょうがなかった。許せなかった。
それよりも何よりも、自分が一番チビを苦しめていることに気づいて許せなかったんだ。
**
翌日、飛鳥の女の沙羅ちゃんに誘われて四人で映画に行くことになった。
だけどチビは俺といるのをいやがって、飛鳥達に引っ付いている。
もういやがらせをするつもりはなかった。だけどあからさまに俺を避けている態度には腹が立つ。
映画館は結構うまっていて、飛鳥達と四人並んで座るのは無理そうだった。
俺はふたつ空いていた席をすかさずキープして、チビを呼ぶ。
ちょうどよく、左側の席の隣には女性、右側の席の隣には男性が座っていたからチビを奥の左に座らせる。
左に座っていれば飛鳥と俺の唯一の違い、右目許のほくろを隠せると思った。
それにチビを男の隣にするのはいやだったんだ……冷静に考えたらちっぽけなヤキモチだったと思う。
少しでも飛鳥と一緒にいる気持ちにさせてやりたくて……。
だけどそんな俺の思惑に気づいていたのかもしれない。
手を握るといやがり、振り払おうとする。
今は俺を飛鳥の代わりにしろよ。
その思いが伝わったのかはわからないけど、手を振りほどくのはやめてくれた。
チビが引っ越していなくなってから外でも飛鳥のフリをするのはやめた。
それまではずっと飛鳥に間違われてもいいって思ってた。
だけど、このチビが俺という存在を認めてくれたような気がしたから、必要としてくれたから。
チビのためだけに俺は翔でいたい、そう思ったんだ。
俺が俺でいられるのは、このチビのおかげだった。
それなのに、こいつは飛鳥が好きで。
この時やっと俺は自分の気持ちに気がついたんだ。
チビのために生きたい、そう思った根底には理由があったんだってこと。
俺は他ならぬ、このチビが好きなんだって。
だから飛鳥にも俺の双子の片割れに惚れているこのチビにも腹が立ってしょうがないんだってようやくわかったんだ。
チビが飛鳥に向けるような視線を俺に向けてほしくて、もうしないと決めていた飛鳥のフリまでしていたことにもようやく気がついた。
映画が終わって、友人に呼ばれたカラオケにチビを連れて行った。
露骨にチビを蔑むような目で見る悠里。絶対そうなるとは思ったけど、でもチビの存在を友達に見せたかった。
俺の大事な……そう言おうとしたけど口に出せず、ついペットと言ってしまった。
すると、俺がトイレに行っている間にチビが本当にペットのように扱われていたんだ。
ソファの上に押し倒されて、口にはチキンを咥えさせられて。
そのチビの姿に俺は……欲情していた。
いやがるその表情に、涙に……露わになった首元にも、油で艶やかにテカった唇にも。
――――抱きたい、そう思った。
本当はチビを押し倒した大貴を殴ってやりたかった。けど、そんな表情を見させてくれたことに感謝もしていた。だけどチビの泣き顔を他のやつに見せたくなかった。
つやつやにテカらされた唇を拭ってやり、カラオケを出る。
その時にはもう家に連れて行こうと思っていた。
俺はもう我慢できなかった。力づくでもこのチビを俺のモノにしたいとそう願ってしまった。
だけどもういやがらせはしないと決めていたのに。
家で幼い頃のアルバムを見せて、過去を一緒に振り返ろう。
そうすれば少しこの欲情した気分も落ち着くかもしれない。
チビも俺のことをもう一度見てくれるようになるかもしれない。祈るような気持ちだった。
なによりもっとチビと一緒にいたかった。まだ、帰らせたくなかったんだ。
外は、図らずも雨。
降りそうだとはなんとなく思っていたけど、チビが迷子になった日のシチュエーションにそっくりで。
空が暗くなり始めた頃のどしゃ降り。雨の匂い。どうしてもあの日を連想させた。
向こうは何も思い出してはいなかったけど……。
浮かれた気持ちでチビを家まで連れて行った。
そこで俺はまた裏切られることになるとも知らずに――
チビは、俺の右肘の傷を見て驚いた。
幼い頃の俺と飛鳥を勘違いしていたのだ。
俺の腕の傷を見てようやく気づいたようだった。あの時怪我をしたのは飛鳥だと思い込んでいたんだ。
しかも迷子になったあの時、俺にしがみついて『おにいちゃん』と縋ってきたことすら忘れていた。
その時から、俺は俺と認められていなかった。
チビの中に俺の存在なんか無かった。俺のことを認めて求めてくれたわけじゃなかったんだ!
それに気づいたら、悔しくて、悲しくて――――
俺はチビを押し倒した。
俺は俺である必要なんかない。もう自分が何者なのかもわからなくなっていた。
このままチビを犯して、警察に自首しよう。そう思った。
チビが最もいやがることをしてやる。一度は打ち消した下種な思いを実行した。
今からおまえを抱くのは飛鳥じゃない、俺だってことを一生背負わせてやる。
忘れられないよう……この身体に刻み込んでやろうと思った。
だけどチビは……拒絶の言葉とほんの少しの抵抗を見せるだけ。
もっと啼け! そう思ったのに、傷つけてやろうと思ったのに、諦めたのかされるがまま。
なんで抵抗しない? 俺はおまえの好きな飛鳥じゃないのに。最低な翔なのに。
俺の腕の中で縋るような眼差しを向ける。俺の唾液で濡れた艶やかな唇から漏れる吐息。
俺だけのものにしたかった。この身体も声も、このチビの全てを。
だけどもう解放してやらないといけないってことも重々承知だった。
このチビが好きなのは、他ならぬ飛鳥なのだから。
これ以上無意味に苦しめてどうする? 本当に好きなら――
だから俺は、最後に一度だけ名前を呼んでほしいと願った。
呼んでくれたらやめよう。そして、チビの前から永遠に姿を消そうと思ったんだ。
一度でいいから、俺を認めてよ……欲してよ――――
チビの口から俺の名前が、発せられる。
「最後なんて、いや」
暖かいチビの温もりが俺の身体を包んだ。
信じられなかった。
解放しないといけないと思っていたチビが自ら俺に縋ってきている。
今まで感じたことのない胸の高鳴りと全身を駆け巡るような柔らかな温み。優しい香り。
大人になりかけのチビの身体を夢中で抱いた。
チビは全く抵抗を見せず、キスしようといえば自分から唇を押し当ててきた。
この時、すっかりチビに魅せられていたんだ。
女を抱くのは初めてじゃないのに……まるで初めての時のように緊張していた。
「か……けるくっ……す……きっ――」
チビの声が、俺を呼ぶ。俺を求めた。
俺を好きと、言ってくれた。
もう、何もいらない。
チビさえいてくれれば、それでいい。
チビが傍にいてくれるのなら一生影として生きていける。
ありがとう、桃花。
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