空色なキモチ

□ 満月の夜に見る夢は □

満月の夜に見る夢は 第5章 第62夜 記憶

 
 それからがあわただしい生活がはじまった。


 まず翌日出社して、雪乃の課長と係長に時間を作ってもらい、彼女の現在の状況を話した。
 身体の方は問題ないが、記憶が抜け落ちていること。
 仕事の内容や社の人間のことを覚えているかわからないこと、しばらく休職扱いにしてほしいと願い出る。

 
 課長も係長も雪乃の働きぶりを知っている。
 部長に報告し、できる限りの期間、休職扱いにしてもらえるよう頼んでくれるということだった。

 もし仕事内容に関して少しでも覚えていることがあれば出社してもらえると助かるとまで言われた。
 無理はせず、軽い雑務やお茶汲みなど、できることでいいからやってもらえるとうれしいとまで。
 雪乃はこんなにも必要とされている社員だったとわかってうれしかった。
 
 それは雪乃が今まで人知れず頑張っていたからだ。それを改めて感じられて胸が熱くなる。
 雪乃が聞いたらさぞかし喜ぶだろう。

 そして、俺はその日から一週間の有給休暇をもらうことにして、すぐに雪乃の病院へ向かった。


 病室のベッドに大人しく座り、談話室から持ってきた週刊誌を読んでいる雪乃は昨日より顔色がよく、気分もよさそうに見えた。

 俺を見るなり頬を赤らめて俯いた後、上目遣いで様子を伺うように見つめられた。
 なんでそんな萌える表情を見せるんだと思わず抱きしめたくなってしまう。


「イチゴ買ってきたよ。食べられるよね?」

「え……はい……あのぅ……」

「ん?」

「なんで今日もここに来たんですか?」


 目を潤ませて雪乃が俺を見るから悲しい気持ちになってしまった。
 雪乃にとって俺は邪魔者でしかないのか……?

 違う、雪乃は記憶がなくて不安なだけだ。俺がへこたれてどうする。


「入院中は毎日来るよ? 仕事も一週間の休暇届出してきたし、何の気兼ねもなく君の傍にいられる」


 口を大きく開けた雪乃がぽかーんと俺を見つめている。
 その口の中にヘタをとったイチゴをひとつ放り込んでやるとビックリして口を閉じた。


「退院手続きもあるし結構忙しいよ。俺が全部やるから雪乃は何の心配もしなくていいから」

「う……」


 イチゴを噛みしめながら雪乃が涙を流し始めた。
 ボロボロと大粒の涙が頬を伝ってボタボタとオーバーテーブルを濡らすから、どうしていいか分からずあたふたしてしまう。泣かせるようなこと言ってしまったのだろうか?


「ど……した? 雪乃?」

 
 傍に寄って頭を撫でてやると雪乃が唇を真一文字にして俺を見上げた。
 泣くのをこらえようと顔を真っ赤にしているからなんだかおかしくてふき出しそうになってしまう。
 だけどここで笑ったらきっと雪乃の機嫌を損ねてしまうだろうと思い、必死で堪えた。


「わたし……今から外出して家にお金取りに行こうと思っていたんです……その……入院費を取りに……でも先生がひとりで行っちゃだめだって……だから……どうしようって思ってて……ぐすっ」


 記憶を失っても雪乃は几帳面なんだな。
 俺のこと、わからないのにすごく気を遣って……知らない人だから迷惑をかけたくないと思っているんだろう。本当に辛そうに落涙し、悲痛な声を出すからこっちまで悲しくなってしまった。

 もっと俺を頼ればいいのに……頼ってほしいのになんで伝わらないのか。正直少し凹む。
 
 だけどそんなこと口にしたら雪乃が心苦しく思うだろう。
 そんなふうに思わせるもの俺が辛い。


「ばかだな、そんな心配してたのか。俺がいるじゃないか……お金のことも心配しなくていい。退院したら雪乃のアパートに行って荷物取って俺の家に行こう。それでいいだろ?」


 首をぶんぶん横に振る雪乃。まるで子どもみたいだな。
 まだ納得できないことがあるのか? 頭を撫でてやると俺のその手を取ってぎゅっと握りしめた。
 暖かい雪乃の手……少し熱があるんじゃないかって思うくらいだ。


「そんなに迷惑かけられません……わたし何もお返しできない……」

「迷惑なんて言うな。俺が好きでやってるんだから構わないだろ? お返しなんていらない」

「でもっ!」

「んーじゃあ……」


 雪乃のうなじに手をまわし、しっかり固定して唇を奪うと身体がびくりと震えた。
 

「んむっ!?」


 薄く目を開けて雪乃を見ると、目を見開いて強張っている。
 だけど視点はあってなくて、いきなりのことでただ驚いているって感じに見える。こんな顔も大好きだ。
 雪乃が無事だったから見れる顔……うれしくて俺はつい目を細めてしまう。


「こういう時は目を閉じるものだよ」


 少しだけ唇を離して囁きかけると、固まったままの姿勢で雪乃が俺に視線を落とした。
 小さく震えながらゆっくり瞼を閉じていく雪乃を見て、もう一度唇を重ねる。
 しっかり閉じられた瞳と俺のワイシャツをぎゅっと掴んで震え続ける雪乃が愛しくてたまらなかった。

 イチゴの味のする唇は柔らかくて、ひさしぶりにその熱を感じられたことに胸が高鳴るのを感じた。
 気持ちが急くような感じまでする。まるでキスを覚えたてのガキみたいだ。


 そっと唇を解放してやると、雪乃はそれだけで小さく身をすくめて俯いた。
 俺の肩に額を押し当てるようにするから、そっと柔らかな毛質を楽しむように髪を梳く。雪乃の手は未だ震えたまま俺のワイシャツの袖をしっかり握りしめていた。


「お返し、もらったよ?」

「……うぅ」

 
 小さく唸り声を上げる雪乃。具合が悪いのかと思って顎を持ち上げるとギュウッと目を閉じた彼女のまつ毛に涙が溜まっていた。


「はじ……めてだったのにぃ……」

「あっ!」


 そうか、記憶……すっかり抜け落ちてたのは俺のほうだ。
 やべ……つい欲に負けて……。


「ごめん、雪乃! 悪かったよ」


 俺から手を離し、神に祈るように指を組んで俯く雪乃に謝ると、首を横に振った。
 そんなに振ったら頭がくらくらするんじゃないか? と心配になってしまう。


「違うの……はじめてなのに……今の感触……知ってる気がして……」

 
 左手の拳で口元を隠して真っ赤な顔で俯く雪乃。
 身体が覚えているのか? 俺のキスを。
 記憶がなくても雪乃の身体は俺のことを覚えてくれていたんだってわかったらうれしくて、涙が出そうになってしまった。


「なんでだろ……わたし……」

「不思議じゃないよ。だって俺たち何回もこうしてキスしてたんだから……きっとそのうち思い出すよ。さあ、少し横になって」


 微妙に熱を持っている雪乃の身体をベッドに横たえる。
 額に手を乗せるとやっぱり少しだけ熱かった。


「だるくない? 大丈夫?」

「うん」

「飲み物買いがてら看護師さんに言ってくる。身体熱いようなら氷枕でも借りてこようか?」


 こくり、とうなずく雪乃。
 涙は止まっているけどなんとなく切なそうな表情をしている。


「じゃ、待ってて」

「――――翔吾さん!」


 ――――――――!!

 雪乃の声が、俺の名前を呼んで……引き止めた。
 胸の奥が打ち震えた。
 ドキドキしながら振り返ると、雪乃が上半身を起こしてすがるような目をしている。


「あの……ありがとう……ございます」


 恥ずかしそうにはにかんだ雪乃が小さな声をあげた。
 
 記憶が戻ったのか、と少しだけ期待していた自分がいて残念な気持ちになった。
 心の中で小さなため息を漏らしたのも事実。

 だけど、もうひとりの自分が俺の感情を揺さぶるように訴えかける。

 
 雪乃が生きていて、名前を呼んでくれて、感謝をしてくれる。
 それだけで充分じゃないか?
 もう一度、はじめからやり直せばいい……そう決めたんだろ?

 時間はたっぷりあるんだから、さ。


 俺は自然に目を細め、雪乃に笑いかけていた。

 

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Date:2013/03/07
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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