空色なキモチ

□ 片隅の花 □

片隅の花 10

 
 結局そのまま翔くんの家に連れてこられた。
 雨にけぶる懐かしい外観。中には一度も入ったことのなかったお家。
 
 
 玄関が広くてビックリした。上がってすぐに二階への折り返し階段があるけど先は見えない。
 この辺似たような建売住宅だと思っていたのに、こんな広々としたお家もあったなんて知らなかった。

 
 そして、女物の革靴が一足揃えられて置いてあった。
 この靴、見覚えがある。沙羅ちゃんのだ。
 沙羅ちゃんもこの家に来ている。つき合っているんだから当たり前なんだろうけど……。
 
 だけど、やっぱりふたり一緒の姿を見た時に感じていたような胸の奥の痛みはない。
 どうして? 実際に姿を見ていないから? ううん、さっき映画館の前で見た時も感じていなかった。



 シャワーが冷え切った全身を心地よく温めてくれる。
 大きなバスタブにオシャレなシャンプーとリンスにボディソープはいい香りがした。きっと高価なもの。
 
 籠の中に入れられていたバスタオルはふわふわで、柔らかくわたしの身体を包んで余計な水分をさっと吸収してゆく。
 同じようにふわふわなバスローブ。少し大きいけど気にならない。柔軟剤のローズの香りがふわっと漂う。思わず頬をすりつけたくなるような仕上がりと、気持ちが高揚していた、のに。


 ――――下着が、ない。


「一条先輩! わたしの下着……」


 浴室の扉を開けて顔だけ出すと、濡れた髪の翔くんが壁に寄りかかってこっちを見た。その姿になぜかドキッとしてしまった。

 まるで絵画の世界から飛び出してきたよう。壁に凭れかかってるだけできれいなんだもん……ずるい。
 びしょ濡れの制服はすでに脱いでおり、長袖の襟付きシャツと黒のスラックス姿になっている。


「洗濯中。制服はスピードクリーニングに出したから一時間くらいでできる」

「しっ! 下着も? 見たんですかっ?」

「見たし触った。そうじゃないと洗濯できないだろ? 俺もフロ入りたいんだから早くしろ」


 少ししか開けていなかった扉をぐいんと開けられて慌てて閉めようとしたけどその力にはかなわなかった。
 翔くんがずかずか脱衣所に入り込んでくるから、妙に緊張してしまって息を飲む。
 バスローブは着ていたけど下着がないって心許なすぎ。しかも今日はかわいくない下着だったはず。
 思わず身体を抱きしめて隠したけど、下着つけてないのはさすがに見えはしないよね。


「早く髪乾かせよ、終わったら階段昇って左側の突き当たりの部屋にいろ」


 脱衣所にわたしがいるのにお構いなしでどんどん翔くんが脱ぎ始める。
 目を逸らすけど、脱衣所にある鏡にその背中がうつし出されていた。
 意外に筋肉がついた背中、そして……。


「その傷……」


 鏡にうつし出されたのは、左肘の……引き攣れたような大きな傷跡だった。

 鏡は逆にうつるから、ちゃんと見れば右の肘にあるものになる。

 どうして翔くんの右の肘に傷があるの?
 それは飛鳥くんの傷のはず? それなのになぜ?
 鏡を凝視したままわたしは動けず、翔くんはさっさと浴室に消えていった。




 わけがわからず頭の中がもやもやしたまま、言われたとおりに二階の部屋へ向かう。
 指示された階段を昇って左側の突き当たりの部屋は少しだけ扉が開けられていた。
 
 普通の男の子の部屋って感じだ。
 入って左側の壁にベッドがあって、右側の壁はクローゼットになっている。
 窓際には勉強机とその上にデスクトップのパソコン。本棚にはいろんなジャンルの本がびっしり。

 
 漫画に参考書に写真集に画集? 恋愛小説に推理小説……歴史モノ。
 いろんなの読むんだな。意外。それにアルバムみたいなのもある。卒業アルバム? 見たい。

 それにそっと手を伸ばすと、扉が開く音がして慌てて引っ込める。

 コーラのペットボトルとお茶セットが一組だけ載せられたトレーを持って、翔くんが部屋に入って来た。
 髪から首元にかけたタオルに水滴が滴り落ちている。
 もう少しゆっくり帰ってくればいいのに……アルバム見たかったのにな。人に言う割に自分だって髪乾かしてないじゃない。

 だけど何よりも肘の傷が気になった。そのこともゆっくり考えたかったのに。


「紅茶でいいだろ? おまえコーラ飲めなかったよな」


 何気なく言ったであろう翔くんの言葉に反応して、ついじっと見つめてしまった。
 やっぱり知ってたんだ。わたしがコーラ飲めないの。だからさっきも無難なオレンジジュースを選んでくれたんだ。


「何?」


 じっと見つめられていやだったのか、少し怒ったように眉間にシワを寄せて鋭い視線を向けられる。
 だけどいつもほど怖く感じなかった。

 だって、わたしの苦手を知っててくれてそれを避けてくれたから。
 いい人なのかもしれないって思えてしまった。今度はほだされているわけではない。
 普通にいいところあるなと思っただけ。

 目を伏せて首を横に振ると、翔くんは「あ、そう」と小さく漏らしながら、持っていたトレーを部屋の真ん中の黒いテーブルの上に載せた。


 濡れた髪をタオルでガシガシと拭きながら、部屋の右側のクローゼットを開けた翔くんがわたしに差し出したのは、昨日投げつけたスケッチブックだった。
 形は歪になっている。昨日わたしが力任せに殴りつけたから。

 恥ずかしいやら情けないやら申し訳ないやらいろいろな気持ちが入り交じり、戸惑いながら受け取った。

 今、謝ったほうがいいのかもしれない。でも……。


「全部見た。絵うまいな。飛鳥が見たらよろこぶと思う」


 テーブルの上に紅茶が出される。それは甘いいい香りがした。
 促されるままクッションの上に座るけど、下着を着けてないからやっぱり落ち着かない。
 何気なく両腕で胸元を隠して祈りを捧げるようなポーズになってしまう。

 飛鳥くんがよろこぶわけ、ない。わたしの絵なんて。
 だけど『うまい』と言われて悪い気はしなかった。
 むしろうれしくて胸の奥のほうがあたたかくなるようなそんな気持ちになる。


「いっそのこと飛鳥に渡してやろうと思ったんだけど……」

「やだっ!」

「渡してないからここにあるんだろ?」


 ああ、そっか。びっくりさせないでほしい。
 こんなの飛鳥くんに見られたら、もう合わせる顔がない。

 それよりわたしは翔くんの右肘の傷の方が気になってしょうがなかった。
 ちらっと上目遣いに翔くんの様子を伺うと、ペットボトルに口をつけてコーラを飲みながらこっちを見ていた。その右の口角は紫に変色したまま。わたしのせいだ。

 昨日散々殴ったのを思い出し、怖くなって目を伏せると、乱暴にそのペットボトルをテーブルに置く音がした。


「何?」

「あ……いえ」

「言いたいことあるなら言えよ。なんでおまえいつもビクついてるわけ?」


 そんな風に言われたらさらにビクビクしてしまう。
 それがわたしの悪いところだとわかっていてもそうなってしまうの。だって臆病者なんだもん。しょうがないじゃない。
 心の中でなら何とでも言えるのに、言葉にはできないこのもどかしさは自分が一番感じてる。

 だけどそれじゃ伝わらないってのも、わかってるの。


「ひ……じ……」

「は?」

「肘の傷……どうして?」


 震える声でようやく伝えたわたしの疑問。
 右手で前髪をかきあげた翔くんにドキドキしてしまった。


「どうしてって、おまえあの時のこと忘れてるの? まさか迷子のこともか?」

「……え?」


 あの時のこと? 迷子のこと?
 どういうことだかさっぱりわからない。


「小四くらいの時、俺が公園で倒れてたの見つけてくれたろ? それと――」

「えっ? あれ飛鳥くんじゃ……」

「俺だよ」


 翔くんが目を伏せて再度コーラのペットボトルを手にした。
 それをぐいっとあおって飲む翔くんの喉仏がきれいに浮き上がる。
 それについ見惚れてしまって、一瞬言葉が出なかった。

 コーラを飲みながらわたしを不思議そうな表情で見た翔くんが、少し首を傾げる。
 
 
「嘘! だって……ドッジボールの時……腕に傷あったの飛鳥くんで……」

「? ああ、あの時か。まわりが間違えて俺達の名前呼んだだけ。おまえと同じチームだったのは、俺」


 ――――そんな!

 わたしを守ってくれたのが翔くん?
 そしてドッジボールに入れてくれたのも……公園で自分が痛いのにわたしを慰めてくれたのも?

 翔くんだと思ってた双子の片割れは、わたしを“ちゃん”付けで呼んでいた。
 そして今でも飛鳥くんはわたしをそう呼ぶ。

 辻褄は合っている……今まで勘違いしてたってこと?


「迷子のことも覚えてないんだな。おまえ見つけてやったの俺なんだぞ? ったく……俺に抱きついてワンワン泣いてたくせに」

「!!」


 あれも翔くん?
 
 頭の中がごちゃごちゃになりそうだった。
 今まで飛鳥くんだと思っていたのが翔くんで、翔くんだと思っていたのが飛鳥くん。
 わたしが好きだと思っていたのも飛鳥くんじゃなくて……翔くん。


「昔はさ、よく間違えられたよ。だけどいちいち訂正なんかしなかった。外では俺も飛鳥のように振舞ってたし。だけど昔から俺と飛鳥は全く出来が違うわけ。飛鳥は何でも真面目。俺は何でも適当。怪我した時だって、俺がピアノの稽古サボったのバレて叱られて家飛び出してさ、ひとりで公園で遊んでたらあのザマ。あのまま誰にも発見されないかと本気で思った。まあ、自業自得だよな」

 
 自嘲する翔くんの表情は寂しそうに見えた。
 
 
「飛鳥を好きになるのは当然だ。おまえ見る目あるよ」

「ちが……」


 わたしが好きだったのは飛鳥くんじゃない。翔くんだった。
 
 だけど今さらそれを訂正する必要、あるのかな?
 わたしの勘違いや思いなんて聞いたってしょうがないはず。 

 だって翔くんにとってわたしはただのペットなんだから……。
 
 もう一度翔くんを見ると、その目が鋭く光ったような気がした。
 なぜか悔しそうに顔を歪め、射抜くような視線を向けられる。


「だけど、どうしても納得できねえんだよ」

「え?」


 急に立ち上がった翔くんがいきなりわたしの左腕を掴みあげた。
 それに引かれるように立ち上がらされる。


「なんでおまえぐずぐずやってんの? 早く飛鳥に告ってフラれて来いよ」

「えっ? えっ……」

「おまえ見てるとイライラすんだよ。いつも俯いて自信なさそうに、ピーピー泣いてばかり」


 そのままわたしの身体は真後ろのベッドに押し倒された。
 同時に軋むベッドの音と背中に感じるスプリングの反発。
 
 すぐに翔くんがわたしの上に跨ってきた。

 ぞくり、と背中に悪寒が走る。そして一気にわたしを恐怖へ導いてゆく。
 
 翔くんはヘーゼルの目を細め、睨むようにわたしを見下ろしている。
 その表情から読み取れるのは……怒り? ううん、怒っている時とは違う表情に見えた。

 まるで何かに獲りつかれたような……ううん、真逆だ。
 獲りついたような……小動物を捕獲したかのようなそんな目。

 起き上がりたくても翔くんの身体が邪魔して起き上がれない。

 ふと、下着を着けていないことを思い出して胸元を両腕で覆うと、翔くんの目に火が宿ったような感じがした。怒ってる? ううん、やっぱり違う。そういうんじゃない。

 わたしの全身がガタガタ震え出すのがわかった。
 だけど翔くんの真っ直ぐな視線で固められたようにわたしは動くことができなかった。
 歯がうまくかみ合わない……ガチガチいってる。言葉が発せられない。


「もっと啼かせたくなる……」


 絞り出すような声、翔くんの前髪が目許を隠している。
 強い力で両手首を掴まれ、ベッドに押しつけられた。
 上半身が少し反るような形になって、自然に胸を張るような体勢になってしまった。


「いちじょ……」

「啼けよ。桃花」


 ゴクリと生唾が喉を通る。
 泣けば許してくれるの? どうやって泣けばいいの? いつもみたいに泣けばいいの?
 ああ、怖いのにこういう時に限って涙が出てこないのはなんで?

 怖いはずなのに涙が出ない……わからない。どうして――

 ぎゅっと目を閉じて涙を出そうと必死に力を入れる。

 ふわりと翔くんの髪がわたしの顔をかすめた。
 かすかなシャンプーの香り。濡れた髪から水滴が落ちて、わたしの頬を濡らす。
 わたしの両手首を掴んでいる翔くんの大きな手にグッと力がこめられた。

 それに驚いて目を開けるのと同じくらいのタイミングで唇が塞がれた。
 
 
「ん―――っ!!」


 声を出そうと思ったのに遮られ、喉元でくぐもってしまう。
 強く吸いつかれて思わず目を閉じると、唇の間から舌が捻じ込まれてきた。
 それはこじ開けるように執拗にわたしの唇を攻め立てる。息が続かない……苦しい。

 上半身に力を込めて抵抗しても、翔くんの下半身がわたしの上にすっかり乗り上げられていて動けない。
 
 観念して力を抜くと、翔くんの舌がわたしの口腔内に入り込んできた。
 柔らかい舌がわたしの中で動きまわりながら、時々ちゅっと吸い上げられ、しまいには奥に引っ込めていた舌を絡め取られる。

 角度を変えて何度も同じように翔くんの舌がわたしの口内を蠢く。
 まるで自分が翔くんに征服されてしまったかのようだった。自分のものじゃないみたい。

 頭が真っ白になる。昨日と同じ。
 唇から伝わる感触が全身を震わせる。いやだと思う前に、心地よさに支配される。

 ふわふわして、脳が蕩けてしまったかのように何も考えられない……。

 お互いの唇と舌で奏でられる濡れた音。
 それもまたわたしの思考を奪っていくようだった。


 翔くんの唇が離れた時には、お互い肩呼吸になっていた。

 気づかないうちにわたしは涙を浮かべていたみたいだ。
 それがつうっと頬を伝い、耳元へ流れ落ちてゆく。目許は暖かくて、でも涙は冷たい。

 この涙の理由は、なに?

 
 目の前の翔くんの瞳が、熱を孕んでいる。そして、潤んで……。


 わたしがほしかったのは――
 

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Date:2013/03/04
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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