高三の十一月、ある寒い朝のこと。
「――あったぞー!」
暴風雨の夜の翌日。
前日から行方不明で捜索願いを出していた母の遺体が近くの川で発見された。
いたぞ、じゃなくて、あったぞ。
もうすでに母は人としてではなく、モノ扱いをされていた。
事故扱いで処理された母の死。
だけどわたしは知っていた。母は自殺だった。
初七日がすんで、ひとりで母の遺品を整理していた時に知った事実。
小さなメモ帳に母は日記をつけていた。
そこの最後のページに一行遺されていたんだ。
“あの人がいなくてどう生きていけばいいかわからない……ごめんね、雪乃”
それは母がいなくなった日の日付で。
母の部屋の机の上に、真っ赤なポインセチアが置いてあったのが脳裏に焼きついていたんだ。
そのポインセチアは父から離婚の話が出る数日前に母が挿し木をして増やしていたものだった。
『このポインセチアはね、雪乃を妊娠した年のクリスマスにお父さんがプレゼントしてくれてね、毎年増やしてはご近所さんにおすそ分けしているの。みんなよろこんでくれるのよ。雪乃がお嫁に行く時は持たせてあげるからね』
楽しそうに水遣りをする母の姿が忘れられない。
ポインセチアは母の大好きな花だった。
ずっと……十何年も父からのプレゼントを大事にしているような母。
狂おしいくらい綺麗に咲き誇っていて、ただ涙が止まらなかった。
そのメモ帳は誰にもバレないよう、こっそりと隠した。
誰にも言えない事実を隠蔽した。いつかこの罰が身に降りかかろうとも……自分の中だけで留めようと覚悟を決めた。
***
父と母はその年の八月に離婚をしていた。
父は養育費を払うと言い残してわたし達を捨て、その人と再婚したのだ。
去って行く父の後姿が忘れられない。
わたしと同じ、右の頭頂部に大きなつむじ。
その部分だけ髪が割れている。髪質もそっくり。
だから余計に、この髪が嫌いだった。つむじもなければいいのにって思った。
こんなつむじは父のせい。
猫っ毛だって、冴えない顔だってみんなみんな父のせい。
母に似れば真っ直ぐなストレートへアにぱっちりの目だったのに!
大嫌い、大嫌い、大嫌い――
***
もともと母は弱い人間だった。
高校を卒業してすぐ、お見合いで父の元へ嫁いだ世間知らずのお嬢様で、何もかも父に依存して生きてきていた。
そんな母が支えをなくしてどう生きて行けばいいか、そんなふうに悩むのは当たり前のことだったのかもしれない。だけど父がいなくなった後、母は一生懸命だった。
ひとりで新しく住む家を見つけてきた。
父と共に暮らしたマンションはすぐに引き払った。思いを断ち切るため、と言って。
母の両親はわたしが生まれる前に他界していた。それなりに財産はあったようだけど、その行方について詳しく聞いたことはない。
今まで専業主婦だったのに、パートの仕事にも就きはじめた。
日中はお弁当屋さんで販売の仕事。夜は家で洋服のボタン付けの内職をしていた。内職はわたしも手伝っていた。わたしもアルバイトをしようと思ったのに、母に止められた。
高校生の間はバイト禁止。
それは父が決めたことだった。
その父の言いつけを他人となった後も母は頑なに守り続けた。それは母の意地でもあったようだ。
「ふたりで頑張っていこうね、雪乃」
ようやく引っ越しが終わって一息ついた時、母はわたしにこう言ったのだ。
なにを? どう頑張るの? そんな思いしか浮かばない。
思いきり作り笑顔を向けられて、自分も同じようにしか返せなかった。
日に日に痩せていく母を心配しながらも、わたしは相談相手にすらなりえなかった。
しきりに『頑張ろう』を繰り返す母を疎ましくも感じていた。
話しかけられても曖昧にうなずくだけ、しまいには部屋へ逃げ込んだりもしていた。
父を失った悲しみはわたしより母のほうが強かった。
どうしてそんな当たり前のことをわかってあげられなかったのだろうか。
「ねえ、あなた――」
父がいなくなって半月あまり経ったある日、母は目の前で食事しているわたしを父と間違えた。
母は青ざめてすぐに訂正した。そしてわたしに詫びた。
ただの言い間違い、そう流してあげればよかった。それなのに――
「誰があなた?」
自分でもなぜそんなことを言ってしまったかわからない。
涙がボロボロ出て、持っていた箸を乱暴にテーブルの上に投げつけてしまった。
そのさまを見て、
狼狽たえながら母は何度もわたしに謝った。だけどわたしは聞く耳を持たなかった。
「お父さんがいなくなったのは――」
母のせい、そう言いかけて止めた。ううん、正確には“止まった”が正しい。
大きな目を見開いて大粒の涙を滝のように流していたから。
「ごめんね……お母さんのせいだね。ごめんね、雪乃。寂しい思いをさせて」
震える声で母がつぶやく。
わたしも母も父が大好きだった。
そんな父がいなくなった。それは母のせいと言ってしまいそうになった自分。
そして母を責めた自分。母を泣かせた自分。母自身を責めさせた自分。
そんな母を見て自分に腹が立った。一瞬でも母にそう思わせてしまった自分が許せなかった。
そのまま抱き合って泣いた。何時間くらいそうしていたのかわからない。
それから言い争うようなことは一度もなく、母の『頑張ろう』を少しずつ受け止めながら生きてきた。
そうしていたつもりだった。
父がいなくなってからも母はポインセチアの世話を欠かさなかった。
父を思い出すだろうに、逃げもせず毎日きちんと水をあげて……。
その頃すでに、母は弱い人間ではなくなっていた。
ひとりの立派な母として、わたしは尊敬していた。育ててもらっていることに感謝した。
大学を出て、いい会社に就職して少しでも母に楽をさせてあげられるよう頑張ろう。
そう思っていた。それなのに――
その三ヶ月後、母はこの世を去った。
わたしは天涯孤独になった。
すでに推薦で決まっていた大学は諦めた。
父からもらえる養育費は二十歳までだったから、わたしは短大に進学をすることを決めたのだ。
高校を卒業するまでは母の妹……叔母の家でお世話になった。
叔母夫婦には子どもがおらず、とってもよくしてもらった。
しかも、養子になって高校を卒業してもいてくれないかとまで……。
だけどわたしは断った。
いつまでも甘えていたらひとりでなんか生きていけないと思ったから。
少しでも早く自立してひとりに慣れないといけない。わたしは一生ひとりなのだから。
叔母の家から高校までは電車で二時間かかった。でも卒業までいくらもなかったから通えた。
高校卒業と同時に叔母夫婦に保証人になってもらって今のアパートを借りてひとり暮らしを始めた。
叔母夫婦とはそれ以来電話で話すくらいで会ってはいない。
甘えないよう叔母夫婦の住む町から離れた、元々住んでいた市の短大を選んだ。
いつか必ず恩返しをしようと思っている。
もちろん父にも会っていない。あの人は母が亡くなったことすら知らないのだ。
二十歳まできちんと毎月振り込まれた養育費は、三月のわたしの誕生日にきっかり止まった。
三月生まれでよかった、そうこの時ほど思ったことはなかった。
お墓は今住んでいるアパートから電車で二駅のところにある。
小高い丘の上のとっても環境のいい場所。
春は桜の花が咲き乱れ、夏はそのお墓から見える海、秋は木々の紅葉が素晴らしい。
冬は少し物悲しくなるけれど、母の両親も一緒に眠っているお墓だから……きっと寂しくはないはず。
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