空色なキモチ

□ 片隅の花 □

片隅の花 9

「待って……かっ……せんぱっ……いっ! 一条先輩っ!」


 腕を引かれ早歩きをされて息が切れてしまい、声も絶え絶えにようやく呼び止めた。
 「翔くん」って言いそうになって慌てて「先輩」と言い直す。そんな慣れ慣れしい呼び方をして怒られるのが怖かった。
 ピタリと目の前の翔くんの足が止まってこっちを振り返る。


「ふーん、俺は名前で呼ばないんだ。飛鳥のことは『飛鳥くん』って呼んでたくせに」


 厭味な顔で見下ろすように言われ、口ごもってしまう。でも翔くんを名前で呼ぶのには抵抗があった。
 しかも「飛鳥くん」って言う時、明らかにわたしの舌ったらずな口調を真似する翔くんに少し腹が立った。
 なんでこの人はわたしの神経を逆なでするようなことばっかりするんだろう。嫌いならほっとけばいいのに……。


「あの……なんでわたしまで?」

「おまえ置いていったらあのふたりの邪魔だろ? それにおまえだってあのふたりと一緒にいたいかよ?」

「……」


 翔くんの言うとおりだ。邪魔だし、一緒にいたくない。


「じゃ、ここで失礼します。さっきのお金払いますから」

「いい、それのお礼についてきてもらうから」

 
 再び腕を引かれ、人ごみの中をすり抜けさせられる。
 似たような感じの女子高生の注目が痛い。みんな翔くんを見ている。
 これだけのきれいな男の人はそういない。だけど腕を引いているのはこんなに地味な女。


「困ります! お金払いますから」

「おまえ絶対服従の意味、まだわかってないの? しつこいとお仕置きするよ?」


 ――――お仕置き!?

 ちらっと左側から流し目で見られ、心臓がバクバクした。
 そう、わたしは今この人のペット。飛鳥くんに秘密をバラさないでいてくれている限り、この約束は継続されているんだ。

 醜い抵抗をやめて、大人しくついていく。
 すると、翔くんが振り返ってわたしを一瞬見てからすぐに前に向き直った。


 どうして飛鳥くんに本当のこと言わなかったの? なんで?
 
 その疑問が頭の中をリフレインしていた。





 翔くんの家の最寄り駅の少し古臭いビルの中にあるカラオケに連れて来られて、わたしは思わず泣きそうになった。

 帰りが遠くなることと、空を見上げると今にも雨が降り出しそうにどんよりと曇ってきていたから。 
 時間はすでに十七時半を回っている。

 ビルの六階までエレベーターで昇り、指定のカラオケボックスに入ってわたしはまた泣きそうになった。

 中には少し印象の悪い、制服を着崩した茶髪だったりピアスだったりする男の先輩が三人、同じく茶髪でメイクバッチリ、スカートをショーツが見えそうなくらいミニにしている女の先輩が二人いた。

 今まで接したことのないような人たちに穴が開くほど見つめられ、嘲笑され、どうしていいかわからなくなった。声すらまともに出せない。

 しかも、この部屋煙草臭い……部屋の中の空気が酷く淀んでいて、白い煙に包まれてる感じ。
 この煙草の匂いは部屋に残ってたものじゃなくて、間違いなくこの人たちが吸っていたもの。
 その証拠に煙草とライターと灰皿が無造作にテーブルに置かれている。制服のままなのに……。
 
 そんなわたしの不安な気持ちに全く気づいていない翔くん。
 ううん、気づいていたのかもしれないけど全くお構いなしだった。
 長いソファの一番入口付近に座らされ、わたしの右隣に翔くんが座った。

 翔くんは先輩たちに、わたしのことを「俺のペット」と紹介した。

 間違ってはいないんだろうけど、もっとまともな紹介方法はなかったものなのか……。
 少しふてくされて翔くんを横目で睨んだけど小さく首を傾げるだけ。
 

「翔ってそういう子タイプなの? なんだかイメージと違うんだけどぉ」


 あからさまにわたしを蔑むような目で見てそう漏らしたのは髪が長いストレートヘアの女の人だった。
 この人絶対に翔くんのことが好きなんだってすぐにわかる。嫌悪の目で見つめられているもの。
 わたしなんかに嫉妬する必要ないのに。


「だから悠里もその過剰メイクやめろって何度もアドバイスしてるだろ?」


 いや! そうじゃない。そこは「タイプじゃない」と否定するところでしょう? 何言ってるの? 翔くんは。
 メイクをキレイに施されているし、いいと思うけど……わたしにはあんなふうにできないから憧れる。
 じっと見つめてしまったみたいで、鋭い目で睨みつけられた。慌てて俯く。

 それに翔くん、ここにいる女の人にはそんなに優しくない。
 沙羅ちゃんに接する時のような対応じゃない。それなりに美人さんが多いのに、沙羅ちゃんには敵うわけないけど。

 やっぱりさっきの読みは正しかったのかも。沙羅ちゃんが飛鳥くんの彼女だから優しくしている。
 それともまさか、沙羅ちゃんを好き? そういうわけではないと思うけど、それだったらわたしのしてること責められないはず。

 おずおずと翔くんを見ると、くしゃっと頭を撫でられた。
 なぜかそれだけで少しだけホッとしてしまう自分がいる。なんで?
 いつもだったら触られるのも怖いのに……翔くんの手が優しく感じてしまう。


「俺、ちょっとトイレ」


 翔くんがソファから立ち上がってわたしの前を通り、部屋から出て行ってしまった。
 『置いていかないで』って心の中で叫ぶ。思わずついていきたくなるくらい……。
 でもわたしもついていったら余計怪しまれそうで、怖くてそのまま我慢するしかなかった。

 少しの沈黙のあと、翔くんの右隣に座っていた悠里さんと呼ばれた人のさらに右隣から、体格のいい左耳に赤いピアスをした男の人がわたしの隣に移動してきた。

 なるべく距離をとろうと、俯いたまま小さく左側へ移動する。あまり寄らないでほしかった。


「翔のペットか。ふうん。これ、食べる?」


 テーブルの上のお皿から冷めたようなフライドチキンを鷲掴みにして、わたしの目の前に差し出してきた。
 それはとてもおいしそうには見えなくて、ただ油の乗った肉の塊にしか見えず、わたしは首を横に振る。
 すると、その男の人はニヤリと笑った。


「遠慮せずに食べなよ。ペットなんだろ? 肉、好きだろう?」

「ひゃ!」


 肩を思いきり押されて、上半身をソファに押し倒される形になってしまった。
 わたしの左頬の真横に男の人の大きな手が置かれ、すぐさま見下ろさる体勢になった。
 起き上がろうとしてもその人の身体が邪魔してそれもできない。腕で阻まれて横にも逃げられない。 
 ソファの背もたれに一生懸命身体を寄せるけど、何の意味もなさない。

 恐怖のあまり全身が震えるのがわかった。

 そんな状態のわたしを見下ろした男の人は、再び意味深な笑みを浮かべる。
 そしていきなり口元にフライドチキンを押し当てられた。脂っこいその匂いに、わたしは軽く吐き気を覚えた。


「ほら、食いな」


 グリグリと口に押しつけられ、涙が出そうだった。

 ――翔くん! 助けて! 助けてよ!

 必死で助けを求めるけど、伝わるわけがない。
 大声を上げたくても怖くて出せない。首を振っても何度も押し付けらて、逃げる気力も削がれてゆく。

 もういやだ……なんでこんな目に遭うの?
 観念してゆっくり口を開き、そのチキンを少しかじる。
 怖いのと情けないので涙と震えが止まらず、なかなかうまくかじれなかった。


「うわ、結構色っぽい顔すんだ。やべ。オレムラムラきちゃった」

「じゃ食っちゃえば? あはははは」

「食いてえ。翔いないところに連れて行っていい?」


 頭の上で騒がしく笑い声がするけど、わたしは目の前のチキンを何とかするのに必死だった。
 おいしくもない冷めたチキンで口の中が油まみれになる。
 早くトイレに行って持ってる歯ブラシセット使いたい。歯を磨きたい――


「おい、人のペットに勝手に餌付けすんな」


 翔くんの声が頭の上から聞こえた。

 助かった――

 縋るような気持ちで目を開け、扉付近の翔くんの姿を捉えた。
 しかし、翔くんの表情はわたしの想像を反していた。

 深い色を呈した冷ややかな瞳は、わたしをバカにしたように見下ろしている。しかも鼻で小さく笑って。

 いつもの意地悪な翔くんそのものだった。
 急に胸が冷えるのを感じ、押し倒された恐怖よりも絶望のような気持ちが押し寄せてきた。
 胸の辺りから喉にかけて、何か塊のようなものがこみ上げてくる。酷く苦しい。

 わたしの身体から男の人が離れて行くのを感じてほっとする。でも悔しくてたまらなかった。
 ゆっくり起きて立ち上がると、目の前を翔くんが塞いだ。

 わたしを見下みくだす翔くんを恨みがましい目で睨み上げる。

 この人は、ただわたしを陥れたいだけ。
 ただのおもちゃ。自分の思い通りにうろたえたり泣いたりするのを楽しんでるだけなんだ。

 わかっていたはずなのに……なぜ――

 翔くんのあの手の優しさは本物だって信じたかった。
 そうであってほしいと一瞬でも願ってしまった自分がいた。

 そんなことあるわけないのに。そんなちっぽけな思いを抱いてしまった自分が情けない。
 

「口のまわりベタベタじゃねーか。顔もグシャグシャだし」


 ぐいっと翔くんのワイシャツの袖で唇を拭われた。
 すれたような痛みを感じて顔をしかめると、さらに翔くんが鼻で笑う。
 我慢できなくて睨みつけると、翔くんは口角をきゅっと上げておどけてみせた。


 ――――最低。


 その言葉しか浮かばなかった。
 翔くんがいい人かも、だなんて思った自分がバカだった。
 沙羅ちゃんには挨拶してわたしにはないんだって少し寂しい気持ちになったのも全部、時をを戻して訂正したい。
 
 映画館で手を握ってくれたのも、キスしたのも、ジュースを奢ってくれたのも全部……ただの遊び。

 わかっていたはずなのに、なんで少しでも期待してしまったの?
 あの手の温みにほだされていないって思っていたのに……バカみたい! バカだ! バカだ!


「……ぅぅ」


 喉の奥で呻くような声が出てしまう。
 堪えようとした涙がポロポロ出てきてもうどうにもならなくて、なんで翔くんと関わりを持っちゃったんだろうって後悔が押し寄せた。
 
 そうか、わたしが飛鳥くんのワイシャツにあんなことをしなければこんな事にはならなかった。
 やっぱりそこへ結論がいく。そこにしかいかない。


「ああ、やりすぎちゃった? ごめんねー」


 後ろから大きなガタイの男の人に顔を覗き込まれ、大きな笑い声が部屋中に響く。
 見られたくなくてさらに深く俯いて顔を隠す、と。


「わりい、帰るわ。雨降りそうだし」


 後頭部を引き寄せられて、翔くんに部屋から押し出された。
 あまりにも急な行動過ぎて、わたしはそのまま前につんのめりそうになってしまった。
 部屋の向こうから翔くんを引き止める女の人の声が聞こえるけど、すぐに扉は閉められた。

 そのまま強く左肩を抱き寄せられ、押されるままカラオケ店を出た。


 なんで肩を抱くの? 泣いてるから?
 その手を忌々しい気持ちで見ると、それがにゅっと伸びて来て額を押された。
 前を向かされ、その手はわたしの左肩に戻る。


 この人は何がしたいの? わからない。
 なんでわたしをここに連れてきたの? ひとりで来ればいいのに。
 沙羅ちゃんみたいなかわいい子だったらお披露目したいのわかるけど、こんな見てくれも悪くて面白みもない女連れてるだけでイメージダウンだと思わないの?


「悪かったな。あいつら、根はいい奴らなんだ」


 右の耳元で謝られて翔くんを見上げると、困惑顔で笑っていた。
 なにその顔……さっきわたしを嘲笑した時と大違い。友達のことは大事に思ってるってこと?
 悪かったなんて口だけだ。思ってもいないこと言ってるから自分で自分がおかしくなっているのかもしれない。
 

 カラオケの階段を下り切って外に出ると、どしゃ降りの雨。


 だから早く帰りたかったのに……。
 翔くんは家が近いからいいけど、わたしはここから電車に乗って一時間近くかかる。


 はあっと大きいため息を漏らしてしまった。
 

「あーあ、やっぱり降って来たか」


 翔くんが空を仰いでボソッとつぶやいた。
 外はもう暗いし、雨が酷くて視界もかなり悪い状態になっている。


「先に帰っていいです。自分はここで少し雨宿り……」


 そう言いかけて言葉を失う。
 空を仰いだ状態で翔くんの表情が笑顔になってるんだもの。

 なんでこんなにどしゃ降りなのに笑ってるの?
 家まで着くまでにかなり濡れるはず。何がそんなにおかしいの? 

 翔くんが肩にかけていた鞄をわたしに渡して、着ていたブレザーを脱いだ。
 それを鞄に入れるのかと思いきや、勢いよく頭から被せられ、一瞬視界が遮られる。

 翔くんの匂いがするブレザーになぜかドキッとしてしまった。


「よし、行くぞ」


 何がなんだかわからないうちに右腕を引かれ、大雨の中を飛び出した。


 雨粒に叩かれているような衝撃を全身に受ける。
 足元も跳ね上げですぐにびしょ濡れになり、ひんやりとしてきた。


 わたしに背中を向けて走る翔くんのワイシャツがびしょ濡れで肌が透けている。
 それが妙にセクシーで胸の鼓動が高鳴っていった。
 走って心拍が上がっているのも手伝ってどんどんそれは加速していくような気がしていた。


 掴まれた手首だけが、あつい。


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Date:2013/03/02
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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