空色なキモチ

□ 満月の夜に見る夢は □

満月の夜に見る夢は 第5章 第59夜 記憶

 
 それからカンファレンスルームという場所で、俺と姉と義兄で医師の説明を訊いた。

 みゅうを抱えた雪乃とぶつかった車のスピードはほとんど出ていなかったこと。
 身体の方は奇跡的に骨折などなく打撲だけで済んだこと。
 顔の擦過傷やこめかみの傷も幸い深くはないが、多少痕は残るかもしれないこと。

 頭部MRIの結果、脳の異常は見当たらないこと。
 だけど受傷後しばらくしてから症状が出現することもあるということ。

 
 全身に及ぶ打撲なので精査も含め、二、三日は入院してほしいと言われた。
 そして一番大事な記憶の部分。

 医師は深刻な顔で告げた。


 おそらく雪乃の症状は逆向性健忘と言われるもので、受傷前の記憶が一時的に抜け落ちてしまうものだろうとのことだった。

 この記憶はすぐに戻る場合もあるし、なかなか戻らない場合もあると。
 現在どのくらいの記憶が失われているかはわからないが、今は身体の怪我を優先し退院後に詳しい検査を受けるのもありだろうとのことだった。

 事故の外傷のものの記憶障害だけなら戻る可能性が高いと言う。
 ただそれに心因性の何かが加わっていたりするとやっかいで、思い出したくないという心理が働く場合があるらしい。
 そうなってくると今後も記憶が戻らない可能性も否定できない、と淡々と説明された。

 「一生ですか?」そう尋ねると医師は硬い表情で一度だけうなずいた。

 その場合は、心療内科もしくは精神科を受診する必要がある、と。


 なるべく雪乃にパニックを起こさせないよう、思い出せなくても大丈夫という状況を作ってあげてほしいとだけ指示されて医師の話は終わった。



**


 
「雪乃」


 病室にひとりで戻ると、雪乃は閉じていた瞼を開いた。
 不安そうなその目で俺をじっと見つめて頬を赤く染めたと思ったらすぐに瞼を伏せた。


「あの……あの……」

「ん? どうしたの?」

「喉、渇いて……お水……」


 ベッドサイドに置かれた水のみを取って口元に寄せてやると、再び真っ赤な顔で俺を見た。


「じぶんで……」


 恥ずかしそうに手を伸ばすけど、それをかわしてニンマリ微笑んでみせる。


「ダメ。俺が飲ませてやる」

「えー……」


 ちらりと俺に目線を寄越してすぐ逸らす。
 そんなに恥ずかしがられると俺まで恥ずかしくなってしまうよ。
 
 まるで逢って間もない頃の雪乃を思い出させるような仕草にドキドキしてしまった。


「はい、口開けて」

 
 躊躇いながら静かに口を開く雪乃。
 その口角にそっと水のみの口を触れさせてゆっくり傾けると、こくんこくんとおいしそうに水を飲んだ。


「おいしい……」


 ほっとしたような表情を見せてくれて、少しだけ緊張の糸がとけた。
 まだ不安はあるけど……でも俺を拒否しないでいてくれることは強い心の支えとなった。
 パイプ椅子に腰をかけて雪乃の傍に寄ると、少しだけ身を引く。あまり身体を動かせないらしくてほんの少しだけ。


 雪乃をなるべく不安にさせないよう、笑顔で医師から訊いたことを話した。
 二、三日で退院できることや、骨は折れていなかったこと、脳の方の異常もなかったこと。

 ただ、記憶に関しては少し時間がかかるかもしれない――


 それを告げると、目元に涙を浮かべた。


「大丈夫だ、雪乃。退院したら俺の家で暮らすんだ。いいね」

「――え?」

「君のアパートはすぐに引き払うから。俺の家に引っ越すんだ。大丈夫、手続きも作業も全部俺がやるから」

「え? え?」


 オロオロとする雪乃を見て思わず笑みを零してしまう。
 どうしたらいいかわからないって表情で俺を見るものだからかわいくて本当にキスしたくなってしまった。


「俺は昼間仕事に行ってしまうけど、留守番できるよね? もちろん一週間くらいは休みを取るつもりだけど」

「え……あの……困ります! ひとりで暮らせます」

「ひとりなんてだめ。それとも留守番できない?」

「ちがっ……そうじゃなくて……知らない人と一緒に暮らすなんて……ひとりがだめなら……叔母の家に行きます」

「――――おば?」

 
 叔母の存在を覚えているということは、全ての記憶を失ったわけではないはず。
 部分的にくり抜かれたようになっているのだろうか。それともここ数年の記憶が落ちているのか。

 その判断は俺にはできない。医者に任せるしかないだろう。
 それよりも、急に出た『叔母』という呼称に妙な違和感を覚えた。

 訊き返すと、雪乃が小さくうなずく。
 急に悲しそうな表情を見せるから不安な気持ちが募った。


「お母さんは?」


 気になっていたことを問うと、雪乃はぴくっと身体を震わせた。
 上目遣いで俺を見つめ、潤んだ瞳で訴える。


「いません」



→ NEXT
→ BACK
    web拍手 by FC2
*    *    *

Information

Date:2013/03/02
Trackback:0
Comment:0
Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

Comment

コメントの投稿








 ブログ管理者以外には秘密にする

Trackback

TrackbackUrl:http://ageha572.blog.fc2.com/tb.php/71-3b425f51
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)