だけど実際学校を休むわけにもいかない。
親に心配をかけるわけにもいかないから。
サボってしまいたいなーと思いつつ、重い足取りで学校までの坂をゆっくり昇った。
駅から徒歩約五分の学校だが、小高い丘みたいになっている。
毎朝この坂を昇るのが辛い。でも春は桜の木がアーチみたいにきれいだった。
沙羅ちゃんに顔を合わすのが怖かった。
飛鳥くんはもうわたしがしたことを知っているはず、それを沙羅ちゃんに話していたらと思ったら怖くて仕方なかった。沙羅ちゃんに嫌われたら、わたしはきっとひとりぼっちになってしまう。
引っ越しした時、一番に声をかけてくれた大切な友達なのに。それを裏切ったわたしが悪い。
でも……でも……わたし。
「おはよー桃花」
後ろから呼ばれた声にビックリして思わず震え上がってしまった。
聞き覚えのある少し鼻にかかるかわいい声、それは沙羅ちゃんのものだった。
振り返るとさらにビックリした。
となりには飛鳥くんがいたから。恋人同士だから一緒なのは当たり前なんだけど。
「どうしたの? そんなに怖い顔して?」
沙羅ちゃんがわたしを見てくすくす笑うと、となりの飛鳥くんも微笑んだ。
あれ? なに、その反応?
「ひさしぶりだね、桃花ちゃん」
飛鳥くんがわたしを下の名前で呼ぶ。しかも“ちゃん”付け。
それを聞いていた沙羅ちゃんが驚いた顔でわたしと飛鳥くんを交互に見た。
「え? 桃花と知り合いなの?」
「うん、小学校の時同じ地区に住んでたことがあったんだ。ねっ」
飛鳥くんに笑顔で同意を求められたのと同時に、沙羅ちゃんの驚きの視線がわたしを捉えた。
黙ってたの怒ってるのかな。いたたまれなくなって俯いて一度だけうなずいた。
そのまま沙羅ちゃんを挟み、三人で学校に向かい歩き始める。
「ふーん、そうだったんだ。あ! じゃあさ、桃花誘おうよ! いいでしょ? 飛鳥?」
「うん、僕は構わないよ」
沙羅ちゃんは飛鳥くんを呼び捨てにしているんだ。
それに少し胸が痛むけど、それが当たり前で自然なことなんだ。そしてお似合いのふたり。
楽しげに笑いあうふたりを見ているのが辛い。それよりなんでふたりがこんなに平然としているのかも不思議でならなかった。
もしかして翔くん、わたしがしたことを飛鳥くんに言ってない?
「桃花、今日映画行こっ。今日までの上映のチケット今朝になって四枚もらっちゃって二枚余ってるの。これ観たいって言ってたよね」
すっと目の前に差し出されたチケットは、確かにわたしが前に観たいとチラッと話したものだった。
漫画が原作の現代ラブストーリーのもので、観たいのは本当。でも、それと一緒に行くのは別。
なんでわたしを? わたしの気持ちを知らないからだろう。そしてちょうどここにいたから。
わかってる、そんなこと。
でも沙羅ちゃんと飛鳥くんが笑いあっている姿を見てるだけで辛いのに、一緒になんか行けない。
「ううん、ふたりの邪魔したら悪い……」
「邪魔なんかじゃないよ! むしろ一緒に行ってくれた方が助かるもん。せっかくもらったのを無駄にしたくないし! ねっ、飛鳥」
「そうだよ、桃花ちゃん。一緒に行こう」
にこやかにふたりに誘われて、わたしはどうしたらいいかわからなくなってしまう。
しかも飛鳥くんに名前で呼ばれて、ドキドキがどんどん激しくなっていく。
「あ、でもあと一枚……どうしよう。誰、誘おうか?」
「翔、誘ってみようか? あいつあんまり恋愛モノって観ないけど、桃花ちゃんのことも知ってるし」
「ほんと? 翔先輩と話してみたい! お願いっ! 飛鳥♪」
――――いやだ。
飛鳥くん、なんてことを言うの?
今のわたしに翔くんを会わせるなんて拷問でしかないのに。
昨日のこと、謝らないといけないのにできてなくて、いきなり一緒に映画だなんて絶対いや!
携帯を取り出して飛鳥くんがかけようとした時――
「別にいいよ。今日、予定ないし」
後ろから飛鳥くんと同じ声が聞こえてきた。
振り返ると感情のなさそうな表情で薄く微笑む翔くんが、後をついて来るように歩いてきていた。
全くその存在に気づかなかった。
そして、その後すぐに右の口角の辺りが少し紫に変色していることに気がついた。
「なんだ、いたのか? ん? 翔、その口元どうしたんだ? 紫になってる」
「昨日ダチとふざけあってて、たいしたことない」
翔くんが自分の親指の腹でくいっとその部分を撫であげ、わたしを上目遣いで見た。
そのヘーゼルの目には怒りのような激しい感情が彩られているように見えた。
いやだ……怖い……見ないで――――
「沙羅ちゃん、わたし先に行くね」
すぐに前を向いて逃げるように学校に入った。
あの時の、昔の飛鳥くんと翔くんを思い出す。
ふたりは真逆になっている、そんな気がしてならなかった。
でもあのドッジボールの時、わたしを誘ってくれた人は確かに「飛鳥」と呼ばれていた。
そしてあの事故の時、わたしを呼び捨てにしてた。その証拠の右肘の傷。
翔くんは別チームでわたしにボールを投げてくれた。
彼は間違いなくみんなに「翔」って呼ばれていた。
そして、わたしを“ちゃん”付けで呼んだ。
あの双子はどうなってるの? どう育ったの?
空白の約七年間。わからないことだらけで、頭がおかしくなりそうだった。
「ねえ、なんで飛翔兄弟と幼馴染だったの隠してたの?」
教室につくなり沙羅ちゃんが、わたしの机に両手をついて訊いて来た。
わたしよりかなり遅れて到着した沙羅ちゃんは、あのふたりとゆっくり話しながら登校して来たんだろう。
俯いていたわたしはゆっくり机の前に立ちはだかる沙羅ちゃんを見上げる。
その目には怒りを感じなかった。それにホッとして心の中で安堵のため息をつく。
「わ……たし、昔のこと……あまり憶えてなくて……」
半分本当で半分嘘。
小さい頃、迷子になったことがあって警察にお世話になったことがある。
大雨の中、必死に誰かにしがみついて泣いた記憶。
ぽんぽんっと頭を撫でられて、ぎゅっと抱きしめてもらった。
気づいたらパトカーの中だった。そんな断片的な記憶しかない。
その時の恐怖が影響しているのかはわからないけど、その辺りから過去の記憶の断片しか残らないようになった。
だけど、飛翔兄弟のことは憶えていた。だから嘘。
「そうなんだ。あんなにかっこいい双子なのに記憶に残ってないなんてもったいないね。まあいいや。それより放課後ヨロシクね」
「え……ええっ! 沙羅ちゃん……」
「翔先輩、桃花が行くなら行くって。人見知りするから知らない子はいやなんだって」
翔くんが人見知り? 信じられない! ありえない! そんなの嘘に決まってるよ。
なんで騙されちゃうの? 沙羅ちゃん! 翔くんを信用しちゃダメ!
あたふたするわたしを見て沙羅ちゃんがくすっとかわいく笑った。
「でも、沙羅ちゃん……せっかくのデートなんだし、ふたりきりのほうがいいと思う……」
「何言ってるの。飛鳥だって翔先輩だって桃花を知ってるんだからいいわよ。気を遣わないで」
始業のチャイムが鳴ってしまい、話の途中で沙羅ちゃんが自席へ戻っていってしまう。
気を遣っているんじゃない。むしろ遣ってほしいのはこっちなのに。
いやなの! 翔くんと一緒なのが……。
そして飛鳥くんと沙羅ちゃんが仲良くしているのを見るのも辛いの。
そう言えたらどんなによかっただろう。
意気地のないわたしがどんどん自分を追い詰めていっていることを、この時ひしひしと感じていた。
そして放課後。
目の前で仲良さそうに歩く沙羅ちゃんと飛鳥くん。
それに遅れまいと必死でついていくわたしと、その後を少し遅れて歩く翔くん。
なるべく翔くんとふたりで並ぶのを避けたくて、沙羅ちゃんと飛鳥くんのあとをくっついてた、のに。
「ひゃっ!」
いきなり強い力で後ろから右肩を掴まれ、すごい声を出してしまった。
だけどそんなわたしの声も人混みの喧騒にかき消され、前を歩く沙羅ちゃんたちには聞こえていなかったようだ。
「おまえ、少し察しろ」
「……え?」
目の前のふたりは楽しそうに話をしながら先を進んでいた。
立ち止まったまま俯くと、翔くんの手が離れる。
邪魔者なのはわかってる。でも、翔くんと一緒にいたくない。
昨日のこと、謝ってないし、顔合わせづらい……息苦しいし、いや。
謝るのはこっちだけじゃないはずだ。キスしてきたのは翔くんのほう。
単にからかうだけの行為にしたって酷すぎる。
泣きたくなってきた。
だけど、ここで泣いたら沙羅ちゃんにも飛鳥くんにも心配かけちゃう。
わたしの後ろで立ち止まったままの翔くんが小さくため息を漏らすのが聞こえた。
先を歩いてくれればいいのに、なんでこの人まで立ち止まるのか意味わからないし。
そう思った時、すうっとわたしの左横を翔くんが通り過ぎた。
かったるそうにわたしの前を翔くんが歩いてゆく。
まるでこっちの思いが伝わったかのようでビックリしてしまった。
「早く来い」
前を向いたまま翔くんが小さい声で言った。
後を追う方が気が楽でいい。そう思ってわたしは翔くんの背中を見ながら歩いた。
昔から歩くのは遅いほうだから、少し早足で歩いても翔くんには追いつかないはず。
遅れないよう少し早歩きをすると、翔くんの背中に近づいてしまって慌てて速度を緩める。
なんだか変な感じがした。
翔くんってこんなに歩くの遅い人だった? そんなはずない。
いつも集団の一番前を歩いて、わたしなんかついていくのがやっとで。
――――もしかして。
わたしのペースに合わせて歩いてる……とか?
まさか、あの集団登下校の時も。
急にみんなのペースに追いつけるようになって、急がなくてよくなったあの時。
もしかして、集団の先頭の飛鳥くんと翔くんが歩行ペースを落としてくれていた?
ううん、違う。信じられない。そんなことするはずない!
そんなことする意味がない。必要ない。
今だって先をどんどん行けばいい!
それなのにわたしと翔くんの距離は離れるどころか、普通に歩いているのに近づく一方で。
紛れもない事実……なのかもしれない。
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