空色なキモチ

□ 満月の夜に見る夢は □

満月の夜に見る夢は 第4章 第55夜

 
 翔吾さんと過ごした一ヶ月あまりの期間は夢のようだった。
 こんなに誰かといてワクワクしたことはなかったかもしれない。
 楽しかった、でもたくさん悩んだ。それでもしあわせだと思えた。


 翔吾さんと関係を持つ前と何も変わらない日々がはじまる。


 朝起きて、家を出て、電車に乗って会社に行く。
 着いたらまずオフィスの空気の入れ替えをしてからデスクを拭く。床掃除は業者が入ってるからしない。
 会議室の空気の入れ替えとテーブルを拭いて、休憩室のテーブルも拭く。その後に花瓶の水を替えて灰皿の用意。

 全て済んだら窓を閉めてとりあえずは準備終わり。

 その頃ぼちぼち出社してくる人が増えてくる。
 あとはコピー機の電源を入れて、ファックスの確認。それを各々のデスクに配る。


「おはよーうう、寒い」


 三浦さんがオフィスに入って来て、開口一番そう洩らした。

 あ! エアコンのスイッチ入れるの忘れてた。
 いつもならすでに暖まってるころなのに、失敗しちゃった。


「ごめんなさい、今エアコン入れました」

「あ、ううん。いつも風間ちゃんがエアコン入れてくれてたんだ。いつも来るの早いし、偉いな」

「え? あ、いえ。今日はたまたま早く来ただけで……」


 小さく首を振ってオフィスを出る。
 いつも早く来てるのは家にいてもすることがないから。
 メイクに時間がかかるわけでもないし、時間が遅いと電車も混むから早く出ているだけ。褒められるようなことじゃない。

 早く来ているの、三浦さんに気づかれていたんだ。なんだか恥ずかしい気持ちになってしまう。

 
 給湯室でお茶筒に茶葉の補充をする。
 もうストックがないから昼休みにでも買いに行こうかな? それとお茶請けも。


「ねえ、風間ちゃん。そういうのって交代制にしてもいいんじゃないの?」


 給湯室の入口で三浦さんがこちらに顔を覗かせていた。
 ビックリして飛び上がりそうになってしまった。音がしなかったのでまさかそこに人がいるなんて思わなかったから。

 わたし、今すごくブサイクな顔していると思う。でも、そんなの三浦さんは気にしないよね……。ひとりで意識してバカみたいだ。


「新入社員に指導してやってもらうとか……もう三月だし新入社員もないけど」

「あ……いえ、今年度の新人さんって事務系の女子でも大卒の人しかいなかったから……」


 つまり年齢はわたしよりひとつ上になる。お茶の準備とかさせるわけにもいかない。
 今年の新人さんは同期意識が強いみたいで、あまり先輩と関わるようなこともしないし、今さらやってとも言いづらい。


「別に大卒とか関係ないと思うけど……」

「いいんです。こういうの性にあってるみたいですから」


 大きい仕事を任されるよりこういうことのほうが気楽だ。こんなことは仕事と言わないんだろうけど。
 

「三浦さん、何やってんすか?」


 廊下から翔吾さんの声が聞こえてきた。
 その姿は三浦さんの身体で給湯室の入口が塞がれてるから見えないけど、この低いバリトンは間違いようがない。


「おぅ。雨宮。いやさ、風間ちゃんがさ……」

「あっ! 三浦さん、ファックス来てましたよ。さっきデスクに置いておきました。雨宮さんにも! 至急って書いてありました」

「ああ、いけね。確認してない。ありがとね」


 少し慌てた様子で三浦さんが給湯室の入口を離れる。
 翔吾さんが目を伏せて立っている姿が見えて、わたしも目を逸らすとふたりが去って行く気配がした。

 こんな気まずい思いするの……いやだ。これじゃ仕事にならない。


 そう思ったわたしは、その日の昼休みに南雲なぐも係長へ声をかけた。



**



 南雲係長御用達の蕎麦屋は会社を出てすぐの大通りの信号を渡った目の前にある。
 十二時になると混むので、いつも席をひとつキープしておいてもらっているらしい。もう顔がきくお得意様と自慢げに話してくれた。

 そこで係長は山菜そばを頼む。最近少しお腹が出てきたようでいろいろ気にしているらしい。
 ここの天ぷらそばがうまいと勧められたが、係長が山菜そばなのにひとりグレードアップしたそれを頼むのに気が引けて同じものにした。山菜そばもおいしかった。

 南雲係長はわたしの直属の上司で、三十二歳。
 ふたりの子持ちで愛妻家。デスクには家族写真が飾られてある。
 現在奥様が臨月で実家に帰省しているため、こうしてお昼は蕎麦屋に通いつめているのだ。いれば必ず愛妻弁当を持参している。


「え? 異動願いを出したい? まだどうして急にそんな……」


 眉根に小さなシワを寄せて驚いた表情の南雲係長の箸が止まる。
 確かに急なことだろう。申し訳なくて、わたしも箸を止めて頭を下げた。


「なにか仕事面でやりづらいこととかあった? 女子社員の間のことはあまり口出しできないけど、仕事のことなら……」

「そうじゃないんです。ただ、営業事務だけじゃなく他もやってみたくて……」


 南雲係長はきっとわたしが他の女子社員と食事をしていないことに気がついている。
 だから心配をしてくれていたのだろう。気にかけていてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいだった。
 はーっと小さいため息が聞こえてきて、さらに空気が重くなった気がする。


「風間さんは仕事も一生懸命だし、その他のこともいろいろやってくれていて課長も部長も目をかけていたんだけど……そうなのか」

「ありがたいお言葉感謝します……」

「んーなんとか考えは変わらない? 僕としてはあまり手離したくないんだよね。来月入ってくる新人の配属先もほぼ決定しているだろうし……」


 時はすでに三月になっている。
 わたしは来月で入社三年目、翔吾さんは二年目になる。そして新入社員が入ってくる時期になるのだ。
 人事部に報告しても『もっと早く言え』って話になるだろう。


「すみません……ご迷惑をおかけして」

「んー……一応課長には報告してみるけど……あまり期待しないで待ってもらえるかな?」


 わかりました、と伝え再び頭を下げると南雲係長はなぜか申し訳なさそうな表情を見せた。
 その日は係長が奢ってくれた。逆に申し訳ない気持ちになってしまった。




 その日の終業後。
 いつものようにコピー機に用紙をセットして退社しようと思ったら三浦さんに声をかけられた。
 今日は珍しく十七時までに外回りから帰社していたようだ。


「今日時間あるなら飲みに行かない? 雨宮と三人でさ」


 幸いその場に翔吾さんの姿はなく、部長のデスクの前で何かを話している様子だった。
 

「せっかくですが今日は……」

「雨宮も一緒ならいいでしょ?」


 いや、翔吾さんが一緒だからダメなのだ。そうも言えず断る理由を考えあぐね……。


「いえ、今日は母に会いに行くので。すみません」

「あ、実家行くのか。じゃ、しょうがないね。また今度誘ってもいい?」


 苦笑いで曖昧にうなずいて、逃げるようにオフィスを後にした。
 
 嘘、ついちゃった。
 今から母に会いに行くなんて全く考えてもみなかった。

 母を嘘のダシに使ってしまった。自分が情けなくて仕方なかった。


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Date:2013/02/26
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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