空色なキモチ

□ 片隅の花 □

片隅の花 4

 
 ほんの出来心だった――

 あの時のわたしは……なぜあんなことをしてしまったのかよく覚えていない。



***



 六月に入って学校行事、球技大会が行われた。

 全学年対象でクラス対抗戦。
 体育祭の球技バージョンみたいなものだ。

 スポーツが得意な沙羅ちゃんはテニスにバレーボール、いろいろな種目の選手に選ばれた。
 本当はひとりひとつは出ないといけないんだけど、わたしは指に怪我をすると部活に支障をきたすとか適当に理由をつけて選手から外してもらっていた。
 補欠にはされたけど、名ばかり。その代わり、裏方を徹底して頑張ることになった。

 ドリンクを作って紙コップに入れて配るとか、練習用のボール磨きとか……。
 いわゆるマネージャーみたいな仕事。

 試合に出るよりよっぽどよくて、必死で頑張っていた。



 お昼休み。
 
 沙羅ちゃんは飛鳥くんと一緒にお弁当を食べると言ってすぐに消えてしまった。
 わたしはお弁当を教室に忘れてきてしまって取りに行きがてら、休憩用のレジャーシートの補充をしようと校舎内の体育準備室へ向かっていた。
 
 球技大会終了まで基本校舎には入ってはいけないことになっていた。
 校舎内でサボる生徒が毎年いるらしく、それ防止だそうだ。理由を説明し、校舎内に入る許可を得る。

 静かな校舎内を走って、お弁当を取りに行った。
 そしてその後、体育準備室に向かう途中。

 二年A組の前を通って、一度足を止めてしまった。
 飛鳥くんの、教室。


 その教室の扉を開けて、中の様子を伺う。
 もちろんそこには誰もいなくて、開けられた窓から爽やかな風が吹き込んでクリーム色のカーテンを揺らしていた。
 
 男子生徒は教室で着替えることになっている。
 机の上に無造作に置かれた制服がたくさん……。

 
 わたしは飛鳥くんの席を知っている。
 彼女の沙羅ちゃんから訊いていたから……窓際の一番後ろ。
 ううん、訊いていなくても知っていた。美術の窓から見える、そこの席に座っている飛鳥くんの姿。


 わたしは何の迷いもなく、その席に近づいていた。
 
 そして、飛鳥くんの無造作に置かれた脱いだ制服を手に取る。
 温もりなんてすでに消えているそのワイシャツを手にとって、胸に抱いた。

 飛鳥くんの匂い。

 ぎゅうっとワイシャツを抱きしめて、顔をそっと埋めてしまう。
 飛鳥くんに抱かれると、この匂いがするんだ……男の子の香り、初めてこんなに身近に感じた。


 自分の傷が痛いはずなのに、傍で泣いてるだけのわたしを慰めてくれた飛鳥くん。
 ドッジボールの時、助けてくれた飛鳥くん。
 逃げるなって言ってくれた飛鳥くん。
 わたしにボールを投げるチャンスをくれた……飛鳥くん。

 大切な気持ちと、この溢れるような思いはすべて飛鳥くんからもらったもの。


「飛鳥くん……すき……」


 そうつぶやいたら涙が出そうだった。

 あまりにもしあわせで、わたしは注意力散漫になっていたんだと思う。


「なに、してるの?」


 聞こえた男の人の声と同時にカシャリと音が鳴った。


 明らかに不自然なその音はシャッター音だってすぐにわかった。
 そして聞き覚えのある声。
 この状態を見られた事実に胸が痛いくらい鼓動が早まってゆく。


 恐る恐る振り返ると、そこにはジャージ姿の飛翔兄弟の片割れが携帯電話を構えてわたしの姿を写していた。


「ぁ……」


 声が出ない。

 心臓が、ドクンドクンと鳴り響いている。
 うるさいくらいに、聞こえてしまうんじゃないかってくらいに……。


「それ」

 
 わたしが持っていた飛鳥くんのワイシャツを指差して静かに近づいてきた。

 どうしよう……本人? それとも?
 どっちにしろわたしのやっていたことがバレてしまった。

 慌ててそれを元の場所に戻すけど、窓際の一番後ろの席で逃げ道は無かった。

 どっち? 飛鳥くん? 翔くん?
 制服姿ならわかるのに、ジャージじゃ区別が……。

 ハッと気づいて右の目許を見ると、ほくろは無かった。


「あ……飛鳥く……飛鳥先輩にはっ黙っててくださいっ」


 思わず大声で訴えると、こっちに近寄ってきていた翔くんが目を眇めた。
 右の口角がクッと綺麗に上がる。不敵な笑み。でもそんな姿も美しい。そんなふうに思ってしまった自分に呆れてしまう。そんなこと思う余裕もないくせに。


「へえ、制服姿じゃなくても区別つくんだ。俺と飛鳥の」


 翔くんがわたしのほうに一歩ずつ近づいてくるたびに床がキュッと音を立てる。
 その揶揄するような表情を見ているのが辛くて俯いてしまう。


「どうしてわかった? 俺が飛鳥じゃないって」

「……」

 
 言いたくない……そんな小さな違いに気づくまで見られていたと思われたら気持ち悪がられるかもしれない。
 唇をきゅっと噛みしめて俯いたまま首を振る。唯一の抵抗。

 窓の外から校庭の笑い声や話し声が聞こえてくる。
 それがいやに大きく聞こえて、まるで自分が笑われているような気持ちになってしまう。


 じりっと教室の隅の掃除用具入れまで追い詰められた。
 これ以上下がれない。どうしよう……どうしよう……。


「黙っててほしい?」


 翔くんの低い声が頭上から聞こえる。
 わたしは必死でうなずく。

 すると、ダン! と大きな音を立てて掃除用具入れの扉に翔くんが両手をついた。
 その音が大きくて耳が痛いくらい。


 その両手に塞がれて、わたしは右にも左にも逃げられなくなる。
 ただただ涙を堪えて身をすくめることしかできない。


「黙っててやる。ただし、俺のいうことすべてきけ」

「え……?」


 俯いていた顔を少しだけ上げると、強引に顎を持ち上げられた。
 それはすごい力で抗うなんてことできない。できても怖くてわたしの身体は強張っていて思うように動かない。

 一瞬にして高みに持ち上げられる恐怖。


 目の前に近づけられた翔くんの怒ったようなヘーゼルの目が、わたしを射抜くように見据えた。


「今日からおまえ、俺のペット」

「……え?」


 ペ……ペット?
 どういうこと? 意味がわからない……。


「携帯出しな」


 顎を掴まれたままそう言われても、視線も逸らせず涙の膜で翔くんの顔がよく見えない。
 わたしの全身はカタカタ震えている。
 歯と歯の根が合わなくて、奥歯の方がカチカチと小さく震えているのがわかった。


「持ってないの?」


 もう一度目を逸らさずに訊かれ、ジャージのポケットからゆっくり自分の携帯電話を差し出した。
 ようやくわたしの顎が解放されて、視線を逸らすことができたことにホッとする。


 翔くんは自分のジャージから携帯を取り出して慣れた手つきで両方を操作し始める。
 何をしているんだろう……。
 でもそれを凝視できるほどわたしの心は強くなかった。


「俺の指示に絶対服従な」


 ポンッとわたしの携帯電話が投げて寄越された。


「あっ……!!」


 その画面にはわたしがうっとりした表情で飛鳥くんのワイシャツに顔を埋めている画像。
 しかも絶対にわたしだってわかる……こんなはっきり写されたら誤魔化しようがない。

 
「ちなみに動画も撮ってるからね。消しても無駄。わかる?」

「……っ!」

「飛鳥くん、すきって言ったのもちゃーんと入ってるよ」

「そっ……」


 恥ずかしくていたたまれなくて涙がボロボロ零れ落ちた。
 
 酷い……小さい頃は優しかったのに。
 翔くんは……わたしに自信をくれた人だったのに、今はわずかなプライドさえすらずたずたにされている。


「泣くな。おまえが俺のいうことちゃーんと守れば絶対に飛鳥にはバレねーよ」

「っく……ひっく……ん」

 
 涙を堪えて泣き止もうと思った時、俯いていたわたしの視界に翔くんの顔が入ってきた。


「――――!?」


 ベロリ、と頬に流れる涙を舐められた。
 ぬるっとした感触が頬を伝わり自然に身体が震える。

 されたことに気がつき、ビックリして身を引くと、掃除用具入れの扉に激突してしまった。


「あ……」


 小さく鼻で笑う翔くんの綺麗な顔が、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
 すうっと翔くんの手が伸びてきて、わたしの三つ編みをそっと掴む。
 わたしはその様を震える眼差しでじっと見つめていることしかできなかった。


「じゃ、そういうことで、契約成立な」

「……うぅ」

「よろしく、桃花」

「!!」


 なんでわたしの名前っ!?

 もしかして……わたしがあの時のおチビだって……憶えているの?
 そうじゃなきゃ、わたしなんかの名前を知っているわけない。

 しかも……なんで呼び捨て? その呼び方は――
 
 


 目の前の翔くんは色気たっぷりの表情で満足そうに微笑み、わたしを見つめていた。
 
 そんな顔も美しくて、わたしは身動きひとつできないでいるのだった。


 
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Date:2013/02/23
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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