空色なキモチ

□ 満月の夜に見る夢は □

満月の夜の見る夢は 第4章 第53夜 翔吾side

 
 雪乃に姉の存在がバレてしまった。


 姉の子のみゅうを預かった時点でまずいかもとは思ってはいた。
 でも姉を家に上がらせなければバレないと思っていた。
 今朝の迎えの電話連絡に俺が気づいていれば、姉と雪乃は会うこともなかったのに……。

 
 みゅうは俺の姉と雪乃の父親との間にできた子ども。


 略奪婚だった。



***



 姉から義兄のことを紹介されたのは、姉が妊娠する一年以上も前の話だった。

 最初見た時は、随分年の離れた彼氏だと思った。

 おじさんだけど姉が好きならいいのかと思い、友好的に接した。
 義兄は話しやすい人で、ひとり暮らしの俺がコンビニ弁当ばっかり食っていることを知ると積極的に料理を教えてくれた。それが何を作らせても上手く、俺のためにレシピを作ったりもしてくれた。

 いい人だと思ったし、姉も本当に好きそうだったからいつ結婚するのかなとは思っていたんだ。
 
 そんな時、姉が妊娠。しかも三ヶ月だという。


 姉が彼氏である義兄を連れて両親に挨拶に来たのはその二ヶ月後。
 姉は妊娠五ヶ月になろうとしていた。 

 そしてこの時……俺は一年以上も前から知っていたこの男の事実ことを知ったのだ。


「妻とは別れたばかりで、高三の娘がいます」


 ――ショックだった。

 すでに姉の家に入り浸っていたこの男には帰る家があって妻も娘もいた。
 そんな男に俺は料理を習い、レシピまでもらって仲良くしていた。



 家の両親は結婚に大反対をした。当然だろう。
 だけどすでに姉は妊娠していた……両親だって初孫はかわいい。しょうがなく結婚は認められた。


 俺は姉も義兄にも接するのがいやになって、自然に二人の家には近づかなくなっていた。
 それまでは結構仲良し姉弟でお互いのマンションをちょいちょい行き来したりしてたけど、義兄の存在が足を遠のかせた。

 姉も軽蔑の対象になった。




 姉と義兄が籍を入れた年のクリスマス。
 姉からメールが来て、暇なら家に来てほしいとのことだった。
 
 家庭教師のバイトの帰りにかったるいと思いながら二人の新居に向かう。


 時間はまだ十七時少し過ぎたところだったが、すでにまわりは暗くなっていた。
 雪でも降りそうな寒い夕方。冷たい風が頬をかすめ、マフラーを口元が隠れるくらいまで覆い、被っていたニット帽も目の真上まで下げる。

 
 二人のマンションの入口が見えてきた頃、道の向こうから姉夫婦が仲良く中に入っていくのが見えた。
 こっちには全く気づいていないんだな、と思ったらなんだか微妙な心境になった。
 随分腹が出てきたなと思いながらその姿を見送る。
 声をかけてもよかったんだけど、なんとなくそれをやり過ごして見ていた。

 
 すると、ブレザー姿の女の子がマンションの正面玄関にある小さな植え込みの陰から急に立ち上がったのを目にした。
 その女の子が、マンションの入口を覗き込む。明らかに怪しい行動だった。

 あの制服は、この辺ではまあまあ程度の高い県立高校のものだってすぐにわかった。
 俺が家庭教師をしている子のお姉さんが同じ制服を着ていたから。


 俺はその女の子の様子を伺いながら歩いていたのだが、ついマンションの正面玄関前で足を止めてしまった。
 その子は目に涙をいっぱいためて正面玄関を覗き込んでいたから。

 その視線の先には、姉と義兄。

 もしかして、この子は……。
 そう思った時、その子と目が合ってしまった。

 唇を噛みしめて涙を堪えているその子は、目を逸らして俺が来た方と逆の方向へ走り出した。

 長い三つ編みを揺らして走り去るその子の右の頭頂部のつむじが目に入って、俺はハッとした。
 義兄と同じ場所のつむじ。そう気づいたら思いを否定できなくなっていた。





 姉が俺を呼んだのは手作りのケーキを実家へ持って行ってほしいという、そんな理由だった。
 昔から姉はケーキ作りが得意で、両親はそれが大好きなのだ。

 義兄と結婚してからというもの、姉は実家にはあまり足を運ばなくなっていた。
 反対されていた結婚をしたわけだから行きづらいというのもあるんだろう。俺だって実家を出ているのにこういう時パシリにされる。


「前に言ってた娘って県立桜花高の生徒?」


 俺がしれっと気になったことを訊くと、義兄は一瞬表情を強張らせ睨むような目つきをこっちに向けた。
 姉が困惑顔で俺を見ているのもわかった。気まずかったのか、姉はさっと席を外して逃げるようにキッチンのほうへ向かって行ってしまう。
 さっきのあの子の泣き顔を思い出し、代わりに義兄を傷つけたかったのかもしれない。よく言葉も選ばずストレートに聞いたものだと思う。


「……そうだけど、どうして?」


 硬い笑顔を見せながら義兄が俺に言う。その声は少しだけうわずっていた。
 やっぱりさっきの子はこの義兄の娘だったんだとこの時ようやく確信した。


「今、マンション前で見かけたから」

「えっ? 雪乃を?」

「ゆきのっていうんだ……ふーん」


 俺は軽蔑の眼差しを送り、早々とマンションを後にした。
 あの子はゆきのっていうのか……頭の中で自然に復唱していた。






 それから家庭教師のバイト先で、“ゆきの”に関しての情報を得た。
 生徒のお姉さんに軽い気持ちで訊いてみたのだ。すると、その年の体育祭の写真を見せてくれた。
 写真の隅っこに俺がクリスマスの時に見かけた“ゆきの”が写っていた。


「この“ゆきの”であってるなら、高橋……じゃなかった風間雪乃って子。あんまり目立たない子だけど雨宮先生の知り合いなの?」


 風間雪乃。この時初めて彼女のフルネームを知った。

 高橋は義兄の姓。離婚して母方の姓にかわって間もないから間違われることもあるのだろう。

 生徒のお姉さんには知り合いの娘なんだと伝え、知っていることをいろいろ教えてもらった。
 高校卒業後は、少し離れた聖蘭女子短大に進学が決まっていることまでわかった。


 家族のことに関して訊くと、詳しくは知らないけど最近両親が離婚して引っ越したようだという情報だけ得ることができた。
 義兄と別れた母と新しい家で心機一転ってことなのだろうか。
 しかし、桜花高の生徒がなぜ短大なのか。大学にいける実力は充分にあるだろうと不思議に思っていた。



 それから数ヶ月後。

 聖蘭女子短大の学園祭に行って風間雪乃の姿を見つけることになる。
 俺はありとあらゆる情報網を駆使して風間雪乃の情報を集めた。

 それは彼女が今の会社に入ることまで続けられた。


 そして俺は、一年遅れで風間雪乃と同じ会社に入社することになった。


 偶然にも同じ部、しかも隣の席に配属されるなんて思いもしなかった。
 だけど彼女は俺を覚えてはいない。当たり前だろう。一回しかまともに顔を合わせたことがないのだから。しかもたった一瞬。

 初めて逢った時とほとんど変わっていない彼女は地味な女子社員だった。


 
***



 だけどこんなにも今は雪乃に惚れている。
 同じ会社に入社し、身近に感じる存在になって雪乃の一生懸命で真面目な性格や時折見せる優しい笑顔に引き込まれてしまった。

 姉の夫の娘だなんてもうどうでもよかった。

 なんで俺はこんなにもずっと雪乃のことを調べて追っていたのか。

 もしかしたら……。
 初めて逢った時に見たあの雪乃の涙に、俺の心は奪われていたのかもしれない……そんなふうにすら思えてくる。



 今じゃ雪乃がいない生活なんか考えられない。
 義兄の娘だろうが関係ない。絶対に雪乃と結婚をすると俺は決めていた。
 姉のことは紹介するつもりはなかった。遠くに住んでいるからとでも言って一生ごまかせるならそれでいいと思っていたんだ。

 
 雪乃が“妊娠三ヶ月”のフレーズに反応を示したのは、たぶん姉がその頃に義兄の家に行ったからだろうと容易に想像ができた。

 その時の記憶が甦って……真奈美に妊娠を告げられた時、青ざめたに違いない。
 苦しくて思い出したくない過去なのだろう。


 それなのに……こんな形で会わせてしまうとは。


 自分の父が再婚した相手が俺の姉だったと知った雪乃はショックを受けていた。
 俺を拒絶し、逃げるように出て行こうとするのを引きとめ、半ば強引に抱く。
 だけど雪乃は何の反応も見せず、ただただ俺に身を任せるだけだった。

 独りよがりの抱擁に、ただただ悲しみが増してゆく。

 雪乃の声が聞きたくて、俺をもっと求めてほしかったのに、目を閉じてただ時が過ぎるのを待っているようだった。
 今までなら縋るように俺の背にしがみついてくれていたその手は堪えるようにシーツをきつく握りしめ、歯を食いしばって顔を背ける姿はまるで糸の切れた操り人形を抱いているようだった。

 こんなに強く抱きしめても、近くにいるのに広い荒野にひとり取り残されたような深い孤独感。
 深い寂しさと、虚しさが同時に押し寄せてくる。

 俺は避妊をしなかった。
 孕んでしまえ、そう思いながら激しく雪乃を抱いた。
 子どもができてしまえば俺から離れられるわけがない、そんなずるい思いもあった。

 だけど俺はそのまま眠ってしまい、雪乃が静かに出て行ったことすら気がつかなかったのだ。






 翌日の月曜。
 雪乃は午前中半休を取った。風邪をひいて病院に寄って来たとのことだった。
 家に来るよう勧めたが、ひとりで考えたいと拒絶された。
 しばらく雪乃の思うようにしてやろうと思った。無理やり引きずり込んでもいい結果は生まれないような気がしたから。


 そんな時、姉から電話がかかってくる。
 どうして雪乃が俺の家にいるのか、どういう知り合いなのか根掘り葉掘り訊かれた。
 会社の同僚だということだけ伝えると、雪乃のことが好きなのか訊かれた。


「結婚するつもりだ」

 
 そう伝えると、大きな驚きの声が受話器越しに聞こえてくる。
 何かを言おうとしていたようだけど、さっさと電話を切ってしまってその後のことは知らない。



 その週の木曜。
 雪乃の同期の水上咲子さんにメールをして、クマさんの店で軽く飲んだ。

 その時に、水上さんに雪乃が情緒不安定だから少し優しくしてやってほしいと頼んだ。
 断られるかと思ったけど、水上さんはすんなりと了承してくれた。

 水上さんがトイレに行っている間に、クマさんに雪乃のことを訊かれたけどなんて答えたらいいかわからず曖昧に流してしまった。
 浮気じゃなかろうなと問い詰められたからそれだけは違うと力いっぱい否定した。
 俺が好きなのは雪乃だけ……心配なのも雪乃だけ。
 今、俺が支えてあげられない分、誰かに雪乃を支えてあげてほしかった。
 だから、水上さんに頼んでしまったのだ。そんなことしかできない自分が腹立たしかった。




 金曜日の夜、水上さんが雪乃の家に泊まりに行ったと教えてくれた。
 翌日の土曜にその時の状況のメールを送ってきてくれたのだ。
 
 だけど、その内容を読んで愕然とした。


  『雪乃は確かに情緒不安定です。雨宮さんとの先のことを考えられないと言っていました。何かあったのですか?』


 俺は雪乃との別れの危機を感じていた。



***



 そして今に至る。

 なんとか雪乃を家に連れて来たけど、拒絶の意思は変わらず。
 生理中と訊かされて妊娠しなかったのかという思いで『残念』とつぶやいたら『セックスしたいだけで呼んだのか』と誤解されてしまった。
 もちろんしたいのはしたい。好きだから抱きたい。当然だろう?
 でも俺が思ったことはそういうことじゃなかったのに……。
 生理が来てしまったことが残念だという気持ちを伝えなければならないなんて、こんな弁解をしないといけないのが悔しかった。

 どうしたら雪乃に俺の気持ちが伝わるんだ。

 ついイライラしてしまって食事時も上手く話せなかったから、雪乃が風呂に入っている間にビールを飲んで少し気を楽にしようと思っていた。

 ソファに腰掛け、一息ついてビールを開けたらどうも振ってしまったようで、中身が少しふき出した。


「あ、やべやべ」


 慌ててふきんを取りにキッチンへ向かおうとした時、ソファの横に置いてあった雪乃の鞄を蹴っ飛ばしてしまった。
 飛び散った鞄の中身を拾い集め、戻そうとしたら気になるものが目に入った。


 拾い上げたのは下のほうに“塩沢レディースクリニック”と書かれた内用薬の袋。
 レディースクリニックって産科・婦人科のことだろう。そこでもらう薬って、まさか。
 中の薬を手にして、普通の薬とは明らかに違うシートに俺の不安は的中した。


 ――――ピル。


 雪乃はピルを飲んでいる。


 薬の入った袋を見ると、調剤日は先週の月曜。
 午前中休んで病院に行ったのは、風邪じゃなかった。
 
 ピルをもらいに行くために、雪乃は半休していたのだ。
 
 

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Date:2013/02/23
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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