その事件の翌日から、飛翔兄弟は集団登下校をしなくなった。
彼らのお母さんが毎日車で学校まで送迎するようになったからだった。
そして学校を終えた後も外でみんなと一緒には遊ばなくなっていた。
元々ふたりは習い事をしていた。それはピアノ。
だけど怪我をしたほうの子はピアノが弾けなくなってしまったらしい。そんな噂が流れた。
だからかはわからないけど、双子はピアノを習うのをやめたらしいとまことしやかに囁かれた。
一条家の前を通るとよく聞こえていたピアノの音色も聞こえなくなった。
なんとなく寂しかった。あの音、好きだったのにな。
集団登下校から抜けた飛翔兄弟とはあまり接することがなくなった。
元々わたしは接触してなどいなかったんだけど、ただその後を追っていただけで。
いまだ集団登下校をしているふたりの同級生達はどことなく物足りなそうな感じだった。
やっぱりあのふたりはリーダーのようなものだったんだなって幼心に思ってた。
その一ヶ月後。
急にまた飛翔兄弟が集団登下校の輪に加わり始めたのだ。
治療も終わったからなのだろうか? また集団登下校の輪に明るさが戻って来た。
わたしは相変わらずその団体の後を追いかけるだけだったけど、その輪を見ているのがうれしかった。
とある日の下校前。
集団登下校メンバーの集合待ち時間、みんなでドッジボールをやろうと飛翔兄弟が言った。
もちろんみんな参加する。
飛翔兄弟は別グループに分かれる、それはいつものこと。
自然にグループ分けが決まっていく。それは暗黙の了解のように半分に分かれていくのだ。
わたしはいつものようにそれを見て時間を潰そうと、校庭の片隅にある花壇の石垣に座った。
その時。
いきなり飛翔兄弟の片割れがわたしの腕を引いたのだ。
「え? そのおチビ入れるの?」
「ああ」
わたしは、腕を引かれるまま飛翔兄弟の片割れの背中を見つめていた。
ドッジボールなんてやったことなかった。まだ体育の授業でもやってないし、ボールが怖かったからいやだった。
おチビと称されたのも恥ずかしかった。
ドンくさいわたしなんか入れても戦力になりえないし、すぐ当てられちゃうんだから無駄なのに……どうして?
それなのに無情にも試合は始まる。
わたしはボールを取ろうとはせず、逃げることしか考えていなかった。
ただただボールが怖かった。だから背中を向けて逃げた。
ワーワーとみんなの声が騒がしいくらい聞こえる。
誰かが何かを言っている、でもその内容なんかわからない。ただ逃げるのみ。
気がついたら、向こうチームは飛翔兄弟の片割れともうひとりの男の子。
こっちチームはわたしと飛翔兄弟の片割れのみになっていた。
こんなのちっとも楽しくない! こんな遊び大嫌い!
ふと前を向いた時、すごい勢いでこっちにボールが飛んでくるのが見えた。
「――――やあっ!」
両手の甲で顔を隠し、ボールが当たるのを避けようとぎゅっと目を閉じた。
ボスン! と聞こえた音。
だけど不思議と痛みは感じなかった。
「女狙うなんてきったねーな」
聞き覚えのある、大きな声が耳に入ってきた。
恐る恐る目を開けてみると、目の前に大きな影。
男の子の背中……長袖のTシャツを腕まくりした右肘の痛々しい大きな傷跡。
「げー! 飛鳥に取られた! 逃げろ!」
「逃がすかってーの!」
あ……すか?
目の前の大きい男の子がこっちを振り返る。
「背中向けて逃げんな」
そのまま飛鳥くんと呼ばれた彼は走って向こうチームの男の子にボールを当てた。
残されたのは飛翔兄弟、そしてわたしの三人。外野からは一層大きな声援が聞こえてきた。
同じTシャツにデニム姿の美しい双子がまるで映し鏡のように見えた。
「おチビ狙えよー! 翔!」
そんな声を聞いて怖くなったわたしは、涙目で翔くんを見る。
コートの向こうで翔くんがニッとわたしに笑いかけたのを見てさらに怖くなった。
だけどボールは飛鳥くんの方に飛んできた。
翔くんはわたしを狙わなかった。
と、言うか眼中になかったのかもしれない。飛鳥くんと翔くんの一騎打ちになった。
お互い取り合ってしまうから外野にボールは飛んでいかない状態、コートは一騎打ちのふたり。
外野から狙われることもなく、呆然とコートの端っこに立ち尽くすわたし。
「何やってるんだよー! おチビ当てろ!」
「当てちゃえ! 当てちゃえ!」
再び煽られる声援に、翔くんの目が鋭くなったような気がした。
今度こそ当てられる!
翔くんがこっちに向かってボールを投げるモーションを取ったのが見えた。
だけど、そのボールに勢いはなかった。
ポーンと放られたそれはわたしの前で二度バウンドして、足元に転がってきたのだ。
外野のほうに行きそうになったそのボールを拾うと、わたしの左斜め前にいた飛鳥くんがこっちを見てうなずいた。
その長くて綺麗な指は、自らの双子の片割れを指差している。
「行け」
翔くんに向かって投げろ、と目で訴えられる。
わたしなんかが投げたって当たりっこない。だったら飛鳥くんに渡して投げてもらうのが妥当だと思う。
それなのに、飛鳥くんはわたしに投げろと言う。
コートギリギリのラインまで走って思いっきり投げた。
ポスンと音がして、翔くんがそのボールをキャッチする。
やっぱり当たりっこない。当たり前だよな。
すぐに攻撃態勢に入る翔くんを見て、すごく怖くなった。
逃げようとして、ふと思い出した。
飛鳥くんが言った、言葉。
――――背中向けて逃げんな。
慌てて背中を向けようとしていた自分を奮い立たせ、バックで逃げた。
ヒュッと音を立ててボールがこっちに飛んでくる。
――怖い!!
そう思ったけど、ボールの動きが見えたから、わたしはそれを胸元でキャッチすることができた。
「やるじゃん、桃花ちゃん」
翔くんがニッと笑う。
名前で呼ばれた……その事実にビックリした。
翔くんはわたしを“ちゃん”付けで呼んだ。
ちらっと同じコート内の飛鳥くんを見るとうんうんと満足そうにうなずいている。
初めてボール取れた……。
それがうれしくて、びっくりした。
ちゃんと見ていれば取れるんだ……もちろん手加減してくれたからだとは思うけど。
それでもうれしくて、わたしの胸はドキドキしていた。
仲間に入れてくれたのも、笑いかけてくれたのも、逃げるなって勇気をくれたのもみんなみんなうれしかった。
結局そのあと、集団登下校の上級生達が来てドッジボールの試合はそこで中断になった。
わたしの中での飛翔兄弟の近づきづらいイメージが少しだけ払拭された。
だけど何もかわらず、それからもわたしは飛翔兄弟からは少し距離を置いた後ろをついて行くだけ。
ひとつだけ違うのは、わたしの心の中に芽生えた感情。
飛翔兄弟への憧れ。
いつかもう一度、あの双子と接してみたい。そんな気持ちが芽生えていたのだ。
わたしをボールから守ってくれた飛鳥くんとわたしに自信を与えてくれた翔くん。
どっちにも憧れていたけど、わたしの思いは飛鳥くんに向いていた。
勇気を、慰めを、優しさを、そして守りをくれた飛鳥くん。
憧れは日々募っていった。
だけどそんな日は長くは続かなかった。
父の転勤でわたしは引っ越すことになったのだ。
この町にも学校にも未練はなかった。
ただ、ひとつだけ。
引っ越し準備は全て終え、ご近所さんへの挨拶回りを済ませる。
そして、父の運転する車へ乗った。
隣町に引っ越すだけのこと。なんてことない。
だけど、飛翔兄弟ともう接することができない。それだけが心残りだった。
彼らの中にわたしの存在なんて無いに等しいだろうけど、わたしの中では……。
この町で、わたしに初めて力を与えてくれたふたり。
最後の挨拶でもふたりには会えなかった。
それだけのことなのに、なぜか涙が溢れて止まらなかった。
後部座席に座ったわたしを気遣うように母が助手席からこっちを見ているのがわかった。でも止まらなくて。
「桃花、ほら見てごらん」
父が運転席の窓を指差した。
その指の先を見ると、少し前までいた町が見えた。
「――――あ!!」
思わず声が出てしまった。
坂の上から飛翔兄弟がこっちに向かって手を振っていたのだ。
わたしが引っ越していなくなること、そしてわたしの存在……知っていてくれたんだ。
目がいいわたしはすぐにわかった。
どんどん小さくなっていくふたりの姿。
もう見れることはないのに、しっかり焼き付けておきたかったのに……涙の膜が張ってよく見えなかった。
→ NEXT→ BACK
Information
Trackback:0
Comment:0
Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学