どこかで携帯が震えている音がする。
わたしのかな……? それとも……。
「――はい……え? 寝てた」
翔吾さんの携帯だったみたい。話し始める声がする。しかもしっかり寝起きの声で不機嫌そう。
再び布団にもぐり込んで身を縮めると、わたしの左肩に翔吾さんの腕が当たった。
「今日? え? これから? すでに近くにいるっ? まじでかー?」
がばっと翔吾さんが起き上がって布団が豪快に捲れた。
急に大声を出すからビックリして目が覚めてしまった。
それにお布団捲られて寒いーっ。
「今日予定あるんだけど……えぇ……ったく……」
寝そべりながら翔吾さんを見ると、かったるそうに頭をかき乱しながら舌打ちした。
なにかあったのかな? 近くにいるとかお客さんなのかな? わたしいないほうがいいのかなぁ?
電話を切るなり翔吾さんが大きいため息をついた。
ションボリした顔でわたしを見つめている。うわ、完全に落胆顔。
「ごめん……今日の映画、日にちずらしてもらってもいい?」
「え? もちろんいいけど」
いつの間にかはだけていたパジャマのボタンをはめて起き上がる。
翔吾さん、わたしが寝ている間にボタン外したんだな……申し訳なさそうな顔を見せつつもニヤニヤしてるもの。少し頬を膨らませて怒ったフリをしておこう。
「なにかあったの? わたしここにいないほうがいい?」
「ん……」
そう訊くと少し考え込んでいる様子。その表情は硬い。
目許を手のひらで隠して、軽くゴシゴシ擦ってからこっちを向き直った。
「雪乃、子どもは苦手? じゃなければいてもらっていいかな?」
「――――え?」
しばらくして、翔吾さんがマンションの外に出て行く。
わたしはその間に着替えて、寝室のベッドの乱れを直しておいた。
お客さんって子連れなのかな? 一応化粧しておいた方がいいかな?
まあ、ファンデーションくらいしか塗らないけど……。
それにしても翔吾さんの知り合いで子連れの人が来るの? こんな朝早くに。
時計を見ると八時を少し過ぎたところだった。
昨日は仕事を終えて、そのまま翔吾さんのマンションに泊まりにきた。
今週の始めから『土曜に映画行こう』って翔吾さんから誘われていて、ようやく今日がその日だったってわけ。どうしても観たい映画だったらしいけど、急用ならしょうがないよね。
玄関の扉が開く音が聞こえ、と同時に勢いのいい足音が聞こえてきた。
「あっ! コラ! 走るなっ!」
「きゃー♪」
子どもの高いはしゃぐ声が聞こえてきて、一瞬耳を疑う。
それと同時になにかが倒れるような大きい衝撃音を聞いた。
……一瞬の静寂の後、泣き声。
「……うわぁぁぁぁぁぁん!!」
なんだかよくわからなくてそろっとリビングから廊下を覗くと、小さい子が倒れていた。
両手両脚をばたつかせて泣きじゃくっている?
「わーん! いたいよいたいよぅ!」
「だから走るなって言っただろ? 言うこと聞かないから……」
その子を抱き起こして翔吾さんが自分の肩に凭れかけさせた。
ひょいっと片腕で抱き上げられた子は、泣きながら翔吾さんの首元に抱きついている。
「いたいよぅ! しょーくんのせいだあ!」
「何を言うか!」
しょ? しょーくん?
甲高い声で呼ばれた翔吾さんの名前に思わず笑ってしまった。
しかも対等に言い合っている翔吾さんって……。
「ったく……言うこと聞かねーんだ」
参ったって表情で翔吾さんが大きな鞄を肩にかけたままリビングに入ってきた。
翔吾さんの背中の方からその子がわたしを見て目を丸くする。
うわ……かわいい女の子だ。髪をツインテールに結んでいてほっぺを真っ赤にして唇を尖らせてる。
「姉貴の娘、下の子が突発性発疹? になったらしくてさ。手がかかるから面倒見てくれって預けられたんだ。本当に悪いな、雪乃」
ゆっくりとその子を床に下ろして翔吾さんが再び深いため息を漏らした。
下ろされた子は心もとなそうな表情でキョロキョロしている。
キッチンに向かっていく翔吾さんの背中を目で追いながらじっと立ち尽くしていた。
う、ふたりにされてもな……。
正直、子どもは好きでも嫌いでもない。
身近に小さい子どもがいないし、接する機会もないからどう対応していいか……。
じいっとわたしの顔を見てる。これはまずい。
「えっと、お名前は?」
しゃがみ込んで目線を合わせて訊いてみる。
その子はわたしをみて鼻をすすりながら涙を手で拭った。
「みゅう」
「みゅう、ちゃん?」
うんうん、とうなずくみゅうちゃん。変わった名前。
きっと“みゆ”ちゃんとか“みゆう”ちゃんとかなんだろうな……。
「おねーちゃんは?」
「わたし? ゆきの。よろしくね」
「ゆき……の、おねーちゃん? ゆき! ……おね……」
「ふふ、ゆき、でいいよ」
「ゆきおねーちゃん!」
ゆきのと言いづらそうなみゅうちゃんにそう伝えるとニッコリ笑っていきなり首元に抱きつかれた。
うわ、人見知りしないんだ……よかった。
なんとなく甘い香りがふわっとして、みゅうちゃんの細いツインテールがわたしの頬をくすぐった。
「おら、みゅう! オレンジジュース……って、もう懐かれてんの? 雪乃」
「……みたい」
苦笑いを翔吾さんに返すと、みゅうちゃんがぎゅうっとさらに強く抱きついてきた。
翔吾さんも“みゅう”って呼んでるところみると本名? ニックネームかな?
「ゆきおねーちゃん! みゅうとあそんで!」
「うん、わかった」
「ほら、みゅう離れろ。困ってるだろ?」
「いやん! みゅうのおねーちゃん! しょーくんだめっ!」
わたしの腕の中でみゅうちゃんがジタバタし始めた。
鼻白ませて翔吾さんが唇を尖らせる。
「くそっ……雪乃は俺のだぞ……」
小さくそう零したのを聞き逃さなかった。
子どもと張り合ってるの翔吾さん。なんだか幼く見えてかわいかった。
今日の外出は中止で室内でみゅうちゃんと遊ぶことになった。
ソファにちょこんと座ってストローマグに入れられたオレンジジュースを美味しそうに飲んでいる。
わたしの右手をぎゅっと握りしめたまま……小さくて暖かい手がかわいい。
わたしとみゅうちゃんの向かいのソファでむっとした表情の翔吾さんがこっちを見ていた。
背もたれにふんぞり返るように寄りかかり、長い脚を組み、全身で“不貞腐れた感”をかもし出している。
「翔吾さん、そんな顔……」
「……だって、そのポジション俺の……」
「大人げない」
おかしくて笑いたいのを堪えていると、みゅうちゃんがこっちをじっと見ていた。
まん丸の目がくりくりとしていてかわいいなあって心から思った。
「みゅうね、しょーくんとけっこんするの!」
「え?」
「ばか! 何言ってるんだ?」
「しょーくん、みゅうとけっこんするっていったもん!」
はあっと大きなため息をついて翔吾さんが頭を抱えた。
子どもの言うことなのにそんなに真剣に反応しなくてもって思ったけど、おかしくてつい笑ってしまう。
「そうなんだ。みゅうちゃんはしょーくんと結婚するんだね」
「うん! けっこんしきするの。ゆきおねーちゃんもきてね!」
あまりにもかわいくてうなずくと、満足そうにみゅうちゃんが笑う。
そのままわたしの右腕にぎゅっとしがみついてきた。
うう……萌えるってこういうことを言うのかな? みゅうちゃんみたいな子だったら好きだな。
「雪乃、今、すごく優しい顔してる」
「え?」
コーヒーを飲みながら翔吾さんがうれしそうに笑ってわたしを優しい目で見ている。
翔吾さんのほうがって思ったけど、なんとなく恥ずかしくてみゅうちゃんに視線を落とすと――
「近いうちに、お母さんに会わせてもらえないかな?」
翔吾さんの口から思いがけない驚きのひと言を聞いて、わたしは固まってしまった。
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