第七話過去編・出会い
「いちにっさんしっ!」
「ごーろくしちはちっ!」
重いだけの仰々しい扉を引くと、女の子の高い声が耳に入ってきた。
「にーにっさんしっ!」
「ごーろくしちはちっ!」
最初のかけ声はひとりのもので、そのあとの掛け合いみたいに続く声はその他大勢のもの。
そのかけ声にあわせて体育館に張られたバドミントンのネットの前で女子生徒達が華麗に素振りをしている。
窓から差し込む日の光が彼女達の汗をきらきらと光らせていた。
暑い熱気が入口まで伝わってきて、自然と喉元の唾をごくりと飲み干す俺。
「おい、律早く入れよ」
「お、おう」
後ろに待機していた男子バトミントン部員が俺の背中を押した。
なぜだか入っていい雰囲気に思えなくて、俺の足は床に根が張ったように一歩も動かなかったのだ。
俺らの後ろには女子バドミントン部員も続いている。ここで止まっていたら彼女たちも先には進めないのをすっかり忘れていた。
きゅっ、と体育館の床が音を立てる。滑らない靴の音が俺は大好きだった。その音をかみしめるようにして大きく息を吸い込んだ後。
「こんにちはー」
なるべく響かないよう、低めの声で挨拶をした。
素振りに夢中で俺の声で気づいたのかもしれない、女子生徒が一斉にこっちを向く。
「集合っ!」
そう声を上げたのは、黒くて長い髪をポニーテールにした小柄な女子生徒だった。
体操服の首の部分だけ臙脂色のシャツに、同色の膝上のジャージを履いている。首筋には汗が流れ落ちていてどきっとした。
うちの学校のどの女子生徒よりも色っぽく感じたその白い首筋は真っ白でスポーツなんか縁がなさそうに見えた。いわゆるギャップってやつ。
黒目がちの瞳はまっすぐに俺たちをとらえ、にこっと細められる。
俺の後ろからは小さな声で「おおっ」だの「かわいい」だの聞こえてきたから視線でそれを制圧した。
色違いのシャツを着た女子生徒達もずらっと俺たちの前に集まってくると一気に熱の塊が押し寄せてくるように感じた。学年ごとにジャージの色が違うのはうちの学校も同じだ。
「こんにちは。暑い中遠征いただきありがとうございました。第六中学校二年、女子バトミントン部、部長の神戸りるはと申します」
――え、二年?
その言葉をすぐに飲み込んだけど俺の表情の変化で君は悟ったらしく、すぐその理由を教えてくれた。
「うちの学校のしきたりとして三年生は夏休み前に引退してしまいます。今日の練習試合には参加しますのでご心配なさらないでください。今、三年は男女とも着替えに行っております」
はきはきとした口調で発せられるその声も暑い体育館にすうっと浸透するように一瞬響いて消えてゆく。耳に心地よい声だと思った。
りるはという珍しい名前も目の前の君に似合っていてかわいい。
「だ、第七中学校三年、男子バドミントン部、部長の藤原律です。よろしくお願いします」
うわ、俺声うわずってて格好悪いと思った時にはすでに遅く、後ろのメンバーが小さな声でくすくすと笑っているのが聞こえてきた。
右手を伸ばすと彼女は持っていたラケットを後ろの女子生徒に渡して俺の手を両手で握る。
まさか両手で包み込まれると思わなかった俺は一気に全身から汗がふきだしたんじゃないかと思うほど身体の熱があがってしまっていた。
君の手は温かくてさらっとしていたのがとても印象的だった。
「よろしくお願いします!」
真剣な顔の神戸りるはが俺の目をじっと見つめて軽く頭を下げた。
その目からは「絶対に負けない」という強い意志のようなものが感じられた。
これが俺と君の出会いだった。
**
区大会でよく当たることのあった俺ら第七中学と君の第六中学。
レベル的にはややうちの学校が上回っていたはずだ。
区大会で優勝、準優勝した学校はその後市大会にすすみ、その後は県大会。うちの学校はよくて市大会止まりだった。
まだ一度も市大会まで進んだことのない君の中学は夏休みを利用してうちの学校に合同練習と練習試合を持ちかけてきた。
最初うちの顧問に相談と称してその話を持ちかけられた時は格下の学校相手に合同練習なんてと鼻にもかけなかった。俺も、もちろん女子バドミントン部部長の尾田も。
だけどうちの顧問は君の中学の顧問と懇意にしていたし、格下といっても最近は力を伸ばしてきているんだから得るものも多いんじゃないかと前向きに検討していた。
相談もなにもほぼ決定してるんじゃないか。
俺と尾田は目を合わせてうなずくしかなかった。
そういった話の流れで夏休みに入ってすぐの二週間、一週間ずつお互いの中学に出向いて合同練習をすることになった。
合同練習は体操着で、練習試合はちゃんとユニホームを着て本格的にやることになっていた。
両校の男子のユニホームは似たようなもので、襟つきの半袖のシャツと短パンにハイソックス。だけど女子は違っていた。うちの学校は少し遅れているのか女子はスコートなのだ。
テニス部さながらピロッとめくれるスコートに男子は言うまでもなく目が釘付けになる。そんなに興味のない女子生徒のでもあれは間違いなく眼福だ。
だけど君の中学は女子も短パンだった。それは心から残念だと思ってしまっていた。
え、いやらしい? ほっとけ。男子中学生の性欲なめんなよ。
いや、短パンには短パンの良さもあるんだけどね。むちっとせり出す太股が綺麗だとテンションあがるし、足が長く締まって見えるしね。
そして、合同練習が始まった。
最初は男子女子ときっちり線を引いて練習も試合もやっていた。
第六中学は体育館に四つのバドミントンコートができる広さだったので男子二面、女子二面で綺麗に分けられたし。
うちの学校はもう少し広くて五面コートが張れたからどっちが三面使うかでよく女子と喧嘩になったものだ。部員数もそう変わりなかったし、主将の尾田とは取っ組み合いしたこともあったな。
尾田とはちょっとだけいい雰囲気になったこともあったけど、やっぱり同志の結束の方が強くてそれ以上に進展はしなかった。どのくらい進展したのかに関してはご想像にお任せしたい(俺は誰に向かって弁解しているのか)
第六中学校にて合同練習三日目辺りから男子と女子の間の隔たりが取れた。
それまでは三年は三年、二年は二年と練習試合をしていたけどうちの顧問がそれをすべてなくした。つまり学年ごとの隔たりもなくなったことになる。
その日、俺は君の中学の男子部現部長の岩本くんとの試合だった。
二年生にしては背が高く、甘いマスクのイケメンで女子生徒には人気があるようだった。長い髪もさらさらしていて日に透けると茶色に見える。
その試合はなぜかほかのコートは使われず、生徒達がコートをぐるっと体育座りで囲って息を詰めて観戦していた。それに対して先生も何も言わず試合を見つめていた。
ラリーの続くいい試合だったと思う。
ラインぎりぎりのいいところへ打ち込んでも岩本くんはよく拾うし、俺も負けずにコート内を縦横無尽に動いていた。
「負けるな、ガンちゃん!」
ふと、耳に心地いい声が聞こえ、それに調子づいた岩本くんは思い切り俺のコートにスマッシュを打ち込んできた。
「ナイスイン! ガンちゃん!」
「頑張って! 藤原せんぱーい!」
「律先輩ーファイトー!」
「もう一本! もう一本! もーう一本っ!」
きゃーっという手拍子混じりの黄色い声援と、俺への応援が体育館全体に反響する。
うちの女子部も負けじと高い声で呼びかけてくれていた。
スマッシュを決めた岩本くんに満面の笑みで声援を送る君を見て、正直イラッときた。
――負けたくない
額から流れる汗を手の甲でぐっと拭って彼を見据える。
岩本くんは目を一瞬大きく見開き、鋭い目つきで俺を睨み返してきて彼の真剣さがうかがえた。
結果、試合は三対二でかろうじて俺の勝利。
今までだったら二セットも取られることはなかったと思うのに……勝ったのにあまりうれしくなかった。
君が岩本くんにタオルを渡して駆け寄ったのを見たせいもあるのかもしれない。
同じ中学だから応援しても当たり前だし、タオルを渡すのも大したことじゃないのかもしれないけど、これ見よがしにされてるみたいでむかっ腹しか立たなかった。
「ガンちゃん惜しかった。次は勝てるよ」
「そっかな?」
「うん、絶対いけるって。スマッシュはガンちゃんの方が決まってたもん。動きだってガンちゃんの方がよかったし」
――かっちーん!
「ちょっとそれ、聞き捨てならないな」
つい君と岩本くんに突っかかって行ってしまっていた。
えっ、と驚いた表情の岩本くん。だけど君はキッと俺を下から斜め四十五度の角度で睨みあげる。その勝ち気な瞳にドキッとした。
「何か文句でも?」
「いや、文句というか、ね。なんだか妙に敵対心持たれているみたいだけど俺の方が経験値は上だし、次も俺が勝つけどね」
大人げないコト言ってしまった自覚はある。
だけど君は鼻でふふんと笑うと胸を張って自信満々に言葉を続けた。
「ガンちゃんを舐めないでください。小学校から大門ジュニアクラブに入ってるんですから」
そうやって岩本くんの肩を持つのにさらにイラっとした。
大門ジュニアクラブは小学生から中学生までのバドミントン養成スクールのようなもので結構うちの区では有名だった。
だからなんだよ?
暑い体育館の中、俺の頭も沸騰してゆく。
「ふうんそうなんだ。でも次も負けないけど」
次も、と強調して言ってやると君は眉をこれでもかってくらいつり上げた。
「いーえっ! 次は絶対ガンちゃんが勝つんだから!」
「いーやっ! 次も俺だね」
「お、おい、りぃ、もういいって」
「何言ってんの! こんな言われ方して悔しくないのっ?」
なぜか岩本くんより君の方がエキサイトして彼が止めるのも聞かずに刃向かってくるその姿が獰猛な犬みたいに見えてかわいかった。
言い争いでも接点がもてたことがなんだかうれしくて、俺のテンションは鰻のぼりだった。
だけど岩本くんが君を『りぃ』と呼んでいることにちょっとイラッとしたのも事実だったし、後ろから両肩を押さえて必死に止めている姿も腹が立った。本人蔑ろにして、思わず「おまえどっかいけ」と言いたくなる。
「いーっだ!」
歯をむき出しにする君がかわいくて、笑いを堪えるのに必死だった。
意外と負けず嫌いなのもおかしかったし。でもその理由が岩本くんのことだったのがちょっと納得いかなかったけど。
その後、岩本くんが君を連れ去って行ってしまったけど、その日から俺らの関係性は完全に変化していたんだ。
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Thema:オリジナル小説
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