第五話彼女の気持ち
披露宴中、新郎新婦はおろか俺はずっと彼女だけを見つめていた。
並びの円卓で、俺の席からは彼女の顔が真正面から見えるいいポジションだった。この座席にしてくれた義隆に感謝する。
彼女は常に隣に座っていたサーモンピンクのワンピースの女性と楽しげに話している。年の頃は彼女と同じくらいだろう。左手の薬指に光る指輪が見える。既婚者だろうな。
新婦の招待客で地に足が着いているように見えるのは彼女とその友達だけのようだ。ほかの女性は新婦の同期や同い年の友人のようで高い声を上げながら新婦席に近づいていったりせわしなく写真を撮ったりしている。
ああ、彼女はこれで何杯シャンパンを頼んでいるのだろうか。そのペースもかなり速まっているように見える。心配で心配でたまらない。
「律、おまえなにさっきからにやにやしてんの?」
「え、俺にやついてる?」
「ああ、気持ち悪いくらい」
拓海に指摘され慌てて顔を引き締めてみる。
だけど顔の筋肉が緩んでしまっているのか彼女を見るだけでつい笑みを浮かべてしまう。
「さっきのブーケの子か。思い切りよけてたよな」
「あ、やっぱり拓海も気づいてた?」
「あからさまだったじゃん。受け取りたくないの見え見えで笑いこらえるのに必死だったわ。新婦の目に触れてなかったのが不幸中の幸いかもな。義隆にはばっちり見てただろうけど……えっと、かんべりるは? 変わった名前だなあ」
座席表を見て拓海が彼女の名前をチェックする。
あえて名字の読み間違いは指摘しなかった。
結局あのブーケは俺に声をかけてきた新婦の友人に渡してしまった。俺が持っていてもしょうがないから。
その子はわざわざこの席にまでお酌をしに来てくれて、何かをいろいろ話していたけど上の空で適当に相づちを打っていたらこの後の二次会に誘われた。
「君の会社の社員はみんな参加するの?」
「はい、義隆さんと美奈の先輩達にも声をかけてみるつもりです」
「それなら喜んで参加させてもらうよ」
満面の笑みを向けるとその子は頬を赤らめてうれしそうにうなずいた。
彼女が行かないのなら行ってもしょうがないけど行くのならまたとないチャンスだからな。
**
そして二次会。
やっぱり彼女とその友達は輪の中に加わろうとはせず、会場の店の一番出口側のソファに陣取っていた。
俺もそうしたかったんだけど、さっきのブーケの子に手を引かれて新婦の友人席に座らされてしまっていた。
似たような女の子(そう表現した方がいいであろう)達に囲まれ質問責めにあう。
彼女はいるんですかとか好きな女性のタイプはとか結婚に興味ありますかとかまるで見合いパーティーのようだ。
正直女性に困ったことはない。自覚はないけど俺は女性には好かれるタイプのようで学生時代からよくお声はかかる方だ。
だけど自分が気になる子じゃないとつきあうことはできないので、二十九歳にしては女性経験は少ないほうだと思っている。
彼女の方をちらちらと確認しつつ、ビンゴ大会が始まってみんなが新郎新婦のそばに近寄ってゆく。
しかも彼女の隣は空席。これは絶好のチャンスだ。
ブーケの子に「ビンゴの機械の近くに行きましょう」と誘われたけど、トイレへ行くとその場を離れた。
そんな俺を見て、呆れたと言わんばかりに拓海が盛大な溜息をつく。
「なあ、あんな潰れそうな子のとこ本当に行くわけ?」
「もちろん」
「なんだかおまえが理不尽なことで絡まれそうでめっちゃ不安なんだけど」
「望むところだ」
心配のあまり情けない顔になっている拓海がしきりに俺を止めようとするけど、ほかの友人達は俺が彼女を落とせるかどうかの賭けをし始めている。好きにしろ。
俺はまっすぐ彼女の元へ。
**
まずはじめに。
彼女の友人、千鶴子さんはいい人だった。
離席して戻って来た先に俺が座っていてもにこやかにしてくれたし、彼女に身体を近づけても怪訝な目ひとつしないでくれた。
彼女が飲み続けている間、俺は千鶴子さんと込み入った会話を繰り広げていた。
俺が彼女のことを知っていること、披露宴前にトイレで聞いたことは真実なのかの確認をする。
義隆と彼女がつきあっていたのは本当だけど、その先の真実は彼女からもほかの人間からも聞かされていないと心底不快そうに眉をしかめる。
「連れて帰っていいですか?」
「泣かすようなことをしなければ、ね」
「御意」
俺と千鶴子さんは結託した。
彼女は酔っていて足下がおぼつかなくても肩を抱けば歩けるくらいで正直助かった。
二次会の会場から近くに俺がよく行くバーがあったから連れて来た。
もう飲まさないつもりでいたので、顔見知りのバーテンダーに彼女が酒を注文してもすべて炭酸水でいいからと伝えておく。根回しはバッチりだ。
最初は首を傾げて「薄い、水みたい」と言っていたけどすでに酒と水の味の違いもわからないくらいべろべろに酔っぱらっていることは一目瞭然だった。さすがにふたりとも水ではまずいので俺は飲んだけど。
今日は珍しくソルティードッグにしてみた。
塩がピリッと効いてグレープフルーツの甘さが引き立つのを楽しみながら彼女の様子を窺いつつ、なるべく不自然にならないよう義隆の話を振ってみる。
「トイレで社員同士が話してるのをちょーっとだけ聞いちゃったんだけど、新郎とつきあってたの?」
みたいな軽いノリで。
すると彼女は目を皿にして水のコップをぐわしとつかみ、一気に飲み干した。
バーテンダーに「おがわり!」とグラスをつきだし、ひきつった顔でグラスを受け取られると破壊音を立てそうなくらい勢いよくカウンターに突っ伏した。
「そりゃさあ……誰だって若くてかわいい子のほうがいいでしょうよ……でも三年もつきあってたんだよ。ひどくない?」
ギッと鋭い目線が向けられ、オリーブを曲芸かって思うほどにぽいぽいと口に放り込んでゆく。
彼女が相当傷ついていることを知った。
そりゃ適齢期の女性が三年もつきあった相手にいきなり振られりゃ傷つくのは当たり前だよな。
だけどその事実に俺は結構こたえていた。
彼女の気持ちはまだ義隆にあるのかもしれないってことに。
「ひどいな」
「なんでよりによって私の後輩なわけぇ? 確かにさ、美奈……あ、新婦ね、男関係賑やかな子なんだけどさぁ……」
「うん」
「もちろんね、義隆とつきあってるって美奈に言ってなかった私も悪かったのかもしれないよ? だけど義隆は美奈が私の後輩だって知っててそれだもんなぁ……」
ぐぬぬ、と言葉にならない声を上げてカウンターに伏せる彼女のそばに水のグラスが置かれた。
バーテンダーに軽く会釈すると、首を横に振って笑顔を見せてくれる。
人がいることも気づかずに繰り広げられていた義隆の同僚達の言葉を思い出しながら今の彼女の言葉を要約する。
『どうやらあいつヨメにハメられたらしいんすよねぇ。口でつけてあげるって迫られてシたら穴あいてたらしくって。それにあの子、あいつが神戸さんとつきあってたことも知ってたって』
『うへー、そうなんだ。したたかな女だな』
彼女は真実を知らない。
これは知らない方がいいことなんだろう。知らなくていいことだって世の中に吐いて捨てるほどあるし、少なくとも俺の口から伝えるようなことではない。まあ千鶴子さんには確認がてら伝えてしまったんだけど。
「なあ、りるは」
「……ん?」
「俺のこと、見てくれないか?」
突っ伏していた彼女の目がそのままの体勢でちろりとなめるように俺を見た。
「見た」
「どう思う?」
「かっこいいんじゃない?」
吐き捨てるように告げた言葉に全く気持ちは込められていない。
だから少しだけ腹が立った。もちろん気持ちがこもっていたとしても「かっこいい」は俺がほしい言葉じゃない。
「なあ、もっとよく見て。何か思い出さないか?」
突っ伏したままの彼女の肩をゆさゆさ揺らすけど「うーん」とほぼ眠ったような声しか返ってこない。
――もっと真剣に俺を見ろ。なんでおまえは俺の前から姿を消した
すぅ、と小さな寝息が聞こえてきて、喉の奥からせり上がってきそうなその言葉をぐっと飲み込むしかなかった。
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