空色なキモチ

□ 掌の鼓動 □

掌の鼓動 42

第四十二話

現在 33



 
 その日の夜。
 許可を得て室内のシャワーを浴び、髪を乾かし終えてベッドに戻った時扉がノックされる音がした。
 時計を見るとすでに二十二時近い。今日は侑生を新生児室に預ける予定にはしていないから助産師の訪室ではない。となると誰だかすぐわかる。

「圭くん? どうぞ」

 ベッドから降りようとすると、扉を開けた圭理がそのままでと告げた。
 小さくうなずいた有紗は自身のベッドの横に置かれているベビーベッドに視線を移す。ぐっすりと眠る侑生を見ているだけで笑みが零れてしまう。

「たぶんもう少しで起きると思うから、授乳させようかと」
「そうだな。もうすっかりお母さんだな」

 穏やかに笑う圭理の表情がどことなく寂しそうなものに見える。
 気のせいだろうか、いやそうじゃない。さっきもこんな顔をしていた。そして出産前から時折見せる表情だった。

「少し時間いいか」
「うん」
「だそうだ。入ってきてくれ」

 有紗がうなずくと、圭理が扉の方に向かって声を上げた。
 入ってって誰がいるの?
 そう聞こうとする前に扉が開く。それがなぜだかスローモーションのようにゆっくりと見えた。

 そこに立っていたのは浅黒く日焼けし、数ヶ月前に会った時よりもよりぐっと精悍な顔つきになった郁弥だった。
 
「どう、して?」

 郁弥自身も戸惑いを隠せないといった表情でわずかに首を傾げた。
 だけどその視線は一瞬たりとも有紗から離れたりしない。
 目の前がゆらゆらと歪むのに気づき、あわてて歯を食いしばり目頭に力を込める。
 涙を流したりしたら圭理がどう思うか。
 必死に自分の腿をつねり、痛みでなんとかこみ上げてきそうな涙の波を沈静化させる。

 会いたかった。
 すごく会いたかった。
 数ヶ月前、ショッピングモールで『迎えに行く』と言った郁弥のことを思い出す。
 一輪のピンクのバラのことも。ありえない、そんなはずはないとわかっていた。だけど――

 ゆっくりと近づいてくる郁弥を見ていると苦しくて目を背ける。その視線の先には侑生の寝顔。
 目を極限まで細めた郁弥が同じようにじっと侑生を見つめていたことに有紗は気づいていない。

「こ、んばんは」

 郁弥は何気なく挨拶したようだったけど、わずかに声が震えている。
 つい見上げてしまい、顔を強張らせた郁弥になんて答えたらいいかわからずに有紗は視線を合わせないように曖昧に頭を下げる。

 もう二度と会うこともないと思っていたのに。
 夕方片付けたバラの花を思って胸を焦がす。
 まるであのバラの花の代わりに郁弥がここへ訪れたような気にもになってしまう。でもなぜ。
 圭理と郁弥が連絡を取り合っていたとは考えにくい。それ以上にあのピンクのバラの存在は不自然だった。だから深く考えないようにしていたのに、今のこの状況は考えざるを得なくて有紗は首を傾げながら頭を悩ませる。
 
「頼んだもの持ってきたか?」
「はい」

 郁弥が着ている黒いポロシャツの胸ポケットから一枚の紙のようなものを取り出して差し出すと受け取った圭理が満足そうにうなずいた。
 頼んだものとはなんだろうか。圭理が郁弥に尋ねたのだからやっぱり連絡を取り合っていたということなのだろう。圭理は郁弥の連絡先を知っていたということになる。その事実に有紗は軽いパニックを起こしていた。

「有紗、これを」

 圭理に渡されたそれは少し古い写真だった。
 若くて美人な髪の長い女性が満面の笑みで新生児を抱いているもの。
 わずかに侑生に似ているような気がする。だけど新生児はみんなこんな感じで似ているように見えるのかもしれない。だからなんの違和感もない。

「かわいい赤ちゃん」
「耳を、よく見てごらん」
「――あ」

 数日前、圭理と交わした会話を思い出す。
 保育器で眠る侑生を新生児室のガラス窓越しに圭理と一緒に覗き見るようにしていた有紗が不安そうに問いかけたこと。

 ――ねえ、圭くん。この子の耳たぶちょっと変わってるよね
 ――ああ、そうだね
 ――これって奇形じゃないよね
 ――違う違う。時々こういう形の子いるよ。確かにピアスはしづらいだろうけど、男の子だし

 侑生の耳たぶは真ん中辺りが少しだけ内側に向かって彎曲していて小さい。
 有紗自身この病院でたくさんの新生児を見てきたけど出会ったことのない形だった。
 だから有紗は奇形かもしれないと不安を抱いた。少しでもまともに産んであげられなかったのは自分の責任、そう責め続けそうな勢いで。奇形じゃないと言われ安心した有紗はその小さくて柔らかい耳までも愛しく感じ、何度も撫でるように指先で触れるのが楽しみになっていた。

 その耳たぶにそっくり。

 ふと視線を移した先に立っている郁弥の耳は全く同じ形をしていた。
 学生時代はたくさんついていたピアスはすべてはずされていてその形が顕著にわかる。
 喉元にこみ上げてくる嗚咽のようなものを押さえ込んだ有紗の身体は無意識に震えていた。

「この、写真……」

 郁弥に視線を向けると神妙な顔つきで強くうなずかれる。
 より近くにいる圭理は瞼を伏せ、ゆっくりと有紗に頭を下げた。

「有紗、今まで嘘をついていてごめん。彼が本当の父親だ」
 

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Date:2014/11/19
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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