空色なキモチ

□ 掌の鼓動 □

掌の鼓動 38

第三十八話

現在 29




 それから三週間。
 辛抱強く連絡を待った郁弥だったが一向に圭理からの連絡は来なかった。そして、有紗からも。

 圭理からはまだわかる。本当に忙しいか、避けているかだろう。
 だけど有紗は……拒絶されているのかと思うとやりきれない気持ちになる。
 そんな心落ち着かない日々が続いたせいか仕事で任せられている土の配合のミスを繰り返し、やる気がないなら辞めろと郁人に怒鳴られた。
 今までの郁弥だったら売り言葉に買い言葉ですぐに辞めていたかもしれない。だけど今は違う。この仕事がしたかった。草木が生えてくることに命の尊さを見いだし、感謝するようにもなっていた。
 産まれてこなければよかった、産まないでくれればよかったのにと亡き母親に対して負の感情を抱くこともあった郁弥にとって今の仕事は『生きるとは』ということを考えさせるいいきっかけになっていた。
 気を引き締め直し、仕事中はなるべく有紗のことを考えないようにした。少しのミスが命取りになる仕事であり、郁人や祖父が築いてきたお客様の信頼を失うことになる。それを自らの手で招くのが一番怖かった。


 昼休みに病院へ電話しても「病棟回診中」と言われたり、診察時間外という留守電に切り替わったりしてしまう。母胎の異常を感じたり陣痛が始まった場合に限り押す番号がアナウンスされるが、それをむやみに使うわけにはいかない。
 十五時休憩にかければ、「外来診察中」や「分娩中」と受付の人に断られてしまう。せめて圭理の都合のいい時間を教えてほしいと願い出ても、お答えできませんとかわされてしまう。
 圭理の方から私用の番号を教えてくれればかけることも可能だったけれど、それを聞かなかった郁弥にも落ち度があった。

 郁弥の仕事は必ず土日祝日なわけではない。
 お客様の都合にあわせ、むしろ土日がかきいれ時と言っていいくらいだった。
 今までは有紗探しのために休みにしてもらっていただけで、居場所が分かった今はそれを申し出るのも躊躇われた。
 ほぼ週一日の休みで身体の疲れを癒すのに精一杯だった。ひどい時はベッドから起きあがれないほどの身体の痛みに耐えることもある。
 それでも自身を奮い立たせて何度か病院へ向かったが、ほぼ毎回「診察中」と門前払いされる。
 むしろ圭理がいないなら家に有紗だけなはず、そう思って圭理のマンションへ行ってみるけど完全なオートロックに管理人室つきで容易にエントランスまでも入れないようになっていた。防犯カメラも何台も設置されていて、うろうろしてようものなら通報されかねない。

 完全な八方塞がりだった。

 子どもが産まれる前に有紗と話がしたい。
 そのためには天道圭理とも話をしないといけない。
 それなのに時間だけが刻一刻と過ぎてゆく。ただただ焦りが募る一方だった。


***


 郁人は郁弥から状況を聞かされていた。
 恋人がいること、将来は一緒になりたいと真剣に考えていること。近いうちに会わせると約束してくれていた。それはとても楽しみで待ち遠しく思っていた。
 その後しばらくして有紗が行方知れずなことを聞かされ、落ち込んでいる郁弥に声をかけることもできず、何かできることはないか気を揉んでいた。
 その矢先、見つけた有紗が妊娠していたこと、それが郁弥の子である可能性があることを聞き、郁人は深いため息をついて頭を抱えた。まさか葉子と似たようなことがその息子に降りかかるとは思ってもみなかった。

 そして思う。
 葉子は自分と結婚して幸せだったのかどうか、不安にさえなる。
 若槻克弥の息子、つまり郁弥を身ごもったのに本人とは結ばれず本当は辛かっただろうと思う。だけどそんな素振りを見せず葉子は郁人の妻として、郁弥と音葉の母として精一杯尽くしてくれていた。

 郁弥の愛する相手の子どもが郁弥の子かどうかはわからない。
 だけどお互いが望むなら一緒にしてやりたい。だけど相手はすでに既婚者である。
 しかもすでに病院の院長になる予定のある将来有望の医師であり、未来は安泰と言っていいはずだ。そういうところに嫁いだ相手。
 もし、腹の子が郁弥の子だったとしても、そのままそこで育った方が幸せになるのでは――

 そう思った時、郁人は頭を振って思考を停止させた。
 これは葉子の時とは違う。郁弥は本当の父親の元に行ったけれど、どう考えても幸せな生活を送っていたとは言い難かった。もちろん手離した自分が悪いと未だに過去を振り返ると胸が痛い。
 
 郁弥の思い人の子が本当に郁弥の子だったとして、その子が成長し、真実を知った時どう思うか。郁弥のように辛い思いをさせたくはない。
 もしかしたら自分とは無関係のことなのかもしれないが、もし郁弥の血を引いているならば自分の孫だ。心配するのは無理もないはず。そう言い聞かせるようにして、心のどこかで天道圭理のことを考えていた。
 自分が実の親じゃないと知られ、子どもを奪われる苦しみは耐え難いものだった。身体の一部をもがれるような深い痛みが消えることはなかった。葉子に対しても申し訳なく、結果的に手放したことで郁弥に長年恨みを抱かせることになってしまっていた。それすらも心苦しいが、過去を取り戻すことなどできない。
 なぜ天道圭理が郁弥を避けるのか本当の理由を知りたい。実際は避けているわけではなく本当に多忙なのかもしれない。だけど郁弥がしつこく病院にアポイントを取っていることは知っているはずだろうし、やましいことがないのならばすぐにでも連絡を取って辞めさせるのが筋だろう。

 もしかしたら、本当に郁弥の子なのかもしれない。

 
***


 有紗がベッドで横向きの状態で大きくなったおなかをさすっている。
 枕元においてある携帯を気にしながら手にしようか迷っているのがわかった。

「どうしたの? 有紗」
「……これ、解約してほしいの」

 有紗は自身の携帯をベッドサイドに置かれた椅子に座っている圭理のほうへわずかに寄せた。
 キッチンで水没したあとすぐに圭理が買ってくれた新しいもので、以前に使っていたものと番号もメールアドレスも違う。元々連絡を取っていたのは天道親子と郁弥と拓弥くらいなものだったから番号を変えることに問題はなかった。むしろ変えないといけないと思ってた矢先の水没だったので都合がよかった。その買ってさほど経っていない新しい携帯を不要だと差し出していた。
 一瞬目を眇めた圭理の表情がすぐに優しいものにかわり、宥めるように有紗の頭を何度も撫でる。

「どうして? なにかあった時、オレに連絡するために持っていてほしいんだけど」
「こうして契約しているだけでもお金かかるもの。家に電話もあるし……」
「そんなの気にしなくていいのに」
「この子が産まれて、また必要になったら……」

 圭理は有紗の携帯を手にして、白衣のポケットに入れた。
 そっと目を閉じる有紗の肩に薄い毛布を掛けてヘッドライトをオフにする。優しく頬を撫でると小さく身をすくめるように有紗が反応を示した。

「わかった。じゃ、行くから。少しでも異変を感じたらナースコールを押して」
「……うん」

 なるべく足音を立てないようにして圭理が部屋から出ていく。
 扉が閉まる音が聞こえ、有紗が小さくため息をついたのを圭理は気づいていた。

 有紗が携帯を解約してほしいと言ってきた。
 その理由をわかっているのにわざと問うてみた。しかも満面の笑みを向けて。

 自分がひどく残忍な人間なような気がして、腹立たしさと苛立ちがふつふつとわき起こる。
 有紗を追い込んでいる自覚はあった。そのせいで有紗は切迫早産を起こした可能性も考えられる。
 そうしてしまったことを申し訳なく思う気持ちはあった。してしまってから後悔しても遅いのだがどうにもならなかった。

 数日前、腹部の張りと陣痛様の痛みを訴えた有紗を診察してみると、子宮頚管が展退(短くなる)していた。
 まだ妊娠三十三週に入ったばかり。生まれて来るには早すぎる。なんとか三十六週までは持たせたい。そのまま特別室へ入院させた。
 有紗だけにつきっきりになってはいられない。
 頭の中ではわかっていたが、休み時間は有紗の病室へ足を運び、そこで食事をした。

 切迫早産で入院してきた妊婦を何人も見ている。
 その妊婦達と状況が違うわけでもない。ただその妊婦が有紗だというだけでこんなにも不安が押し寄せてくるとは思ってもみなかった。
 しばらくの間特別室のソファで眠る日々が続き、それじゃ身体が休まらないと心配した有紗がせめて仮眠室で休んでほしいと願い出たため、圭理はしぶしぶそれに従うことにしたのだった。


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Date:2014/11/14
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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