空色なキモチ

□ 掌の鼓動 □

掌の鼓動 36 

第三十六話

現在 27




 土曜の夜から日曜の夜までしか見張りをすることができない郁弥と大学の講義やサークル活動が忙しい拓弥になかなかその時が訪れることはなかった。
 だけど拓弥ひとりの時に圭理が有紗の知り合いであることは確認できた。間違いなくあの時見た大人の男で、住まいも突き止めている。郁弥も地域新聞で圭理の顔を把握していた。

 梅雨開け宣言が発表された後の霧雨の日曜、郁弥は病院前のコインパーキング、拓弥は圭理のマンションの前にある大きめの公園で見張りを続けていた。
 車の窓から白くけぶる空を眺めながら、そろそろ拓弥と交代しようかとスマホを薄手の紺のパーカーのポケットから取り出す。
 拓弥は免許を持っていない。いざとなったら車を出すことができないからどうしても郁弥が車内待機になることが多い。もちろん見張りはしているけど申し訳ない気持ちになる。

 すでに今日の見張りを始めて一時間が経っていた。
 昼の十一時近くになり、わずかに空腹を覚えた郁弥は助手席に置いてあったコンビニ袋から菓子パンを取り出す。軽く腹を満たしてから交代しようと電話帳をスクロールさせて拓弥にかけようとした時、着信音が鳴り響いた。ちょうどかけようと思っていた拓弥からだった。

「もしも――」
『天道圭理の家から有紗ちゃんが出てきた!』
「えっ?」

 スマホのスピーカーボタンを押して助手席に放り投げ、震える手でエンジンを入れて車を出す。

『今すぐ来い! 車でどこかに行きそうだ!』

 有紗はずっと天道圭理の家にいたということだろうか。
 見張っていられなかった間に家に来たのかはわからない。だけどようやく有紗に会えると思ったら気持ちが高揚してゆく。

『だめだ、タクシーで追う!』

 携帯から拓弥の切羽詰まった声が聞こえてきた。
 拓弥がこんなにも取り乱すことは珍しい。むしろ見たことがない。
 有紗の追跡は郁弥のためというよりも拓弥自身のためなのだろうと思えてならなかった。それでも今は協力をしないと有紗の行方を辿れない。郁弥がここに来れなかった間、拓弥は何度も足を運んでくれていることも知っている。

『前の黒い車、そうです! 追ってください! あまり近づきすぎないで』

 拓弥の声に我に返る。
 すでに追う体勢はできている。拓弥の指示通り運転して追いかければいい。今は余計なことを考えている時じゃない。 

 拓弥の指示通りに運転してついた先は天道産婦人科病院から車で十五分程度の場所にある大型ショッピングモールだった。
 駐車場自体も広く、とりあえず空いているところに車を停めて降りる。いつの間にか電話口から拓弥の声が聞こえなくなくなっていたことに気づき、切れているのかと思ってかけ直そうと画面を見ると通話状態になったままだった。

「拓弥? 今どこだ」
『……』
「拓弥!」

 地下駐車場に反響した郁弥の声がやたら大きく聞こえる。
 車の間から出てきたカップルが驚いた表情でこっちを見ているのがわかって軽く頭を下げた。

「おい、拓弥」
『今、西館三階のエスカレーターを降りた右の店にいる』

 拓弥の声に覇気が感じられず、ひどく小さなもので不安が募る。
 地下駐車場のエレベーターを待つのがもどかしく、エスカレーターを見つけて駆け上った。一階の中央広場に大きな笹の葉が飾られている。
 もうすぐ七夕なんだなと思いながら笹の葉に楽しそうに短冊を飾る子ども達を見て、思わず目を細めてしまう。
 最近こうして土日に有紗を探す日が続いているため、曜日感覚はっきりしているものの日付のほうは鈍くなっていることに気づく。もう何か月有紗をまともに見ていないのだろうか。だけどそんな悶々とした日々ももうすぐ終わり。自然に先を急ぐ足が早まってゆく。
 ようやく三階のエスカレーターを上り、すぐに右側の店を確認すると入り口に変装用のキャップを目深にかぶった拓弥が佇んでいた。
 郁弥の存在に気づいた拓弥の顔が蒼白しているように見え、無意識に固唾を飲む。
 嫌な予感がして声をかけようとすると、拓弥が無言で店の中を指さした。その先に売り物の棚を見つめる有紗の横顔が見えた。

 その店は赤ちゃん用品の店で。
 売り物の陰になっていて、一瞬よく見えなかったけど覗き込むとすぐに拓弥の青ざめている理由がわかった。
 膨らんだおなかに左手を乗せ、守るようにしているその姿。
 薄手の桃色のカーディガンの下はデニム生地のマタニティドレス。足下はハイソックスにスニーカー。間違いなく有紗は妊娠していた。

 どくんどくんと高鳴る鼓動が耳に直接届いているのではないかと思うくらい煩い。 
 口の中が乾燥していて唾を飲み干そうとしても何も喉を通っていかない。だけど郁弥は何度も同じことを繰り返しつつ、驚かさないよう一歩ずつ時間をかけて有紗に近づいてゆく。
 その時、郁弥は気づいた。
 有紗のその左手の薬指に嵌められた指輪が一筋の光を放っていることに。

「うそ、だろ」

 口から自然に漏れた言葉。
 自分に言い聞かせるための、それが有紗の耳に届いていた。

「郁、くん」

 郁弥に気づいた有紗は目を大きく見開き、動きを止めた。
 有紗から目を離せず、かといってそれ以上近づけずにいた郁弥はその表情が悲しげに歪められるのをただただ見つめることしかできなかった。

「あ、り……」
「妻に何か用ですか?」

 すっ、と有紗の隣に並んだ背の高い男。
 まぶしいくらい爽やかな白のシャツにグレーのおしゃれなチノパン姿の天道圭理だった。
 すかさず有紗の肩を抱いた圭理の左手の薬指には有紗と同じ指輪が光っていることに愕然とした。

 目の前が一瞬霞み、ぐにゃりと歪んだように見えた。
 このまま意識を手放してしまうことができたのならどんなによかったか。そう思う反面倒れて堪るかと足には無意識に力が入り、根が生えたかのようにしっかりと立ち尽くしていた。

「有紗、知り合い?」
「高校の時の、同級生」
「そうなんだ、妻がお世話になっております」

 にこりと微笑んだ圭理が軽く頭を下げる。
 その笑みは一見友好的なもののようだったが、奥に潜む何かを感じ取った郁弥の背筋に冷たい汗が流れた。
 圭理が有紗を『妻』と連呼するのも、その作り笑いもなにもかもが気に入らず癇に障る。ただ苛立ちだけが沸々と増し、我知らず拳を握りしめていた。

「話は終わった? じゃ、行こうか」
「――待ってください!」

 有紗を促すように肩を抱き直す圭理が、それを引き止めた郁弥に鋭い視線を向ける。
 その瞬間、有紗が不安げな表情を浮かべたことに郁弥は気がついていた。 

「まだ何か?」
「少しだけ話をさせてください!」

 自分と同じくらいの身長の圭理に頭を下げる。
 その表情は見えないけど、あからさまに迷惑そうな小さなため息が聞こえてきた。

「これから用が――」
「圭くん、少しだけ。お願い」
 
 助け船を出してくれたのは有紗だった。


**


 一階のフードコートの一角に二人きりにさせてもらった。
 少し離れた場所で圭理が様子を窺っているのがわかる。だけど日曜日の昼食間際という時間も手伝って、客足も多くかなり騒がしい。話の内容までは聞こえていないはずだ。

 目の前のアイスコーヒーのカップを掴むとすでにびっちりと水滴が浮き、手を濡らす。
 有紗はオレンジジュースを頼み、それを引き寄せて両手で包み込むようにしている。その指に光る指輪を引き抜いて投げ捨てたい気持ちになった。

「結婚、したのか。あの人と」

 そんなことを話したい訳じゃない。
 だけど口から出たのはそんな言葉だった。

「……うん」

 目を伏せてジュースのストローに静かに口をつける有紗を自分はどんな目で見ていたのだろうか。ただ、胸が苦しかった。
 最後に見たのは卒業式。あの時よりも少しだけ頬の辺りがふっくらしているように思える。血色はとてもよく、リップ程度しか塗っていないだろう唇の色もいい。

 ――だけど、ぜんぜん幸せそうに見えない

 あの時『好きだ』と言ったのは嘘だったのか?
 そうじゃないならなんであの男と結婚した?
 聞きたいことは山ほどあるのに、言葉になってはくれなくて郁弥はもどかしい気持ちだった。

 そして――

「子ども」
「……うん」
「何か月?」
「……もうすぐ……八か月」
「それって、卒業式には妊娠に気づいていたってことだよな」

 下から睨みあげるように有紗を見据える。
 前の有紗なら郁弥のこんな態度におどおどしていたと思う。だけど今は違った。
 目を伏せたまま軽くうなずいて、苦笑いをしてみせた。
 その顔がとても大人びて見える。すでに母親の表情になっているように思えた。

「どうして言ってくれなかった」
「どうして?」
「だって、その子は――」
「そろそろいいかな? あまり時間がないものでね」

 テーブルの上にすっと腕が伸びてきた。まるで郁弥と有紗の間を裂くかのように、静かに冷ややかな感情をたたえた圭理が割り込んでくる。そのきれいな手が有紗のカップを掴みあげた。

「これ、捨ててくるから」
「……うん」

 まだ中身はほとんど減っていないジュースのカップを圭理が持ってゴミ箱の方へ向かってゆく。
 まだまだ話したいことがある。確認しなきゃいけないことだって。
 郁弥は慌ててポケットの中から手帳を取り出し、一枚破って殴り書きをしたものをテーブルに滑らせるようにして有紗へ渡した。
 
「俺の携帯とLINEのID。携帯替わっただろう」
「……うん」
「登録すると俺の名前表示されるから、名前の編集で『音葉』に変更して」
「でも……」
「連絡がほしい。頼む!」

 これで終わりなんて嫌だ、そうつぶやいていた。
 驚いたような表情の有紗が郁弥を見つめている。
 渡した手帳の切れ端をぎゅっと握りしめた有紗の唇がわずかに動いた。

「有紗、行くぞ」

 それを遮るかのようにゴミ箱の前で圭理に呼ばれ、その唇はあっけなく閉ざされる。
 それに答えた有紗が圭理の方へ向かって歩いて行ってしまう。

 今、何を言おうとしたの?
 そう尋ねたくて、郁弥が席を立ち上がった音に反応した有紗が振り返った。

「――むかえに、いく」

 小さな潜めた声でそう告げると、有紗の目が大きく見開かれた。
 きゅっと唇を噛みしめ、小さく首を振った有紗はやっぱり幸せそうには見えなかった。

 だから――

「まってて」

 再び潜めた声で、そうつぶやいていた。


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Date:2014/11/12
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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