空色なキモチ

□ 掌の鼓動 □

掌の鼓動 35

第三十五話

現在 26




 それからすぐ郁弥は車の免許を取得した。
 土曜の夜に仕事を終えてそのまま車で若槻家に向かい、その日は住んでいた部屋に泊まる。翌日はあてもなく有紗を探し、その日の夜遅くにに園田家に帰宅、翌日の仕事に備える日が続いた。

 不本意ながら拓弥から有紗の家があった場所を聞いた。
 そこは老朽化の進んだアパートで、築何年か想像もつかないほど古ぼけていた。ここに有紗が住んでいたと思うとなぜか悔しい気持ちがこみ上げた。
 そして拓弥から有紗の過去を聞いた。
 詳しい理由は話せないけど、父親がいないこと、母親はほぼ帰ってこないこと。ひとりだったけど寂しくないと言っていたこと。

「それはおまえがいたからだ。郁弥」

 悔しいけど認める、と拓弥が言った。
 だけどその有紗は郁弥の前から姿を消した。拓弥に認められても肝心の有紗がいなくなったのではそれも何の意味もない。
 クリスマスイブの日に有紗に言った言葉を思い出し、郁弥は苦虫を噛みつぶしたような顔になった。
 なぜか有紗には優しい両親が揃っていると勝手に思い込んでいた。あんなことを言ってしまって傷つけたかもしれないと、ひたすら後悔してもなにもかもが遅い。
 あの日、有紗はもうひとりはいやと言った。あの言葉にこんなにも切ない思いが込められているとは思いもせず、簡単にひとりにしないと言った自分を恥じるしかなかった。
 有紗がそんな思いをしていたなんて知らなかった。いや、知ろうとしていなかっただけだった。
 有紗のことに興味を持たず、ただ身体を繋げるだけ。それでも有紗は文句のひとつも零さず郁弥に尽くしてくれていた。今考えたらなぜそんなひどいことができたのか、ただただ悔やむことしかできない。
 
 有紗は看護助手の仕事に就くと言っていた。
 どこの病院のか、何科なのかも聞いたはずなのにうろ覚えだった。確か産婦人科と言っていたと思ったけど確実ではないことに腹が立つ。
 聞いたあの時、幸せすぎて浮かれていた自分を責めてもどうにもならない。
 少しでも手がかりがほしくて高校の担任のところに足を延ばしてみたけど入学手続きの時に提出した住所以外は知らないと言われた。せめてどこの病院に就職したのか尋ねても、個人情報だから教えられないと拒絶される。どうしても会いたいと伝え、なんとか教えてもらえないか頭を下げたが、本人の許可がない限りは不可能だと半ば強制的に追い返されてしまった。 

 高校時代の友人に聞いても有紗の行方はわからない。
 有紗と親しくしていた生徒は本当に自分以外にいなかったことを知り、愕然としてため息しか出なかった。


**
 

 五月中は比較的穏やかな気候が続いたものの六月に入りじめっとした時期になり、郁弥の身体にも疲労が蓄積し始めていた。
 見つけられないもどかしさと、二度と会えないかもしれないという不安、思うように動かない身体に苛立ちも増してゆく。 

「そうだ、前に有紗ちゃんを家の前まで送った時、大人の男に声をかけられたことがある」

 郁弥の部屋のソファに深く腰掛けた拓弥が思い出したように声を上げた。

「大人の男?」
「ああ、僕と郁弥を勘違いしてたみたいで急に詰め寄られた。確か有紗ちゃんが『圭くん』って呼んでてバイト先の先生だって」

 有紗の知り合いで大人の男。
 拓弥も詳しくは知らないと言う。背の高い美形の男で、有紗のことをかなり心配していたという情報しか得られなかった。
 しかも郁弥はその時初めて有紗が本屋以外の場所で掛け持ちでバイトしていたことを知った。
 有紗に口止めされていたと拓弥は言う。それでもなぜ教えてくれなかったのか、その理由を考えると、言えない状況にしていたのは自分自身だと当時の自分を責めたくなる。
 
「顔を見ればわかるか?」
「ああ、二度会ってるから」

 二度もその男に会っているという拓弥はそれだけ有紗の家へ足を運んでいたということだろう。
 聞けば送って行っただけと言うが、かなり親しくしていたことに違いない。嫉妬する権利なんかない。むしろ有紗が拓弥でなく郁弥を選んだことが不思議だったくらいだ。
 姿を消した今、有紗はもう郁弥に会いたくはないのかもしれない。
 それならばそっと手離してやるのが一番なのかもしれない。何度もそう考えた。だけど、それは不可能だった。
 もう一度だけでいいから会いたい。そして自分の本当の気持ちを伝えたい。
 有紗が必要なんだと、面と向かって伝えたかった。


 翌日の日曜は梅雨の合間の曇り空だった。

 有紗が住んでいた地域の辺りを歩いている人に聞き込みを開始した。
 最初に郁弥が声をかけたのは怪訝そうな表情を向けたおなかの大きい子連れの主婦。手を引いていた四、五歳くらいの男の子が背の高い郁弥の足下にからみつき、肩車を要求してきた。

「ほら、高いだろ」
「わーい! すごいたかいよ!」

 子どもに優しくしてくれたからかその主婦は、妊娠中で抱っこすらしてあげられないから助かると繰り返し、拓弥の話を聞いてくれた。 
 一方郁弥のほうは子どもが髪を掴んで身体を安定させるのを落とさないようにするのに必死だった。
 今までだったらこんなふうに髪を乱されたら腹が立ったはず。だけどなぜか今はそんな気持ちにはならなかった。髪をむしられても落ちないで楽しんでくれればそれでいいとさえ思えるようになっていた自分が不思議でならない。
 子どもなんて好きじゃなかったはずなのに。そう思いながら高い声で笑う男の子に話しかけていた。

「郁弥!」 
「なに? どうした?」
「すぐそこの天道産婦人科にけいすけっていう名前の医師がいるらしい。僕が覚えている背格好とも一致するみたいだ」

 産婦人科、病院だ。
 そこに有紗が勤めている可能性は高い。自分の記憶とも完全に条件が一致する。

「せんせーやさしいよ?」

 郁弥の頭の上で子どもが顔を近づけ、けたけたと笑い出した。
 
「知ってるの?」
「うんー! ちくん、しないでなおしてくれるのー」
「この子はその産婦人科で生まれたんですよ。で、今私が定期検診で通ってるものだからついでにこの子が風邪を引いた時診てもらっているんです」

 ふと思い立った郁弥が、子どもをおろしてジーンズのポケットからスマホを取り出し、主婦へ向けた。卒業式に撮った画像を見せる。

「この子、見たことないですか?」
「ああ。この子いましたよ。助産師さんとは違う色の白衣を着て、よく働いてましたね」
「本当ですか?」

 二人の男に詰め寄られて驚いたのか、主婦は一瞬身を引いた。

「ええ、最近は見かけてないけど……確か、二月くらいまではいたはず」

 いきなり得た有力な情報だった。
 主婦に病院の場所を聞き、訪ねてみることにした。

 拓弥が見た男は天道圭理で間違いないだろう。
 そして、有紗がその病院で今年の二月頃までバイトをしていた。天道圭理なら有紗の居場所を知っているはず。
 逸る気持ちを抑えられず、走り出そうとする郁弥を拓弥が止めた。

「天道圭理が僕達に有紗ちゃんの居場所を教えるとは思えない」
「どうして」
「言っただろう? 僕が郁弥に間違われて詰め寄られたこと。少なくともおまえに対していい印象は抱いているようには思えなかった」
「……」

 見ず知らずの天道圭理が郁弥に対して怒りの感情を抱いているとすれば、有紗から何かを伝えられているからに相違ない。
 
「それに、天道圭理は知っているんだ……」

 頭を俯け、拓弥が言いづらそうに言葉を濁す。
 なにを? そう尋ねるのが怖かった。もしかしたら、という思いが頭を過ぎる。そしてそれが間違いじゃないことはすぐに拓弥の口から聞かされたのだった。
 
 自分が有紗をセフレ扱いしていたのが悪い。
 だけど今は違う。本気で愛していて、結婚も考えている。
 
「だったら、どうすれば……」
「方法はひとつしかないよ、郁弥」


 天道産婦人科病院の斜め前にコインパーキングがある。
 そこに車を停め、二人は息を潜めて病院の門を見つめていた。
 中から天道圭理が出てくるかもしれない、出てこないかもしれない。時間が許す限りここで見張る。今日がだめなら来週、天道圭理が有紗と接触する日まで。
 拓弥も大学の講義の後に可能な限り見張りを続けると約束してくれた。

「おまえ、いいやつだな」
「出来の悪い弟を持つと苦労するよ」

 ひさしぶりに郁弥と拓弥の気持ちがひとつになった瞬間だった。
 このまま元のように親しい間柄に戻れたらいい。二人の思いは有紗の存在によって再び結びつけられた。
 
 しかしその日、圭理は病院から姿を現さなかった。


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Date:2014/11/11
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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