空色なキモチ

□ 満月の夜に見る夢は □

満月の夜に見る夢は 第3章 第36夜

 
 妊娠三ヶ月。

 その言葉は忘れられない。


 悔しくて、悲しくて目を閉じる。


 一生恨んでも恨みきれない。忌まわしい過去が、甦る――






「風間さん?」

 
 海原さんに声をかけられ、ふと我に戻る。
 覗きこまれるように顔を見つめられて、慌てて目を逸らした。

 そうだった、ここ会社の休憩室で――


「今日の昼休み、病院へ行ってね。ピンヒールはやめなさいって注意されちゃった。明日からは低い靴にしないとね」


 うれしそうに微笑む目の前の海原さんの頬が赤く染まっていた。
 この世の幸せを一手に集めたって思わせる屈託のないその表情に、わたしは悲しみよりも絶望に打ちひしがれた。
 
 
 海原さんが妊娠している……翔吾さんの子ども。


 まさか、という言葉はわたしの中に存在しなかった。

 あの人は……わたしを抱いた時も避妊しなかった。
 きっと、海原さんの時も……。

 
「あ、ごめんなさい。電話。じゃあね、お疲れ様でした」


 暖かそうなファーのついたロングコートを羽織って海原さんが休憩所を出て行く。

 あんな細いピンヒール……足首が締まって見えるかもしれないけど、躓いたらどうするの? 危ないじゃない。
 閉まった扉の向こうから幸せそうな笑い声が聞こえてきた。


 
 飲んだ湯飲みくらい片付けていきなさいよ。
 仮にもわたしは先輩なのに……なんで後輩の飲みかけの湯飲みを洗わないといけないの。

 手から何度も滑り落ちそうになった湯飲みをかろうじて落とさず洗い終え、元に戻した。




 海原さんが休憩室を出て、しばらくした後に自分も退出した。

 ノロノロと会社の通用門を出て空を見上げるともう真っ暗。
 やだ、このまま上を向いていないと涙が流れそう……。


「風間ちゃん?」

 
 後ろから聞き覚えのある声で聞き覚えのある呼ばれ方をした。
 振り返ると、三浦さんと斉木さんだった。

 わたしの顔を見るなり三浦さんが眉をしかめたのがわかった。


「風間、随分遅い帰りだな? 残業してたの?」
「どうしたの? 顔色悪いよ?」


 斉木さんと三浦さんの言葉が重なる。

 わたしを呼び捨てにしたのはもちろん同期の斉木さん。
 外は暗いけど会社の通用門の光が明るいから泣いたらすぐにばれてしまう。
 
 このふたりと話し合いをしていたはずの、翔吾さんの姿は、ない。
 もしかして、海原さん宛にかかってきた電話……。


「いえ、大丈夫です。失礼します」


 少しでも早く帰りたくて、すぐに顔を逸らして先を急いだ。






 妊娠三ヶ月。
 妊娠三ヶ月……妊娠三ヶ月……。

 海原さんが言ったあの一節が頭の中でリフレインし続ける。


 やめて! やめて! そんな言葉聞かせないで!


『妊娠三ヶ月なんです』


 ――――っ!!


 急に甦った、あの人の声。

 暑い夏、セミの鳴き声に……割れた湯飲みの音――







 ぎゅっと目を閉じると、立ちくらみがして身体がぐらりと揺れる。
 危ないと思った時、後ろから強い力で両肩を支えられた。


「大丈夫? 体調悪いんじゃないの?」

「みう……らさん?」

「うん、なんだかフラフラしてたから心配でさ。送るよ」


 すでに傍に斉木さんの姿はなかった。
 心配そうな三浦さんが後ろからわたしの顔を覗き込んでいる。
 

「あ、ごめんね。ずっと掴んでた。風間ちゃんの方から掴まって」


 わたしの右横に立った三浦さんが左肘をこちらへ差し出してくれた。
 躊躇いがちに三浦さんを見ると、困惑顔でニッと笑う。


「オレが触るとセクハラになっちゃうからさ、そっちからなら問題ないよね?」

「……」


 おずおずとそのコートの肘に手を伸ばす。

 掴もうとした瞬間、わたしの脳裏に翔吾さんの顔が浮かび上がった。
 うれしそうに、でも少し照れくさそうにわたしの名前を呼ぶあの人……。


 目の前の黒のコートの肘を掴む。
 それは音が鳴るくらいきつく、ぎゅうっと。

 だけど、手が、震えてしまう。


「風間……ちゃん?」

「……」

「ちょ……一旦離してくれる?」


 風間さんの皮の手袋の手がわたしの左手を自分の腕から離させた。
 ぎゅっと握りすぎたから嫌だったよね……コートがシワになっちゃう……。


 そう思った瞬間、いきなり左肩を抱かれた。
 少し強めの力で、ビックリして気づいた時には三浦さんの小脇に寄り添う形になっていた。
 

「え……?」


 見上げると、三浦さんはしっかり前を向いている。
 こっちを見ようともせず、わたしを促すように歩き出した。


「おいで」


 涙が滲んだ顔を見られなくてよかった、と単純にそう思ってしまった。
 その手が暖かくて、さらに涙が出そうになった。





 連れて来られたのは会社から駅に向かう道のりにある小さな公園。

 公園といってもブランコや滑り台があるわけでもない。
 真ん中に一本大きな外灯と、公園の敷地内を囲む花壇と小さなベンチ。そして入口に自動販売機が一台あるだけ。 

 その公園に入ってすぐ右奥のベンチは花壇の死角になって通路側から見えない。
 そこに座らされ、三浦さんが公園の入口の方へ戻っていく。
 その背中を見つめていたら自販で何かを買い、小走りでこっちへ戻って来た。


 わたしの左隣に三浦さんが座って、温かいカフェオレの缶を手渡された。
 ベンチは小さいからどうしても肩と肩が触れ合うくらい近づいてしまう。

 三浦さんが隣に座るまで少し寒く感じたけど、急に風が当たらなくなった。


 もしかして、風除けになって……くれてるの?


 ちらっと三浦さんを見ると、缶コーヒーを両手で包んで暖をとっている。
 視線は公園の真ん中にある外灯の方向、わたしの方を見ないように気遣ってくれているみたいだった。


「どこかお店に入ってもよかったんだけど……何か食べるとかそういう気分じゃなさそうだったから、ね」


 三浦さんが自分のコーヒーのプルタブを引くと、カシュッといい音がした。
 少しだけ漂うコーヒーの匂い。それに口をつけてベンチの背もたれに寄りかかり“はー”と小さく溜息のようなものを洩らした。その吐く息が白い。




 無言の時間が過ぎてゆく。


 何も言わず、何も訊かず三浦さんはコーヒーを飲みながら傍にいてくれる。
 わたしは受け取ったカフェオレの缶を両手で握りしめて俯いていた。

 何か言わないと、そうじゃないと三浦さんをずっとこんなことにつき合わせるわけにいかない。


「あ……あの……」


 下を向いたまま口を開いた時、わたしのコートのポケットの中で携帯電話が震えた。



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Date:2013/02/08
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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