空色なキモチ

□ 掌の鼓動 □

掌の鼓動 33

第三十三話

現在 24




 それからどうやって月日を過ごしたのか記憶に残っていない。

 郁弥からのメールは受信していたけど、返事はしていたのか全く身に覚えがなかった。
 すでに園田造園の方に引っ越しをして、見習い扱いで仕事を始めていること。休みの日は泥のように眠って身体中が痛いこと。なかなか時間がとれずに会えないのが寂しいと樹木の画像つきで送られてきていた。
 そのメールに対して有紗は『無理しすぎないでね』や『ゆっくり休んでね』など無難な一言で無意識に返していたようだった。

 妊娠を知った後、すぐに書店のバイトは辞めた。 
 悪阻はそんなに辛くはなかったけど、時折くるめまいに悩まされ立っていられなくなるくらいだった。現在はいくらか改善されているものの油断はできない。

「転倒には気をつけるんだ。少しでもおかしいと思ったらすぐに座るんだぞ」

 何度も圭理にそう言われ、結局産婦人科のバイトも現在は休職扱いになっている。
 めまいが落ち着いたら復帰したいとは思っているが、無理はしないよう圭理から言われている。もちろん理平や朋美も同じように言ってくれた。

 妊娠のことを二人に伝えたのは圭理だった。
 その場に同席していなかった有紗はどんな話し合いになったのかは知らない。だけど圭理のマンションに訪れた朋美は泣き出しそうな笑顔を向けてくれていた。

「何も心配せず、元気な赤ちゃんを産みなさい」

 圭理のベッドで横になったままの有紗の頭を何度も撫で、手を握ってくれた。理平も同じ思いでいるから安心しなさいとまで言ってくれた。
 ただただ申し訳ない気持ちだけが有紗の心にしこりのように残っていた。

 
**


 卒業式の日。
 最後の制服に身を包み、朋美が学校まで車で送ってくれた。
 式にも参列をしてくれる予定だったけど、その日出勤予定の事務員が数日前に急性虫垂炎で緊急入院してしまって代わりがいなかった。朋美は残念そうな顔で「具合が悪くなるまえにおかしいと思ったらすぐに座らせてもらうのよ」と口酸っぱく言って帰って行った。

 ひさしぶりの学校。
 校庭の桜は芽吹いてはいるが、まだ咲いてはいなかった。
 ここの桜を三年間見てきた。それも今日で終わり。
 
 ふと、郁弥に助けられた時のことを思い出す。 
 この時期ではなかったのに、なんでだろう。
 そう思いながらもかすかに笑みをこぼす有紗の腹部が一瞬じわりと熱くなったような感覚がした。

「有紗」

 聞き覚えのある声。
 全神経が背筋を駆け抜け、耳に集中したようにその声を自然に拾っていた。

「ふ、み……く」

 涙が出そうになるのを堪えるのに必死だった。
 
「ひさしぶり。ようやく会えた」
「う、ん」
「なかなか連絡できなくてごめんな。こっちに来る時間もなくて、今日も式の後に友達と約束があってさ」

 申し訳なさそうに手を合わせる郁弥に首を振った。
 
「またしばらくこっちには来れないけど、これからはまめに連絡するから。有紗も仕事頑張れよ」
「うん、ありがとう」

 郁弥に職種については話したけど詳しく仕事のことを話していない。就職先すらも。
 それでよかったと今なら思える。 


 式が終わり、校内や校門前で家族や友人達と写真を撮ったりしている生徒を見ながら有紗はゆっくり校舎を出た。
 これからクラス全員でカラオケに行くと言われ、初めて誘われたが用があるからと断った。残念そうな表情をしてくれる子もいたけど、自分のいる場所ではないという思いが強く、これ以上ここにはいたくなかった。

「有紗!」

 校門を出た時、郁弥に呼び止められた。
 郁弥の後ろには顔も知らない男女がたくさんいる。これから郁弥達もカラオケに行くのだろう。

「もう帰るのか?」
「うん、用事があって」
「そっか。じゃあんまり引き留められないな。写真だけいいか?」

 郁弥が制服のポケットからスマホを取り出すと、友人の方に向かって投げた。

「悪い、何枚か撮ってくれ」
「おーもしかしてつきあうことになったとか?」
「ああ、俺のもんだから手ぇ出すなよ」

 ぐいっと肩を抱き寄せられ、ふわりと郁弥の香りを感じた。
 思わず見上げたその顔はうれしそうに綻んでいる。スマホを向けた友人達に冷やかされて適当にあしらう郁弥のその姿を、有紗はシャッターを切るように自分の目に焼きつけていた。

「何? 見るのはあっちだぞ」

 有紗の視線に気づいたのか郁弥がこっちを見て笑う。
 
 お願い、気がつかないで。
 うれしくて、苦しくて、胸が張り裂けそうで泣きそうなことに。

 涙の膜でスマホを構えた郁弥の友人がよく見えなかった。
 だけど今できる精一杯の笑みを浮かべる。
 何枚もシャッターが切られ、二人の記憶を刻むかのように思えて胸が熱くなってゆく。

「なんで泣くんだよ」

 大きな手で頬を包まれ、涙をそっと拭われる。
 周りから冷やかされるのも気にせずに郁弥が有紗の顔を覗き込むようにした。
 なんとか上目遣いで郁弥と目を合わせて苦笑いしてみせる。ニッと口角をきゅっと釣り上げた郁弥の笑顔に目を奪われた。

 ――たぶん、今の笑顔を一生忘れない

「ごめ、ん」
「謝るなって」
「ありがとう」
「そうだ。それでいい」

 わしゃわしゃと頭を撫でられて、心地よさに目を閉じる。
 心に刻まれる一分一秒でも、郁弥との思い出を悲しいものにはしたくなくて思いきり笑ってみせた。

「じゃ、またな」
「――さよなら」

 何事もなかったかのように、二人は別れた。


**


 学校から少しだけ離れた駅に向かう途中の公園の入り口の横に見覚えのある車が停まっているのに気がついた。
 中から大きな真っ赤のバラの花束を抱えたスーツ姿の圭理がゆっくり出てくる。それはとてもスマートでまるでモデルのように見えた。
 仲のいい友人達と帰宅の途についているおそらく同級生の女生徒達が驚きの声を上げているのが聞こえた。横目で有紗と圭理を見ながら声をひそめて通り過ぎてゆく。

「卒業おめでとう」

 渡された花束からバラの香りがたち込めた。
 ぐらりとめまいを覚え、圭理の片手で腰を支えられる。

「大丈夫か?」
「うん……ありがとう。圭くん」
「親父が外来代わってくれて、卒業式に間に合った。よかったよ」

 ぎゅっと抱き寄せられ、堪えていた涙が溢れ出した。
 

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Date:2014/11/07
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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