空色なキモチ

□ 掌の鼓動 □

掌の鼓動 29

第二十九話

現在 20




 郁弥の荒い息遣いだけが薄暗い部屋に反響していた。
 
 ベッドの回りに生々しく落ちている避妊具のパッケージを見て、自分の欲が押さえきれなかったことに郁弥はひとり自嘲してしまう。
 すでに下になった有紗の意識はない。
 少し前に達し、限界だったのだろう。ぷつりと糸が切れたように郁弥にしがみつく力が失われていた。それでもやめることができず、そのまま有紗の中に留まり荒々しく揺さぶって自分が果てるまで穿ち続けた。

「最低だな、俺」

 ――やっぱり、とつけなかったのはそんな自分を認めたくなくて。変えたいと思ったからかもしれない。
 ひとりごちた郁弥がずるりと中から抜け出すと、すでに開いてしまっている有紗の膣口がひくりと蠢き、その中からどろりと白濁液が流れ出してきた。
 それを見て慌ててベッドサイドのティッシュをあてがいそっと拭くと、意識のない有紗の目頭に少しだけ力が込められた。

「どうして」

 まだ装着されたままになっている避妊具を見ると、液だめの部分からわずかに漏れ出しているのに気がついた。ひさしぶりすぎて装着に焦って傷をつけてしまったのかもしれない。それをはずし、ティッシュに包むとゴミ箱に投げ捨てた。
 膝を立てた状態の有紗の足をそっと伸ばして楽な体勢にし、蒸しタオルでその身体を丁寧に拭った。

「起きたらまた一緒に風呂に入ろうな」

 耳元で囁くと「うーん」と小さな声を上げた有紗が身じろいで反対側を向く。それが返事のようで郁弥はうれしくなっていた。


***


 郁弥の進路は急遽決まった。
 
 あれから園田郁人に連絡を取るのにしばらく迷い、数日経った頃に学校の前に現れたのはショートヘアで活発そうなセーラー服の少女。
 大きなショルダーバッグを抱えた少女はスレンダーな体型ですらっと足が長かった。女子にしては身長が高く、もしかしたら百七十センチ近いかもしれない。
 すでに秋から冬へ移行しようとしている肌寒い時期、日が暮れるのも早くまだ十六時前なのに薄暗くなろうとしていた。それなのにコートも着ないで佇んでいるのにちっとも寒さを感じさせない。

「若槻郁弥さんですよね?」

 他校の女子高生に声をかけられることは普段から多く、慣れていた郁弥だったがその部類とは違うように思えた。
 まるで品定めするようにじろじろと見つめられている。上目遣いと言えなくもないが、その視線には慕いの感情よりも怒りの方が近いようにも見える。怒りというよりは苛立ちだろうか。
 そしてその強い目力はどこか懐かしいような印象を受けた。

「いつまで待たせるの?」
「は?」
「いつになったら気づくのよ! お兄ちゃん!」

 肩に掛けていたショルダーバッグをしょい直した目の前の少女がそう言い放ち、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

「音葉だよ。あまりにも美人になったから気づかなかったの?」
「マジ、かよ」

 えへん、と胸を張るように腰に手を置いた目の前の少女は小さい頃に郁弥のそばで妹として育てられた音葉だった。
 幼い頃の音葉の写真は郁人が持っていたものを見ていた。確かにあの写真の母に抱かれた幼い少女の面影がある。だけど勝手に抱いたイメージは小柄な姿だった。それがこんなにも大きく成長し目の前に現れるとは夢にも思わなくて郁弥は驚きを隠せなかった。

「お兄ちゃんだってすぐにわかった。写真のママによく似てる」 

 うれしそうな笑顔の音葉は郁人によく似ていた。
 自分と血を分けた妹、そう思うとなんとなくくすぐったいような感覚が芽生えてくるから不思議だ。

 音葉は郁弥が通う高校にバレー部の遠征試合で訪れていた。
 メンバーと体育館に向かう途中、郁弥が女子生徒に名を呼ばれたのを見ていてすぐに兄だとわかったと話す。

「最近お父さんがお兄ちゃんに接触してるの知ってたしね。ここの高校だって話もしてた」

 音葉にがっしりと腕を掴まれ、離すように言っても聞き入れない。
 帰ろうとすれば阻まれ、どこに連れて行くのか尋ねれば「黙ってついてきて」と言うばかり。
 腕を組まれた状態で自宅とは真逆の方向の電車に乗せられる。
 郁人とは違って相手は女性。しかも仮にも妹を強引に振り払うこともできずそのままずるずるとついてきた先に見えたのは『園田造園』と書かれた大きな看板が立てかけられている一軒家だった。一階部分が車庫と倉庫になっていて、大きなトラックが二台止められている。
 郁弥の足がぴたりと止まるのを見て、音葉が家に向かって大声を上げた。

「おとーさーん! お兄ちゃん拉致って来たよー!」

 閑散とした住宅街に響きわたるような音葉の澄んだ高い声に郁弥がぎょっとした。人聞きが悪い、そう思ったけど本人はお構いなしに悪びれもせずにこにこしている。
 驚いた表情のまま飛び出してきた郁人は小汚い作業着姿だった。仕事中だったのだろう。郁弥を見た途端強ばった顔から力が抜けたが、すぐに元の表情に戻る。

「なんで勝手に郁弥に近づいた。父さんが説得するまで待てと――」
「だって! お父さんはお兄ちゃんと会うなって言われてたの知ってるから!」
「え?」

 郁人と音葉の言い争いを聞いて自分が声を上げてしまったのに気づき、慌てて口を押さえたけど時すでに遅く、二人の視線が郁弥に集まる。
 郁人はすぐに切なそうに顔をゆがめ、音葉を見つめ直した。ばつの悪そうな音葉の視線が泳ぎ出す。

「音葉、おまえ」
「あの日、知らない男の人がうちに来て、お父さんに頭を下げていたの見た」 

 音葉の言う『あの日』がいつのことだかはわからないけど、『知らない男』が克弥だということは郁弥にはすぐに分かった。
 だけどあの克弥が郁人に頭を下げるだろうかという疑問も同時に浮かび上がる。そこまでするほど自分は克弥に大事にされているとは思えない。鞠子の目を盗んで様子を見に来ることも最近はなくなっていたから。
 郁人だって会いに来ようと思えば来れたはず。先日、不意打ちで押し掛けてきた時のようにすることは可能なはずだ。それをしなかったのは克弥に説得されたからなのかもしれない。
 困窮したように俯いた郁人の手がきつく握りしめられ白くなっているのが見えた。

「だから私が連れて来れば――」

 郁弥の腕を掴んだままの音葉の手をそっと外す。
 悲しげな音葉の目が向けられているのはわかっていた。だけど。

「帰る」
「お兄ちゃん、どうして?」
「覚えておけ、この人は止められたくらいでやめるくらいにしか俺の事なんて思ってないの」

 自分よりわずかに背の低い郁人を見下ろすようにし、指を差しながらそう告げると弾かれたように顔を上げた郁人が血走った目で郁弥を見つめた。
 ――違う。
 目でそう訴えているようにしか見えない。でもそんなの信じられるはずもない。

「どうせ金でもちらつかされたんだろ?」
「……がう」
「あいつもそこまでして俺を若槻に縛りつける意味がわかんねえ。俺なんてただの邪魔者のはずなのに……あ、そうか。奪われるのはプライドが許さないって――」

 そこまで言って郁弥の言葉が遮られた。
 左頬に痛みが走ったと同時に郁弥の身体が後ろに倒れ込み、気づいた時には地面に叩きつけられていた。
 目の前に立つ郁人が息を切らし、拳を握りしめている。
 殴られたとわかるまで少しの時間を要した。

「……ってえな」
「勘違いするな! 若槻さんだって俺だって……どんな思いでおまえをっ、なんでわかってくれないんだ。大事だからこそ必死で頭を下げるし、俺だって若槻さんの気持ちがわかるからこそ……」

 おもむろにしゃがみ込んだ郁人に強く肩を掴まれて揺さぶられる。
 頭がぐらんぐらんと揺れ、思考が追いつかない。
 郁人の目が潤みだしているのを見て、郁弥は目を瞠った。

「我が子を手放すのがどれだけ辛いかなんて……今はわかってなんてもらえないんだろうな。だけどな、郁弥。おまえにもいずれ子どもができれば分かるよ。殴って悪かった」

 切なそうな表情で笑みを浮かべた郁人の大きなごつごつした手に頬を包まれ、唇の端を拭われた。
 血が出ていたのかもしれない。じんじんと痛む頬は暖かな手で包まれただけで痺れたような感覚がした。だけど不思議と怒りは荒波が引いたように静まってしまっている。
 すくっと立ち上がった郁人の手が郁弥の腕を掴んで立ち上がらせた。

「――ても、俺にとってもおまえは大事な息子なんだ」

 小声で囁かれたその言葉は音葉には聞こえていなかっただろう。
 
 血の繋がりはなくても――

 やはり自分は郁人のではなく克弥の子だった。
 今まで誰にも聞けずにひとり思い悩んでいた事実が今明らかにされた。
 調べようと思えば調べられたはず、だけど郁弥はあえてそれをしようとはしなかった。事実を知って何が変わるのか。本当の親に捨てられた事実と向き合うのが怖かったのかもしれない。確かに郁弥と克弥の耳たぶや爪の形は似ている。だけどそれだけのことで本当の親子と決めつけるのもしゃくだった。
 音葉には内緒にしていることなのだろう。自分ですら知らなかった事実を先に知られているよりはよかった。

 ぽん、と肩を叩かれ倉庫に戻っていこうとする郁人の背中が酷く寂しげに見えた。
 このまま郁人と別れたら何かを失うような気がした。
 この男のことを何も知らない。だけど、なぜか胸のあたりがじんと熱くなる。まるで魂が共鳴しているかのように――

「本気でそう思ってるなら……本当のことを教えてくれよ」

 気後れした気持ちが郁弥の口から小さな声となって吐き出されたのを郁人は聞き逃してはいなかった。
 泣き出しそうな顔で振り返った郁人は強く、深くうなずいた。

 
 それから郁弥は学校帰りに『園田造園』に足を運ぶことが多くなった。
 すでに祖父は他界しており、郁人は園田造園の社長となっていた。祖母は健在だったがやや足腰が弱っているようで、外に出る時は杖を使用している。郁弥が訪れて涙を流しながら喜んでくれた。
 園田家の主婦代わりは祖母と音葉だった。部活が終わって帰ってきてから祖母と一緒に食事の支度をしている。小さい頃から包丁を握っていた音葉の得意料理は煮物系だという。

 郁人は克弥に会いに行った。
 郁弥が望む限り、園田家への出入りを許可してほしいと頭を下げた。
 最初、克弥はいい顔をしなかった。だけど一緒に頭を下げて許可を得ようとする郁弥を見、本人の希望であるのなら強く断ることはできなかった。過去から現在にかけて若槻家での郁弥の処遇を考えたらそれ以上強く出ることはしなかった。
 郁人は郁弥から幼い頃からの若槻家での待遇を聞かされていたため、克弥に会わないようにと頭を下げられても突っぱねることはできた。だけど克弥の思いや肝心の郁弥の気持ちを尊重し、強引に事を進めることはしなかったと後で聞かされた。

 進路についても郁人と腹を割って話し合った。
 もちろん郁弥の希望を優先するのが第一で、もし決まってないのであればと園田造園への就職を提示された。
 郁弥に残してやれるのはこの技術だけ。もし郁弥にその気がないのであれば自分の代で途絶えることも覚悟している。少しでもやる気があるのであればやってみないかとなるべく重くならないように話を持ちかけてくれた。


***


 そして今。
 腕の中で眠る有紗が目覚めたらすべてを打ち明けるつもりでいた。
 幼少時代のことから現在までの自身の生い立ちを。

 すでに窓の外は少しだけ明るくなってきている。
 心地よさそうに眠る有紗の頬にかかった髪を指で梳く。郁弥の顔に自然と笑みが零れた。

 早く目覚めてほしい。

 この時、郁弥は先々のことを考えていた。

 
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Date:2014/11/02
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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2014/11/02 【】  # 

* むつはるさま


こんばんは。コメントありがとうございます!
いつも本当にうれしいです♪

じっくり読んでくださって本当にありがたくて(涙)
郁弥もいろんなことに耐えて生きてきて、そんな自分を無条件に受け入れてくれた有紗に甘えてしまっていたのかもしれません。
今の郁弥でしたら有紗に相応しいかもしれませんね(*´∇`*)

昨日は更新をお休みしてしまいましたが、今日はこれからする予定です。
いつも楽しみにしてくださってありがとうございます。
本当に心から感謝しております(*´∀`*)<アリガトウ

2014/11/04 【こなつ】 URL #- 

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