空色なキモチ

□ 掌の鼓動 □

掌の鼓動 26

第二十六話

現在 17




 クリスマスイブの前日。
 その日も拓弥にバイトの有無を尋ねられ、書店のバイトだと言うと終了時刻の二十時に待っていた。
 向かいのファストフードでは拓弥の顔を覚えられているのではないかと思うくらい頻回なことだった。
 バイトの仲間にも恋人なのかと問われて違うと答えるしかなく、そんなふうに噂になってしまうのも拓弥に対して申し訳なかった。
 時々食事に誘われることもあったけど、有紗は断り続けた。
 受け入れれば拓弥に払わせることになるとわかっていたから。その都度『残念』と肩を竦める拓弥を見て、次もし誘われた時はどう断ればいいのか有紗は悩むようになっていた。
 すでに推薦で大学も決まっていて暇だからと繰り返す拓弥にここには来ないでほしいというのも気が引けた。強引にすることもなく、二駅先の有紗の家のアパートまで他愛もない会話をしながら送って帰って行く。ただそれだけ。だけど恋人でもない拓弥にこうしてもらうことも申し訳ない。
 書店のバイトを辞めればこういうこともなくなるはず。でも高校を卒業するまでは続けたかった。バイトの仲間も社員の人達もみんな優しく接してくれたし居心地がよかったから。

「明日もバイト?」

 有紗のアパートの前で拓弥がそう尋ねてきた。
 いつもは帰り際に翌日のことを聞いて来たりはしない。
 着いたら帰ってくるまでの楽しい道のりが嘘だったような感じで『またね』と素っ気なく去って行くのに。
  
「いいや、聞いても会えないかもしれないから」

 かけていたショルダーバッグを開けて、拓弥がごそごそと探り出す。
 明日はクリスマスイブできっと予定があるからそう聞いてきたのだろう。
 有紗には書店のバイトの予定しかなかった。クリスマスイブとその翌日は入れるバイトが少ないから助かると言われ、すでに終業式が終わっていた有紗は昼から二十時までの仕事の予定になっていた。

「これを」

 そう言って目の前に差し出されたのは紺色に雪の結晶のイラストが描かれた掌にすっぽりと収まるくらいのサイズの箱で、鮮やかな赤いリボンが結ばれていた。それがクリスマスプレゼントだということは一目瞭然だった。

「この前口紅似合わないって言ったろ? あれからしなくなってたから気になってた。本当はもっといいものをと思ったけど、有紗ちゃん気を遣うと思ったから」
「あれは……」
「これなら似合うと思う」

 俯いた視界にその箱が入ってくる。
 こんなふうにしてもらう理由がない。有紗は拓弥にプレゼントを用意しているわけでもないし、そういう仲でもない。
 そう言いたかったけど言葉にならず、受け取れるわけもなく有紗は無言で一歩後ずさりしていた。
 それに気づいた拓弥は無理に距離を縮めることもなく小さく白い息をひとつ吐き出した。

「受け取ってもらえないと困るんだ。他にあげる人もいないしね。僕はつけないし」
「でも」

 拓弥の顔を見れずに俯いたままの有紗の手が取られ、その上に箱を乗せられた。
 口紅一本なら軽いはずなのになぜか重みを感じたのは気持ちの問題だろう。 
 離された手がひんやりする。有紗も拓弥も手袋はしていなかった。冷たい外気に握られた手の温もりはすぐに消え去ってゆく。
 しばらくお互い何も言わずにわずかに時間が過ぎ去った。身体が冷えていくのに気づき、有紗が口を開いた。

「ありがとう、ございます」
「ううん、気に入ってもらえたらうれしい」
「いつも優しくしてくれて、本当に感謝しています」

 深々と頭を下げ、その箱を両手で包み込んだ。
 これ以上固辞するのは逆に失礼だと思って受け取ることにした。今からでもプレゼントを用意すればいい。
 有紗から拓弥に連絡をしたことは今までに一度もないが、クリスマスの翌日辺りにプレゼントを渡したいとメールすれば少しくらい時間をとってもらえるだろうかとわずかな時間で思案していた。

「有紗ちゃん」

 急に名を呼ばれ、顔を上げると拓弥が真剣な表情で有紗を見つめていた。
 そこから張りつめたような緊張が読みとれて、有紗は思わず息を飲む。

「郁弥とは、どうなっているの?」

 その質問に有紗の目が泳ぎ出す。
 二人きりの時に拓弥が郁弥の名前を口にすることはほぼなかった。少なくともバイト終了後の帰り道では一度もなかったはず。一緒に食事した時でさえなかった。そして今一番聞かれたくないことだった。
 視線を逸らすことでその意を汲んでもらえるかもしれないとわずかな期待を抱いていた。
 拓弥は有紗のそんな気持ちに気づいていたかもしれない。だけどそのまま続けた。

「最近有紗ちゃんうちに来てないでしょう? 郁弥も部屋にいないこと多いみたいだし」

 郁弥が部屋にいない。そんな気はしていた。
 連絡がない時点で自分は用済み。他の人と会っているのだろう。
 ぐっと熱い何かが喉元にこみ上げてきて圧迫するような苦しさを感じた時。

「君が好きだ」

 まるで風が吹くかのように、さらりと自然にその言葉が舞い降りてきた。
 一瞬何が起きたかわからなかった。耳を疑ったけど拓弥の表情は嘘を言っているようなものではない。真剣そのものだった。

「僕なら君にそんな思いをさせない」

 気づかぬうちに有紗は涙を零していた。
 拓弥の暖かい手が優しく頬を包みその雫を拭う。拓弥の大きな黒い瞳いっぱいに自分が映し出されているのに気づいていたけど顔を持ち上げられるようにされて視線を逸らすことはできなかった。
 どくんどくんと加速していく鼓動。
 初めてされた告白に言葉も出ず、ただ唇を震わせていた。

「僕は、郁弥みたいに君をセフレになんかしない。だから――」
「どういうことだ」

 拓弥の言葉に驚いて目を見開いた有紗が次の瞬間、割り込むように入ってきた硬くて怒りを含んだ声に動揺を隠せなかった。
 鬼のような形相で立ち尽くす圭理の姿を見て、苦しいくらいに有紗の胸が締めつけられる。
 拓弥が有紗と郁弥の関係を知っていたのも、圭理にそれがバレてしまったのも泣き出したいくらいに感情をかき乱されてうまく息もできなかった。

「セフレってどういうことだ!」

 わずかな隙に圭理が二人の間に割って入り、拓弥の胸倉を掴み上げた。
 だけど拓弥は抵抗せずに圭理をじっと見つめている。

「圭くんやめて」
「おまえの弟は有紗をそんなふうに扱っているのか!」
「圭くん!」

 止めようとして圭理の背中にしがみつくと、低く潜めた声が悔しそうに絞り出された。

「なんでだよ……なんでそんな目にあってるのにおまえは」

 拓弥の胸元が開放されたのと同時に目が合った。
 ばつの悪そうな表情の拓弥と涙で目元が潤んだ有紗。先に視線を逸らしたのは有紗だった。

「ごめんなさい……圭くん」
「なんでおまえが謝るんだ!」

 どうにもならない感情を吐き捨てるように圭理が声を荒らげた。
 わずかに身体を震わせ、手は色が変わるくらいに強く握りしめられている。
 ちっ、と大きな舌打ちが聞こえ圭理が自分のトレンチコートのポケットからスマホを取り出して拓弥に向けた。

「弟を今すぐここへ呼べ」
「圭くん、どうして」
「いいから呼べって言ってるんだ!」

 有紗の問いかけにも抑えきれない感情が爆発し、圭理は怒鳴り声をあげていた。
 圭理のスマホを手にしようとはせず、拓弥は自分のコートからスマホを取り出して発信しようとしている。

「拓弥さん! かけないで!」
「でも」
「お願い、郁くんを呼ばないで……わたしが望んだことなの……それに」

 喉元が苦しくてうまく声が出ない。
 冷たい空気を何度かゆっくり吸い込んで、自身を落ち着かせようとした。

「も、終わったの……だから」

 声が震え、ぼろぼろと涙が零れ落ちていくのを止めることはできなかった。
 なんでこんなに郁弥が好きなのか、郁弥じゃなきゃだめなのかわからない。
 彼の寂しそうな姿が自身に重なり、わかりあえるような気がしていた。
 何の確信もないのに有紗の気持ちを郁弥ならわかってくれそうな気がしていた。だけどそんなのはすべて夢物語で。

「本当なのか?」

 圭理に聞かれ、深くうなずく。
 自分で認めたのだから、もう諦めないといけない。
 しがみついていた圭理の背中から離れ、有紗はもう一度力なくうなずいた。


 
 どうやって部屋に戻ってきたのか覚えていない。
 圭理と拓弥をその場に放置し、気づいたら家の中にいた。ほとんど何もない部屋にちゃぶ台。冷ややかで真っ暗で寂しい。

 だけど考えてみればずっとこれが当たり前だった。
 高校二年になって郁弥に出会って、有紗はひとりじゃないような気になっていた。だけどそんなのはただの独りよがり。
 自分には圭理がいる。そして理平も朋美も優しくしてくれる。赤の他人なのにこんなにも親切にしてくれる人がいるだけで幸せなことなのに。

 そう言い聞かせて布団に潜り込むけど、しばらく涙が溢れて止まらなかった。


→ NEXT
→ BACK
    web拍手 by FC2
*    *    *

Information

Date:2014/10/30
Trackback:0
Comment:0
Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

Comment

コメントの投稿








 ブログ管理者以外には秘密にする

Trackback

TrackbackUrl:http://ageha572.blog.fc2.com/tb.php/402-d9b378e7
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)