空色なキモチ

□ 掌の鼓動 □

掌の鼓動 25

第二十五話

現在 16




 いまだかつてない怖い表情の圭理が去って行く拓弥の背中を射抜くように見つめていた。
 圭理のピリピリした感情を読み取ろうと様子を窺っているのか、有紗の方からも何も問いかけはしなかった。むしろできないといった方が正しいのかもしれない。
 しばらくして、圭理が感情を消し去ったような目で有紗に視線を向ける。

「今の男とつきあってるのか?」
「え? 違うよ! どうして……」
「そっか」

 いきなり力が抜けたように圭理の表情がふわりと優しいものに変わり、それにほっとした有紗が戸惑いながらも笑みを返した。
 なぜ圭理が初対面の拓弥にあんな態度を取った理由が有紗にはわかっていた。郁弥をよく思っていないから。
 いつも困った時に、それも郁弥絡みのことばかりで圭理を頼っているせいだと反省していた。
 
「それならこんなに遅くなるまで一緒にいるんじゃない。誤解を招くことになる」
「誤解?」
「ああ、まあ……いいからもう少し早く帰ってくるようにしなさい」
「はーい。圭くんお父さんみたい」
「ひどいな。そんなには年離れてないだろ」

 圭理の大きな手でくしゃっと髪をかき乱すようにされ、逃げようとする有紗をすかさず片手で引き寄せる。自分の胸に背中を預けた有紗がはしゃぐようにして高い笑い声をあげながらもがきだした。
 そうしながら有紗の部屋の真っ暗なままの窓ガラスを見上げる。この家は有紗がいない限り電気が灯されることはない。帰りに通って見上げても電気がついていない時は有紗が不在とすぐにわかる。
 母親の美春は長いこと見かけていない。きっと帰ってこなくなったのだろう。
 有紗の家に暖房器具はない。こたつはかろうじてあるものの電源はつけていないかもしれない。電気代を節約して毛布を掛けて寒さをしのいでいる有紗を想像するだけで胸が締めつけられそうになる。

「うちに来ないか。一緒に飯食おう」
「もう食べちゃったの。ごめんなさい。圭くん今日遅くない?」
「ああ、出産が入ってさ。夜中に呼び出されるかと思ってたけど思ったより早く産気づいてスムーズに生まれてくれたからよかったよ」

 すべてのお産が正常分娩というわけではない。
 いくら場数を踏んでもいつも最初は手が震え、ただただ不安が押し寄せる。何事も起きませんように、無事に生まれてきますようにと祈る思いで臨む。
 仮死状態で生まれてくる場合もある。そして救命措置をしても助からない場合も少なからずある。
 何回死産を経験しても慣れるものではない。辛いのは母親だということもわかっているが、どうしても悔いが残る。なんとかならなかったのかと自分を責めることも多い。現在の医学ではどうにもならないこともわかっているのに。

「ああ、腰が痛い」
「ご飯作ろうか? 確か圭くんの家の冷凍庫にうどんがあった気がするから」
「あ、本当? 助かる。早く座りたいんだ。年かな」

 腰を撫でるようにすると有紗がくすくすと笑いながら優しくとんとんと叩く。
 本当はさほど痛くはない。だけどそう言えば有紗が家に来てくれるような気がして、つい嘘をついてしまっていた。


 有紗は圭理のマンションに来ても絶対に泊まりはしない。
 実家暮らしの時は泊まることもあったけど、圭理がひとり暮らしをするようになりそのマンションでは一度もない。
 今日は特に冷える。泊まっていくように促しても曖昧に首を傾げて考えるフリをしている。
 もしかしたら圭理が風呂に入っている間に帰ってしまうかもしれない。  

「あのアパートじゃ寒いだろう。オレのこと警戒してるの?」
「違うけど……」
「じゃあ泊まっていけよ。ベッドで寝ていいから」
「でもそれじゃ圭くんが」
「はいはい、いいからいいから。先に風呂に入ってさっさと寝なさい」

 自分のスウェットを持たせ、半ば強引に浴室へ押し込むと扉越しに「ありがとう」と聞こえてきた。
 お礼を言われるようなことではない。圭理が有紗をほっとけないだけだ。ただの自己満足にすぎないのに。

 アパートに電気がついてないとどこにいるのか考えた時、『郁くん』の家しかないと勘ぐってしまう。
 それならさっき会った兄の拓弥も絡んでいるのであろう。家族の許しは出ているのだろうか。有紗は歓迎されているのだろうか。息苦しい思いはしていないのか、考えれば考えるほどもやもやしてきてそれ以上の思考を遮断したくなる。
 冷静に考えれば避妊もろくにできない弟よりは兄の拓弥のほうが有紗にはいいはずだ。
 挨拶はきちんとできるし、礼節をわきまえているようにも見えた。だけどさっき拓弥と有紗が親しげに見つめ合っている姿を見て平静を失ってしまっていた。
 美春は有紗を見捨てている。それなら自分の家の空いている部屋で暮らすのもありなのではないかと考えてしまうのは当たり前のことなのか、それとも特別な感情が邪魔をしているのか、圭理は自分で自分の気持ちがわからなくなっていた。


**


 その後、郁弥は多忙なのかなかなか書店のバイト後に会うことができなくなっていた。
 部屋で待っていると言いたかったけど、それすら伝えることもできずに断られてまっすぐ家に帰る日々が続く。メールを送っても返信が来ないこともあった。
 しつこくすれば嫌われる気がして怖かった。
 そうやって郁弥から突き放された女友達を何人か見ている。だからできなかった。

 もちろん有紗が不安になる要素はそれだけではない。
 郁弥が急に会えなくなる前、十二月に入って間もない頃のこと。
 学校前で背が高くショートヘアの元気いっぱいの他校の女子生徒に腕を引かれながら歩いていく郁弥の姿を校舎の中から見ていた。
 そしてその数日前、学校の廊下で見かけた郁弥は電話をしながら歩いていた。聞き覚えのない女の子の名前を口にして楽しそうに笑い、すれ違う有紗の存在に気づくことすらなかった。

 郁弥は自分に飽きたのだ。そう思ったら脱力感に似たようなものを感じた。
 やはり誰にも必要とはされない。一時求められてもいずれは手放される。覚悟はしていたはずなのに、どうしてもその痛みに慣れることはできなかった。
 幼い頃は優しかった母を思い浮かべて悲しくなった有紗は書店のバイト後にも郁弥に連絡をしないようになっていた。そして郁弥の方から連絡が来ることもなかった。

 連絡をしなくなったのにはもうひとつ理由があった。 
 数日前に拓弥から郁弥と莉彩の関係について全てを聞かされたから。
 不思議と冷静な気持ちでその話を受け入れ、話した拓弥のほうが傷ついた顔をするくらいだった。
 郁弥の思い人は今、どこで何をしているのだろうか。
 顔も知らない莉彩の存在。郁弥に深く思われていることがうらやましかったけれど、恨めしいとは思えなかった。自分が莉彩にかなうことは今後も一度たりとも無いのだろうと、諦めの気持ちしかなかった。
 それにきっと莉彩だって辛い思いをたくさんしてきたに違いない。そして今でも安定しない状況で生活しているのかもしれないと思うと胸が苦しかった。

 莉彩は郁弥ではなく拓弥を選んだ。
 話の流れから有紗はそう思ったけど、拓弥は違うと言った。彼女は少し揺れていただけで郁弥を思っていたはずだと拓弥の願望ともとれるようなことを口にしていた。
 本当の莉彩の気持ちは本人にしかわからない。わかったところで有紗には何も変わらない。
 唯一変わったのは拓弥と頻繁に連絡を取るようになったこと。
 有紗がメールをしなくても拓弥は連絡をしてきた。その返信をしなくても一日最低三回は何気ないメッセージが届くようになっていた。
 大抵『おはよう』や『おやすみ』などの挨拶系、そして当日のバイトの有無を問うもので、深く介入するような内容ではない。
 だけど有紗の心の中はなぜか靄がかかったような居心地の悪さを感じていた。
 拓弥はあの日の夜に有紗のアパートの前で会った圭理の存在を知っている。
 圭理とはどういう関係なのか問われて咄嗟に『バイト先の先生』と言ってしまい、本屋の他でも働いていることをばらしてしまっていた。
 それだけではなく、なぜそんなにもバイトをしているのかも聞かれてしまい、詳しくは教えなかったものの家庭の事情で親とは別に暮らしていることもそれとなく話す羽目になった。もちろん郁弥への口止めは忘れてはいないけど、話すべきではなかったといまだに後悔している。

 今では拓弥のほうが郁弥の知りえない有紗のことを深く知っている。
 そしてこれ以上、深く関わらないでほしいとも思っていた。
 拓弥が伝えたかったであろう莉彩のことも全て聞いたはずのに、なぜ連絡を取り続けるのか有紗は理解できずにいた。


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Date:2014/10/29
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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2014/10/29 【】  # 

* むつはるさま

こんにちは。いつも読んでいただけてうれしいです。ありがとうございます。
携帯からも拍手を押せるようにしたかったのですが、知識がなくてなかなか難儀しています。
こうしてメッセージをいただけて飛び上るほどよろこんでました(本当ですよ)

素敵なお話とおっしゃっていただけてうれしかったです。
まだ中盤くらいだと思いますが、今後もお付き合いいただけますよう頑張りますのでよろしくお願いします。
本当にありがとうございました。
2014/10/30 【こなつ】 URL #- 

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