空色なキモチ

□ 掌の鼓動 □

掌の鼓動 24

第二十四話

現在 15




 郁弥は園田郁人があの時自分のコートのポケットにねじ込んだ名刺を捨てることができずにいた。
 そこには自宅と郁人の携帯番号、そして住所が記載されている。
 どうして郁人がそうしたのか、その名刺の意味を考えても答えはひとつしか見つからない。郁弥からの連絡を待っているのだろう。
 それはなぜ。今更のようだけど郁人はやはり自分を手放したのではなかったのかもしれない。そうとしか思えなくなっていた。
 
 たった一度、それもあんな短い時間に話しただけで絆されたとは思いたくはない。
 だけどあの優しい目は嘘ではないと思いたかった。それは郁弥の願いでもあり希望でもあった。

 名刺には『園田造園』と書かれている。
 造園業を行うにはうってつけの名字だと思い、人知れず笑っている自分に気づいて居住まいを正す。ソファ前のローテーブルに置いた郁人の名刺の隣にスマホを並べ、コールしようかしまいかしばらく考えあぐねるのだった。


**


「うぅ、寒い」

 本屋のバイトを終え、裏口から外へ出ると冷たい木枯らしが頬を刺すような痛みを与えてくる。
 そろそろ雪になるかもしれないと思いながら有紗は夜空を見上げた。
 冬は空気が澄んでいるからかネオン街でもかすかに星が見える。街路樹には少しだけ早いクリスマスムードが漂う電飾が施されていた。

「おつかれ」

 書店の前のガードレールに凭れるようにして拓弥が立っていた。
 コートの下は制服だろう。スラックスの色がそうだからすぐにわかる。
 今日は書店のバイトの後、拓弥にパフェを奢る約束をしていた。
 書店の向かいの車道を挟んだ先にあるファストフードで待っているとメールで連絡しあい、有紗が仕事を終えたら行く予定になっていたのにすでに拓弥は書店の前で待っていた。寒いからそこで待ち合わせしたのにと唇を尖らせる有紗に拓弥が苦笑いを向ける。


 拓弥が連れて来たお店は洋館風の作りで煉瓦の壁とアンティーク調の壁掛けの振り子時計がおしゃれな感じだった。メニューも洋食が主で、ゴージャスなパフェの画像も魅力的だが、ふわふわのオムライスがおすすめとも書かれていた。それを見るだけでおなかがぐぅと鳴ってしまう。

「制服デートみたいだね」

 店に入って窓際の向かい合わせの席についた途端、拓弥がテーブルに頬杖をついてそんなことを言うもんだから有紗は慌てふためいた。
 今日、郁弥は家にいないというので拓弥の申し出を受け入れることにした。
 奢るという約束をしておきながらなかなか遂行できないのは心残りだったからちょうどよかったとは思う。だけど郁弥には拓弥と一緒だということは話していない。そもそもお礼をする理由も話していないのだから話せるはずもない。
 これが最初で最後という気持ちで一緒に食事をすることを受け入れた。
 それなのにそんなふうに言われてしまうと郁弥を裏切ってしまったような気持ちになってしまう。

「冗談だよ。深く考えないで。もう制服の期間も短いからふとそう思っただけ」
「もう……拓弥さんったら」

 その言葉を聞いてほっとして安堵の笑みを浮かべると、拓弥がいたずらっぽくおどけてみせた。
 
「だってさあ、制服デートとか憧れない? してみたかったなって思うわけよ。この気持ち有紗ちゃんにはわかんないだろうな」

 はあっとわざとらしく大きな吐息をついた拓弥がテーブルに突っ伏すような体勢をとる。

「わっ、わかりますよ……それに拓弥さんが制服デートしたことないって方が信憑性ないです」
「え、なんでよ。僕に彼女がいると思う?」
「はい」
「心外だな。彼女がいたらこうして別の女の子を誘って食事に来たりなんかしないよ」

 ぷくっと頬を膨らませる拓弥がおかしくてつい笑ってしまった。
 そこ笑うところじゃないと言われたけど、本人が笑いを堪えてるから全く説得力がなかった。
 男性を目の前にしたら緊張のあまりどもってしまう有紗も拓弥は慣れたのかスムーズに会話できるようになっていた。

 目の前に置かれた卵ふわふわのオムライスの上には玉ねぎやマッシュルームの混ざったあつあつのデミグラスソースがかけられている。スプーンを差し込むと中からオレンジ色のチキンライスが顔を覗かせた。どちらからも湯気が立ちこめて口の中に唾液がたまってゆく。セットのサラダはサウザンアイランドの白いドレッシングが艶やかでレタスもキュウリもトマトもしゃきしゃきですべて甘く感じた。
 滅多に外食しない有紗にとってはすべてがごちそうだった。本当においしくて涙が出そうなくらいに。
 そんなふうにおいしそうに食べる有紗を見て、拓弥もうれしそうに顔を綻ばせた。


**


「結局お金払わせてくれなかったじゃないですか」

 店から出る時、財布を出そうとした有紗を止めて結局支払いをしたのは拓弥だった。奢る約束で来たはずなのにと不満げに財布を開いて札を出そうとする有紗の手を制して首を横に振る。
 ここの店には友人と何度か来たけどあんなにもおいしそうな表情をしたのは有紗が初めてだった。隠れ家的な店としてあまり教えないようにしてきたが、有紗を連れてきてよかったと心から思えた。
 しかも有紗はバイトをしている。奢ってもらう約束で誘い出したものの、そんな有紗に支払わせるつもりは毛頭なかった。

 有紗には話したいことが山ほどあった。
 話すために誘ったはず。そのためにアドレスを聞いたはずなのに全くその話を持ち出すことができない。話すことで有紗を悲しませそうな気がして躊躇われた。
 本末転倒だな。そう思いながらもその楽しい時間が(とうと)いものに感じられた。
 
 有紗を家まで送っていくのに一緒に電車に乗り、駅を降りて隣を歩きながら他愛もない話をしていた。
 学校や友人のこと、進学する大学のことなど話すと有紗は一生懸命聞いて相槌を打ってくれる。
 普段の拓弥はどちらかと言えば聞き役で相談を持ちかけられることの方が多かった。それなのに今は真逆で有紗が聞き役に徹してくれている。
 それがとても心地よくて、ずっとこの道が続いてほしいとすら思ってしまっていた。

 ここと有紗が示したのは築何年か想像もつかないくらいの古い二階建てのアパートだった。
 外灯が明るいせいか壁のひび割れまでよく見えてしまう。外付けの階段を上ったら絶対に軋むだろうと想像できる。
 まるで昔の漫画に出てくるようなアパートだと思った。無言で見上げていると、隣にいた有紗が悲しそうに俯いているのに気づいた。
 今自分はどんな目でこのアパートを見ていたのだろうか。きっと酷い目つきだったのだろう。拓弥は咄嗟に気づいて、申し訳ない気持ちになった。
 郁弥の食事のためにバイトをしているのなら払わせることなんてできないと思っていたけど、どうやらそれだけの理由じゃないような気がして心が痛い。


「今日は楽しかった。本当にありがとう」

 話を逸らすように明るく問いかけると、静かに頭を上げた有紗が悲しそうな表情のままにこりと微笑んだ。
 
「ううん、むしろごちそうになってしまって……」

 艶やかな有紗の唇が外灯に照らされて光が宿る。
 きっと食べても落ちにくい口紅なんだろう。今日も有紗は化粧をしていた。きっと客に高校生だとバレないようそうしているはずだ。わかっているけどなぜか苛立ちのようなものを感じた。

「似合わないよ」

 声が小さくて聞き取れなかったのか、わずかに首を傾げる有紗の左頬に手を伸ばすとびくっと身体を強ばらせた。そのことに気づいていたけれど拓弥はお構いなしに親指の腹で有紗の唇を少し強く拭う。
 柔らかい感触が拓弥の指先にダイレクトに伝わってくる。なぜか下半身から首筋、頬の辺りにかけてゾクゾクし、顔が熱くて火照っているようだった。
 眉間に皺を寄せ、大きな目を見開いた有紗がじっと拓弥を見つめた後、落ち着かないように数回瞼を瞬かせた。有紗の頬も真っ赤に見える。

「似合わない。この口紅」
「あ……元が子どもっぽいからか、な」

 くしゃっと顔を歪めた後、へらりと笑って「ごめんなさい」と有紗が小さな声で言った。

「なんで謝るの?」
「え?」
「有紗!」

 急に横から有紗を呼ぶ男の声を聞いて、拓弥は手を引っ込めた。
 声のほうを向くとベージュのトレンチコートを着た背の高い大人の男が怖い形相で立っている。

「圭くん?」
「彼が……郁くんなのか?」

 大股で近づいていた男が拓弥の顔を覗き見る。その目は明らかに嫌悪を表すものだった。
 拓弥と郁弥を勘違いしている。その上、郁弥にいい感情を抱いていないことも丸わかりだった。

「違う、あの――」
「初めまして、若槻拓弥と申します。たぶん今仰られたのは自分の弟のことです」

 有紗が止めに入るのを制して拓弥が言葉を発し、深々と頭を下げてから視線を合わせると目頭にくっと力を込めてこっちを見返された。
 この人は有紗の何に当たる人なのだろうか、ふとそう思ったけど聞ける雰囲気でもない。呼び方から兄とは到底思えなかった。
 
「すまない」

 神妙な顔で謝罪され、拓弥は首を横に振った。

「いえ。遅くまで有紗さんを連れ回してしまってすみませんでした」

 また連絡するから、とだけ有紗に伝えてその場を離れた。
 あの人は有紗と郁弥の関係を知っているのかもしれないと思ったら、拓弥は気が気じゃなかった。


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Date:2014/10/28
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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