空色なキモチ

□ 掌の鼓動 □

掌の鼓動 22

第二十二話

現在 13




 十一月の中旬頃。
 冬本番になったその日の朝も風が冷たく、郁弥が部屋を出ると縁側の木から落ちる茶色い木の葉が地面にたくさん絨毯のように敷き詰められていた。
 帰ってきたら掃き掃除でもするかと思いながら大きなケヤキの木を見上げるとすでに残りの葉も少なくなっているのに気づく。

「冬だな」

 思わずぽつりとつぶやいた郁弥は足早に縁側を抜け、門をくぐり外に出た。
 ぐーっと伸びをして冷たい空気を吸い込み、学校へ向かって歩き出した時。

「若槻、郁弥くん」

 急に名前を呼ばれて振り返るとそこには暖かそうな黒いダウンコートにジーンズ姿の男の人が立っていた。三十代後半といったところだろうか。短く刈り込まれた髪は黒々していて太い眉に大きな目が印象的だった。身長は郁弥より少し小さいけどがっしりとている。

「はい」

 知り合いではない。不審に思いながらもうなずくと、その男の顔がくしゃりと歪む。
 その表情にわずかな見覚えがあるような気がした。

「大きくなったな」
「は?」
「覚えてないのも無理はないよな……はは」

 泣き出しそうなのに無理に笑おうとして掌で顔を覆うその男を見て、郁弥の胸が鷲掴みされるように一瞬苦しくなった。

「少しだけ時間がほしい。こっちへ」

 とりあえずここから離れたいという男の態度が手に取るようにわかったけれど、素直について行こうとは思えなかった。
 不審者ではない。わかっているのに郁弥の足が地面に張りついたように動かなかった。ただじっと睨むようにその男を見据え、首を横に振る。

「頼む、郁弥」

 呼び捨てにされたことで疑惑がさらなる確信に変わった。
 郁弥がここに連れてこられる前に一緒に暮らしていた本当の父だと思っていた人。
 踵を返し、示された方と逆の方向へ歩き出した。つまり家に戻る方向になるけどしょうがない。

「待ってくれ」

 後ろから腕を掴まれ、郁弥は咄嗟に振り払った。
 その男をキッと睨みつけて向き直る。

「今更何しに来た」

 低く潜められた声が郁弥の心情を物語っているようだった。
 その思いに気づいたのか郁人が顔をしかめ、頭を深く下げる。

「ごめんな……今更だってのもわかってる。だけどどうしても会って話がしたかったんだ」
「捨てたくせに」
「違うんだ」

 ぎゅうっと郁弥のコートの腕を掴む郁人の手に力が込められる。
 酷く荒れた手。あちこちあかぎれだらけで痛々しく見えた。

「手放したくなんかなかった。今となっては言い訳にしからならないけど……おまえのことを忘れた日は一日もない。信じてくれ」
「信じられるか」
「頼む、お願いだ! 信じてほしい」

 急に声を荒らげて必死にすがりつく郁人をこれ以上振り払うことはできなかった。
 通りすがりのサラリーマンの怪訝な視線に気づき、郁弥はしかたなく逃げるのをやめた。
 小さく舌打ちをし、郁人が示した方向を顎で指すとようやく腕を開放してもらうことができた。郁人の強張った顔がふと緩められる。

 若槻家の大きな敷地を覆う壁沿いに曲がり、やや先に進んだところにコインパーキングがある。
 一番手前の駐車スペースに停められていたグレーの車の助手席に促され、渋々乗り込むとすぐに運転席に郁人が乗ってきた。車内はきれいで運転席側のエアコンの通風口のところにお茶のペットボトルが置かれている。そっちを見ていると視線を合わせられそうですぐに前を向き直った。

「元気そうでよかった」
「それはどうも」
「この前、駅前のファミレスで偶然おまえを見かけて……声をかけたかったんだけど、なんだか揉めていたふうだったから」

 きっと有紗と拓弥が仲良さそうにお茶をしていた時のことだろうと容易に想像がついた。揉めていたのもあの時くらいだ。
 しかし偶然としか言いようがない。まるで運命がかったもののように思えた。

「女の子が『郁くん』と呼んでいるのを聞いて……郁弥だって確信した。葉子によく似ているからすぐにわかったよ」

 そんなふうに言われ、なんだか恥ずかしいようなむず痒いような心境になる。
 母親に似ていると言われてうれしいのかただ恥ずかしいのかわからなくなっていた。

 郁人はぽつりぽつりと話し始めた。
 その時声をかけられず、かといってこれで二度と会えないのは耐えられなかったと。だから三人が乗り込んだタクシーをこっそり追って家を突き止めたこと。
 克弥が郁人に若槻家の場所を教えていなかったことを今知った。
 それじゃ迎えに来られるはずがない。だけど何かしら手段はなかったのだろうか。本当に大事に思うのなら。
 郁人がジーンズのポケットから財布を取り出し、そこから古ぼけた小さな写真が出てきた。写っていたのは郁弥を抱く郁人、そして妹を抱く母の姿。みんなうれしそうな笑顔を向けている。写真のまわりがぼろぼろで変色していた。

「この写真、家にも飾ってある。音葉も毎日葉子に水を手向けて……お兄ちゃんに会いたいって」
「な……」
「本当だよ。この写真を見ながらいつ会えるの? って昔から言ってる。もう高校一年。早いもんだ」

 郁人の目尻に涙が浮かんでいるのが見えてぎょっとした。
 いい年をして何を泣いているんだか。見てる方が恥ずかしくなり、窓の外に視線を向けると拓弥が歩いているのが見えて慌てて顔を逸らした。向こうから見えるわけがない。まっすぐ前を向いて歩いているからこっちは視界に入っていないし、拓弥は目が悪い。見られても別に悪いことをしているわけではないのに妙に落ち着かなかった。

「なあ、郁弥」
「何」
「おまえ、若槻さんの跡継いで弁護士になるのか?」
「はあ? なれるわけないし。この制服見てわかんない? 底辺の底辺の学校だぞ」
「そうなのか。ごめん、知らなかった」
「謝られると余計惨めになるんだけど」
「あ、悪……じゃなくて、そうか」

 郁弥が髪をわしゃわしゃとかき乱し、わざとらしく大きなため息を漏らした。
 なんだかテンポを狂わされてるような気がしてうまく話せない。苛々するとは違うじくじくするような感覚が胸を疼かせた。

「あの家には俺よりはるかに優秀な息子がいるから必要ねえし」
「どういうことだ」
 
 大きく目を見開いた郁人が郁弥を見つめている。
 眉間にくっきりと皺を寄せ、怒りの感情もこもっているように見えた。
 拓弥の存在を知らなかったのだろう。それを知ったからといってなにが変わるわけでもない。そのくらいの気持ちで郁弥は拓弥のこと、鞠子のこと、そして自分が若槻家でどういうふうに今まで生きてきたかをすべて郁人に話した。
 その話の間、郁人はずっと苦虫を噛み潰したような暗い面もちで郁弥を見つめて黙ったままだった。


「卒業したらどうするんだ? 大学に行くのか?」
「……まだ」
「まだってもう十一月だぞ。決まっている子の方が多いだろう。若槻さんはなんて言ってるんだ」
「別に……私大でもいいから行けって」

 無言のまま運転席側の窓が少しだけ開けられる。
 冷たい風が入り込んできたが、エアコンがついているからそんなに寒くは感じなかった。郁人が「いいか?」と煙草のケースを見せる。うなずきだけで返事をするとライターの音が鳴り、紫煙が上昇していくのが横目で見えた。
 昔は吸っていなかったはずなのに。そんな遠い記憶がかすかに甦って来る。

「勉強好きなのか?」
「いや」
「それなのに大学行くのか」
「だからまだ決めてないって」

 少しでも早く働いて自立した気持ちはあった。
 早くこの家を出て独立したい。そう思って進路室に行き、求人募集のファイルを見て何か所か目星はつけている。体力には自信があるから現場作業系ならできそうな気がしていた。
 進路指導の先生に質問すると生徒会副会長をしていた加点も高く採用されるであろうとも言われている。
 
「やりたい仕事とか、あるのか?」

 吸い出したばかりの煙草を灰皿にねじ込み、乱暴にそのふたを閉めた。もったいないと思いながら「別に」と素っ気なく答える。
 車内の時計を見るとすでに八時を過ぎていた。

「そろそろ学校行くから」

 車のドアを開けようと手をかけると、「待て」と小さな声で止められる。
 郁人はダウンコートのポケットから財布とは別のパスケースみたいなものを取り出した。ぼろぼろで革が剥げかかっていた。その中の透明な部分にも葉子と郁弥の幼い頃の写真が入っていて目を疑う。

「これを」

 コートのポケットに小さな白いものをねじ込まれた。

「また会いに来ていいか?」

 それがなんなのか確認しようとする郁弥を心苦しそうな表情で郁人が見つめる。
 捨てた人間が何を言う、今更何を考えているんだと思った。だけどその目は取り繕うようなものではなく、本当に郁弥に会いたいと思っているようにしか見えなかった。

 この人は本当に自分を捨てたのだろうか。

 もやもやする気持ちを持て余しながら「勝手にすれば」とだけ残してその場をあとにした。
  

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Date:2014/10/26
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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