空色なキモチ

□ 掌の鼓動 □

掌の鼓動 21

第二十一話

現在 12




 それから有紗はバイトを増やした。
 週三回天道産婦人科病院で看護助手のバイト、そして週二、三回のペースで郁弥の家の最寄駅にある書店でバイトを始めた。
 郁弥の家とは真逆の東口付近にある六階建ての大型書店で時間は十六時から二十時まで。仕事を終えたらいつでも郁弥の部屋に寄れることを想定してこの書店を選んだ。
 だからといっていつでも郁弥が自分を求めているとは限らない。
 別の女友達がいるところに鉢合わせするのだけは避けないとと思っていた。だけど最近ではいつ連絡しても『大丈夫』の返事しか来ない。もしかしたら帰った後にタイミングよく連絡しているのかもしれない。
 仕事を終えた後、毎回LINEで連絡した。無料だからありがたい。郁弥と有紗は携帯のキャリアが違うので、LINEはとても重宝していた。
 
 薬局に寄ってから郁弥の部屋に行くと、香ばしいいい匂いがした。
 急に空腹を覚え、部屋に入ると郁弥がキッチンでフライパンを振っている。初めて見る光景に有紗は目を丸くした。

「腹減ったろ? 今チャーハン作ってるから」
「郁くんが?」
「たまにはいいだろう。味は保証しないけど。あ、でもちょっと味見したらなかなかだったよ」

 郁弥が料理、しかも有紗の分も作ってくれていることがうれしかった。だから今日は買い物してから行くと言ったらまっすぐ来いという返事をしてくれたのだろう。
 寝室に入って電気をつけ、部屋着に着替える前に持っているビニール袋から購入してきた避妊具の箱を取り出した。制服で買うことがないように薬局に寄る予定のある日は一度自宅に戻り、着替えてからバイトに向かうようにしている。薬局はいつも同じところで美春が置いていった洋服とコートを着用し、少しだけ化粧をする。 
 ヘッドボードを開けると、前回購入した分の避妊具が出てきた。箱の中を開けるとまだ半分くらい残っている。前回使った後に残りを確認してから全然減っていない。
 最近では二箱一度に買うようにしている。ないことがないように常に多めに用意するようにした。それなのに。

「飯できたぞー」

 キッチンの方から郁弥の大きな声が聞こえてきた。
 なんで減ってないのだろうか。使っていないということなのかもしれない。
 それは避妊をせず他の女友達と行為を続けているのか、それとも自分が用意した避妊具を使わないようにしているのか。
 もやもやした気持ちが有紗を襲う。だけど自分にはなにも言う権利はない。
 少しだけ近づいたような距離に浮かれていた自分を戒めないといけない。自分だけが特別ではないのだから。
 持っていた避妊具の箱を元あった箱の下に置く。三箱になった避妊具を見てなんとも言えない気持ちになりながら有紗は寝室をあとにした。

 郁弥の作ったチャーハンは少しだけべちょべちょしていたけど、それでも有紗にとってはおいしく感じて涙が出そうだった。
 それを見た郁弥は「変な奴」と首を傾げたものの、照れくさそうに俯いて笑みを極力押さえ込んでいるように見えた。


**


「この本屋品揃えいいな」
「声大きい」
「あ、そうだな」

 友人がはしゃぐ中、拓弥は静かに本を選んでいる。
 家のそばにあるこの大型書店にはしょっちゅう足を運んでいた。学校帰りや休みの日の暇な時間にぶらっと立ち寄ることもある。
 昔から本が好きだった。ジャンルは特に問わず、恋愛も歴史もファンタジーもSFも読む。
 その日は友人が補習に使用する参考書がほしいが、かなり古いもののようで地元の本屋で見つからないと頭を抱えていたため連れてきた。ここなら在庫も豊富だから探せば見つかるかもしれないと。
 制服のブレザーの中のスマホが震え取り出して画面を見ると同じ高校の友人からで、今から合流するという連絡だった。その画面を見つめて小さく息を吐く。
 拓弥は有紗からの連絡を待っていた。
 連絡先を教えてすでに三週間は経とうとしていた。だけど一向に連絡がくる様子もなく、スマホが震えるたびわずかな期待を胸に確認するけど有紗からの連絡じゃないことに落胆してしまう。

 ――もう一度話がしたいのに

 なぜだか寂しいような切ないような思いが拓弥の胸を刺激した。
 初めて見た時から不思議な感覚だった。泣いていたのもかなり印象的だったし、去ろうとする有紗の腕を我を忘れて掴んでしまったことなど思い出すと顔が熱くなるくらい恥ずかしい。

「検索機、どれもふさがってるよ。参ったな」

 小さなメモを手にした友人が戻ってきて拓弥はスマホを胸にしまった。
 
「店員さんに聞いてみれば」
「知らない人に声かけるの苦手なんだよな。拓弥聞いてくれない?」
「僕だって……」

 きょろきょろと辺りを見回してみると、中学の参考書の書架の整理をしている書店の制服とエプロンをつけた店員を見かけた。黒い髪を一本に縛り、紺のタイトスカートが他の店員よりも長めに見えた。
 小柄な身体で必死に上の方の本を取ろうと腕を伸ばしている。もう少しで届きそうだけどやはり足台がないと取れそうにはない。
 
「これですか?」

 つい手を伸ばし、その本を取ってやると店員が驚いた表情で拓弥を見た。
 そしてその店員を見て拓弥も驚愕する。

「有紗ちゃん」
「拓弥さん」

 ふたりの言葉が重なって消える。だけど視線は逸らせずにしばらくの間見つめ合っていた。
 本を有紗に渡すと小さな声で「ありがとうございます」と返ってきてぺこっと頭を下げられた。

「連絡、待ってた」

 俯いた有紗にそう語りかけると小さく身体が震えたように見えた。

「ごっ、ごめんなさい」
「いや、別に怒ってないから」
 
 それは本心だった。
 連絡が来ないことにかすかな苛立ちみたいなものを覚えていたのも確かだったが、こうして再び会えてその思いは吹き飛んでいた。むしろ有紗が怯えているように見えて申し訳なく感じてしまう。
 この空気を変えたくて近くに寄ってきた友人の手からメモを取り、有紗に向ける。

「この参考書を探してるんだけど、検索機が埋まってて。お願いできないかな?」
「あっ、はい! ここで少々お待ちください」

 メモを受け取った有紗が顔を上げ、笑みを浮かべて去ってゆく。
 重苦しい空気が一瞬にして消えたのはよかったけど、なぜか拓弥は動揺していた。
 全身の血管が開き、頭の中心がふわっとした感覚に目をしばたかせる。眉間を指で摘んで頭を左右に振ってみると少しだけよくなった感じがした。

「どうした? 拓弥」
「いや、今ちょっと」
「あの店員さんと知り合いなのか。かわいいな、大学生かな」
「弟の学校の子だよ」
「えっ、マジで? じゃ、高校生かー」

 有紗は少し化粧をしているようだった。
 初めて会った時も、この前ファミレスでお茶をした時も化粧はしていなかった。リップくらいは塗っていたとは思うけど、今はダークブラウンの口紅をしていた。そのせいでいつもより大人びたように見えてはいる。だけど似合わないと思った。いつものほうがずっといい。
 レジのそばで男の店員と楽しそうに話しながらパソコンを指さしている有紗を見て、口の中に苦みがかった唾液のようなものが広がってゆく感覚がした。

「お待たせしました。倉庫に在庫があるようなのでお取り寄せになります。二、三日で届くそうですが」
「じゃ、お願いします」
「はい、わかりました。お待たせしてしまってすみません。ではこちらに」

 有紗と友人のやりとりを見て、自分がぼんやりしていたことに気づく。友人はレジの受付カウンターの方へ向かって行っていた。
 なぜ有紗を弟の学校の子と言ったのだろうか。
 弟の彼女と言えなかったのは郁弥が有紗を莉彩の代わりにし、その上セフレとしか扱っていないせいだと思っていた。
 それなのにお茶をしているだけで独占欲をむき出しにしている郁弥に納得がいかない。むしろ憤りみたいなものを感じていた。
 

**


 今日は学校から直接バイト先に来たため、有紗は学校の制服に着替え書店を出た。
 休み時間、郁弥に仕事帰りに寄っていいか確認のメールをすると『大丈夫』といつも通りの返事が来ていた。それがうれしくて、高揚する気持ちを抑え込むのに必死だった。
 こういう時はどうしても後の楽しみのために誰にでも優しくしたくなってしまう。
 日頃から丁寧な接客を心がけていたけど、いつも以上に親切にしたい気持ちが湧き上がるほどだ。
 これからスーパーに寄って肉が安かったらジャガイモと人参とインゲンで肉巻きにしようかと思っていた。郁弥は安上がりの食事でもおいしいと言って食べてくれるのでありがたい。
 少しずつ郁弥のキッチンに有紗が自宅から分けて持ち出した調味料が増えだした。
 最近では天道産婦人科でバイトの日は仕事を終えるとほぼ毎回圭理と食事を共にしている。それ以外の日は郁弥の部屋で食べ、たまにひとりの時は夕食の支度がめんどくさくて抜くこともあった。
 数ヶ月前から圭理が自宅を出て駅前のマンションでひとり暮らしをし始めた。
 深い意味はなく、元々天道家の持ちマンションだったのと一室空いたのが理由で家賃も払うという約束で急遽入居が決まった。

「お疲れさま」

 通用口から出て歩き出すと、正面入り口前の街路樹の下に制服姿の拓弥が立っていた。
 いつから待っていたのだろうか。秋も深まりすでに木枯らしが吹く時期になっている。枯れ葉もくるくると円を書くように舞い散るような寒い夜だった。マフラーを巻いているが拓弥の頬も耳も赤い。

「どうして」
「ちょっと話がしたくて。家まで送っていく」
「これから郁くんのところへ……」

 もごもごと言葉を飲み込むようにして告げると、拓弥の顔に翳りが見えたような気がした。

「じゃあちょうどいい。一緒に」
「あ、でも、その前に買い物に」
「荷物持つよ。そこのスーパーでしょ?」

 すっと有紗の前を歩き出す拓弥の背中を追う。 
 コートのポケットに片手をつっこみ、寒そうに肩をすくめる拓弥が不思議でならなかった。
 話がしたいというけど、こんなふうに待ち伏せするほど重要なことなのだろうか。
 拓弥が書店に来てからすでに三時間以上は経っている。どこかで時間を潰していたのかもしれない。連絡もせずに放置していたのが申し訳ない気持ちになった。


 スーパーに入ると明るさに目がくらみそうなくらいだった。
 中は程良く暖かく、拓弥の身体がぶるりと震える。温度差があるから風邪を引かないか心配だった。
 拓弥がカートを押して隣に並ぶ。買うものはここに入れてとうれしそうな満面の笑みを向けられ、やっぱり不思議な人だと思った。
 郁弥とは全然似ていない。顔も性格も。拓弥の方が穏やかで人当たりがよく誰にでも好かれるタイプだと思う。一方郁弥は少し尖っていて親しむまでに時間がかかる、情熱的でまっすぐなタイプ。その外見の良さに惹かれる人も多いけど、寄せ付けないようにする反面誰かがそばにいないと寂しがる。

 まるで犬と猫みたい。
 二人をそう例えて有紗は笑ってしまっていた。
 もちろん拓弥が犬で郁弥が猫。
 笑う有紗を不思議そうな目で拓弥が見つめ、首を傾げた。 

 野菜が値下がりしていたので思ったよりたくさんかごに入れてしまっていた。
 これだけジャガイモがあるならポテトサラダにできるからハムやリンゴも買って行こうとついつい手にしてしまう。気づいたらかごがいっぱいになるくらい入っていた。

「有紗ちゃん、荷物持ちがいるからってこれはないでしょ」
「ごっ、ごめんなさいっ。そういうつもりじゃなくてすごく安くて……つい……」
「こんなに郁弥が食べるの?」
「あ、小分けにします。おいしいって食べてくれるからうれしくて……」

 俯きながらよろこびで笑ってしまう有紗を拓弥は少し寂しげな目で見ていたのに気づくはずもなかった。

 レジを通してお金を払おうとすると拓弥が財布を開いてすかさず会計トレーの上に五千円札を置いた。それに驚き、目を丸くしていると「それで」と店員さんに告げてしまう。
 慌てて拓弥を止めようとするけど、あとがつかえてしまうことを考えたらここで押し問答することははばかられた。
 お釣りをもらい、かごを持ってその場を去ろうとする拓弥を追うことしかできずにいた。

「拓弥さん、お金払います」
「いいよ。ほとんど郁弥の腹に入るんだろう。だったら君が払う必要はない」
「で、でも、わたしも食べますし」
「ここは奢られておきなさい。心配しなくても郁弥に言ったりはしないから」

 ビニール袋に手際よく食材を入れながら拓弥が満足げに笑う。
 奢られる理由なんかない。ここにあるものが拓弥の口に入ることはないのだから。それなのに納得できるわけもない。

「じゃあ、今度お茶奢ってよ。専門店のパフェが食べたい」
「専門店?」
「おいしい店を知ってるんだけどひとりじゃなかなかね。そこにつきあってよ。それでチャラ」

 拓弥の子どもみたいな表情に思わず笑ってしまい、はいとうなずいていた。

「あともうひとつ」

 急に拓弥の顔が真面目なものに変化し、有紗も笑うのを止めた。
 
「有紗ちゃんのアドレス教えて」
「え?」
「だってお茶の約束したけど日にち決めるのにも連絡できないんじゃ困るでしょ? それとも口約束のつもりだった?」

 唇を尖らせて拓弥がおどける。
 そういう理由なら、とコートのポケットから携帯を取り出して拓弥に携帯の番号とアドレス、LINEのID交換もした。

「ひどいな。教えたのに僕のアドレス入れてなかったんだ」
「ごめんなさい……」
「入れておいてほしい。いきなり知らない番号から連絡来たら驚くでしょ?」

 確かにそうだと思いながら、有紗の携帯に拓弥のアドレスが登録された。

 
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Date:2014/10/25
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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