空色なキモチ

□ 掌の鼓動 □

掌の鼓動 20

第二十話

過去 6

【郁弥と拓弥と莉彩 3】




 その数日後、郁弥は二次募集で選択した高校の受験に向かった。
 よく晴れた日で、本命受験日前日に降った雪の残骸もすでに解け少し暖かいくらいだった。
 試験会場の教室は初回の試験の時のように席はびっしりと埋まらずところどころ空いていた。
 その日も郁弥は弁当を持参しなかった。コンビニで買って行くつもりだったのに寝坊をしてしまい、寄る時間がなくなってしまったのだ。

 筆箱を開けて愕然とする。
 前回の試験で消しゴムを落としてなくしてから買ってないことに気づいた。今更買いに行く時間もない。かといって消しゴムなしではどうにもならない。

「まいったな……」
「あ、あの、ど、うしました?」

 無意識に声に出てしまっていたようで右隣の女子生徒が心配そうな目で郁弥を見ていた。
 マスクで顔を覆った気が弱そうな感じの子だった。男と話し慣れていないのか極度の人見知りなのかおどおどした口調が気になる。
 肩までの黒髪はさらさらできれいなのが印象的で、紺色のセーラー服がよく似合っている。まん丸の目がじっと郁弥を見据え、長いまつげが瞬きのたびに上下する。
 マスクを取った顔が見てみたいと思ったけど、郁弥は何事もなかったように顔を背けた。

「あー消しゴム忘れちゃって……」
「これ、使って……ください」

 差し出されたのは真新しい消しゴムだった。
 まだ一度も使ってない角の削れていないものだったので遠慮すると、「もう一つあるから」と強引に郁弥の机に乗せてきた。
 その女子生徒は何事もなかったかのように前を向いてテストの準備を始める。
 この子も第一志望に落ちたのだろう。体調もあまりよくなさそうだしお互い辛いよな、と心の中でエールを送った。

 試験の出来は上々だった。
 この結果が第一志望に活かされていたら確実に合格していただろうという自信もあった。そのくらい郁弥にとって完璧な出来だった。

 三教科の試験を終え、昼休みになった。
 隣の女子生徒が鞄から弁当箱を取り出して食べようとしているのが目に入った。おいしそうな卵焼きとウィンナー、唐揚げまで入っている。一般的な弁当だとは思うが、作ってもらった思い出がほとんどない郁弥にはカラフルでとてもおいしそうに見えた。口の中に唾がたまり、自然に郁弥の腹の虫がぐぅと鳴き出す。その音が意外に大きく、隣の席の女子生徒が郁弥を見て動きを止めた。

「悪い」

 いたたまれなくなりなんとなく謝罪して目を逸らす。自然の摂理なので謝ってもどうしようもないのだけど「ご飯」と小さな声がマスク越しに聞こえてきた。

「ないん、ですか?」
「ああ、まあ」
「よかったら……これ食べません?」
「どうして?」

 怪訝な顔で女子生徒に尋ねると、目をきゅっと細めて笑みを浮かべている。

「あ、あまり体調がよくなくて……お弁当作ってもらえると思ってなかったから、これとは別におにぎりも持ってるんで……」

 鞄の中から取り出したのはラップに包まれたおにぎりらしきものだった。片手ですべてを覆えるんじゃないかと思うくらいの小さいもの。

「じゃ、そのおにぎりくれない?」
「えっ? い、いえ、これは……だめ、です」

 語尾が消え入りそうなくらい小さくなり、もじもじと俯いてしまった。
 そのおにぎりを机の中に隠し、弁当箱を郁弥に向ける。その上にはまだ割られていない割り箸も置いてある。

「残すのは悪いから……ちょうど、いいんです」

 恥ずかしそうに郁弥の机に弁当箱を乗せ、前を向き直ってしまった。

「じゃ、遠慮なく」

 その背中に声をかけると、その女子生徒は前を向いたままこくりと小さくうなずいた。


 昇降口のそばの自動販売機で暖かいお茶を二本購入して教室に戻る。
 前の試験の時は同じ中学の知り合い同士が多かったのか一緒に弁当を食べている生徒も多く、賑やかだったけどさすがに二次試験となるとそうではないらしい。各自もそもそと無言で食事をしている。机の上にテキストを広げながら食べている生徒もいた。
 隣の席の女子生徒はおにぎりのラップを丁寧にはがし、マスクをはずしていた。
 俯いていて顔はよく見えなかった。見ようとも思わず、その女子生徒の机にお茶を置くと驚いた表情で郁弥を見上げた。

「安いけどお礼。ありがとね」
「えっ、いえっ、受け取れませんっ」
「お茶一本くらいでそんなに……いいからいいから」

 顔を真っ赤にしておろおろしている姿がかわいいと思った。
 申し訳なさそうに何度も頭を下げた女子生徒はようやく「いただきます」と受け取ってくれた。

 話しながら食べようかと思ったけど、あまりにも緊張しているのか肩に力が入っているように見えたのでやめておいた。
 ちらっと女子生徒に視線を移すと食べているそのおにぎりにはなんの具も入っていないよう見えた。塩むすびってやつだろうか。きっとあの味が好みなんだろう。だからだめだと言ったのかもしれない。ぼんやりとそんなことを考えながら昼休みを過ごした。
 弁当はどれもおいしくて夢中でがつがつ食べて、あっという間に終えてしまっていた。


 五教科の試験を終え、もう一度お礼を言おうと思ったらその女子生徒は逃げるように走り去って行ってしまった。

 ――消しゴム返せなかったし……しかも名前も聞きそびれた。

 自分の手の中に残った角の少しすり減った消しゴムを握りしめて、郁弥はその女子生徒が座っていた席に軽く一礼した。


**


 二次募集の高校の合格通知が来て、晴れて郁弥の受験が終了した。
 第一志望ではないけど入れる高校があっただけまだよかったのかもしれない。
 高校でもバスケを続けようと思っていたけど、入学前にやめる決意をした。バスケも勉強もどうでもよかった。とにかく高校を卒業したら大学に行くにしても働くにしてもこの家を出ていくつもりだし、その時が待ち遠しいくらいだった。
 バイトも考えたが、どうせなら克弥からある程度援助金をもらって出て行こうと思っていた。そのくらいいただいても罰は当たらないはず、と。
 莉彩を失った郁弥はやる気も希望もなにもかも失っていた。

 本命の受験失敗から何度も莉彩と拓弥からメールが来た。
 郁弥が電話に出ないことがわかっているからだろう。だけどそれもすべて読まずに削除し続けた。

 勝手にくっつけばいい。

 どうでもいいと投げやりな気持ちだった。
 どうせ卒業してしまえば莉彩に会うことはない。同じ高校の拓弥とつきあっていけばいい。

 郁弥の卒業式の日は拓弥の卒業式の日でもあった。
 鞠子はその日のために高い着物を仕立て、上機嫌で式に向かった。隣の克弥は申し訳なさそうに郁弥の部屋を一度だけ見て鞠子の後を追う。
 ベッドに転がって漫画を読んでいた郁弥にそのことを知る由はなかった。

 郁弥は卒業式には出席せず、中学生活を終えた。


 コンコン、と部屋の扉がノックされる音で目を覚ます。
 いつの間にか眠ってしまっていたようで、気だるい身体を無理矢理起こし枕元の時計を見た。すでに十七時になっている。
 ドアスコープから外を覗くとそこには悲しそうな顔の莉彩が立っていた。
 思わずちっと舌打ちをしてしまう。

「郁くん、いるんでしょう。開けてくれないかな」

 結構足音をたててここまで歩いてきたからか居留守は通用しなかった。
 何をするでもなくその場に立ち尽くし、扉に背中を寄りかけた。そのせいで少し音がしたのか莉彩が話し始めた。

「郁くん」

 ことり、と何かが置かれたような音が聞こえた。
 布擦れの音と、じゃりっと地面を踏みしめるような音。しゃがんでいた莉彩が立ち上がったのかもしれない。

「大好きだったよ……さようなら」

 最後は淡く消え入りそうな涙声に聞こえたけど、しっかりとした過去形だった。
 
 さようなら、だなんて大げさな。
 どうせ拓弥とつきあい始めたらこの家に来るはず。もし見かけても気づかない振りくらいはしてやれる。いや、しないといけない。

 去って行く足音が消えて、しばらく経った後扉を開いてみるとそこには卒業証書とアルバム、そして小さな花束が置かれていた。その花束の中には『卒業おめでとう』と書かれたコサージュが入っている。
 アルバムを開いてみると、『思い出』と真ん中に書かれたページにたくさんの寄せ書きがされていた。びっしり書き込まれていて誰が誰だかさっぱりわからないくらい。そのページの片隅に見覚えのある文字が刻まれていた。

   【今までありがとう 莉彩】

 顔も知らないような女子の名前で『郁弥大好き』という書き込みがちらほらある中、控えめに小さな文字で書かれた莉彩の言葉。

「なにが、ありがとうなんだよ……」

 自分が許せなかった。情けなかった。
 本当に莉彩が好きなら心変わりを受け入れるくらいの器になりたかった。だけどできなかった。
 目の前の扉を何度も叩く。手が痛いくらい、そして熱いくらい。
 どん、どんっと自分の胸に刻むように叩きつけ、感覚がなくなるくらい続けた。手からは血が流れ出したけどやめなかった。

 赤い血液を見て、ふと冷静になる。

 莉彩は『大好きだった』と郁弥に告げた。
 その気持ちは過去形だけれど、もう一度捨て身で頑張れば振り向いてくれる可能性はあるのかもしれない。
 あんなひどい仕打ちをしたのに何度も連絡をくれて、今日もこうしてきてくれた。
 まだ、諦めるのは早いのではないか。

 郁弥にとって莉彩はそのくらい大事な存在だった。
 プライドなんてどうでもいい。かっこ悪くても縋りつきたい相手だった。

 急に目の前がクリアになったような気がした。
 ようやくそう思えた。
 自分にできるのはそのくらいしかない。

 すぐに莉彩に電話をかけたけど繋がらなかった。
 繋がらないだけならまだよかったものの、音声ガイダンスからはこの電話は使われていないと流れてきて嫌な汗がこめかみに伝う。着信拒否でもなく、使用されていないというのが郁弥の不安を煽る。
 思い立って莉彩の家に行ってみると、その前に人だかりができていた。
 その人をかき分け、進んでみると莉彩の家からソファや箪笥が運び出されている。
 そばにいた主婦に何があったのか尋ねてみると、「詳しいことはわからないけど」と前置きをしてから話してくれた。

 莉彩の父親が経営していた建設会社が不渡りを出し、数週間前からガラの悪い男達が何度もこの家を出入りをしていたこと。
 家具などは残してあるところをみると夜逃げではないか、と――

 何も知らなかった郁弥は愕然とした。
 一気に全身の血が引いて蒼白する郁弥を心配し、その主婦が声をかけてくるけど何を言われているのか頭に全く入らなかった。
 どうやって家まで帰ってきたのかも記憶にない。
 扉の前に立っている拓弥の姿を見て、ようやく正常な意識を取り戻したようだった。

 拓弥に莉彩が消えたことを告げると神妙な顔をして目を伏せた。
 驚いたふうでもない拓弥に莉彩の家の事情を知っていたのかと聞けば、少しだけと言葉を濁す。

「会社が危ないとは聞かされていた、けど……ここまでとは」
「知ってたのならなんでおまえの父親に相談しなかった!?」
「話したよ! 話したさ! だけど……正式な依頼がない限り動くことは不可能だって……知っているだろう? 父さんが普通の弁護士じゃないってこと」

 克弥は名の売れた弁護士である。
 相談料も分単位で刻まれ、それだけで十万単位になることもあり得る。
 家を差し押さえられる莉彩の父親にそんな金額が払えるわけがない。冷静に考えればすぐにわかること。
 
 むしろ拓弥は郁弥に怒りを抱いていた。
 なぜ莉彩にあんな態度をとり続けたのか詰め寄られ、郁弥はぶちまけるようにすべてを話した。
 あの時のことを聞かれていたとは気づかなかった拓弥は驚愕し、焦ったように弁解をし始める。

 あれは莉彩の本心ではないこと。
 気にはなるとは言われたけど一時の気の迷いであること。郁弥と別れる気はないこと。
 受験前の郁弥を気遣い、家のことを相談できなかったから拓弥に話をしていただけで、ただ誰かに縋りたかっただけだと。

 それを聞かされても郁弥は釈然としなかった。
 気の迷いってなんだ。意味が解らない。
 拓弥が弁解すればするだけ全てがただの言葉の羅列にしか聞こえてこないし、全く心に響かない。
 そもそもそれは本当に莉彩の本心なのか。ただ拓弥がそう思い込んでいるだけじゃないのか?
 莉彩の気持ちを汲み取ったふりをして、ただただ自身を正当化しているだけではないのか――

「それに僕は、莉彩のことを郁弥の恋人としか見てない」

 真剣な顔の拓弥のその一言に、郁弥の怒りは頂点に達した。

 だったらなんで優しくした。莉彩を『おまえ』だなんて呼んだ。
 なぜ莉彩が悩んでいることを知っているなら教えてくれなかった。
 気を引くような真似をして莉彩の気持ちを弄んだうえ、なびいたらその仕打ちなのか。
 
 気がつけば郁弥は拓弥を殴り飛ばしていた。

 莉彩の気持ちが拓弥に向いてしまったのは自分に繋ぎ止めるだけの器がなかったから。それに気づいていても、拓弥のその言葉が許せなかった。

 拓弥を自室から追い出し、二度とここに来るなと言い放った。
 愕然とした表情の拓弥が扉を閉めようとする郁弥を必死に止めたけどその手を振り払って乱暴に地面に叩きつけた。

 怒りに我を忘れていた郁弥は息切れをしながら扉に寄りかかり、深呼吸を繰り返して考えた。
 もしかしたら拓弥は自分に気兼ねをして莉彩に気持ちがないと言ったのかもしれない。
 一瞬そう思ったけどそれはすぐに打ち消された。拓弥の顔は嘘を言っているようには到底見えなかったから。

 拓弥が許せない。
 だけど同じくらいの気持ちで自分が許せなくてどうしようもなかった。
 辛い時に何もしてやれず、ただ自分の感情だけぶつけてさらに莉彩を追いつめたはずだ。
  
 あの日、笑顔で郁弥に弁当を渡した莉彩。それを踏みつぶされて涙を流した莉彩。
 その時の莉彩の顔が瞼の裏に焼きついて離れない。

 莉彩に会いたい、詫びたい、苦しい。
 そんな郁弥の思いは今となっては届くはずもない。

 試験前に訪れてくれたあの日、郁弥が莉彩の姿を見た最後になった。


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Date:2014/10/24
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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