空色なキモチ

□ 掌の鼓動 □

掌の鼓動 19

第十九話

過去 5

【郁弥と拓弥と莉彩 2】




 郁弥の公立高校受験日前日。
 夕方試験の準備をしていた郁弥は消しゴムが小さくなっていることに気づき、買いに家を出た。
 ついでにシャープペンシルの芯を買おうとコートのポケットの小銭入れを探る。
 月の小遣いは克弥からもらっていた。金額は拓弥と同じ五千円。高校生になったら一万円にあげてくれると言っていた。
 晴れて高校生になれば莉彩とたくさんデートをするだろうからお金はあって困らない。バイトもをしようとも思っていた。部活の合間にできるバイトを探すのは大変だけど、この家に長くいるつもりはない。
 先のことはあまり深く考えてはいない。やりたいこともまだ見つかっていない状態だから。
 克弥は自分には期待はしていないだろうし、好きに生きるように言ってくれている。大学も高校も私立に進んでも構わないと言われていたけどあえて公立高校にした。金がかからないことが迷惑をかけないことだと思っている。

 すでに日は落ち、ひんやりとした空気が頬をかすめる。
 風邪を引かないようマフラーを耳を覆うくらいに巻いた。

「……だけど」

 家の角を曲がったところで潜めた女性の声の話し声が聞こえてきた。
 莉彩の声に似ている。でもこんなところにいるわけがない。そう思って壁越しに覗いてみると街灯の明かりに照らされた拓弥と莉彩が立っていた。
 なぜこんなところで二人きりで話す必要があるんだ。話すなら自分の部屋で話せばいいのに。わざわざこんな寒い夜に隠れるように――

 自分には聞かせたくないこと。
 そう思ったらさあっと潮が引くように心が冷え、二人のただならぬ雰囲気に目を瞠った。

「しょうがないじゃない……拓弥くんがずっと頭から離れてくれなくてっ……たぶん――なの」

 すすり上げるような震えた莉彩の声。
 よく聞き取れなかったその部分の言葉を聞くのが怖かった。

「しょうがないって、冷静になれよ。おまえは郁弥の――」
「そうだよ、私は郁くんの……でも、しょうがないじゃん……どうにもならないだも……っ、伝えたかっただけ……それだけだから」
「しっかりしろよ。今おまえが辛い状況なのはわかってる……だけど郁弥にはおまえしかいないんだ。郁弥は小さい頃から辛い思いをして生きてきたんだ」

 なにがなんだかさっぱりわからなかった。
 莉彩は何を言っているんだ。拓弥も。辛い状況ってなんなんだ。
 まっすぐに立っているはずなのに、身体がぐらぐらと揺れている感覚がして壁に手をつく。
 それ以上何も聞きたくなくて、音をたてないようにその場を離れた。

 莉彩が拓弥を好きになった。

 郁弥ではなく、拓弥を求めている。
 しかも拓弥も莉彩を『おまえ』と言った。それが妙にしっくりきていて許せなかった。郁弥でさえ莉彩を『おまえ』だなんて呼んだことはない。

 やっぱり誰からも必要とされていない……いらない人間なんだ。

 その思いが波のように押し寄せ、自然と涙がぼろぼろと零れ落ちた。
 俯くとその涙は頬を伝い地面に落ち、アスファルトに染みを作ってゆく。まるで雨みたいだ、そんなふうにやけに冷静に思っていた。
 泣いている自分の姿がひどく滑稽なものに思えて、なぜか笑いまでこみ上げてきた。

 父親もそうだった。
 自分がいらなくなった。だから若槻家にもらわれた。
 拓弥だってそうだ。ただ自分に同情しているだけだった。だから――

 そのまま壁づたいで来た道を戻った。
 どうやって部屋までたどり着いたのか、鍵を閉めたのかもわからない。気づいたら布団をかぶった状態でいた。
 
 頭の中でずっとぐるぐるしている。

 なんで自分は生まれてきたのだろうか。
 本当の父親のこともわからない。克弥は自分以外にあり得ないと言った。一緒に暮らしていた男は葉子の夫なだけで郁弥と直接の血縁関係はないと。
 母親はなぜ克弥と結婚しなかったのか、そして同い年の拓弥が克弥の息子なのか。ずっと疑問に思っていたけど心の奥底に封印して考えないようにしてきたこと。
 
 克弥だって、幼い頃一緒に暮らしてきた男だって葉子も自分も必要なわけじゃなかった。
 だから克弥は葉子を捨てた。葉子の夫も自分を捨てた。

 そして莉彩も――

「だったら最初から……近づくんじゃねーよ」

 涙が溢れて止まらなかった。


 その日の夜。
 郁弥の住む町は大雪に見舞われた。
 かなりの積雪量だったらしく翌朝はくるぶしが埋まるくらいまで積もっていた。この町では滅多にないことだった。

 少し早めに部屋を出て、門を潜るとそこにはマフラーをぐるぐる巻きにした莉彩が立っていた。
 キャメル色のダッフルコートに黒いロングブーツにミニスカート。決して暖かそうな服装とは言えない。タイツを履いているとはいえ、なんでこんな日にスカートなのだろうかと閉口してしまう。
 今は莉彩の顔を見たくなかった。それなのにいつもと変わらないにこにことした笑みで郁弥を見つめ、手提げをごそごそと漁り始めた。

「これカツ丼弁当なんだ。今朝早起きして作ったの」
「は?」
「試験に勝ちますようにって意味の……郁くん寝不足? 瞼腫れてるよ」

 莉彩が心配そうに郁弥の顔を覗き込む。
 そんな態度でさえ腹立たしく感じた。ほっといてほしいのに。
 瞼が腫れたのだって涙が止まらなかったせい。原因は目の前の莉彩と拓弥の。そう考えたらどんどん胸が締めつけられるように痛くなってくる。

「拓弥にやれば?」
「……え?」

 口をついて出た言葉に莉彩の顔色が変化する。
 わかりやす過ぎだって。口には出さないようにし、片方の口角をつり上げて皮肉に笑ってみせた。

「どうして」

 何かを言いたそうな莉彩の横を通り過ぎて先を急ぐ。
 
「郁くんねえどうしたの? これ、郁くんのために」

 嘘ばっかり。
 なんでそんなことが言えるのだろうか。拓弥にいいところを見せたいためだろう。
 
「ねえ、郁くん待ってよ」

 雪道に慣れてない莉彩がつんのめりそうになりながら郁弥に駆け寄る。
 同じく雪道には慣れていない郁弥だけど足の長さが違うからかどんどん先を行ってしまう。

「郁くん!」

 ――嘘つき。
 拓弥が好きなくせに。伝えたかっただけって意味がわからない。
 拓弥に告白だけしたかったってことかよ。それで玉砕したら何食わぬ顔で自分のところへ戻ってくればいいって算段だったのかもしれない。
 
 そう思ったら莉彩が憎くて憎くてたまらなかった。
 振り返ると泣きそうな顔の莉彩がうれしそうに安堵した笑みを向ける。
 ずかずかと近寄って距離を縮めると少しだけ身を引いた莉彩が郁弥を驚いた目で見上げた。

「郁くん……頑張ってね」

 ずいっと差し出された小さなきんちゃく袋に入った弁当箱を受け取り、にっこりと微笑み返す。
 ガッツポーズを向けた莉彩が力強くうなずき返してきたその時、郁弥の手からするりと弁当箱が落ちた。
 莉彩の「あっ!」という声が消えるのと同時に雪の中に沈む。

「あ、郁くん……手がすべっ、じゃない。おっことし、じゃない! 寒いから手がかじかんじゃった?」

 オロオロしながら莉彩がしゃがみ込んで弁当箱を拾おうとする。
 それをすかさず郁弥が上から踏みつぶした。
 ぐしゃり、と破壊されたような音が弁当箱の下の雪の軋みとともに響く。

 目を丸くした莉彩が下から郁弥を覗き込んでいた。
 その瞳には涙が潤んでいる。泣きたいのは郁弥のほうだった。

「っ、ざけんな」

 郁弥の顔はきっと前髪に遮られ莉彩には見えていなかっただろう。
 その目は憎悪の色に染まり、涙に濡れていたのに気づく由もなかった。

「ごめん、違うの……」

 失言を詫びているのがわかる。
 そんなことじゃないってわかっていないことにさらに腹立たしさが募ってゆく。
 俯いて弁当箱を拾い上げる莉彩を置いて歩き出した。

 ――裏切り者

 莉彩にも拓弥にも会いたくなかった。
 顔も見たくないと心から思った。

 試験の出来は散々だった。
 いつもなら確実に解けるような数学の問題が全然できなかった。
 英語の試験は回答欄が一つずつずれていたかもしれない。直そうと思って小さな消しゴムで回答を消していたら手が滑り、床に落ちた。そして時間に間に合わなかった。結局英語はほぼ白紙状態で提出したことになる。

 笑うしかなかった。
 莉彩にあんな仕打ちをした罰が当たったのかもしれない。

 試験のミスと莉彩と拓弥のことで頭の中がいっぱいになりながらようやく家についた頃はすでに二十時近かった。日中はいい天気でゆうべの雪はだいぶ溶けてはいたけど日の当たらない部分はまだしっかり残っていてすでにカチカチに凍っていた。
 離れの自分の部屋の前に心配そうに佇む拓弥の姿を見つけ、さらに気が重くなる。

「遅かったな、郁弥。試験はとっくに終わってただろう。電話しても全然取らないし、事故にでも遭ったんじゃないかと思って心配してたんだぞ」

 嘘つくな、と心の中で漏らす。
 自分なんかいない方がいいって思っているくせに。

「莉彩も心配してた。メールしたけど返事がないって僕のところに連絡来てさ」  

 カチンと来て、拓弥を睨みつける。
 ぎょっとした顔で拓弥が郁弥を見つめ、息を詰めたのがわかった。

「郁弥から連絡してやってくれないか?」

 おまえに言われる筋合いない、その言葉をぐっと飲み込む。
 拓弥から目を逸らし、部屋の扉に向き直って涙を堪えた声でなんとか告げた。

「おまえがしてやれば?」
「郁弥、あのさ」
「試験終えたばかりで疲れてんだよ! 少しは察しろよ!」

 絞り出したように口からでた怒声と扉を強く叩いた音が縁側に響く。
 少しの間、しんとした空気が流れた。夜の冷たい風が容赦なく二人をなぶる。

「ごめん、気づかなくって」
 
 背後で聞こえてくる小さな声の謝罪の言葉ですら苛立たしい。
 乱暴に鍵を開けて扉を開くと、「郁弥」と呼び止められた。

「ちょっとだけ話せないか?」

 謝罪の意味ないと思いながら、おかしくて笑いを堪えることができず無言で扉を閉めた。
 そこに寄りかかったまま暗い部屋でひとしきり笑い、いつの間にかそのまましゃがみ込んで泣いていた。


**


 郁弥は第一志望の高校に落ちた。
 ずっと鳴り続ける携帯電話は無視し続けている。合格発表の後もそれは続き、返事がないことから拓弥も莉彩も郁弥が落ちたことには気づいているはずだろう。

 発表は見に行くまでもなかった。
 その日の夜、克弥が郁弥の部屋を訪れた。鞠子の目を盗んできたのかいなかったのかは定かではない。この部屋に住まわせてもらっている手前、克弥の訪問を無碍に断れないのは今の郁弥には辛かった。

「試験、どうだったんだ」
「すみません。落ちました」

 ソファに座る克弥に一応コーヒーを淹れた。
 早く飲み終えて帰ってほしいという意を込め、熱いものではなく少し冷めたもの出す。
 それを口にした克弥はあからさまに眉間にしわをよせたが、郁弥の真意を察したようで何も言わずにそのコーヒーを飲み干した。

「二次募集をしている学校の一覧だ」

 ソファの前にすっと白い紙が差し出された。
 
「ずいぶん根回しがいいんですね」
「そんなに多くはない。私立の二次募集もすでに締め切っているだろうし、この中から選ぶしかない」

 郁弥の問いには答えず、克弥が続けた。

「拓弥も気にかけている。最近話しているところを見かけないから気にはなっていた」
「話が終わったならこれで。鍵はかけないで結構ですから」
 
 思わぬところで拓弥の名を出され、これ以上話すことはないと言わんばかりにすかさず立ち上がった郁弥は克弥が持ってきた紙を手にして寝室の方へ向かって歩き出した。

 あんなに仲のよかった郁弥と拓弥がなぜ仲違いしているのか理由はわからないけど、二人の父である克弥はその姿を見ているのが辛かった。


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Date:2014/10/23
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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