空色なキモチ

□ 掌の鼓動 □

掌の鼓動 18

第十八話

過去 4

【郁弥と拓弥と莉彩 1】




 親密な仲になった郁弥と莉彩はそれから何度も同じように交わるようになる。
 覚えたての猿のように身体を重ねても郁弥の欲は収まることを知らなかった。
 自身を温かく包み込んでくれる莉彩が誰よりも大事でずっと一緒にいたいと思った。こんなにも人を欲するのは初めてのことで、痛みも喜びもすべて分かち合いたいと願った。
 莉彩も郁弥の抱擁が好きだった。いつまでも身体を繋ぎ合わせていたいとも思っていた。だけど――

「ねえ、勉強しなきゃ。郁くんだって第一志望B判定なんでしょう?」
「うん、でも……」
「今日はもうやめよ。勉強できなくなっちゃう」
「……俺のこと、愛してる?」
「もちろん愛してる……郁くんだけだよ」

 名残惜しそうに身体を解放され、莉彩はつい心から安堵したような吐息を漏らしてしまう。
 夏休み明けの中間テストで学年一位にならないと秀英高校の推薦枠がもらえないことを知った莉彩はかなり焦っていた。
 莉彩といつも学年一位を争う別のクラスの生徒も秀英の推薦枠を狙っていた。枠はただひとつ。取るか取られるかの瀬戸際だった。最近塾でも莉彩の成績は少し伸び悩んでいた上に、夏期講習で受けた全国模試の結果もあまり揮わず納得の出来には程遠かった。
 理由はわかっている。郁弥のことばかりを考えている自分のせいだ、と。

 このままじゃいけない。
 心を入れ替えて勉強に集中しようとしても郁弥に誘われたら応じてしまう。
 だって好きだからしょうがないじゃない。そう心の中でそう主張する自分ともっと勉強しないとこのままじゃだめと戒める自分がせめぎ合っていて、もやもやした気持ちと焦りが常に付きまとっていた。
 

**


 中間テスト三日前。
 気を引き締めるために試験が終わるまでは郁弥の家に来るのはやめよう。
 そう決意して莉彩は若槻家の門をくぐり、外に出る。
 その時、秀英中学の制服を着た男子生徒がこっちに向かって歩いて来るのに気づいた。
 紺色のブレザーに白と赤のストライプのネクタイ、グレーのスラックスは頭脳明晰に見える。あの制服を着たいと願っていた。
 すっと自分の横を通る眼鏡の男子生徒を目で追ってしまう。
 背は郁弥ほど高くはないけれど自分よりは頭半分くらい上の位置にある。百七十くらいだろうか。そんなことまで考えていた。
 振り返ってその背中を見つめていると、その男子生徒は若槻家の門を潜っていった。

「あっ! あのっ!」

 思わず声をかけてしまい手で口を覆うけど聞こえてしまっていたようで、その男子生徒は門の向こうからひょいっと顔を覗かせてこっちを見た。彫りの深い顔立ちはとても整っていて一瞬見惚れてしまう。

「何か?」
「あの、ここの家のかたですか?」
「はい、そうですけど? あ、その制服は郁弥の学校の人」

 莉彩が着ている制服を見てにこっと笑みを浮かべ、郁弥の名を口にした。
 こくんと一度うなずくと男子生徒は門の向こうから莉彩の目の前まで出てきて丁寧に頭を下げる。

「若槻拓弥っていいます。郁弥の兄です」
「えっ? 嘘っ!」

 ついそう言ってしまい慌てて口をつぐむ。
 名前はすごく似ている。顔は全く似てはいないけど、郁弥から兄がいるなんて聞かされていない。それに莉彩が秀英高を希望していることを知っているのになんで郁弥は教えてくれなかったのだろうか。
 郁弥の家には何度も来ているけど、本宅の方にあがらせてもらったことは一度もない。
 もちろん家族にあったことも紹介されたこともない。その方が気楽でしょ、と言われ納得していたけど考えてみたら不自然なことだった。
  
「君は郁弥の彼女?」
「あ。はい、まあ」
「そっか。郁弥かっこいいもんな」

 ははっとうれしそうに笑う拓弥がきらきらと輝いて見えた。
 郁弥みたいな細い瞼の日本人顔が好きなはずなのに、なんでこの人はこんなに素敵に見えるのだろうか。自分のタイプとは真逆なのに。憧れの秀英中の制服を着ているからかもしれない。そう考え込みながらなぜか自分に言い訳しているのが不思議だった。

「おかえり拓弥、っと、莉彩?」

 門の向こうから郁弥が顔を覗かせて驚きの声を上げた。
 並ぶと余計に似ていない。この二人が兄弟だなんて信じられなかった。郁弥の方がずっと背が高くて顔も大人っぽいのに拓弥が兄と聞かされて首を傾げるしかなかった。
 それに拓弥の着ている制服は間違いなく秀英中のもの。秀英高校の制服は紺のブレザーに濃いグレーのスラックス、ネクタイも紺とグレーのストライプのはず。入りたかった学校のことは隅から隅まで調べている。それなのに中三の郁弥の兄、ということは――

「え、同い年? まさか双子?」

 二人を指さしながらあんぐりと口を開ける莉彩を見て拓弥が笑う。
 だけど郁弥の表情に翳りが見えたのに気づいてすぐに笑うのを止めて曖昧にうなずいて見せる。

「うん、まあ」
「はっきり言えばいいだろ。腹違いだって」

 言葉を濁す拓弥に不機嫌な顔つきの郁弥が面倒さそうに前髪をかき上げて小さく舌打ちをした。
 その場に微妙な空気が流れ出したのを拓弥と莉彩は瞬時に感じ取っていた。拓弥はこんな郁弥を見たことがなかったし、莉彩もそうだった。こんなふうに苛立ちの感情を剥き出しにする郁弥を見て自分がいけないことをしたような気がした。

「忘れもん」

 ずいっとノートを差し出され、受け取ると郁弥はさっさと中へ戻って行ってしまった。その場に取り残された莉彩と拓弥は目を見合わせる。
 触れてほしくないことだったのだろう。ずっと隠していたのはそのせいだ。腹違い、つまり父親は同じで母親が違う、しかも同い年だったら言いにくいのも無理はない。

「なんかごめんなさい。郁くん怒ってた」
「ううん、大丈夫だよ。じゃ」

 何となく微妙な雰囲気のままふたりはその場で別れた。


**


 莉彩に拓弥の存在が知られた。
 そのことが郁弥の胸に小さなしこりを生み出していた。
 できればずっと内緒にしておきたかった。だけど莉彩がここに来続けている限りいつかはこうなってもおかしくはない。

「郁弥、ゲームしよう」

 小さなノックの後に開けられた扉を振り返ると拓弥がにっこりと微笑んでゲームを片手に立っていた。すでに私服に着替えている。

「『お母様』にバレたらやばいんじゃね?」
「大丈夫、今日は茶会に出かけてるから。ひさしぶりに対戦しよう」

 ずかずかとあがってきた拓弥がリビングのソファにどっかりと座り、早く来いと手招きをした。その隣に座ってゲームを始める。

「なあ、拓弥」
「なに?」
「さっきの彼女なんだけど」
「うん」
「秀英高が第一志望なんだ」
「そうなんだ」

 全く興味なさそうにゲームから目を逸らさない拓弥。
 それを横目で見て、胸につかえていたものがすっと軽くなったような気がした。同時に莉彩に拓弥の存在を隠していたことに罪悪感を覚えた。

「莉彩に勉強教えてやってくれないか?」

 ようやくゲームから顔を上げて拓弥が郁弥を見た。
 莉彩の成績が伸び悩んでいること、そのため焦りが生じていることを伝える。
 郁弥が本当に莉彩の推薦枠の心配をしていることがひしひしと伝わってきて、拓弥はなんだか心が温かくなるような気持ちになっていた。
 郁弥にそういう相手ができたこと、心の拠り所を見つけたことが純粋にうれしかった。

「母さんにバレないようにしないとな」

 しぃっと唇に人差し指を当てて拓弥が微笑んだ。


**

  
 それから拓弥と莉彩の塾が重ならない日は郁弥の部屋で勉強をするようになった。
 最初は迷惑がかかるからと堅く固辞した莉彩だったが、拓弥は「教えることで自分の勉強にもなる」と快く引き受けた。
 郁弥がどれだけ莉彩を気にかけているか真剣に頼む姿で理解できたし、拓弥は二人の仲をひそかに応援していた。
 一方、郁弥は拓弥が部屋にいることで莉彩との二人の時間が確実に減ってしまう。
 だけどこれは拓弥の存在を隠していたことの罪滅ぼしのようなものだった。それに莉彩が無事に推薦枠を取得して合格すればまた二人きりの時間を作ることができる。自分は推薦枠などもらえるわけなく一般入試になるが、何とかなるだろうと楽観視していた。拓弥や莉彩のように出来がいいわけじゃない。戸籍上では父と呼ばれる克弥のような弁護士になれるわけではない。そもそも克弥は拓弥にしかその道を期待していないだろう。
 大きめのキッチンテーブルで二人が顔を近づけて仲良さそうに勉強をする姿を見るのは内心いい気はしないけれど、少しの辛抱だと自分に言い聞かせる。
 自分にできることは二人の合格を祈って勉強の邪魔をしないこと。そう思いながら少し離れたリビングのテーブルでひとり勉強しながら息抜きに漫画を読んだりしている。それを拓弥や莉彩に発覚して注意されたりもした。そんな関係がなんとなく楽しくもあった。


 夏休み明けの中間試験で莉彩は学年一位の座を死守し、めでたく秀英高の推薦枠をもらうことができた。そして拓弥も秀英高への進学が決まり、気分転換に三人で遊園地へ行った。莉彩のおごりだと言っていたけど、結局拓弥がすべて払ってくれた。
 まだ郁弥の受験は終わっていないけれど、二人がつきっきりで勉強を見るからこのまま一緒に頑張ろうと励まされた。
 その頃、毬子は家を不在にすることが多くなっていた。
 克弥の仕事関係のパーティーや茶会に積極的に参加するようになり、体調もいいのか笑顔が見られることも多くなった。郁弥に対する無関心な態度は変わらないものの、理不尽なあたりかたをされなくなってほっとしていた。
 拓弥が郁弥の部屋に来ているのも容認しているのかそもそも気づいているのかわからないけど口出しはされていない。

 拓弥と莉彩の申し出を無碍にできず、結局三人で勉強する日々は変わらなかった。
 拓弥がいない日は莉彩がほしかった。だけど莉彩は「合格するまではだめ」とキスまでしかさせてくれず、郁弥のフラストレーションはたまる一方だった。


 年が明け、莉彩の推薦入試が終わり一足先に合格通知を手にした。
 そして郁弥の受験に備え、やっぱり禁欲生活を強いられる。もちろん莉彩が提案したこと。
 このままじゃ勉強に集中できないからと願い出ても莉彩の決断は覆らなかった。
 納得いかなかったけど合格してしまえばいいだけのことだと自分を奮い立たせ、郁弥は人が変わったように一生懸命勉強に取り組んだ。
 二人に勉強を教わり、郁弥の第一志望の高校は模試でA判定をもらえていた。このままいけば合格間違いなしと太鼓判を押されている。だからといって気を緩めていいわけではないことは郁弥もわかっていた。試験が終わるまでの辛抱だと言い聞かせ、勉強に集中した。

 郁弥の第一志望はバスケの有名な公立高校で成績は中の上程度。莉彩や拓弥の学力から見ればかなり落ちるはずだ。それでも郁弥にとっては納得のいく学校だった。
 莉彩と同じ高校に進学できないのは残念だけど互いの学校は偶然にも近かった。部活のない日に会うことも制服デートも可能だろう。


 郁弥の試験を数日後に控えたバレンタインの日、莉彩は二人に手作りチョコレートを送った。
 全く同じものだったのにちょっと不満を感じた郁弥だったけれど、作ってくれたことがうれしかった。

「ねえ、拓弥くんは彼女いないの?」
「えー今更その質問しちゃうんだ。いたらこんなにここにいないでしょ」
「そうだよね、拓弥くんの携帯滅多に鳴らないもんね。鳴っても男友達ばっかり」
「うるせーよ、莉彩」

 こんな会話が繰り広げられていても、ラストスパートをかけている郁弥に気にしている余裕はない。
 いつのまに拓弥は莉彩を呼び捨てにするようになったのか。それすら気にならないくらい自然な呼び方だった。
 早く二人と同じ場所に立ちたい。そのためには絶対に合格しないと――

「郁くん、頑張って!」
「頑張れよ。郁弥」

 大好きな恋人と兄が笑顔で応援してくれているから頑張れる。
 郁弥はそう思っていた。


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Date:2014/10/22
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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