空色なキモチ

□ 掌の鼓動 □

掌の鼓動 13

第十三話

現在 10




「有紗ちゃん、乗って」
「いえ。か、風邪薬を買ってから向かいますから先に」
「家にあるからいいよ、早く」

 すばやく助手席に乗り込んだ拓弥に促されてタクシーに同乗することになった。
 後部座席には郁弥と有紗が乗った。肩にもたれるように郁弥に言うも、聞こえなかったのか有紗に背を向けるようにして背もたれに寄りかかっている。まるで拒絶の意志を示しているようで悲しくなる。
 有紗が着ていた薄手のコートを前からかけるとそれは拒絶せずにいてくれた。
 車内では終始無言だったものの、あっという間に若槻邸の前に到着したためそんなに苦痛な空気ではなかった。
 降りる時に手を差し伸べたけどちらりと見て郁弥はそれをとろうとはしなかった。顔を背け、降りたと同時に縁側の方へ向かって行く。足取りはややふらついているように見えたけど声をかけてもどんどん先へ行ってしまう。

「拓弥さん、ありがとうございました!」

 深く頭を下げ、荷物を持って郁弥の後を追う。
 後ろから「薬持って行くから」と聞こえ、振り返りながら軽く頭を下げた。
 遅れて郁弥の部屋に入るとすでにベッドの上で布団にくるまり横になっていた。
 肩にかけていた有紗のコートはそのまま床に落ちている。

「郁くん、今ご飯作るから。食べられるよね」

 有紗に後頭部を向け、壁側を向いた郁弥の頭が一度だけこくりとうなずいた。
 まるで拗ねた子どものような仕草に笑いたくなったけど、そこはぐっと堪えて寝室を後にした。

 手早く雑炊を作っている最中に玄関の扉をノックする音が聞こえた。
 慌てて向かって開けると制服姿のままの拓弥がなんとなく様子を窺うような上目遣いで有紗を見ている。その手には市販薬が握られていた。約束通り持ってきてくれたことがうれしくて、有紗は笑みを浮かべた。

「郁弥、どう?」
「今眠ってます。食欲はあるみたいだから軽く食べてもらって薬飲ませます。ありがとうございました」

 手を差し出すと薬が乗せられ、その箱の隙間に小さなメモ用紙が挟まっていた。
 そのメモ用紙には拓弥の名前と数字と英数小文字の羅列が書かれていた。どう考えても携帯のナンバーとメールアドレスだろう。

「連絡してほしい」

 潜めた小さな声なのは、きっと郁弥に聞かれないため。
 なんて言ったらいいか考えあぐねているうちに、拓弥は扉口からすり抜けるようにして去って行ってしまった。
 まだ話の続きがあるのだろう。そう思ったけど、郁弥のことを思うとすぐに了承することはできない。
 郁弥が拓弥にいい感情を抱いていないのがわかるから。
 返すわけにもいかず、そのメモ用紙を制服のポケットに入れてすぐにキッチンへ戻った。


**


 野菜たっぷりの雑炊をベッドの上で勢いよく食べる郁弥を見て目を丸くしてしまう。
 よっぽどおなかが空いていたのだろう。それなのに自分は拓弥とパフェを食べていたことに申し訳なさを感じていた。やっぱり拓弥の申し出を断るべきだった。
 すっかり空になった小鉢をじっと見つめている郁弥。まだ満たされてないのかもしれない。

「バナナあるよ。食べられる?」
「拓弥と」

 二人の声が重なり、消えた。
 聞こえないふりをするのは難しかった。郁弥の声は低く、とてもよく通り、しかもいつもよりやや張っている。むしろ有紗の言葉は聞き流されてしまっただろう。
 視線を合わせると、郁弥の虚ろな眼差しは何かを訴えているように見えた。
 だけど何も言わずに持っていた小鉢を差し出し、ゆっくりと横になって再び有紗に背を向けてしまった。

「寝る前に薬を……」
「そこに置いといて。自分で飲む」
 
 箱を開けようとした手を止め、ヘッドボードの上に薬と水を置いた。
 こういう時に何を言っても無駄なのは今までのつきあいの中で自然に学んでいた。
 静かに寝室を出ようとして、一度振り返る。
 郁弥は全く動かずに丸まっていた。まるで動物が寝て傷を治すかのように。

 果たして郁弥の傷なのかどうかはわからない。
 たださっき郁弥がファミレスで零した言葉は気になっていた。

 ――おまえも、かよ。

 ずっとその言葉が耳から離れない。
 その後に泣き笑いのようにあげた悲しく響く声の理由もわからず、郁弥の寝室の扉を閉めた。
 

 洗い物を終え、リビングに乱雑に広げられた雑誌や洋服、バスタオルを畳んだりしてぼんやりしていたら日差しが影を落としていた。
 時計を見るとすでに十七時近い。本当ならバイトの日だったけど、郁弥の家に来る予定だったので休みの連絡を圭理に入れておいた。今の時期入院患者も少ないから気にしなくていいという返事はもらっていたけどずる休みのようでやっぱり申し訳なかった。

 郁弥は薬を飲んだだろうか。
 あれから一時間くらい経っている。様子を見て帰ろうと思い、寝室の扉を開けると暗い部屋から荒い息遣いが聞こえてきた。

「郁くん?」

 玄関の光が郁弥の寝室に入り、少しだけ中の様子が見えた。
 苦しげにあげられる断続的なうめき声と布団の上でもがくように首を左右に振る郁弥の姿を見て、畳んで運んできた洋服をその場に落としてしまっていた。

「郁くん! どうしたのっ?」

 駆け寄って声をかけても目を開けようとしない。
 郁弥を小さく揺さぶってみると身体はとても熱く、よく見えないけど着ているシャツはしっとりとしていて汗をかいているようだった。
 こんなにも苦しそうにうなされているのは体調が悪いだけじゃなく悪夢でも見ているのかもしれない。

「郁くん! ねえ、郁くん!」
「り、さ……りさっ」

 まるで譫言のように呼ばれる名前。
 それは拓弥が言っていた莉彩のことだとはわかっている。だけど。

「郁くん、しっかりして。ねえ、郁くん」

 半泣きで揺り起こし続ける有紗の腕を郁弥が掴み、ぎゅっと力が込められた。
 それはとても強い力で、爪が食い込むかと思うくらいだった。

「り、さ?」

 ようやく開いた郁弥の瞼。ガラス玉のようなぼんやりと揺れる瞳を向けられほっと安堵の息をつく。
 だけど彷徨う視線は有紗を認識できていないようにも見え、わずかに胸がざわつくのを感じた。

「郁くん、すごくうなされてた」

 リモコンで部屋の電気をつけてヘッドボードの上の薬の箱が開けられているのと水が減っているのに気づく。薬を飲んだから解熱したのかもしれない。蒸しタオルを作って身体を拭いて着替えさせた方がいいだろう。

「りさ、りさぁ」

 まだ意識がはっきりしていないのか手を伸ばして有紗の腕にすがりつき、泣き出しそうな声を上げる郁弥に戸惑ってしまう。いつもの郁弥と違いすぎるから。

「なにもしないから、そばにいて。帰らないで」
「郁くん?」
「お願い、あいつのところへ行かないで。りさ、お願い」

 瞳を潤ませ、唇を震わせる郁弥を見て絶句した。
 この言葉は自分へ向けられているものなのか、それとも莉彩へ。
 あいつというのが拓弥のことであるのはなんとなくわかっていたけれど。

 どくんどくんと胸が強く高鳴る。
 身代わりでもいい。それでもこの人がこんなにも自分を欲してくれるのであれば。

 この暖かい手を離したくはない――

「行かないよ、郁くん。わたしはずっとそばにいるから」

 そっと汗に濡れた額を撫でると郁弥は心地よさそうに瞳を閉じた。


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Date:2014/10/17
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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