空色なキモチ

□ 掌の鼓動 □

掌の鼓動 12

第十二話

現在 9




 翌日、郁弥は学校をサボっていた。
 朝起きた時、妙に気だるくて制服に着替えようとしてやめた。学校が終わったらでいいから食事を作りに来てほしいと有紗のLINEのメッセージが届いたのは朝十時を過ぎた頃だった。
 クラスが違うから連絡が来ない限り郁弥の不在に気づくことはなかっただろう。校内ではなるべく郁弥と接しないよう心掛けているから。

 昨日郁弥の家の冷蔵庫の中を見て、ミネラルウォーターや牛乳、ヨーグルトなどしかなかった記憶がある。何かを作るにしても買い物をしていかなければならないと思い、ノートのはしにメモを走らせた。
 有紗も郁弥に話があった。なるべく早めにしておきたい話だったので都合がいい。
 体調を崩しているのなら身体の関係になることもなく、話だけをすませて帰ってこれるだろう。

 元はといえば自分が受け入れたことだった。
 だけどもうこれ以上この関係を続けていくわけにはいかないとようやく気付いた。
 郁弥のことは好きだ。でも圭理にこれ以上心配も迷惑もかけたくはない。
 自分がちゃんと避妊をしてほしいと言えないのが一番悪いことだとわかっている。そうすることによって郁弥に拒絶されるのが怖かった。今までは。
 でも今は、その手を離さなければならないことも十分理解していた。
 ひとりで生きていくと決めた。それに子どもができてからではなにもかもが遅い。


**


 買い物をして郁弥の家の本宅の門前で立ち止まる。
 ここは郁弥の家であってそうではない。詳しい理由は聞いたことがないけど、ひとりでこの門をくぐるのは帰る時のみで入るのは初めてだった。
 人様の家に許可なく入るのはやっぱり緊張する。郁弥の許可はあるけどこの門は郁弥の家の本宅のもの。居場所がないと郁弥が言ったその家の。
 すうっと深呼吸をし、その門をくぐろうとした時。

「りさ、ちゃん?」

 聞きなじまない声が、郁弥の呼び方で耳に入ってきた。
 振り返るとそこには昨日この場所で会った秀英高校の男子生徒の姿があった。
 急に腕を掴まれた記憶を思い出し、息をつめる有紗を見て目の前の男子生徒が困惑顔で笑みを浮かべた。

「昨日はごめん。僕、若槻拓弥(わかつきたくや)っていうんだ。君は?」

 郁弥と同じ名字。そして似た名前。
 郁弥の弟だろうか。聞いたことはないけど、昨日の様子ではあまり親しくない間柄のように感じた。それにあまり似ていない。拓弥のほうが優しい顔立ちをしているように思えた。

「た、高邑、あ、りさです」

 たどたどしく名を告げる。郁弥ほどではないけれど背の高い拓弥の目を見ようとすると自然と上目遣いになってしまう。まるで自分が小動物になったような気分だった。

「だから、りさなのか」

 ぼそっと小声でつぶやいた拓弥が納得したようにうなずいているのを不思議な気持ちで見ていた。
 昨日の郁弥の言葉を思い出す。この拓弥という人が郁弥の恋人に手を出したようなことを言っていた。本当なのかは定かではないが、そんなことをするような人には見えない。

「ちょっとだけ僕に時間くれないかな」
「え、でも」

 家族なら知っているとは思ったけど、郁弥が体調を崩して部屋で寝ていることと行って食事を作る約束をしていることを告げた。するとどうやら拓弥は郁弥の体調のことを知らなかったようで目を大きく見開いた。だけど心配しているふうではなく、ただ目を伏せて「そう」とひと言だけ返ってきた。
 そうしてやんわりと断ったつもりだったのに、拓弥は引こうとはしなかった。

「お願い、郁弥のことで話があるんだ。少しでいいから」

 郁弥のこと、そう言われて意志がぐらつく。
 今まで郁弥は自分のことを話そうとはしなかった。それは有紗も同じでお互い言いたくないことを無理に聞き出そうとはしなかった。そもそもセフレの関係に必要のないことだと思っていた。
 郁弥のことを知りたい気持ちはあった。でもそれを知ったところでなにが変わるわけでもないこともわかっていたから。 
 だけど拓弥のあまりの必死さに受け入れざるを得なかった。


 郁弥にはメールで少し遅れることを伝え、連れてこられたのは駅前のファミレスだった。
 このファミレスの数軒先のスーパーで買い物をした。その荷物は拓弥が持ってくれている。幸い急いで冷蔵庫に入れなければいけないものは入ってない。ただ二キロの米が重いはずだ。

 窓際の四人席に誘導され、向かい合わせに座る。
 自分の財布の中身は心許ない。バイトの給料日までまだ一週間近くある。
 正直今日の買い物も痛い出費だった。ファミレスよりも安いファストフードの方がよかったのにと思いながら向けられたメニューを上の空で見つめていた。

「好きなものを頼んで」
「いえ、飲み物だけで」
「誘ったのは僕だ。支払いは気にしないでなんでも食べて」

 でも、と戸惑う有紗の視線はメニューのおいしそうなパフェに向けられていた。
 ファミレスにはほとんど入ったことがない。パフェは小さい頃に圭理と出かけた時、何度か食べさせてもらっていた。だけど最近は一緒に出かけることもなくその機会も皆無だ。あの夢のように甘くてふわふわなパフェをもう一度食べてみたいという気持ちはあった。メニューの画像もとてもきれいでおいしそうにしか見えない。

「いちごのとフルーツのとチョコ、抹茶のもあるね」

 それに気付いた拓弥がメニューのパフェを順々に指さした。
 ちらっと視線を向けると拓弥が上目遣いで有紗を見て口元に笑みを浮かべているのに気づく。
 もしかして食べものでつられそうな自分を見て軽蔑の眼差しで見ているのかもしれない。施しのつもりなのだろうか。
 そう思った時、メニューを拓弥の方へ押し戻していた。できる限りの鋭い目で拓弥を睨みつけ、「紅茶を」とだけ告げた。有紗ができるささやかな抵抗だった。

「ひとりで食べるのは恥ずかしいんだ。だから君が一緒に頼んでくれると食べやすいんだけどな」

 口元に手を当て、有紗にしか聞こえないくらいの小声で拓弥が言った。
 信じられない気持ちで拓弥の顔を見ると、「お願い」と顔の前で手を合わせている。
 なんだか急におかしくなってつい笑ってしまっていた。
 一瞬驚いたような表情を見せた拓弥を見て、すぐに笑うのをやめると今度は拓弥がうれしそうに頬を染めて笑い出したのだった。

 目の前に運ばれてきたいちごのパフェとチョコレートパフェはメニューのものとは少し違う出来に見えたもののそれでも十分おいしそうだった。
 長いスプーンで掬った生クリームを口に入れるとふわっとしていてすぐに溶けてしまう。おいしくてつい笑みが零れてしまう。

「おいしそうに食べるね」
「ん、だって」
「わかるよ、おいしいもんね。甘いものを食べるだけでなんだか幸せな気持ちになれるし」

 そう、その通り。
 そう思ったけど口にはせずに軽くうなずくだけにした。
 本当は拓弥の言うことが的を得ていたので大きくうなずきそうになったけどそれすらも押さえ込んだ。
 若槻拓弥という人物のことをなにも知り得ない。もしかしたら郁弥にとって都合の悪い人物なのかもしれない。郁弥の時にはなにも知らないまま、むしろ自分からその胸に飛び込んでしまっていた。
 あの時はなにも怖いことなんかなかった。今は郁弥を失うのが怖い。だけどもうその関係も手放そうとしている自分も確かにいるのだ。

 拓弥がにこにこしながら自分を見ているのに気付いた有紗は急に恥ずかしくなり、俯いてしまった。
 そんなに優しい顔をされると戸惑ってしまう。初めて会った時から驚いたような目で見つめられていた気がするから。

「有紗ちゃん」
「っ、はい」

 名前で呼ばれて息を呑む。
 りさ、ではなくありさと呼ばれた。
 おずおずと上目遣いに拓弥を見ると、眉を下げて笑みを向けられている。包み込むような優しい表情に大人びた雰囲気を感じて再度俯いてしまった。
 
 ようやく食べ終えたパフェの代わりに暖かい紅茶が運ばれてくる。いつの間に頼んだのだろうか。こんな優雅な時間を過ごすことは滅多にない。もったいないと気後れする有紗に気付いたのか、拓弥がミルクと砂糖を近づけた。
 お茶を一口すすり、一息つくと拓弥が背もたれに寄りかかりようやく口を開いた。

「僕の話を聞いてくれるよね」

 今更NOとは言えず、こくりとうなずくと淡々と拓弥が話し始めた。

 郁弥と拓弥は想像通り兄弟だった。
 そして弟だと思いこんでいた拓弥が自分や郁弥と同い年だと聞かされて驚く有紗に双子ではないと付け足した。
 出生について詳しいことは教えてはもらえなかったけど、同い年の兄弟で双子ではないと聞かされれば腹違いとしか想像できなかった。全く似ていない理由にも納得がいく。
 拓弥は目鼻立ちがはっきりしていてやや日本人離れしている。郁弥とは真逆のタイプの美形だ。
 郁弥が本宅に居場所がないと言っていた意味がなんとなく理解できて悲しい気持ちになる。きっと郁弥が本妻の子ではないのだろう。

「りさ、については何か聞かされている?」

 様子を窺うように下から顔を覗きこまれ、なんのことだか理解ができなかった。
 りさという人物がいるかのような言い回しに首を傾げる。

「やっぱり、言うわけないよな」

 ふうっと大きなため息が漏れ、テーブルに肘をついた拓弥の瞼が悲しげに伏せられた。

「莉彩、というのは僕と郁弥の知り合いで……というのはちょっと違うかな。元々は郁弥を通じて僕も親しくなった子なんだ」

 すっ、とテーブルに拓弥のスマホが置かれ有紗の方に寄せられる。
 そこには茶色の長い髪にセーラー服姿のかわいらしい笑顔の女の子が写っていた。
 この子が莉彩、実在した人の名前。だけど自分には全く似てはいない。似ているのは名前だけ。

「君はこの子の身代わりだ」

 拓弥の黒い瞳が有紗を捕らえ、逸らせなくなっていた。
 自分がこの子の身代わり?

 なにがなんだかわからない。
 喉元を通り過ぎる唾をごくりと飲み干す音が脳に直接響くような感じだった。 
 そもそも身代わりとはどういう意味でなのか。それを尋ねようとしたけど頭がぼんやりして言葉にならない。その時、ばん! と大きな音が目の前で轟いた。
 
「人の女に手を出すなって言ったよな」
 
 小さく息を切らした郁弥がテーブルを叩いた音だと有紗が気づくまで少し時間を要した。
 明らかに怒気をはらんだ声が拓弥に向けられている。
 だけど有紗から見える拓弥は驚くようでもなく、ただ無表情に郁弥を見つめていた。

「人の女? よく言うよ。僕は間違ったことはしていない」
「りさに嘘をつかせてこそこそと誘うのが間違ったことじゃないとでも?」

 蚊帳の外に放り出されたような気持ちだったけど、二人の会話に口を挟むことははばかられた。
 拓弥に視線を送るも気付かずに郁弥と睨み合っている。

「嘘って」
「ご、ごめんなさい。あ、の、たっ、拓弥さんと一緒とは言わなかったんです。だからわたしのせいでっ」

 申し訳ない気持ちで口を挟むと、郁弥の鋭い視線が向けられた。
 逆に心配そうな視線で拓弥の眼鏡越しの瞳が有紗を見つめる。

「そうじゃない。僕が強引に誘ったんだ。いいだろう。郁弥は有紗ちゃんのことを恋人だと思ってないんだし」
「うるせぇ」

 郁弥の視線は有紗から逸らされることはない。
 苛立ちが痛いほど伝わってくる。本当のことを言っておけば郁弥はこんなに怒らなかったかもしれないとひたすら後悔した。
 
「ごめんなさい、郁くん」
「その呼び方」
「行くぞ」

 強く腕を引かれ立ち上がらされた有紗は、郁弥の身体がぐらりと傾くのを見て慌てて抱き留めた。

「郁くんっ! 大丈夫っ?」
「大きい声出すな」

 掠れた声の郁弥の吐息が熱いことに気付く。
 熱があるのかもしれない。それなのになんでこんなところまで来たのだろうか。
 拓弥が立ち上がり、郁弥の身体を支えようと手を伸ばすとそれを払いのけた。

「さわんじゃねえ」
「わかったよ。タクシー呼んでくる」

 やや早歩きで出口の方へ向かっていく拓弥を見送りつつ、郁弥を席に座らせた。少しだけ呼吸が荒く感じる。その隣に腰をかけ、不安げな表情を向ける有紗に郁弥は力ない皮肉めいた笑みを浮かべた。

「大丈夫だ。腹減ってるだけだ」
「でもっ、郁くん身体熱い」
「大したことない」

 郁弥の額に触れると妙に熱く感じた。
 結構熱があるのかもしれない。そんな体調なのにどうしてこんなところまで来たのだろう。その疑問しか浮かばなかった。
 若槻邸から駅までは徒歩十分圏内でさほど遠くはない。だから本当に空腹のためのふらつきなら歩いてでも帰れるはずだけど、身体の熱気からそうではないはずだ。

「あいつに何を聞かれた? いや、聞かされた」

 切れ長の細い瞼を眇め、虚仮(こけ)にしたような顔つきを見せる。
 話の内容までは聞かれていなかったことに安堵するけど、同時に拓弥が郁弥に言った言葉を思い出して息が詰まりそうになった。

 ――郁弥は有紗ちゃんを恋人だとは思っていない

 ただのセフレだということは重々承知している。
 郁弥は自分のことなんかなんとも思っていない。だから大事にしなくても当然だろう。それなのに拓弥に対してだけ自分のことを「人の女」と称すのはなぜだろうか。
 そして莉彩の存在。実在する人物だとは知らずにその人の名を呼ばれているのに自分だと思いこんでいた。知らなかったとはいえやるせない気持ちがこみ上げてくる。 

「おまえも、か」

 くくっと小さな笑い声を聞いて郁弥を見ると俯きながら笑いを堪えていた。長めの前髪が郁弥の表情を隠し、薄めの唇がクッと弧を描いているのしか見えない。 
 おまえもの意味が分からなかった。だからなぜ郁弥が笑っているのかもわからない。
 そしてなぜかその笑いが泣き声のように聞こえてならなかった。 

 
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Date:2014/10/16
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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