空色なキモチ

□ 掌の鼓動 □

掌の鼓動 11

第十一話

現在 8





「あーあ、帰っちゃった。おまえのせいだよ。拓弥(たくや)
「あの子はここを飛び出してきた時から泣いていた」

 ずれた眼鏡のブリッジの部分を中指でそっと押して直す拓弥を郁弥が不快そうに睨み上げる。
 
「なに? りさのこと気に入ったの?」
「あの子はりさっていう名前なのか」
「どーでもいいじゃん」

 大きなため息を吐き、自分の部屋の方に向かって歩いていく郁弥の背中を追ってその肩を掴む。
 
「どうでもいいってことはないだろう」
「はあ? なんで?」
「りさでもないのにりさって呼ぶのはおかしい」

 肩を振り回すようにして拓弥の手を振りほどき、郁弥が片方の口角をつり上げて顔を近づけた。
 険のあるその笑みに拓弥の背筋が少し伸びる。身長は郁弥のほうがわずかに高く、覗き込むようにされた拓弥が上目遣いで見つめる。

「おまえに関係ない」

 今度は拓弥が郁弥を睨みあげた。
 その鋭い視線に驚いたような郁弥が目を眇める。
 
「あの子は莉彩(りさ)じゃない」

 その言葉が郁弥の胸を抉るように深く突き刺さった。
 これでもかというくらい見開かれた郁弥の目が拓弥を見ているようだったけど、実際にその瞳にはなにも映し出されてはいない。

「あの子を身代わりにするのはやめるんだ」
「うるせえ。そんなんじゃねえよ。あいつはただのセフレ」

 今度は拓弥の目が見開かれた。
 くくっと低くくぐもった郁弥の笑い声がやがて大きなものに変化してゆく。

「家の前でなにをしているの、あなた達」

 家の前に止まったタクシーから顔を出したのは若槻家当主の妻、鞠子(まりこ)だった。
 完璧なまでに品良く着こなされた藍色の着物、まとめ上げられた黒髪。美しいけど険のあるその顔つきは近寄りがたい雰囲気を醸し出している。

「母さん」
「おかえりなさいませ」

 郁弥と拓弥、二人の声が重なる。
 タクシーから降りた鞠子が深々と頭を下げている郁弥に凍りつくような冷たい視線を向けた。

「こんなところで騒いだら人の目につくでしょう。そのくらい考えなさい」
「すみません」
「母さん、そんな言い方」
「さっさと入りなさい。目障りなのよ」

 拓弥が止めに入るのも聞かずに鞠子はつんと顔を上げ、二人をその場に置き去りにして中へ入って行く。その背中を見送りながら郁弥は小さく舌打ちして拓弥を恨むような鋭い目つきで睨みつけた。

「おまえのせいで俺が怒られたじゃねーか」
「悪い。言っておくから」
「余計なこと言うな。拓弥お坊ちゃまの言うことだってあの人が聞き入れるわけがない」

 ふんと鼻を鳴らし、郁弥は別宅のある縁側のほうへ向かって戻って行く。
 まだ話は終わってないと拓弥が止めるけど、聞く耳を持たずに郁弥は別宅の扉を乱暴に開けた。
 これ以上中に入ることは許されていない拓弥は諦めのため息をつき、閉ざされたその扉をしばらく見つめて本宅の方へ足を向けた。
 

** 

 
 有紗は確かに今日、郁弥の家に泊まっていく予定だった。
 どうせ家に帰っても誰もいない。時々そうして泊まらせてもらってお礼に食事を作ったりしていた。キッチンも冷蔵庫もちゃんとあるけど郁弥は料理は作れない。有紗が作る以外はほぼコンビニ弁当か、最寄り駅の側にあるお弁当屋で買って帰る。友人と遊びに行く時はファミレス系が多い。

 だけど今日はどうしても泊まれなくなった。
 有紗の計算では今日は排卵日に当たる。圭理に女性の体の仕組みを教えてもらい、自分でも勉強した。アフターピルを内服しないと妊娠してしまう可能性がある。帰って圭理に相談しなければ。
 そう思いながらも有紗の足はなかなか帰宅の途につけずにいた。
 圭理に会いづらい、相談しづらい。
 だけど行く場所がなく、駅前のファストフードに入り、温かい紅茶を購入した。
 二階席の二人掛けの席に座って一息つくと、隣の四人席ににぎやかな女子高生四人が座った。笑い声が頭に響く。少し静かに考えたかったのに。

「ねー! ……が、中出しされて妊娠しちゃったらしいよ」
「うっそ? 最近学校来てないからおかしいなと思ってたんだ」

 大きな声で騒ぎ出すような内容ではない。しかも今の有紗には耳が痛い話だった。
 一瞬びくっと自分の身体が震えてしまったのがわかる。隣の女子高生にばれていなければいいけど。
 ちら、と隣に視線を向けるとみんなスマホをいじりながらポテトだのハンバーガーだのを食べつつ会話している。こうして皆で話をしているのにスマホを手放さないのが不思議な感じがした。
 しかも友達のことなのにまるで他人事で本気で心配しているようには見えない。もしかしたらその妊娠してしまった子も彼女達の上辺だけの友人なのかもしれない。
 そんなことを考えながらつい見つめてしまっていたようで、ひとりの女子高生と目が合ってしまいあわてて逸らす。

「中出しはありえないよね」
「うん、大事にされてないって感じ。相手は大学生らしいけど、中絶するしかないよね。これだけ校内で知られたら来づらいだろうなー」

 大事にされていない。
 その言葉は容赦なく有紗の胸に突き刺さって抉る。
 確かにそうだと心の中で自嘲する。郁弥は有紗を大事にしていない。する必要がないのだ。
 だって恋人ではない、ただのセフレなのだから。
 こみ上げてくる涙をハンカチで押さえて席を立つと、隣の女子高生達が話し声を潜める。テーブルの間を逃げるようにすり抜けその場を後にした。

 飲み終えていない紅茶を持って飲みつつ歩いてきた有紗の足は天道産婦人科の前で止まる。
 時間は十九時近い。そろそろ診察も終わる。圭理に相談するなら中に入らないといけない。
 だけどすでに二度も圭理にアフターピルをもらっている。
 万が一避妊に失敗した時は隠さず絶対に言うように口酸っぱく言われていた。でもすでに二度もという思いが重くのし掛かっている。三回目はありえないと有紗自身思っていたことだからショックだった。

 ほかの病院へ行った方がいい。
 そうは思ったものの有紗には保険証がない。母親の扶養扱いにはなっているもののそれは手元にはない。美春が持って行ってしまっている。かといって職場に行こうものなら煙たがられ追い出されてしまう。携帯の番号もいつの間にか替えられてしまった。連絡の取りようがない。

 だけどこのままでは妊娠してしまうかもしれない。
 母の美春のことを考えた。美春は十八歳で自分を出産している。それは今の自分と同じくらいの時に妊娠したはずだ。自分も美春と同じ道を歩むのだろうかと想像したら身震いがした。

 わたしも子どもをかわいがれないかもしれない。

 漠然とした恐怖が有紗を襲う。
 元々子どもはそんなに好きな方ではない。どう扱っていいかもわからない。今は理平の病院で産婦や妊婦の子どもと時々接する機会があるけど積極的には関わらないようにしているくらいだ。

 高校を卒業したらこの街を出よう。急にそう思い立った。
 何かが得意なわけでもないし、このご時世でいい就職口など見つからないだろう。だけどできることをやっていくしかない。独りで生きていくのなら死にものぐるいで働かないと。

 圭理に頼るのはこれが最後。
 そう心に決め、怒られるのを覚悟して病院の門をくぐった。


**


 案の定気むずかしい顔をした圭理が長い足を大きく組んだ。
 診察の時は注意して組まないようにしている。患者に威圧感を与えないためだ。
 もちろん有紗にだって威圧感を与えたくなんかないと思ってはいる。だけどどうしても苛立ちを隠せない。圭理の無意識の行動だった。

 言いたい言葉をぐっと飲み込んでアフターピルを四錠手渡した。
 病院の電子カルテには入れられない有紗の主訴を紙の医師記録に素早く書きとめ、その記録は圭理しか見られないよう机の中にしまわれた。
 いつも通り支払いをしようとする有紗を止め、席を立ち上がり白衣を脱ぐと「ごめんなさい」と消え入りそうな小さい声が返ってくる。

「相手の男に会わせてくれないか?」

 ゆっくりと有紗の顔が持ち上げられ、圭理の様子を窺うような視線を向けた。

「オレが言ってやる」

 圭理の疑惑は確信に変わっていた。
 避妊を失敗しているわけではない、最初からしていないんだと。
 それは今、有紗が見せた困惑顔で証明されている。
 しばらくこんなことがなかったから、もしかしたら別れたのかもしれないと思い込んでいた部分もあった。そうじゃなかった現実に虚しさに似たものがこみ上げてくる。

「だ……だい、じょうぶ」

 それでも声を震わせて首を振る有紗が憎くてたまらなかった。
 どうして頼ってくれないのか、自分自身を大事にしてくれないのか。たったひと言「助けて」と言ってくれればいい。それだけなのに。

「有紗」
「ごめんなさい、圭くん」
「謝ってほしいわけじゃないってわかるだろう」
「わ、わかってる、でも、ごめんなさい。大丈夫だから。もう」

 なにが「もう」なのかわからなかった。
 だけど、もしまた同じ目にあって隠されるのが一番怖かった。

「有紗、オレとの約束覚えてるよな」
「うん、大丈夫。覚えてるから」

 関わってほしくない、深く追及しないでほしいと言わんばかりの目が圭理に向けられる。
 それ以上なにも言うことができない。言ったところで有紗を責める言葉しか生み出せそうにない。
 
「圭くん、ごめんなさい。本当にありがとう」

 ぺこりと深々と頭を下げた有紗が診察室を去ってゆく。
 その頼りない背中を見つめ、優しい言葉をかけてやりたいのにかけられない自分をもどかしく感じていた。


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Date:2014/10/14
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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