翌日の朝、起きたら雪乃はまだ微熱があった。
無理に家に連れて行かずによかったかもしれない。
昨日の夜はお互い力尽きて裸のまま抱き合って眠ってしまった。それがいけなかったのかもしれない。
「のど……いだいでず……」
昨晩より掠れた声で訴える雪乃。
昨日は啼かせ過ぎたと少しだけ後悔しつつ、お粥を食べさせ薬を飲ませた。
食欲が少しずつわいてきてよかった。顔色もだいぶいい。
「雪乃、今日少し出てもいいかな?」
「え?」
「家から服持ってきたりしたいし、あと寄るところも……」
言葉を発せずこくりとうなずく雪乃がかわいくてまた食べたくなってしまう。
でもそんなことしたら本気で怒らせそうだからしないけど。
「お土産買ってくるよ。何がほしい?」
「え? 別に……」
「ほんとに? こんな優しくするの今だけだよ? 元気になったらご奉仕してもらう予定なんだから」
「ごほっ? なに……?」
オロオロする雪乃が忙しなく首を小刻みに動かした。
なんだよ……煽るなよって言いたかったけどかわいくてもっと見ていたいから止めない。
つい微笑みたくなるんだよな。
「まあいいや。なるべく早く帰るからね。大人しく寝てるんだよ。携帯の電源は絶対に切らないで」
俺がそう伝えると、雪乃がおかしそうに含み笑いをした。
木曜日に電源を切られて連絡が取れなかった時の俺の不安や悲しみをわかってないからそうやって笑えるんだな。ちょっと意地悪したくなったけど今日のところはやめておく。
まず自宅に帰り、必要な物を手早くバッグに詰め込んでから軽くシャワーを浴びて出る。
必要な物は着替えくらいなもんだ。
マンションを出ながら携帯を取り出して、コールする。
『――翔吾?』
呼び出し音に切り替わった後、すぐに通話になった。
驚いたような真奈美の声を聞いて聞こえないよう小さくため息をついてしまった。
「ああ、今日時間あるか?」
『え? うん、大丈夫』
「今からそっち行ってもいいか?」
『えっ? 今から? わかった……待ってる』
すぐに通話を切る。時間は昼の十二時になろうとしていた。
うちのマンションから真奈美のマンションまでは徒歩十五分。
大学時代は自宅から通っていた真奈美は就職と共に俺のマンションの傍へ引っ越してきた。
一緒のマンションがいいだの、部屋が余ってるならシェアしてよといろいろ言われていたがなんとか断った。他人と住むなんて真っ平ごめんだった。しかも相手は真奈美だし。
俺は大学時代から今のマンションでひとり暮らしをしている。
高校を卒業と同時に自立するといって家を出た。
自立と言ってもマンションの契約は親がしたから口だけなのだが。
ハタチになったと同時に契約を俺名義にして、家賃も自分で払うようになった。
両親は健在。姉がひとり。これが俺の家族構成。
**
真奈美の家のマンションのインターホンを押すと、レースのエプロンをつけて玄関に飛び出してきた。
髪は後ろでひとつに束ね、ワインレッドのネックのセーターと黒のパンツでラフなスタイル。
家の中ではナチュラルメイクをしている。
「お昼パスタでいい? 今日はカルボナーラにしてみたの」
「珍しいな、カルボナーラは太るから食べないって言ってなかったか?」
「んー、でも翔吾好きでしょ? カルボナーラ。はい、コート脱いで」
長居するつもりはなかったし昼もいらなかったのだが、そう言われたら食べた方がいい気がしてコートを脱ぐ。それを素早くハンガーにかけてリビングにスキップするように真奈美が戻ってきた。
真奈美は料理がうまい。小さい頃から趣味でいろいろ作っていたそうだ。
「座って。ねえ、ワイン飲んじゃう? それとも夜に飲む?」
「いや、すぐに帰るから」
「え? そうなの?」
真奈美の表情が曇る。
あんなに大荷物を持っていたからここに泊まると勘違いしたのだろうか?
昨日、電話で彼女の家にいると伝えたのに信じていなかったのか。
「真奈美、あのさ」
「とにかく食べよう! お腹減っちゃった」
俺のテーブルの向かいに真奈美が座ってコップに水を注いでくれた。
きっといい嫁さんになるはずなんだ。なんでも器用にこなすし、美人だから引く手あまたなはず。
「真奈美、話があるんだ」
「ん! おいしい! 我ながらうまくできてるっ。カルボナーラは作ったことなかったんだけど上出来。食べて、食べて」
俺の言葉を遮るように多弁になる真奈美。
このままじゃいけないと思いつつもとりあえずフォークを持つ。食べないと納得しないだろう。
「彼女に何を言った?」
フォークにパスタを巻きつけながら真奈美の顔を見ないよう尋ねると、カチャッとフォークとスプーンがあたる音がした。
一瞬真奈美の動きが止まる。
「彼女? 誰の話?」
「とぼけないでくれ、風間雪乃だよ。知っているだろう?」
「営業部の子でしょ? 知ってるわよ」
目の前の真奈美がくるくると器用にフォークを動かしてパスタを巻きつけ、ゆっくりと口の中に運ぶ。
唇がクリームで光っているのがやけに色っぽく見える。
動揺しないようフォークを絶えず動かそうとしているようにも見えた。
「彼女に何を言った?」
「何をって? 彼女、私が何かを言ったってあなたに言ったの?」
鋭い目線で睨むように見据えられる。
確かに雪乃は何も言ってない。
真奈美に何かを言われたとそんなことはおくびにも出さなかった。
だけど雪乃の態度でわかるんだ。雪乃が何かを隠していることは一目瞭然なんだ。
「雪乃は何も言ってない……だけど、俺に女がいると勘違いしている」
「……ふうん? それで」
「おまえが何かを言ったとしか思えない」
「酷い推測ね。随分じゃない?」
パスタ皿へフォークとスプーンが置いた音が室内に響く。
それはかなり大きな金属音。真奈美の苛立ちがそこからすぐに伝わってくるようだ。
真奈美を見ると、怒りと泣き出しそうな表情が入り交じっているように見えた。
悪いとは思うけど、ここで引くわけにはいかない。
「雪乃が好きなんだ。結婚したいと思ってる」
「――なっ?」
「初めてこんなに人を好きになったんだ。もう彼女以外考えられない」
目の前の真奈美の眼差しが揺れる。
大きな瞳が潤みだし、すぐさま大粒の涙が流れ落ちた。
「嘘……でしょ? 翔吾、勘違いしてるだけよ……」
「違う」
「大学時代の……あの傷つけた子に似てるから……同情してるだけよ……あの子だって自分と翔吾が合わないってことわかってるはずよ」
「あの子?」
「風間さんよ!」
ヒステリックに泣き叫ぶ真奈美を見ていられなくて、俺は席を立った。
今の真奈美の発言で、雪乃に対してそういう感情を持っているってことがわかった。
そういうことを遠まわしに雪乃に言ったんだろうなってこともおのずと理解できた。
そのまま真奈美の右隣に近づき、両肩に手を置いてこっちを向かせる。
「雪乃が俺をじゃなくて……俺が雪乃を好きなんだよ。俺が必死でアプローチしたんだ。愛してるんだ」
「嘘! なんであの子のなのっ?」
「もう、終わりにしてほしいんだ。前から言ってたことだけどちゃんと終わらせたい。ごめん」
真奈美に頭を下げると、彼女の膝の上に置かれた手が震えているのが見えた。
「やだ……絶対認めない……あんな子じゃ……私以上の子じゃなきゃ認めないっ!」
そう言うだろうと思っていた。
確かに見た目は真奈美の方がいいと誰もが言うと思う。
だけど俺にとっては雪乃が一番なんだ。誰がなんと言おうと俺の中では雪乃が一番かわいい。
「もう、彼女に関わらないでくれ。彼女は何も悪くない」
「翔吾! 目を覚ましてよ!」
「目ならとっくに覚めてる。だから俺は雪乃を、初めて人を好きになった。雪乃なしの人生は考えられない」
「なんであの子なの? もっといい子がいるのに……」
顔を上げるとキレイにメイクを施された顔がぐしゃぐしゃだった。
こんな表情もできるんだって初めて知った。
いつも大人ぶってきれいにしているのに……そうやって感情を露わにしている方がずっといい。
「バラが好きなやつもいればかすみ草が好きなやつもいるんだよ」
「え……?」
きょとんとした表情の真奈美が俺の顔を見た。
子どもみたいで少しおかしかった。でも、今までの中で一番かわいく見えた。
「俺は花、詳しくないけど真奈美はバラ? 白百合か? とにかくキレイだよ。だけど雪乃はかすみ草だな。まああれもキレイだけど」
「……何が言いたいの?」
「俺は花の中でかすみ草が一番好きなんだ。それだけなんだよ。わかってほしい」
そう告げて、真奈美の家を後にした。
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