掌の鼓動 1
第一話プロローグ 1【有紗と美春】
高邑有紗は見た目と違い、目立たない少女だった。
まっすぐなさらさらの黒髪は肩胛骨を覆うくらいの長さできれいに切りそろえられ、制服を着崩すこともなく優等生風な出で立ちではあるけど黒目がちな大きな瞳に小ぶりの鼻梁、ふっくらとした唇はとても可愛らしい印象を与え、化粧をしなくても頬はうっすらとチークを施したような色を呈していた。
いわゆる美少女と言われるタイプの女の子ではあったものの、有紗の家庭環境が大きく影響をしているのだと思われる。
有紗の母親、
美春は高校在学中に有紗を妊娠したことに気づかず、中絶できないままやむを得ず出産を決意した。
当時つき合っていた男が父親の可能性が高かったが、美春が妊娠をしたと知った途端姿をくらまし、現在もその行方はわかっていない。
美春が両親に支えられ、出産したのは十八歳の時だった。
かろうじて高校は卒業したものの、すでに進学が決まっていた大学は断念。両親が健在だったため美春は自宅で育児に専念することができた。
そんな中、美春の両親が夫婦で旅行中に不慮の事故に見舞われた。
二人とも即死だった。
いつも有紗をかわいがり、面倒を見てくれた両親にせめてものお礼をと幼い頃に貯めておいたお年玉貯金を切り崩し、旅行をと提案したのは美春だった。
美春二十二歳、有紗四歳。
いきなりの苦境に立たされることになった。
両親の遺産はわずかばかりあったものの、家も土地も父親側の弟に奪われ、住む場所を失った。
途方に暮れた美春が選んだのは水商売。それしか進むべき道はなかった。
住み込みのホステスになり、慣れない酒を飲む毎日。
夜、オンボロなアパートに有紗を一人残して行くことに最初は罪悪感を覚えたが、徐々にそれも薄れてゆく。
生きていくことだけで精一杯だった美春は有紗の育児をおろそかにするようになっていった。
保育園に通わせることもなく、日中は美春と一緒に眠る日々。そして夜はひとりでアパートで過ごす有紗。
有紗が五歳になった頃には、美春は立派なネグレクトになっていた。
明け方仕事を終え、客の男を家に連れ込むと有紗を外に出すか寒いキッチンに放置状態にする。食事も一日一度しか与えないようになり、それも賞味期限間際の値段の下がった菓子パンが主だった。
着るものもまともに与えられず、まだ朝日が昇りきったばかりの凍てつくような寒さの中アパートの外階段にうずくまって一生懸命菓子パンにかじり付いている有紗を見つけた学生服姿の少年がいた。
その少年が有紗の運命を大きく変えていくことになるとは、この時誰も知る由もなかった。
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