空色なキモチ

□ 約束 □

約束 後篇


 その日の夜。

 部屋のテーブルにはふたり分の食事とケーキを用意してもらった。もちろん直哉お兄ちゃんの分。佐山さんは不思議そうな顔をして首を傾げていたけどそんなのどうでもよかった。
 部屋の電気を消し、ケーキのろうそくとテーブルの上のキャンドルの火だけがわずかに揺れている。
 向かい合わせに座った直哉お兄ちゃんが苦笑した。

「用意してもらって悪いけど、食べられないよ」
「いいの。明日は直兄ちゃんの誕生日だし、一緒にお祝いしよう! ハッピーバースディ歌うから」
「今日は僕が歌う」

 そう言って席を立ち上がった直哉お兄ちゃんが声高々に歌い始めた。
 聞こえているのはわたしだけ。他の人には見えない、聞こえない。直哉お兄ちゃんの存在。それだけで十分だった。ここに直哉お兄ちゃんがいることが幸せだった。

「ハッピーバースディーディアーあーやちゃーん」

 その部分を歌われて、胸の奥が疼いた。
 自分で歌えなかった部分。直哉お兄ちゃんは躊躇いもなく歌ってくれた。

 自分で歌い終え、自分で拍手して、満面の笑みを見せてくれる。
 ろうそくを吹き消すよう促されて思いきり吹くけど数本しか消えてくれなかった。肺活量ないねと笑われ、ムキになって何度も吹いた。

「さて……そろそろいこうかな」

 ひとしきり笑い終えた直哉お兄ちゃんが伸びをしてそう言った。

「どこへ?」
「どこって……」

 答えづらそうに口ごもる直哉お兄ちゃんに手を伸ばす。だけど触れない。やっぱり通り抜けてしまう。 
 悲しげに微笑む直哉お兄ちゃんがわたしの頭を撫でた。

「彩ちゃん、あの絵を大事にしてくれてありがとう。でももういいんだよ。あれはもう処分して」
「……どうして?」
「あの絵を持っている限り、彩ちゃんは僕に縛られてしまう。それはいやなんだ。もう忘れていいんだよ」
「――やだ! そんなのはいや!」

 なんでそんな寂しいことを言うのかわからない。
 首を必死で振って、直哉お兄ちゃんを睨むように見つめると目を細めて再び悲しげに笑う。

「どこへ行くの? 彩も連れて行って!」
「だめだ。彩ちゃんはまだ行けないところだ。だから連れては行けない。だけどね」
「いや! いや! 彩も連れて行ってよ!」

 その場で崩れて膝を床についてしまったわたしを、直哉お兄ちゃんがしゃがんで支えてくれているようだ。これ以上崩れることはできなかった。
 すると、見る見る間に目の前の直哉お兄ちゃんの身体が透けてきた。

「直兄ちゃん! いやだよ! 彩を置いていかないで!」

 いつの間にか目のまわりが涙で濡れていた。
 それを直哉お兄ちゃんが丁寧に拭ってくれる。手の感触はわかるのに、こっちからは絶対に触れられない。

「置いてなんかいかないよ。だけど連れて行くこともできない。彩ちゃんが住む世界と僕の住む世界は違うんだ。わかって」
「いやだ! わかんない! わかんないよ!」
「彩ちゃん、聞いて。僕にはきょうだいがいるんだ。正確には弟と妹」

 泣き叫ぶわたしを困惑顔で見ながら、直哉お兄ちゃんが淡々と語りだした。

「妹の名は、彩菜。生きていれば君と同じくらいの年齢のはずだ」
「――え?」
「彩菜はあの施設で亡くなったんだ。助からない病気で、君に会う数日前に……だから、あの時君が僕の目の前に現れて彩菜が生き返ったのかと思った。そのくらいよく似ているんだ」

 直哉お兄ちゃんの妹、彩菜ちゃん。
 名前だけでなく、見た目もわたしとそっくり。

「……だから、わたしに優しくしてくれたの?」
「うん、それもあるかな。彩菜にできなかったことを君にしてあげたかった。おかしいよね、君はお金持ちの家の娘で、僕がしてあげられることなんてなにもないのに、それなのにそう思ってしまった」

 苦笑いをする直哉お兄ちゃんに首を振った。おかしくなんかない。
 わたしは直哉お兄ちゃんにいろんなことをしてもらった。教えてもらった。実の兄よりもずっとずっと大好きで、一緒にいたいと願った直哉お兄ちゃん。

「だからね、君に彩菜を重ねていた。君を『あやか』じゃなく『彩ちゃん』と呼んでいたのはそのせいだよ。ごめんね。君は彩夏ちゃんなのにね」
「いいよ! そんなの!」
「これからね、彩菜に逢いに行くんだ。これからは彩菜と一緒に暮らすんだよ。だからね」
「いや! だめ! 彩夏も! 彩菜ちゃんと仲良くするから連れて行ってよ!」
「それはできないんだよ。でもね――」
「いやだったら! 連れて行って! 連れて行って! 離れたくないの! 好きなのっ……直兄ちゃんっ」

 思い余って告白してしまい、泣き崩れるわたしを直哉お兄ちゃんが胸に抱いてくれた。
 実体がないのに暖かく感じたのはきっと気のせいじゃないはず。直哉お兄ちゃんの温もりを確かに感じる。そして若草のような香り。

「置いていかないでぇ……」

 泣き縋るわたしの顎がそっと持ち上げられる。
 その時、唇にかすかな感触がした。
 それは一瞬ですぐに離れてしまう。

 透けた直哉お兄ちゃんの悲しそうな表情がゆっくり笑みに変わっていった。

「彩夏、君が来るのをいつまでも待っている」

「え……」

「でもね、君のナイトはすぐ傍にいるんだ。あんまり困らせてはいけないよ」

「直に……」

「君の気持ちが変わらなかったら――」


 ――生まれ変わった時、一緒になろう。約束だよ


 小指を絡ませるような感触と共にわたしの意識は途絶えた。



**



「――かさん! 彩夏さんっ!」

 怒鳴るような声で名を呼ばれているのに気づいて目を開けると、福山先生がわたしの顔を覗き込んでいた。

「ああっ! 彩夏さんっ……よかった……」

 ほうっと安堵のため息をついた福山先生がその場にぺたりと座りこんだ。そのせいで遮られていた視界が開けて天井が見えた。ここは自分の部屋のベッドの上だ。
 いつも冷静沈着な福山先生が泣き出しそうな顔をして手で自身の額を押さえている。こんなに取り乱す姿は今まで想像すらできなかったのに。

「心配で後をつけたら……川に入って行って、どうしようかと思いました。僕、かなづちなんですよ……最悪一緒に溺れるかと思いましたが助けられてよかったです。なんであんなことをっ」

 ――えっ?
 そうだ、わたし……死のうしとして。

「なっ! 直兄ちゃんっ!」

 上半身を起こしあげて部屋を見渡すけど、その姿はなかった。
 その姿だけじゃない、テーブルの上に用意された食事やケーキも何もかも。
 直哉お兄ちゃん、わたしを置いていってしまったの?
 じわっと目許が熱くなってゆく。
 オレンジ色の日の光が部屋に射し込んでいるのに気付き、窓の外を見るとまだ明るい。
 どう見ても夕方の日の光にしか見えない。なんで?

 時計を見ると十七時を少しまわったところだった。
 時間が……戻った? 嘘――

「直兄ちゃん! 直兄ちゃんどこっ?」

 置いていかないって約束した。それなのに見えない。
 宙に向かって呼びかけるけど、何の反応もない。だけど絶対どこかにいるはず。

「直兄ちゃん!」

 その時、身体がふわりと包まれた。
 柔らかい髪がわたしの頬をくすぐる。それはさっき直哉お兄ちゃんに抱きしめられた時に感じた温もりと香りそのものだった。

 今、わたしの身体を抱きしめているのは福山先生。

「彩夏さん、僕は兄の代わりにはなれませんか?」

 その手が緩み、両肩を支えられ視線が絡み合う。
 目の前の、眼鏡越しに浮かべられた穏やかな表情は直哉お兄ちゃんに少しだけ似ているような気がした。

「もしかして……」

 福山先生がうれしそうに一度だけうなずく。

「僕は、水沢直哉の弟です」



**



 その後、福山先生はいろいろなことを教えてくれた。

 両親が他界し、自分だけ福山家に引き取られたこと。
 兄と妹は施設に引き取られ、自分ばかり幸せに暮らしているような気がして申し訳なかったこと。
 だけど兄から『施設のみんなは優しくて幸せだ』という手紙が来て救われた気持ちになったこと。

「僕と直哉は二卵性双生児なんです」

 そう言われてビックリしたけど、笑った時にきゅっと細まる目や口元はわずかに面影があるように思えた。

「本当は自分じゃなくて直哉が福山家に引き取られるはずだったんです。だけど兄は福山の両親に僕を引き取るように頭を下げました。僕はもちろん拒否しました。だけど兄は『自分は長男として彩菜を見る義務がある』と言って引かなかった。同じ年なのに、長男も次男もないのに……」
「……そうだったんだ」
「兄の手紙には、よく彩夏さんが登場しました。彩菜そっくりでかわいい。彩菜が生き返ってくれたみたいだ。神様からのプレゼントだって」

 困ったように微笑む福山先生の顔がちゃんと見られなかった。
 直哉お兄ちゃんの弟、でもこの人は直哉お兄ちゃんじゃない。そう思ったらまた涙が溢れてきた。

 目の前にハンカチが差し出され、それを奪い取るようにして顔に押し当てる。泣きしゃっくりをあげるわたしの頭をよしよしと撫でてくれているのはまぎれもなく福山先生だ。

「直にぃ……」
「はい」
「違う!」
「違わないですよ? 僕は直人ですから」
「違うもん! ちが……」

 再びその胸に抱き寄せられる。福山先生の顔が見えなくなって、さっき直哉お兄ちゃんに抱きしめられた感触そのものだということに気がついた。

「な、おにいちゃ……」

 その背中に手をまわし、縋るようにして泣いた。
 福山先生はずっとわたしの身体を抱きしめて宥めてくれた。

「どこにも……いかないで」
「ええ」
「彩夏を置いていかないで」

「もちろんです。僕はここにいます。ずっと傍に――」

 ぎゅうっと強く抱きしめられた。



***



 五年後。

 高校を卒業して地元の短大に通い始めたわたしは今日で二十歳になった。

 五年前のあの日と同じワンピースを着て、あの川へ向かう。
 直哉お兄ちゃんの絵を手に、そして反対の手を握っているのは――


 わたしは彼にひとつの質問をした。

「わたしと直哉お兄ちゃんの命の重みは違うの?」

 彼は少し逡巡しながらその質問に答えてくれた。

「命の重み、それが何を指しているのか僕にはわからない。だけど直哉はあなたの犠牲になったわけじゃない。守りたかったから、ただそれだけの思いが直哉を動かした。直哉が命を落としたのは不運だったけど、あなたを恨んだりはしていないはず。だって生まれ変わったら、と約束をしたのでしょう? あなたは愛されています。

 命は平等であると思っています。

 それが長くても短くても、自身が後悔をしない生き方ができたならそれでいいんじゃないでしょうか? ましてや生まれ育った環境で『命の重み』が違うと言われても。すみません、僕はあなたのお兄さまは正直苦手です」


 答えになっていない答だったのかもしれない。
 だけど、わたしはその答えに満足したのだった。



 直哉お兄ちゃん。

 わたし、これからはちゃんと生きていくよ。
 でももし、また逢うことができたら……その時はもう離さないでね。


 隣に立つ人の手をぎゅっと握りしめると同じように返された。
 抱えていた花束をそっと川辺に置く。


 わたしは今日、福山彩夏になります。


 おわり


→ NEXT
→ BACK
    web拍手 by FC2
*    *    *

Information

Date:2014/09/09
Trackback:0
Comment:0
Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

Comment

コメントの投稿








 ブログ管理者以外には秘密にする

Trackback

TrackbackUrl:http://ageha572.blog.fc2.com/tb.php/374-3370ab3a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)