空色なキモチ

□ ○○の日 □

5月23日 キスの日

5月23日 キスの日

true or lie and kiss

《幼馴染・中学生》




「ねー新刊見せて」

 ノックもせずに幼馴染の直樹の部屋の扉を開けると、ここの主はこっちに背中を向けたままで勉強机に向かっていた。
 返事を待たず入り込んで、机の左横にある大きな本棚からお目当ての漫画の新刊を取り出す。
 視線に気づいて振り返ると、頬杖をついた直樹がじっとこっちを見ていた。

「なあに?」
「別に……」

 机の上に置かれている教科書とプリントに向き直った直樹が解いているのは数学の問題。
 今日のテストの出来がよくなくて補習になった直樹は出された課題を苦虫を噛み潰したような微妙な表情で進めている。

「ねー、そこ違うよ」
「……そう」
「こっちの公式にあてはめるんだよー」

 後ろから覗き込むようにし、直樹の左肩に顎をのせて教科書の公式を指さすとちらっとこっちを見てすぐに机に向き直る。少しだけ伸びた直樹の髪からかすかに嗅ぎ覚えのない香りがした。

「あれ? シャンプーかえた?」
「瑠璃の嗅覚には脱帽するよ」

 ぷっと含み笑いをした直樹がシャープペンシルを走らせ、わたしが教えた公式をあてはめてプリントの問題を解き始めた。

 壁際に置かれた直樹のベッドに仰向けに寝そべる。
 おばさんが布団を干したのだろう。とってもふわふわしている。今日は日中いい天気だったもんね。
 その体勢のまま漫画を読み始める。前回のあらすじを読むまでもない。この最新刊を心待ちにしていたから。
 バスケの少年漫画で、本当はわたしもほしいんだけど、家族の誰も読む人がいないから直樹が買ったものを読ませてもらってるってわけ。
 直樹は三人兄弟の末っ子で、兄ふたりにかわいがられている。でも要領のいい兄たちはわたしと同じで直樹が買う漫画をあてにしている。ある意味ずるがしこい(わたしもね)

「なあ」

 直樹の声が頭の上のほうから聞こえてくる。
 うわの空で返事だけするとそれ以上は何も返ってこない。
 しばらく間が空いた後、直樹がめんどくさそうな声を出した。

「おまえさあ、俺だって健全な男子中学生なんだぞ」
「ん?」
「わかってるの?」

 漫画から目を逸らさず「んー」と曖昧に返事とも言えない声をあげておく。
 今はこれに集中したいのに邪魔しないでほしいなあ。
 はーっと大きなため息と椅子が軋むような音が聞こえた。ベッドの右側を直樹が通り過ぎる気配を感じたと同時にわたしが寝そべったまま組んでいる足に何かが掛けられた。本の間から見ると今まで直樹が着ていた紺色のパーカーだった。

 そのまま何も言わず部屋を出ていく直樹を見て首を傾げてしまう。
 急に何を言い出すのか。でもまあ五月にしては少し肌寒いと思っていたからありがたかったかも。パーカーを手にして着込むと直樹の温もりと微かな匂い。
 いつの間にかこんなに大きくなったのかな。袖を伸ばすと指先まですっぽり隠れちゃう。

 今度はうつ伏せになって枕を抱え込むように漫画を読み始めた。

「あっ」

 部屋に戻ってきたのか直樹の驚きの声があがる。
 どしどしとやや大きな足音が近づいてくる気配がしたけどお構いなしで漫画を見ていた。

「パンツ丸見えなんだよ」
「あーそう?」

 体勢をかえずに片手でスカートをもそもそと直すと、またもはあっと大きなため息。
 同時にベッドがぎしっと音を立てて少し沈んだ。直樹がベッドサイドに座ったのだろう。見なくてもわかる。
 気にせずに漫画を読みたいけど、その気配がちらついて集中できない。
 
「ねーそこにいると邪魔ー」

 なんていうひどい言い分なのか。ここは直樹の部屋なのに。
 案の定何も言わないけど、「ちぇっ」と小さい舌打ちが聞こえたのは知らないフリをしよう。

「なあ」
「もーなによ。さっきから」
「おまえさ、キスしたことある?」
「ん? ないよ」
「だろうな」

 ん? 今さらりとすごいことを聞かれたような気がする。
 思わず素直に答えちゃったけど、なんてことを聞くんだか。いくら幼馴染でもプライバシーの侵害じゃあないか。

「なんでそんなこと聞くの?」
「べっつにー」

 少しだけ沈んでいたベッドが戻り、ちらっと横目でそっちを見ると直樹が机に戻っていった。こういう時の「別に」は怪しいんだ。そういえばここに来た時からちょっと変で、「別に」って言ってた。生まれてから今までの十三年の付き合いは伊達じゃない。

「隠し事? 怪しいよ」
「隠してないし」
「じゃなによ。言いなさいよ」

 なぜかもやもやとした苛立ちを覚え、起き上がってベッドに正座し、机に向かった直樹の背中に訴えかけると「くくっ」と小さな笑い声が聞こえた後、わざとらしく「こほん」と咳払いをした。

「今日女子たちが盛り上がってた話題のこと」
「え?」
「覚えてないのか。今日は何の日って」

 そういえば、お昼休みにそんな話をしていたっけ。
 今日は五月二十三日。なぜか「キスの日」であり「恋文の日」らしい。みんなは「キスの日」のほうで盛り上がっていた。

「覚えてるよ」
「ああ、よかった。もう忘れたのかと思った」
「失礼な。ってか直樹聞き耳立ててたわけ? いやらしー」
「ちっ、ばか。女子たちがそういう話をしていたって掃除の時に聞いただけで――」

 真っ赤な顔をして口ごもった直樹がわたしから微妙に目を逸らした。
 ……あやしい。
 何か悪さをした時とかごまかそうとすると直樹はいつもこういうふうな態度になるのをわたしは知っている。そして本人は自覚なし。

「ふーん、誰からそんなこと聞いたの?」
「……」
「誰?」
「……岡田美百合」

 美百合ちゃんが?
 彼女はクラスで一番大人っぽくてその名の通り美人で注目を浴びちゃうような女の子。
 別の小学校から同じクラスになったからわたしはまだ美百合ちゃんのことをよく知らないけど、物腰柔らかでどっちかっていうとおバカな女子話に相槌を打っているような傍観者的存在。
 そんな話を直樹にするなんて意外だったから……ちょっとびっくりした。

「で?」
「でって?」

 わたしがツッこむと、直樹がひるんだように身体を少し揺らした。
 動揺しているような態度が癇に障るなあ。みなまで言わせようとしてるのもムカつく。

「美百合ちゃんが、直樹になんて?」
「あ、ああ。興味ない? って」
「興味? なんの?」
「おまえなあ。話の流れから察しろよ」

 逆ギレしたのか、はたまた諦めたのか直樹が再び深いため息を漏らす。

「えー! 直樹に興味があるの? 美百合ちゃんが?」
「ちげえって! 向こうが俺に興味ないか聞いてきたんだぞ! 話聞いてんのかよ」
「あ、そっか」
「その……スに」
「酢?」
「キスだって! ばーっか!」

 ごにょごにょというから聞き取りづらかったんだもん。
 ぷうっと頬を膨らませて見せると直樹が鼻で笑う。
 『キス』という単語を口にするのが恥ずかしくて最初は小声だったのかもだけど、最後は大声で発しちゃってるし。

 それにしても美百合ちゃんがそんな話を直樹に持ち掛けるとは。
 クラスメイトには直樹よりかっこよくてモテる男子はいる。まあ、直樹はどっちかっていったらかわいいタイプの男子だけど、見た目は完全な草食系だしー。いい意味で女子にも男子にもイジられるタイプ。

「ふうん、で、なんて答えたの? 美百合ちゃんに」
「別に、興味ないこともないって」
「へえ、で、美百合ちゃんはなんて?」
「……」

 真っ赤な顔をして黙りこくった直樹がわたしを上目遣いで見ている。

「なに?」
「え、あの……」
「なによ! はっきり言いなさいよ! 乙女か!」

 さらに言葉に詰まる直樹に苛立ちがどんどん募ってゆく。
 ベッドの上で地団駄を踏むようにしてせかすと困惑顔の直樹がぼそぼそと話し始めた。なんだか少しむくれているようにも見える。

「今日の、塾の帰りにうちに寄るって」
「美百合ちゃんがここに?」
「ほかに誰がいると?」
「知らないよ! そんなの!」

 なんでこんなにいらいらするのかわからない。
 直樹が男らしくないからなのかな。それとも違う次元で……ううん、次元ってなんだ?
 しかしなんで直樹かな。まだまだお子ちゃまなのに、そんなこと美人な美百合ちゃんに言われたら興味なくても湧き出しちゃうんじゃないの。

 と、さっき直樹が言った言葉を思い出す。

 ――俺だって健全な男子中学生なんだぞ

「え、興味あるの?」

 恐る恐る聞いてみると、直樹は曖昧に首を傾げて微妙にこくこくとうなずいた。
 さっき興味ないこともないって言ってたっけ。すっかり聞き流してたし、そっち系の欲望皆無かと思っていた。
 わたしは少女漫画で見たりしていささか興味あったけど、直樹の漫画コレクションには恋愛系が絡むものはいっさいない。まあ、あっても困るのだけど。

「ふうん、じゃあ美百合ちゃんにさせてもらうんだ」
「えっ?」
「そういうことじゃないの? わざわざ塾終わってからここに来るんでしょ」
「そう、なのか……な。わかんないけど」

 それしかないじゃん! 鈍感! 鈍ちん!
 だけど直樹を見ると少しはわかっているような感じだ。感情を押さえようと必死なんだろうけど、顔はにやついてるっての。
 なんだか直樹のパーカーを着ている自分がいけないことをしているように思えてきた。まさか美百合ちゃんが直樹を好きだとは。
 いや、好きとは限らないか。ただキスの日だからしたいってだけかもしれない。

「直樹は美百合ちゃんのこと好きなんだ」
「へ? なんで」
「だって誘いに簡単に乗ったんだからそうなんでしょー」

 パーカーを脱いで、ベッドに乱暴に放り投げてやった。
 なんだかムカつく!

「なんで怒ってるの?
「はあ? 怒ってないし」
「急に機嫌悪いよ。おまえ」
「べっつにー」

 読んでいた漫画がまったく身に入らなくなってしまった。
 続きを読みたいのに、なぜか美百合ちゃんと直樹がどうなるのかのほうが気になってしまう。

「キスなんかできるの? せいぜい恥かかないようにしなよね」
「なんだそれ」

 急に声を荒らげた直樹が椅子から立ち上がった。
 あれ、なんか怒らせるようなこと言ったかな。言ったかも。だけど正直な気持ちだもん。
 草食系のくせにわたしより先にほかの女の子とキスしようとする直樹がムカつくんだもん。

 ――あれ?

 今、わたし……ほかの女の子って思ってた。

「じゃあ、練習させてよ」

 えっ、て思った時には直樹が近づいてきていた。
 大きな影に覆われるように少しだけ視界が暗くなる。勉強机のほうから差し込む日の光が直樹の身体で遮られたせいだ。
 再び小さく音を立ててベッドが沈む。直樹が座ったせい。
 いきなり訪れたシチュエーションにわたしは正座のまま動けず、ごくりと唾を飲み干した。

「え、嘘でしょう?」
「嘘じゃない」

 確かに直樹の顔は嘘を言ってるようには見えない。
 その少し茶色みのかかった瞳にわたしが映し出されているのがわかるくらい顔が近づいてくる。

「ちょ、待って。直樹!」
「何? いまさら」
「だって! 美百合ちゃんのこと好きなんでしょ? それなのにっ」
「別に」
「え――」

 その続きの言葉を発することはできなかった。
 一瞬だけふに、と触れた唇に神経が集中していたはずなのに直樹の閉じた瞼とか男の子にしては長い睫毛とか見ちゃってた。

「こんなもんか」

 軽い口調の直樹が自分の上唇をぺろりと舌で舐めあげた。
 その仕草が妙に大人びて見えて、ドキッとしてしまう。

「なっ、なっ……」
「なに?」
「わたしのファーストキスぅぅぅ!」

 あはは、と笑いながら直樹がベッドから立ち上がった。
 なにこいつ、全然悪びれてない! なんで?

「ファーストキスじゃないし」
「ふぇ?」
「小さい時に何度もしてる。覚えてないおまえがわるい」
「っむ!」

 ぎゅむっと鼻をつままれ、目を閉じるとおでこの辺りに柔らかい何かが触れた。
 すぐに目を開けたけど、それが何なのかはわからなかった。ただ、わたしの顔のそばに直樹の唇があったこと。それだけ。
 なんで直樹にこんなにドキドキさせられるのかわかんない。わかんないけど胸の辺りに火が灯ったように暖かい気持ちになってる。なんだろう……初めて味わうこの感覚は。

「小さい頃?」
「そう」
「どういうこと?」
「嘘だよ、全部」
「は? 意味わかんない!」

 全部ってどこからどこまでのことを言ってるの?
 訳がわからなくて直樹の背中をポカポカ殴るけど、少し身をすくめてるだけで何も答えようとはしない。

 その時、カタッと部屋の扉のほうから音がした。

 わたし達は自然に目を合わせ、振り返ってみると、扉の隙間から直樹の兄ふたりがニマニマ顔で覗きこんでいた。

「青春ですなあ~」
「ですなあ~」
「うせろ! クソ兄貴ども~~~!」

 真っ赤な顔をして兄達を追いかけていく直樹。
 その場に取り残されたわたし。

 いったい何が本当で嘘なのか……誰か教えてよー!


 【おわり】





 キスの日
 1946年のこの日、日本で初めてキスシーンが登場する映画である、佐々木康監督の『はたちの青春』が封切りされた。
当時、映画製作もGHQの検閲下にあり、民間情報教育局(CIE)のコンデが、完成した脚本がその前に見せられたものと違うことを指摘した上、接吻場面を入れることを要求した。
 主演の大坂史郎と幾野道子がほんのわずか唇をあわせただけだったが、それでも話題を呼び、映画館は連日満員になった


 ラブレターの日(おまけ)
 松竹が映画『ラブ・レター』のPRのために制定。
 五(こ)二(ふ)三(み)で「こいぶみ」(恋文)の語呂合せと、浅田次郎原作の映画『ラブ・レター』の公開初日であったことから(今日は何の日~毎日が記念日~より一部抜粋)


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Date:2014/05/23
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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