空色なキモチ

□ 満月の夜に見る夢は □

満月の夜に見る夢は 第7章 第101夜 恩愛

 
 ゆうべはほとんど眠れずまんじりともせず朝を迎えた。
 そのせいで今頃少し眠いような気もするけど、今から寝てしまったら完全に遅刻してしまう。

 すでに初冬の気候といえるだろう。ベランダの窓を開けるとヒンヤリとした風が頬をかすめる。
 隣で眠っていた翔吾さんも何度も目が覚めたようで、いつもより寝返りの回数が多かった。だけど今はすっきりとした表情をしている。

 もう一度ベランダのほうに向き直り、見るともなしにぼんやりと窓の外を眺めていた。
 雲ひとつない青空がすがすがしくてすうっと空気を吸い込む。


「晴れてよかったね」


 いつの間にか後ろに立っていた翔吾さんに抱きすくめられ、驚きのあまり声を上げてしまったわたしの顎を片手で持ち上げるなり顔を寄せて軽く唇を重ねられた。
 不意打ちの行動に声も出ず、満足げに微笑む翔吾さんに呆気にとられながらも同じように笑みで返した。


**


 プリンセスラインのウエディングドレス。
 髪型はトップと前髪をすっきりとまとめ、ティアラと短めのヴェール。鏡に映るその姿は自分とは思えないくらいだった。
 一瞬だけど昔読んでもらった絵本に出てきたお姫様みたいに見えたのはきっと気のせいじゃないはず。こんなにもきれいに着飾ってもらえるなんて思ってもみなかった。


「雪乃ちゃん、きれいよー」


 翔吾さんのお母さまがわたしを見るなり歓喜の声を上げた。
 そういうお母さまもまとめ髪に美しいうなじ、いつもよりもさらに上品な奥様に見える。
 いつも好んで着ているふんわりとしたブラウスや可愛らしいフレアなロングスカートもいいけど、和装もとても似合っていると思う。美人だから何を着てもさまになる。


「ゆきおねーちゃーん!」


 大きな音を立てて控え室の扉が開くなり、みゅうちゃんが飛び込んできた。
 ピンク色のレースがたくさんついたふわふわのドレスに、ストレートの黒髪はふんわりと巻かれている。白のタイツがまたかわいらしい。
 抱きしめたくなるくらい愛らしいわたしの妹。少しだけ屈んで両手を差し伸べると、すかさずお母さまがみゅうちゃんを後ろから抱き留めた。


「あん! ばあば! はなしてぇ!」

「今、雪お姉ちゃんは抱っこできないの」

「だっこしない! ゆきおねえちゃん、きれいー!」


 お母さまの腕の中でばたつくのをやめたみゅうちゃんがわたしを見て目をきらきらと輝かせていた。それがうれしくて、涙が出そうになってしまう。
 ふと視線を向けた扉口に翔吾さんのお姉さんが立っているのに気づいた。お母さまと似た黒い留め袖に悠斗くんを抱いてこっちを見つめている。その目は少し潤んでいるようにも見えた。
 躊躇いながら控え室に入ってきて、ペコリと頭を下げたお姉さんは「おめでとう」と小さな声で言ってくれた。同じように小さな声で「ありがとうございます」と返すとにっこりと満面の笑みを向けられる。 
 この人が笑った顔を初めて見た。父を連れ去ったあの時も、みゅうちゃんを迎えにきたあの時も、会社の前までわたしを訪ねてきたあの時もいつも悲しそうな表情をしていた。思い出したくない記憶が溢れ出しそうになる。
 そして、父を騙してその隣の座についたことも。

 その時、控え室の扉が開き、そこにはグレーのタキシード姿の翔吾さんが立っていた。
 その姿を見て、強張りかけていた心と身体が一気にほぐされるかのような安堵感を覚えてしまう。
 ふわっと微笑む翔吾さんはいつもよりもずっとずっと素敵だった。


「――翔吾さん」


 頼りない声で呼んでしまったと思う。
 扉口の翔吾さんの表情が一瞬曇り、大きな歩幅でこっちに歩み寄ってくる。
 心配をかけたかったわけじゃないのに、なぜか泣きたくなる。こんなにも翔吾さんに依存してしまっている自分が情けない。
 ドレスの裾を踏まないよう、近づくのを躊躇った翔吾さんが少し手前で立ち止まる。
 この距離ですら恨めしく感じてしまうほど、わたしは彼に触れたかった。その気持ちを察したように手が差し伸べられ、その顔を見るときゅっと目を細めて柔らかく微笑んでいた。

 それだけで救われた気がした。
 翔吾さんはこんなにも傍にいてくれるのに、わたしは何を不安になっているんだろうか。
 両手を繋いで翔吾さんを見上げ、せいいっぱいの笑みを向ける。


「悪いけど、ふたりにしてくれないか」


 翔吾さんがそう告げると、「はいはい」と呆れたような返事と共にお母さまがみゅうちゃんの手を引いてそそくさと控え室を後にしてくれた。何かを言いたそうなお姉さんもこちらを振り返りながら出て行った。
 扉が閉まるなり、にっこりと微笑んだ翔吾さんの唇が「きれいだ」と動いた。感極まって涙が出そうになるけど、泣いてしまったらメイクが落ちてしまう。きゅっと唇を引き締めて笑い返してみせた。

 翔吾さんも素敵、そう言いたかったのに。
 口を開こうとした途端、翔吾さんの瞳が何かを訴えかけるようにわたしを見据えていたのに気づいて言葉が出なかった。


「俺たちの結婚を反対している人は誰も居ないから」


 急に何を言い出すのだろうか。
 不思議な気持ちで顔を覗き込むと、不安そうな眼差しを向けられているのに気がついた。
 

「わかっているとは思うけど、もう逃がさないから……ふたりで生きていこう」


 穏やかな笑みの中に翔吾さんの心の乱れみたいなものを感じ取ってしまった。
 わたしの心の中のもやもやが伝わったせいで憂心を抱かせてしまったことを後悔した。
 逃げるつもりなんかない。わたしはもう翔吾さんから離れることなんて絶対できないから。 

 
「はい」
 

 大きくうなずくと、ほうっと大きな嘆息が漏れた。
 それとほぼ同時に翔吾さんの肩の力がどっと抜けたように見えた。
 
 その時、急に過去のことを思い出した。
 強引なアプローチ、何度断っても、ましてや「嫌い」とハッキリ言ってもそれでもめげずに、まるで食らいつくようにぶつかってきた。
 あの時の翔吾さんと今とではまるで別人。だけど――

 そうさせているのはわたしなんだろう。
 きっとわたしが翔吾さんをこんなにも臆病にさせている。
 わたしがいなくなることを最も恐れ、少しでもそんな所作を見せたらきっと崩れてしまうに違いない。
 だけど逆を返せば、わたしがずっと傍にいればこの人はいくらでも強くなれる気がして。その思いが自惚れではないということに改めて気づかされた。

 わたしも同じ気持ちだから。


 コンコン、と控え室の扉がノックされる音が聞こえた。
 翔吾さんが小さな声で応答すると、申し訳なさそうにゆっくりと扉が開く。


「お時間が近づいています。新郎様はそろそろご準備に」


 アテンダー(介添え人)の方に「新郎様」と呼ばれた翔吾さんの背筋がすっと伸びた。
 途端にきりっとしたのもおかしくて、笑いそうになってしまう。それに気づいた翔吾さんに小さな声で「こら」と窘められてしまった。


「じゃあ、先に行って待ってるから」


 再びぎゅっと握りしめられた手をこっちからも同じように握りしめた。
 待ってて、その気持ちを込めて。


 開かれた扉の向こうには翔吾さんのお姉さんが立っているのが見えた。
 出て行こうとする翔吾さんを呼びとめて、何かを話している様子。
 気にはなったけど、無情にも閉められる扉でその姿はすぐに見えなくなってしまった。

 大丈夫、不安になることなんて何もない。
 少し前に翔吾さんからもらった言葉を心の中で繰り返した。


 ――ふたりで生きていこう――


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Date:2014/03/18
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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