家に帰ってくるなり翔吾さんが玄関先でうれしそうに白い封筒を掲げた。
終業後に志田さんと会う約束をしていた翔吾さんから少しだけお酒の香り。とってもご機嫌だ。
封筒を受け取って中身を問うと、披露宴の座席表の見本だと言う。
名前の誤表記や、席順の間違いがないかチェックする必要があるとのことで、リビングのソファに座った翔吾さんがキッチンにいるわたしに手招きをする。
さっと手を洗い、エプロンをはずしながら向かうとソファの隣をぽんぽんと手で叩く。促されるままそこに座ると、翔吾さんがわたしの右肩を抱き寄せた。
「もっとくっついて、そう」
肩を抱かれ、包み込まれるような体勢で目の前に座席表が広げられる。
こんなにくっついて見なくてもよさそうな気がするけど、わたしの左肩の上にある翔吾さんの顔を覗き見るとご満悦だった。こんなにうれしそうな顔をされると何も言えなくて、そのまま座席表を確認した。
自分の招待客の名前をチェックする。最初に叔父叔母の名前を、そして山部のおじいちゃんやクマさん、友人の名前を見て間違いがないことを確認した。
わたしのほうは少ないから楽だけど、翔吾さんのほうは大変だろう。提出したコピーを見ながらチェックをしている。
ふと、翔吾さんの親族席に視線を移す。
そこには翔吾さんのご両親、お姉さん、息子さん。そして、ひとつだけ見慣れない名前。
「翔吾さん、この姪って?」
「俺の姪はみゅうしかいないよ」
「え――」
翔吾さんのお姉さんの隣の席。
そこには『新郎姪 高橋美雪』と書かれていた。
「美雪ちゃんって名前だったの?」
「あれ? 教えてなかったか。みゅうが本名かと思ってた?」
――美雪。
まさか同じ漢字が使われていると思わなかった。
「みゅうが生まれたのはすごい雪の日で、その中病院へ向かった、その、みゅうの父親がつけた」
躊躇いながらも翔吾さんがみゅうちゃんの名前の由来を教えてくれた。
義兄とも姉の夫とも言わず、あえてみゅうちゃんの父親と表現したのかもしれない。翔吾さんはわたしに気を遣ってくれているんだ。その優しさがありがたくもあり、申し訳なくもあった。
そして雪の日――
わたしが生まれた時と同じだ。
その時、父はなにを思って娘にわたしと同じ漢字を使ったのだろうか。ただ雪の日生まれだから?
「姉貴はさ、「みゆき」という名前には賛成したんだけど、その、父親の名前の、幸せのほうの漢字を使わないかと提案したらしいんだ。でも父親はどうしても降る雪のほうを使いたいと言ったらしい。自分と同じ漢字をつけたくない、と」
「――どうして?」
翔吾さんの顔が困惑顔でわたしを見つめ、そして口元だけ笑みを浮かべながら目を逸らした。
「自分のような人間になってほしくないって。それよりも今日のこの美しい雪の日に生まれたということをこの子の名に刻みたいって」
言葉を選びながら何となく申し訳なさそうに当時のことを教えてくれた。
あの人はわたしの父であったけど、今は翔吾さんのお姉さんの夫。だからそんなにもわたしに気を遣う必要はない。
そういう思いを込めて首を横に振ると、悲しげな表情でわたしを見てそっと頭を撫でてくれた。
翔吾さんの表情が険しいものに変化してゆく。
もしかしてわたしが傷ついていると思ったのかもしれない。
もう大丈夫、そう告げようとした時、翔吾さんが口を開いた。
「ここから先は俺の両親も知らないことだ。雪乃が苦しい思いをするかもしれないけど……大事なことだと思うから、話してもいいか」
再びぐっと肩を抱き寄せられ、その胸に顔を埋める体勢になってしまった。
翔吾さんの香りとほのかなお酒の匂いがふわんと鼻腔をくすぐる。
改まって許可を得るくらいだから、きっと衝撃的な話なんだろう。唾をごくりと飲み干して、強く一度だけうなずいた。
わたしはひとりじゃない。翔吾さんがそばにいてくれるから。
だから苦しくても大丈夫。そう、覚悟を決めて。
わたしの額の辺りで翔吾さんの隆起した喉仏が上下した。彼も話す覚悟を決めたのだろう。
「この前会社の帰りに姉の家に寄った。その時に聞いた話だ」
翔吾さん、お姉さんの家に寄っていたんだ……今初めて知った。
なんで内緒にしていたのかはわからないけど、今はそこが重要じゃないんだろう。
なぜか押し寄せてくるような不安が募って、身体が少しだけ強張ってしまう。
そんなわたしを翔吾さんがふわりと抱きしめ、大丈夫と宥めるように背中を擦ってくれた。
→ NEXT→ BACK
Information
Trackback:0
Comment:0
Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学