空色なキモチ

□ 満月の夜に見る夢は □

満月の夜に見る夢は 第7章 第96夜 恩愛

注:話が飛んでいるように思えるかもしれませんが、前回の続きは後ほど出てきます。ご了承ください。



「風間さん、結婚するって聞いたんだけど本当なの?」


 終業時間を過ぎ、更衣室で着替えをしていると少し険のある表情でそう聞いてきたのは高木先輩とその取り巻きだった。

 挙式を三週間後に控えた十月の中旬、やっぱり隠し通せるものではなかった。
 部署の先輩達には結婚することを知らせないつもりだった。しばらく旧姓で仕事を続けていこうと思っていたので、上司にはその旨を報告していた。
 もし挙式後に発覚してしまった際は『入籍だけ済ませた』と難を逃れるつもりでいた。だけどそれは甘い考えだったみたいでわたしの背筋は凍りつくように冷ややかになっていた。

 休日の挙式でその後新婚旅行に行くことになっているから一週間の休暇を取ってしまったのが訝しがられたのかもしれないけれど、どこからその情報が漏れたのか考えても思いつかなかった。
 だけどもうバレてしまったものはしょうがない。
 さっきまで目の前で仕事をしていたのにそこで聞かれなかったということは、今の今知ったということなのかもしれない。

 えい、ままよ!


「はい」


 なるべく多くを語らないように肯定し、態度にも表さないようにしてロッカーからバッグを出す。
 すでに着替え終わっているから帰るだけだ。この場を何とかしのげば相手まではバレずにすむだろう。
 仕事を続けていく限り、数ヵ月後の社内報に写真も掲載されるだろうからすぐにわかってしまうことなのかもしれない。だけどその時を少しでも引き伸ばしたかった。
 翔吾さんが相手だと知られたらどんな扱いを受けるか想像できなかったから。
 結婚するとなったら、意外と祝福してくれるかも、と思いつつ(と、いうか祈りつつ)今までのことがわたしを臆病にさせていた。


「どうして教えてくれなかったの? 相手は社の人?」


 矢継ぎ早に聞かれ、曖昧に首を傾げると高木先輩がぐっと目を眇めたのがわかった。機嫌が悪そうだと瞬時に察知する。
 うぅ、怖い。だけど翔吾さんの名前を出すのは憚られ、口は自然に閉じてゆく。
 心の中では『助けて』を繰り返すけど、どうにもなるわけがない。そんなことはわかってるけど、心のどこかで助けを求めてしまう。弱い自分が情けない。


「今日、これから用がないならあなたの祝賀会をしたいんだけど、どう? 色々話も聞きたいし、仕事は続けるんでしょう? あまり話す機会もなかったし、ここら辺で交流を深めましょうよ。これからも長いつき合いになるんだろうし」


 あれから陰湿な攻撃はなくなり、仕事もそれなりに任せられるようになっていた。
 高木先輩達は時々ランチを外でする。そういう時、声をかけられることもあった。
 毎回断るのも気が引けたから、何度かは同席した。だけど盛り上がっている中、口を挟むようなことはできなかったし、誘ってもつまらないと思われたのかそれ以降はお声がかからなくなってた。
 その代わりと言ったらおかしいけど、同じ課内に同期の友人が数人できてその友達とお昼をとるようになった。披露宴にも出席してもらえることになったくらい親しくしてもらっている。


「せっかくですが」

「あ、いたー! 雪乃!」

 
 急に名を呼ばれ、振り返るとそこには晴花さんが仁王立ちで立っていた。
 襟刳りの大きく開いたベージュ色のベルトニットワンピースは今にも肩が出てしまいそうなきわどいデザイン。そしてこれでもかと生足を大胆に披露している。こういう格好が似合うのは正直うらやましい。とても同い年には見えない。
 大分秋めいてきて朝は少し肌寒く感じるようになっているのに、この露出で寒くないのだろうかと少し心配になるくらい。


「みんな待ってるんだから少しは急ぎなさいよ。ほんっとにトロいんだから」


 腰に当てていた手を伸ばされ、腕を強く引かれる。
 ええっ? みんな待ってるってどういうことだろうか。
 晴花さんと約束なんかしていない。そんなにも親しくないし、少し前までは翔吾さんを巡って取り合った(落ち着いた今は『取られそうに“なった”』と思っている)間柄だったのに。


「申し訳ないんですけど、雪乃はこれからうちらと飲み会なんで」


 てへっと笑いながら晴花が高木先輩達に軽く会釈した。
 うちらと、と言われ頭がついていかず、言葉を発しようとするわたしの口を晴花さんの手が塞いだ。
 小さくべちっと音を立てたのはたぶん他の人には気づかれていないはずだけど……ちょびっと痛い。


「あなた、営業部の子よね。確か湯田専務の娘」

「それがなにか?」


 高木先輩に指摘され、あからさまにむっとした表情を見せる晴花さん。
 最近の晴花さんは湯田専務の娘と言われるのを異様に嫌がっていると翔吾さんから聞いた。コネで入社したと思われるのが嫌なようで、彼女なりに仕事も頑張っているとも。


「え、じゃあ今日は営業部の飲み会なのかしら?」

「ええ。じゃ、急ぐので。雪乃、行くよっ」


 曖昧に答えた晴花さんに腕を引かれた。
 えっ、と思わず声が出てしまう。逃げるようにその場を立ち去ろうとするわたし達の後をついてくる足音が聞こえてきた。
 晴花さんがやや乱暴に更衣室の扉を開けると、向かいの男子更衣室から三浦さんが出てくる姿が見えた。


「三浦さーん! お待たせ!」


 晴花さんが大声でそう呼びかけると、三浦さんがぎょっとした表情でこっちを見た。
 それはそうだろう。いきなり飛び掛るような勢いでわたし達が突っ込んできたんだから。三浦さんじゃなくてもびっくりするはず。


「な、なんだなんだ?」

「雪乃ったら準備が遅くってーごめんなさいねっ」


 縋るように晴花さんが三浦さんに駆け寄る。手を離されたわたしはぽかんとその状況を見ているしかなかった。困惑顔の三浦さんがわたしを見て顔を真っ赤にしている。


「な、離れろっ」

「いいじゃなーい、照れなくたってぇ」


 ぎゅーっと三浦さんの腕にしがみついた晴花さんがかわいく見えた。恋する女の子の表情だってすぐにわかる。少し前まで高木先輩に見せていた表情とは全く違うふにゃっとした笑顔だった。
 後ろからバタバタと足音が聞こえてきた。案の定高木先輩達で、わたし以外のふたりの状況を見て驚きながらひそひそと三浦さんの名前を口にしている。
 三浦さんがわたしににっこりと微笑みながら自分の腕に絡みついている晴花さんを引っ剥がそうとしているけどそれでも彼女は離れようとはせず、わたしの方へ手を差し伸べた。


「雪乃には私の腕を貸してあげるっ。私の三浦さんには触らないでよねー」

「誰がおまえのだって」


 くるんと腕を絡め取られ、晴花さんを真ん中にわたし達はいそいそとエレベーターホールに向かった。
 まるですごく仲良しな三人組みたいな不思議な感覚。なに、このシチュエーション。


「何事だよ」


 小声で三浦さんが聞いてくるのを晴花さんが制している。
 わたしも本当はよくわかっていないんですけど、と言うのもおかしいかなと思って黙っていた。

 
「いいからこのまま演技してください」

「なんだかよくわからないけど、わかった」


 晴花さんに組まれた腕をちらっと見ながら小さなため息をついて三浦さんが歩き出す。
 状況がわからないままつきあわされて申し訳ない。
 そして、もしかしなくても晴花さんはあの状況のわたしを助けてくれたんだって今頃気づいたのだった。


「風間ちゃんに迷惑かけたんじゃないだろうな」


 会社を出るなり三浦さんが鋭い視線を晴花さんへ向けた。
 その晴花さんはぷくっと頬を膨らませて、小声で「違うもん」と俯いてしまう。そしてするっと三浦さんの腕から離れた。


「三浦さん、晴花さんはわたしを助けてくれたんです」

「え? そうなの?」


 驚いた表情で晴花さんを見つめる三浦さんがとても気まずそうに後ろ頭を掻いた。
 小さく舌打ちをしたのまで聞こえる。俯いたままの晴花さんはきっとその視線に気づいていないだろう。


「いくら私の日頃の行いが悪いからってそんな言い方ひどいですぅ」

「ごめん。今のはオレが悪かった」


 申し訳なさそうに謝罪をする三浦さんに気をよくした晴花さんがはじかれたように頭を上げた。
 にんまりと勝ち誇った笑みを浮かべるとわたしの腕をぐいっと引く。今のしおらしさ一瞬にして消えた。


「でね、雪乃は私達と飲み会って先輩達に言っちゃった手前、まっすぐ帰るわけにはいかないかなーって思うんですよ。ねっ、三浦さん!」


 あれ、まだ雪乃って呼んでくれている。
 仲がいいフリをしてくれただけだと思ったのに、継続されているのにびっくりした。だけど嫌な感じはしないし、むしろくすぐったいくらいだ。


「わかったよ。ユズリハ行くぞ」

「やったー! 三浦さん、話が分かるっ。行こう、雪乃」


 あら、わたしも行くことになっている。
 今日は翔吾さんと一緒にビーフシチューを作る予定になっていた。買い物は先に家に帰れるわたしが済ませておくって約束で。
 翔吾さんはパンよりライス派だから、ご飯を炊いて野菜の皮をむいて下準備をって思っていたけども。


「風間ちゃん、都合大丈夫?」

「え、あ、の。今日は、翔吾さんと」


 にんまりと微笑んだ三浦さんがジャケットからスマホを取り出し、耳に当てた。
 小さな声で「生贄」って聞こえたのはわたしの空耳なのだろうか。
 

「雨宮? もう仕事終わる? うん、今からユズリハで飲むんだけど来いよ」


 電話の相手は翔吾さんだった。
 なんだか三浦さん、すごくうれしそうな表情をしている。うれしそうというか、なんだか悪戯しようとしている子どもみたいな顔。


「あ? 予定? ばっか、オレの誘い断るなんて十年早えんだよ。あ、そういうこと言うんだ。こっちには人質がいるんだけどなあ」


 ちらっと横目で三浦さんがわたしを見て、自分のスマホをこっちへ向けた。その向こうから翔吾さんの声が漏れだしている。
 人質、たぶんわたしのことをさしているのだとはとは思うけど。
 なんだかウキウキしているような感じの三浦さんがおかしくて笑いを堪えるのに必死だった。


『三浦さん! 人質ってなんですか? まさか――』

「翔吾さん」

『雪乃!? やっぱり! なんで三浦さんと――』


 わたしが名前を口にすると、焦ったような翔吾さんの声が聞こえてきた。しかもいきなりトーンアップするもんだからバリトンボイスが割れたような音になって耳に響き渡る。好きな声だけどこれはひどい。
 向けられていたスマホがくくっと笑いをかみ殺した三浦さんの耳元に戻された。


「これでも来ないって言うのか? ああ、待ってる」


 通話を切った途端、三浦さんがははっと堪えきれない笑い声を漏らした。
 揶揄るような表情でわたしを見て「すぐ来るって」と口元を拳で押さえている。


「あいつ、風間ちゃんのことになると冷静さを失うよな。普段すかしてるくせに」


 先を歩きはじめた三浦さんがそんなことを言うものだから、顔がかっと熱くなった。
 うれしいような恥ずかしいような……ううん、やっぱりうれしいけど。
 隣の晴花さんが「ひゅー」っと小さな声をあげてにまにましているのに気づき、さらに顔が熱くなった。



**
 


 わたし達がユズリハにつき、奥の座敷へ誘導されて十分も経たずに息を切らした翔吾さんが到着した。
 寒いくらいの夕方なのに、額にはうっすら汗が滲んでいるように見える。おまけにネクタイも少し緩められていて、すごく急いできたんだろうということがすぐにわかった。


「三浦さん、人が悪いですよ。雪乃を盾にされたら断れないって知っててそれっすか?」


 翔吾さんがご立腹の様子で入ってくると、わたしの隣の空席にどんと座り込んだ。
 わたしの向かいには壁際に座った三浦さん、翔吾さんの向かいには晴花さんが座っている。ふたりともにやっとしながらわたし達を見ていた。


「人が悪いならおまえは呼ばないって。呼んでやっただけありがたいと思ってくれないと。最初は三人の予定だったんだから」

「なっ! 三人って、どういうことですか? 最初っからそういう予定だったとでも? だって雪乃は今日俺と――」

「一日くらいいいじゃない。今日は四人で仲良く飲もーよー! 私、雪乃と飲むの初めてだー」


 あっさりと丸め込まれた翔吾さんが、納得いかなそうに三浦さんと晴花さんを睨みつけるけど全然迫力がなかった。口ではそう反発しておきながらも、翔吾さん自身もこの状況を楽しんでいるように見える。
 
 その後も三人はまるで言い争うかのようにしゃべり続けていた。
 翔吾さんは「雪乃は俺のだから呼び捨てするな」と晴花さんに言ってみたり、わたしに「三浦さんの向かいに座るな」と席を交換までさせられた。
 クマさんがビールを運んできて一気にテンションがあがった翔吾さんと三浦さんがビール一気のみ対決をはじめたりして、異様に盛り上がりを見せる。それに「私も加わる」とビールのジョッキを手にした晴花さんを慌てて三浦さんが止めたりして、ずっと笑いっぱなしだった。

 そんな中、翔吾さんはテーブルの陰でわたしの手を握り、指を絡めたリするからいつばれるんじゃないかと気が気じゃなかった。
 晴花さんにわたしの顔が赤いと指摘され、慌ててその手を離そうとしたけど全く離す気がない翔吾さんはテーブルに肘を突いてニンマリとわたしに笑いかけて見せる。なんて意地悪なんだろうか。
 飲みすぎじゃないか、とまで心配された上、グラスの中身を覗かれて烏龍茶をウーロンハイだと誤魔化してなんとかその場をしのいだ。
 

「前にも言ったけど、雪乃には悪いことしたと思ってる。でも、ちゃあんと翔吾さんのことは諦めたし、今はこうして三浦さんという人生のパートナーを見つけたから安心してよね」

「誰がおまえの人生のパートナーだ。寝言は寝てから言うんだな」

「もうっ! いっつも冷たいんだから」


 晴花さんがすかさず三浦さんの腕に自分の腕を絡めるけど、それを軽くあしらうようにするりと外してしまう。 そしてぷくっと頬を膨らませる晴花さんがすごくかわいらしく見えた。
 晴花さんは思っていたより気さくな人で、翔吾さんや三浦さんに接するのと同じようにわたしにも話しかけてくれた。
 咲子から晴花さんが三浦さん狙いだと聞いてはいたけど、目の当たりにすると不思議な感じだった。小皿に食べ物を取り分けようとして断られたりしても、めげずに食らいついていく。まるで三浦さんが冷たくあしらうのを笑いのネタに提供してくれているんじゃないかって思うくらいだった。

 
 わたしがお手洗いに離席し、出た時にちょうど三浦さんも男子トイレから出てきた。
 すでに顔を真っ赤にして「飲みすぎた」と笑う。だけど身なりは全然乱れていなくて、スマートな三浦さんはやっぱり素敵な男性だと改めて気づかされた。


「おめでとう」


 戻ろうと歩き出した時、三浦さんが小さな声でそうつぶやいた気がして振り返ると、とっても穏やかな表情で笑っていた。
 その言葉が本当にうれしくて、わたしも笑い返してうなずき、お礼を告げる。


「ずっと言いたかった。でもこうして言える機会もなくてさ。今日ばかりはあいつに感謝しないとな」

「晴花さんですか」

「うん。あいつ、雨宮にフラれてからかなり変わったよ」


 心なしかうれしそうな三浦さんがなんとなく不思議だった。
 なんだか前よりも、もっと優しく笑うようになったような気がする。
 わたしがじっと見ていることに気づいたのか、三浦さんがこっちを見た。


「本当によかった。お幸せに」


 まるで愛しむような暖かな表情を向けられ、ドキッとしてしまった。
 差し出された手に自分の手を重ね、両手で包むようにしてしっかりと握手する。
 こんなにもわたしに優しくしてくれた男性は他にいない。もちろん翔吾さん以外にはという意味で。

 暖かなひとだった。
 翔吾さんとのことで悩み、泣くわたしをほっとかないで守るようにしてくれた。
 思い出したら三浦さんへの感謝の気持ちは泉のようにどんどん溢れ出して来る。三浦さんがいなかったらわたしはきっと翔吾さんの手を離していただろう。
 

「ありがとうございます。三浦さん。本当に……」

「うわ、泣かないで。雨宮に殺されるよ、オレ」


 目の前に綺麗に折りたたまれた紺色のハンカチを差し出され、自分が涙ぐんでいることを知った。 
 あまりにもうれしくて。そして今まで三浦さんにしてもらったことを思ったらいくつ感謝の言葉を並べても伝えきれない。
 遠慮なくハンカチを借りて涙を拭うと、三浦さんは心からうれしそうな笑顔を見せてくれた。


 席に戻ると、今まさにヒソヒソと声を潜めて話をしている翔吾さんと晴花さんの姿を見た。
 親しそうな感じではない。だけど、わたしと三浦さんがふすまの扉を開けた途端、ピタリと話をやめたのは少しだけ気になった。


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Date:2014/03/08
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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