空色なキモチ

□ 哀恋歌 □

哀恋歌 前篇

 
 彼女との思い出を話そうか。


 はじめて会話したのは忘れもしない。大学に入って少し経ったまだ梅雨も明けていないのに初夏の日差しが暑いくらいの時だった。
 大学の構内で見つけた目がぐしゃぐしゃの茶トラの仔猫。ガリガリにやせ細り、親猫はいくら探しても見つからなかった。
 うちの大学の構内には時々こんな迷い猫が確認されていたようだ。
 噂で聞いた限りだったけど、目の当たりにして本当だったことを知った。

 一雨きそうな空を仰ぎ、この仔猫をどうするか迷った。
 か細い泣き声は徐々に小さくなってゆく。その場にしゃがみ込んで手を差し伸べればいっちょ前に爪を立てたり、シャーッと威嚇の声をあげたりもする。だけどこのまま放置すれば確実にこの命は途絶えるだろう。

「仔猫?」 
 
 不意にそんな声が背後から聞こえた。
 振り返ってみると、よく図書棟で見かける英文科の女子生徒だった。

 入学式の時から彼女は目を引く存在だった。
 清楚な服装なのに山盛りメイク、高校時代の名残なのだろうか。目許は真っ黒で本当の顔もわからないくらいだった。
 だけどスタイルがいいし、メイクはお世辞にもうまいとは言えないけれど、僕の友人達は彼女をキャンパス内で見かけるたびに「かわいい」だの「合コンに誘いたい」だの言っていたのを思い出した。そういう目線で見られる対象の女の子だった。

 こんな現場を友人に見られたら、後で何を言われるかわからない。
 そんな思いがよぎりつつ、しゃがんだ僕の後ろに立ち尽くす彼女にうなずいて見せた。仔猫を覗き込んだ彼女が「かわいい」と、声のトーンを上げる。
 この猫がかわいい? こんなに目がグシャグシャなのに? 
 僕にはこの仔猫のかわいい要素が見当たらなくて首を傾げた。同時に女性がよくが取りそうな行動パターンというのが頭に浮かぶ。声を高くしてそうアピールすることで自分をよく見せようとする。

 今までに遭遇してきた女性は揃いも揃ってみんなそんな類だった。だけど女性とはほとんど縁のない僕は、そうやって僕の友人にアピールする女性を陰で見ているだけの存在だった。僕に対してそんなアピールする女性なんて今までいなかったから。

「この子、どうするの?」

 彼女はふと僕にそう聞いてきた。
 どうするもこうするも僕にはどうにもできない。ウチには猫アレルギーの弟がいる。猫は大好きだけど飼えないのが現状だった。
 かといってこんなに弱っている仔猫の飼い主を見つけようとしても飼ってくれるような奇特な人間はいないだろう。どうせ飼うなら元気でかわいい猫がいいに決まっている。

 でもこの猫がそうなればどうだろう。もしかして飼いたいという人も見つかるのではないだろうか。
 僕はしきりに威嚇し続けるその仔猫を抱き上げて立ち上がった。
 この大学には医学部も獣医学部もある。付属の病院と動物病院も併設されているのだ。そこに連れて行くことにした。
 動物は保険がきかないから診察料も治療費もかなり高いだろう。だけど見過ごすことはできなかった。
 幸い数日前にバイト代が入ったばかりで財布は比較的潤っている。それで足りればいいと思いつつ「病院へ連れて行く」と彼女に伝え、その場を去ろうとした。
 すると、彼女がちょこまかと僕の後ろをついてくるではないか。
 白地のパフスリーブ型のワンピースの裾をひらめかせている。紺色の小花柄がキュートだと思った。
 その腕には白のおしとやかそうな傘がぶら下がっている。
 なんでついてくるのかだろうか。そんな目で見つめるとにこっと笑顔が返って来る。そのメイクには似合わないストレートの黒髪が艶やかに揺れた。


 その時、いきなり雨が降ってきた。
 僕は傘を持っておらず、とりあえず仔猫が濡れないように着ていた水色と白のストライプのシャツを脱いで包もうとすると急に雨が遮られた。彼女が持っていた傘を開いて僕をそこに入れたのだ。
 唖然として彼女を見ると、早く包んであげなよと言わんばかりに僕の荷物に手を伸ばしてそれを持ってくれた。正直助かったけど腑に落ちない思いで一緒に病院へ向かったのだった。

 雨足は徐々に強まり、彼女の存在は本当にありがたかった。
 彼女はひと言も発することなく僕についてきた。
 
 背の高い僕と低い彼女。多分三十センチ近い身長差があるように思える。
 僕は痩せ型で縦にひょろっとしている。実身長を教えると『そんなに高いのか』といつも驚かれるが、百八十五センチはゆうに越えていた。
 一方隣を歩く彼女は百五十センチあるかないかだろう。やや踵の高いサンダルを履いているのに腕を思いきり伸ばして傘を差しかけてくれるものだから、申し訳なくて途中から腰を曲げて歩いていた。
 おかげで動物病院に着く頃には腰が痛くなっていて、入った途端大きく伸びをしてしまうのだった。


 診察後、その猫は入院になった。
 かなり医療費がかさみそうだなと思いつつも乗りかかった船を下りるわけにもいかない。
 別に一緒について来てくれた彼女にいい格好をするつもりもない。ただ僕は猫が好きなのだ。
 そう必死に自分の心の中だけで言い訳をしていた。今思い返すと恥ずかしいくらい顔が熱くなる。


 病院を出る前に、彼女に携帯の番号とアドレスを聞かれた。
 どうしてだかさっぱりわからずに首を傾げると、あの猫の状況を知りたいから、と自分のアドレスと電話番号も教えるからと言ってきた。
 僕はあの猫を飼えないし、退院したら飼い主を探すつもりだからと伝えるも「それでもいいから」と半ば強引に聞き出され、自分のアドレスを書いたメモ紙を押し付けるようにして動物病院を後にしていった。
 
 まるで風のようだと思いながらその余韻にしばらく浸ったのだった。


**

 
 それから彼女と僕は急速に親しくなっていった。

 こっちが連絡をしなくても彼女からメールがちょこちょこ来るようになったのだ。
 『猫は元気?』からはじまり、こちらからも病院に様子を見に行った日は写メを送ったりしていた。
 だんだん元気になってゆく仔猫の画像を見てうれしそうな彼女とはそのうち猫以外の他愛ない話もするようになっていた。

 僕はオタクなほうで、眼鏡をかけていて冴えないタイプの男子だ。それなのに彼女はそんなことお構いなしで僕にコンタクトを取ってくる。
 時々キャンパスでおしゃれ系な男子生徒に声をかけられて話している彼女の姿を見かけた。
 だけど彼女は僕の姿を見かけると、そのおしゃれ系男子を放って僕のほうへ駆けつけてくるのだ。わけがわからない。その男子は恨めしそうな目で僕を睨む。なんであんなやつと、目はそう訴えている。

 だけど彼女はそれに気づかず大きく手を振りながら僕の名を呼ぶのだった。


 猫は一ヶ月近く入院していた。
 退院が決まり、入院費をどうにかしようと僕はバイトに明け暮れていた。
 居酒屋のバイトに加え、夜の警備の仕事もするようになった。警備の方は友人のツテですぐに入れ、交代で仮眠も取れるので比較的楽だった。

 友人には彼女との関係を問い詰められた。
 猫のことを話し、彼女との関係についてはよくわからない、ただの友達だとだけ伝えていた。それ以上の説明のしようがなかった。


 退院の日は彼女も一緒に病院へ来た。
 入院費はいくらか問うと、捨て猫の治療費は取れないと言われた。つまりただにしてくれたのだ。
 学生に治療の介助をさせ、勉強になったからいいとのことだった。だけどこういうことはこの一度限りだと念を押された。二、三十万は取られるだろうと思っていたのでホッとして力が抜けてしまった。
 見つけた時は目の横の辺りにあったフエルトみたいな耳がすでに頭の上に位置しており、すっかり猫らしい姿になっていた。ぐしゃぐしゃだった目もすっかりよくなってかわいらしくなっている。
 この猫は雄だった。飼い主を探すにしても、もう少し大きくなったら去勢手術もしないといけないだろう。

 彼女は僕の隣でうれしそうに微笑み「よかったね」と、何度も繰り返した。
 その笑顔がとてもかわいいと思った。いまだにこのメイクは好きになれなかったけど、僕は意を決して彼女を食事に誘ってみた。
 この猫の治療費のために貯めた金が手元にある。いくらいつも仲良くメールをし合っているとはいえ、僕みたいな冴えない男の誘いに乗るだろうか、一種賭けのような気持ちだった。それなのに彼女は笑顔で了承した。
 食事に行くのにこの仔猫をどうするか迷っていると、彼女の実家が近いから預けると言ってくれた。しかも飼い主が見つかるまで自分の家で世話するとまで言ってくれたのだった。

 なんていい子なんだろう。
 僕の気持ちは少しずつ彼女に惹かれてゆくのを自覚していた。
 
 僕みたいな何の取り得もない男が恋をすることなんてありえない、ずっとそう思っていた。
 三次元の女子より二次元の子の方がかわいいと思っていたオタクな僕が信じられなかった。

 だけど届くメールに一喜一憂する自分を感じていて、この気持ちは紛れもなく恋だと悟るのだった。

 女性慣れしていない、かっこいい言葉ひとつも言えない。そんな僕に彼女はメールをよく寄越した。
 今日の講義はつまらないとか、自分のバイト内容まで教えてくれるようになった。
 彼女は家で英語の翻訳のバイトをしていた。小さい頃アメリカに住んでいたことがあると言い、英語はペラペラだった。


 僕は彼女を気遣うこともできず、いつもストレートな言葉を浴びせかけていた。
 いつも後悔するのだが、そのメイク似合わないと言ってしまった時はさすがにまずいと思った。だけど彼女はいやな顔ひとつせず「似合うって言われるんだけどな」と、苦笑した。

 実は僕はメイクが得意だったりする。
 僕と年の離れた姉がメイクアップアーティストで芸能人やモデルのメイクを担当している。小さい頃から僕は練習台になっていた。男だし、こんなに冴えない僕を練習台にするなんておかしいけど、それをキレイに仕立てるのが自分の仕事だと豪語し、女性用メイク男性用メイクの練習台になっていた。
 男にしては肌がきれいだとよく褒められていた。そして姉のメイクを施されると僕でもなかなか見れるようになるから不思議だ。その傍ら僕も弟にメイクをしたりしてどんどん上達していたのだった。

 その腕を発揮してみたくなり、とある日、メイクをしてみたいと言ってみた。
 まあ断られるだろうと覚悟の上で申し出たのに、大きな目をパチクリさせて「いいよ!」と、うれしそうに微笑んでくれたんだ。

 僕の腕で彼女をもっともっと魅力的にしたい、そんな思いだった。


 こんなに仲良くなる前は、彼女を見かけてもきっとプライドの高いつんけんした子なんだろうなと勝手なイメージを抱いていた。
 僕なんかが声をかけてもスルーされる、そもそも話しかけるきっかけすらないと思っていたからこんなにも仲良くなれて僕は夢心地だった。

 そのきっかけを作ってくれた猫に感謝の意を込めて、僕はひとり暮らしをすることにした。
 もちろんあの猫を飼うためだ。実家にはアレルギーの弟がいるから飼えないけど、ひとり暮らしなら何ら問題はない。ペット可の安いアパートを見つけるのは大変だったけど、なんとか見つけられた。

 夏休みに入ってすぐ引っ越しをして彼女の家から猫を引き取り、その猫に彼女の名前をつけた。
 雄猫だから一度は躊躇ったが、猫を呼ぶのに彼女の愛称を口にできるのがむず痒くて……でもうれしかったんだ。



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Date:2014/02/08
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Thema:オリジナル小説
Janre:小説・文学

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