第11話対峙する真麻とわたし、そして陽
玄関近くで倒れ込みそうになった陽をぜいぜい言いながらふたりで布団に戻した。
こんなに細い身体だけどそれなりに重かった。もしかしたら骨太なのかもしれない。
布団に横たわった陽の横に真麻とわたしが向かい合って座る。
なんだか変な雰囲気になってしまったけどしょうがない。陽も挟まれてしまって居心地が悪そうだった。しかもひとりだけ臥床状態だから。
こんな状況になる前に陽が倒れそうになって、すっかりわたしの涙は止まってしまっていた。
真麻が持っていたビニール袋から何かを取り出してわたしに向けた。横たわった陽の身体ごしに手渡されたのはわたしが好きでよく飲んでいるミルクカフェオレの缶。
「のんちゃん、それ好きなの? 僕が淹れるカフェオレの方がっごほっ、ごほんっ! おいしっ、ごほっ」
「缶コーヒーに嫉妬とか……」
はじかれたようにむせ出す陽に真麻が呆れたような眼差しを向けた。
しかも口調も冷ややか。とてもつきあい始めたばかりの恋人同士には思えない。それに真麻の言っていることの意味が全くわからない。
「ところでのんはなんで泣いてたの?」
真麻に鋭い視線で睨みあげられ、ぐっと息を飲む。
とにかく誤魔化そうとカフェオレを開けようとするけどうまく爪がひっかからなかった。
「僕のせいだから、のんちゃんを責めないで」
「え? 何をしたのよ」
喉元までこみ上げてきそうな咳を押さえ込もうとしている陽に真麻がペットボトルの飲み物を渡した。
ゆっくりと起きあがった陽がそれを数口飲んで、はあーっと大きなため息を漏らす。
「ごめん、たぶんのんちゃんを抱きしめた」
「――はあっ!?」
心底申し訳なさそうな表情でちらっと上目遣いの瞳がわたしを見上げ、深く頭を下げた。
その言い方、語弊がある! 眉をつり上げ驚きの声をあげる真麻が誤解して怒りを覚えてしまうのも無理はない。
「真麻、違うよ! 陽さんは真麻とわたしを間違えて抱きしめただけでっ! 熱に浮かされてたからっ、だから許してあげて」
今度はわたしが必死で頭を下げる番だった。
真麻の機嫌が直ればもうそれでいい。わたしの気持ちなんてもう。そう思っていたのに。
「は? 意味わかんない」
全然伝わってなかった。わたしの思い。
頭を下げたままがっくりと肩を落とす。もう顔をあげるのもめんどくさかった。
そうだ、真麻は天然だったんだ。勘が鈍いとでも言おうか。
「逆ならわかるけど、いくら熱で浮かされてるからってそれはありえないでしょう」
逆……?
あははっと声を上げて笑う真麻は、一体何を言っているのだろうか。
うん、とりあえず怒ってはいないみたい。それにはほっとしたけど、激しい勘違いをしている気がする。
だって自分の恋人(陽)が間違えて自分の従姉妹(わたし)を抱きしめたってことの事実が伝わってないんだもの。
恐る恐る頭を上げてみると、陽と真麻がわたしを見つめていた。まるでおかしいのはわたしと言わんばかりの視線が痛い。
「なんで、のんは私と間違えられたと思ったの?」
笑いを堪えようと必死な真麻と少し膨れたような表情の陽。
なんだか全然理解できなくて首を傾げる。あれ、わたしの決死の謝罪、伝わっているのかもしれない。でも、なんだか辻褄が合わない。なんて言ったらいいかわからずおろおろするわたしを見て、真麻がさらに笑いたそうにしている。
「ちゃんと説明して。嘘ついてもわかるんだから。のんの嘘なんて私達いつでもお見通しなんだからね」
同調するように陽が真剣な顔でうなずくから胸の奥のほうからこみ上げてくる居たたまれなさみたいなものを飲み込むしかなかった。
嘘つきの烙印を押されたような気がした。それはしょうがないだろう。わたしはたくさんの嘘をついてきているんだから。
これ以上隠しきれないと観念したわたしは、俯いて口を開いた。
「陽さん、わたしを抱きしめて、真麻の名前をつぶやいた」
「嘘だ!」
わたしの発言を遮るように突然発せられた陽の大声に思わず顔を上げて視線を合わせてしまった。
肝心の陽はそのせいで喉に負担がかかったのか激しくむせだしている。
本当のことを言ったのになんで嘘だと言い切るのだろうか。わたしの嘘はお見通しだなんて全くのデタラメじゃない。
ペットボトルに口を付ける陽をぎっと睨みつける。
「嘘じゃない」
「いーや、嘘だよ」
子どもみたいに言い返してくる陽に腹が立った。
嘘なんかついてないのに。結局わたしが言ってることは全部嘘だと思われているんだ。その事実が悲しかった。自分で蒔いた種かもしれないけど。
「まあまあ、のんの言ってることが正しいとして、じゃあなんでのんは泣いていたの?」
「――っ!!」
揶揄するような真麻の笑みにわたしの顔がかあっと熱くなってゆく。
真麻はわたしの気持ちに気づいているんだ。だからこんな意地悪なこと。誘導尋問としか言いようがない!
唇を噛みしめて俯くわたしの顔を真麻がのぞき込んでくる。逃げ場はないと言わんばかりに勝ち誇った笑みを浮かべて。
ずっとわたしを守ってくれるって約束したのに、これじゃ約束が違う。
わたしを陥れるようなことをしているのに、しかもわかっていてやっている真麻はすごく意地悪だ。
これ以上ないってくらい恨みがましい目で真麻を睨みつけると、その笑みはすっと消えて凛とした真顔になっていた。
「ねえ、なんで?」
「っ、それはっ」
まるで男の人と話す時のように言葉が思うように出てこない。なんでだろうか。相手は従姉妹の真麻なのに。
喉元で言葉がくぐもる。あの視線に威圧されているわけではない。それなのになんで。
「あの、真麻ちゃん」
「陽は黙ってて。あんたの言い分は後で聞くから」
「……でも」
ただならぬわたし達の雰囲気を感じ取ったであろう陽が助け舟を出してくれたんだと思う。だけどそれを真麻が一蹴した。
あんたって……年上に向かってそんな言いかたはないだろう。しかも恋人に向かって。あ、恋人だから許されるのか。
――恋人だから。
そのフレーズがわたしの靄がかかったような頭の中を巡った。
「のんが変われるかどうか、今が正念場なの」
真麻の言葉に陽の視線がわたしにぶつけられるのを感じた。
わたしが、変われるか。
募りゆく思いを陽にぶつけて、ここでちゃんとフラれておけということなのだろう。
きっとそうだ、真麻が言いたいことはそれなのだろう。そうに違いない。
ぐっと唇を噛み締めて下から真麻を見上げると、まるで転んだ子どもが自分の力で立ち上がるのを待っているかのような顔をしていた。
今までの真麻だったら、すぐにわたしに手を差し伸べてくれた。
もしかして今もそうしてくれようとしているのかもしれない。
そう思ったわたしの甘い考えに気づいたのか、即座に真麻は眉を吊り上げてわたしを突き放した。
「ほら、言いなさいよ」
挑発するようなその言葉に首を横に振る。髪の先がわたしの頬をバシバシとかすめた。
フラれたからと言ってなにが変われるというのだろうか。ただの恥さらしじゃないか。フラれるとわかっていて告白するばかなんていない。どうせ、わたしなんか――
その時、母の言葉を思い出した。
――少なくとも『わたしなんか』なんて自分で自分の人格を下落させるような女の子とつき合いたいとは思わない――
胸の奥が締め付けられるように苦しくなったのとほぼ同時にパン、と耳元で何かが破裂したような音が聞こえた。
直後、左頬に走る痛みがじーんと疼くように広がってゆく。
一瞬何が起きたかわからなかった。
真麻と真正面に向き合っていたはずなのに強制的に右向きに、陽のほうを向かされている。
真麻がわたしの頬を叩いたんだ。
「っ、たぃ……」
「私の手だって痛いわよ」
その瞬間、理性がとんだ。
なぜだかわからない。今まで押さえつけていた自分の中の何かがぶちんと音を立てて切れたようだった。
しっかりと編みこまれた縄みたいなものが少しずつ劣化して解れ、すでにわずかにしか繋がっていなかった状態だったのかもしれない。
「じゃあなんで殴るのよっ!」
わたしは陽の布団越しに真麻へ飛びかかっていた。
もつれ合いながら倒れこむわたし達を陽はどんな目で見ていただろうか。そんなことは知らない。知ったこっちゃない。
「真麻にわたしの気持ちなんかわかんない!」
「わかるもんですかっ! いっつもいい子ぶっちゃってムカつくのよ!」
「わたしは真麻じゃないもんっ! それなのにそれなのにっ……お母さんもみんなもっ、真麻真麻ってムカつくのっ! 従姉妹だからって比較されてどんなに辛かったかあんたになんかわかんないっ――」
わたしは泣きながら「真麻のばか」と繰り返し、握りこぶしで真麻の胸の辺りをボカスカ叩いていた。
一方真麻も「のんのばか」と繰り返しながら、覆い被さられた状態でわたしを叩き続ける。
そんなわたし達をきっと見かねたのであろう陽が止めに入ったのは言うまでもない。
上に圧し掛かっているわたしの身体を抱え上げ、後ろから羽交い絞めにされた。
わたしの身体の重みがなくなった真麻がむっくりと起き上がって息を切らしてわたしを睨みつけたあと、堪えきれなくなったようにぷっとふき出した。
「言えるじゃない。それでいいの」
「はあっ?」
「自分が言ったこと覚えていないの?」
はあっと大きなため息を吐きながら不思議そうな表情で真麻がわたしを見て首を傾げる。
言ったこと――
「のんは私じゃない、当たり前のことでしょう。それに、陽に私と間違えられて悔しかったのよね」
ずり落ちた眼鏡を元に戻され、すうっと真麻の手に左頬を優しく撫でられた時、我に返った。
胸の奥に溜まっていた膿みたいなものが急にさあっと引いてなくなるようだった。
間違えられて。そう、悔しかったの。悲しかったの。
それがなければわたしはずっとこんな思いを自分の中で燻らせていたはず。そして一生こんなふうに真麻にぶつかることはなかった。
きっと誰かがありのままのわたしを認めて、求めてくれるはず。いつかそんな日が来ればいいって心のどこかで願いながらも、そんな日は来るわけないと諦めていた。
「いい加減認めてあげなさい。陽のこと、どう思ってるの?」
暖かな手に両頬を包まれ、胸だけでなく喉の奥の辺りが熱くなる。
真麻が言ったことの意味がわかった。今がわたしの正念場。変われるかどうかの。
――今しかない。
「――す、き」
掌から砂が零れ落ちゆくように自然に口からそう漏れ出していた。
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